3.44.乾杯


 その夜。歓迎会と言う名目で豪勢な料理が振舞われた。

 場所はそのままでライキの居た仕事部屋を使わせてもらっている。

 夜なので行灯が数個置かれており、この書院全体を照らしていた。

 小さい灯が中で揺らめいているだけの簡単な構造であるにもかかわらず、この部屋を数個の行灯だけで照らしていることに俺は関心していた。


 行灯から漏れ出る茜色の光は優しく、そこにいるだけでも朗らかな気持ちにしてくれた。

 昔の人はこのような贅沢を日常的にしていたのだなと思うと少し羨ましかった。


 そして今、俺たちの前には大きな膳が並べられていた。

 そこには山の幸、海の幸、他にもこの里で作られた物が多く使われており、膳の上から香ばしい香りが漂っていた。


 山で取れた動物の肉と山菜。

 肉には何もかかっていないが、肉から溢れ出している肉汁はキラキラと輝き、肉本来の旨味を目でも確認することができる。

 ただ焼いただけの肉がここまで美味そうに見えることはないのではないだろうか。

 肉の隣には一摘みほどの塩が盛られてあった。

 恐らくこれを付けて食べろという事なのだろう。

 塩がなくとも十分に旨いと思うが、楽しみ方が二つあるのだ。

 そう考えれば使わずにはいられない。


 山菜は天麩羅にされている。

 日本で見た物とは似ても似つかない食材ばかりだが、天麩羅にされている為、何も気にせずに食すことができそうだ。

 シイタケに似ているキノコ。

 大葉によく似た葉。

 これはレンコンだろうか?

 しかし穴の形が全て正方形だ。他にも色とりどりの天麩羅が一つの皿の上で犇めき合っていた。


 川で取れた新鮮な魚。

 この近くに海はない。

 だが川ならある。

 膳の上に並べられている魚料理は刺身だ。

 その白い身は透き通るかのように透明で、本当に白身なのかと疑うほどである。

 ただ薄くしているだけではないかと思ったが、見てみればとても分厚い。

 マグロの寿司に使われるくらいの厚みがあるのではないだろうか。

 どのような魚なのかはわからないが、見るからに高級そうな魚であるということはわかる。


 その皿の隣には、小さな皿が置かれていて、その中には黒い液体と、緑色の練り物が入っている。

 俺と零漸はこの正体を知っている。

 日本人であれば一度は目にしたことがあるだろう。

 醤油、そして山葵だ。

 俺は確かにこの里に醤油と山葵があるのは知っていた。

 だがどうせ食べても味はしないと、殆ど食べることを諦めていたのだ。

 しかし、今は人の姿だ。

 味覚もあるし匂いも感じることができる。

 ここは食べなければ損だろう。


 里で作られた作物。

 米だ。そう。米なのだ。

 今目の前には行灯の優しい光だけでキラキラと輝いている一粒一粒のお米が、お椀の中によそわれているのだ。

 そして隣にもう一つのお椀がある。

 随分と濁った色の暖かいお吸い物がその中には入っていた。

 これも日本人の食事の代名詞。お味噌汁。匂いだけでもわかる。

 前世の記憶はないが、生きている時には何度同じ匂いを嗅いだことだろうか。

 食卓に並ぶ様々な具材の入ったお味噌汁を思い出すことが出来そうだ。


「ほぉぁぁぁあ……!」


 零漸は目をキラキラさせながら、今目の前にある料理を見つめている。

 すぐにでも箸を取って口の中に掻き込みたい衝動に駆られているだろうが、他の人を無視して食べるほど野暮な奴ではない。

 正座した状態でピシッと背筋を伸ばして待機している。


「はぁぁぁ……!」


 勿論俺も零漸と同じ状態だ。

 今まで食べてこれなかった日本食。

 それが今目の前にあるのだ。

 今すぐにでも箸を手に取りたい。

 恐らくだが、今俺はとんでもなく緩い表情をしているだろう。

 流石に零漸ほどではないと思うが。


 ライキやシムは、俺たちの反応を見て大いに満足しているようだった。

 お互いに頷き合い、シムは席に座った。

 他の者達はすでