8.34.心の底から


「“大好きです”」


 この言葉が、俺たちの思考を完全に停止させる。


「……いま……なんて……」

「私は人間たちが、“大好き”なんです」


 追い打ちをかけるようにその発言に、俺たちは聞き間違いではないということを思い知らされる。

 何故、という言葉が頭の中を駆け巡た。


 だって、そうだろう。

 人間が嫌いでなければ、殺すなんてことするはずがない。

 大好きなのであれば、何故殺すのか。


 それに、今の笑顔に裏があるとは思えない。

 今までとは違う、自然な笑み。

 それを疑う方が悪魔だと言われてもおかしくはない程に、美しいものだった。

 まやかしなんかではない。

 技能でもない。


 今のは彼女の、本心だ。


「ああ、アアアア……」

「!? どうした鳳炎!!」


 急に、鳳炎が頭を抱えて震えはじめる。

 ガッと肩を掴んでみると、その震えは異常なほどに小刻みで止まる気配を見せない。

 何かが反発しているような……。


 こんな症状、大治癒なんかで治すことはできない。

 回復水も精神に効くようにはできていないのだ。

 精々疲労を飛ばすくらいである。

 今はとりあえず背中をさすってやることしかできなかった。


「鳳炎殿! 応錬様、これは一体……!」

「分からん……! ルリムコオス、何かしたか?」

「いえ、私は何もしておりませんよ。よろしければ治しましょうか?」

「……」

「そうですか」


 流石に仲間を悪魔にを任せたくはない。

 とりあえずリゼに任せよう。

 男ではなく女の方が、今の鳳炎の精神年齢であればそっちの方がいいはずだ。


「! なんて震えなの……」

「……」

「? 鳳炎、今なんて……?」

「……! ……!」


 俺たちには鳳炎が何と言っているのか分からない。

 一番近くにいるリゼも、流石に分からないようだ。

 こちらに首を振って、聞こえなかったと教えてくれた。


 明らかに様子がおかしい……。

 こいつは今のルリムコオスの発言を聞いて、何に気が付いたんだ……?


 とりあえず、落ち着くまで鳳炎はリゼとアレナに任せよう。

 俺は再度ルリムコオスに目を合わせる。


「……お前、さっきのは本心か?」

「はい。心の底から、私は人間たちを好いています」

「では何故……っつっても、言えないんだったな」

「はい」

「じゃあ……お前の家族でも、目的のために必要とあらば殺すのか?」

「はい」


 間髪入れずに、ルリムコオスはそう答えた。

 それ相応の理由が、こいつらにはある。

 大好きな人間を殺してでも、家族を殺してでも成さなければならないことが。


 呆れるほどに、こいつらの意志は固い。

 それ程にまで重要な事なのか。

 これは……悪魔だけの問題ではないのかも、知れないな……。


「何時からやってんだよ。こんなこと」

「丁度、応錬様。貴方が生まれ変わった時からかと」

「…………」


 少し昔のことを思い出していた。

 すると、何か引っかかる様なものがある。

 これは何だとまた頭の中で思考を巡らせた。


 俺が転生した時辺りから、こいつらは何かをしている。

 知っているのはバミル領とウチカゲの故郷が奴隷商に襲われた事。

 大きな事件と言えばこれくらいだ。


 …………。

 ………………!!


「お前ええええ!!」


 足を大きく踏み込んで、茶や菓子が乗っている机を踏み壊す。

 俺の方に飲み物や菓子が飛び、服が汚れるがそんなことは気にしない。

 両手でルリムコオスの胸ぐらを思いっきり掴む。

 そして頭を彼女の額にぶつけて目を見開いた。


「ウチカゲの故郷とバミル領への奴隷商の襲撃!! 企てたのは悪魔どもか!!」

「ご明察」


 全く動じない彼女に、俺はまた怒りを覚える。

 すぐに顔を離して感情任せに思いっきりぶん投げた。


 抵抗する気は全くなかった様で、そのまま椅子と一緒に壁の方まで吹き飛ばされる。

 様々な本やグラスなどが揺れによって落ち、乾いた音を立てた。


「何故だ!! 何故だぁ!!」

「……必要だったから、です」

「貴様……!」

「応錬様!!」


 一瞬で移動してきたウチカゲに、影大蛇の柄を握られる。

 鬼の力には勝てないので、抜くことはできなくなった。


「ウチカゲ……お前の領主の敵だぞ……。アレナ、お前の両親の敵だぞ……!」

「それは、分かっておりますが……!」

「応錬! 鳳炎が……!」


 アレナの報告に、ばっと後ろを振り返る。

 すると、鳳炎がこちらを向いて必死に何かを訴えていた。

 虚ろな目で常に震えてはいるが、俺に手を伸ばしている。


 全員ですぐさま駆け寄り、その声を聴き逃さまいと耳を近づける。

 だが本当に小さい声でとても聞き取り辛い。

 ガチガチと歯を鳴らしているせいもあり、活舌も良くはなかった。

 しかし、聞き取れた。


「“悪魔は敵じゃない”、“殺しちゃダメだ”」


 何度も何度もそう言っていた。

 恐らく初めから俺たちにそう訴えていたのだろう。


 アトラックは、悪魔は敵ではないと言いたかったのかもしれないと、ここでようやく気付いた。

 敵だと断定していた俺たちには、その言葉だけは出てこなかっただろう。

 そこでようやく冷静になる。


 何をしていたんだ俺は……。

 ここでこいつをどうこうしたって、何かが変わるわけじゃないとさっきも考えていただろうに……!


 俺はルリムコオスの座っているところに歩み寄り、手を差し出す。


「すまなかった」

「いえ、問題ありません」

「本当に俺たちに危害を加える気はないんだな。今ので抵抗しなかったんだから」

「はい。ですが貴方の頭突きは防御貫通が付与されておりますので、久しぶりに痛みというものを味わえました」

「マゾか……?」


 その意味は分からなかったようで、彼女は首を傾げていた。

 まぁこれはどうでもいい。


 俺が起こしあげたと同時に、ウチカゲが話しかけてくる。


「応錬様。確かに悪魔はあの襲撃の首謀者でしょうが、俺たちは奴隷商にやられたのです。もう敵は討ちました」

「……そうか」

「わ、私もだよ……。でも……今ので悪魔が敵かどうか、私も分かんなくなってきた……。あの時は敵だって思ってたけど……」

「もし今の言葉がすべて本当であれば……俺たちは考えを改めなければなりません……」

「……そう、だな……」


 すると、ルリムコオスが軽く指を振る。

 次の瞬間には机も服の汚れも完全に元通りになっていた。


 こいつの技能、本当に優秀すぎるな。


「……本当にお前に敵意がないのは分かった。鳳炎の言葉も含めて、信用してやる」

「これは嬉しいですね」

「悪いが、鳳炎を戻してくれるか? こいつが何に気付いたのか知りたい」

「はい」


 俺がそう言うと、ルリムコオスはまた指を軽く振った。

 実際に鳳炎を抱えていたリゼは、彼の震えがピタッと止まったことを確認する。


 症状すらも治してしまう、というより壊してしまう、か。

 本当にこいつは強すぎるな。


 鳳炎は技能をかけられたことにより元に戻った。

 周囲をキョロキョロとしているが、まぁ問題はないだろう。

 俺は話を聞くことにする。


「鳳炎、お前は何に気が付いた?」

「え? 何が?」

「……いや、お前さっき震えながら悪魔は敵じゃないって言っていたじゃないか」

「言ってないよ?」

「「「「は?」」」」

「え……?」


 鳳炎の発言に俺たちは声を揃え、ルリムコオスは二度目の表情の変化を露わにした。

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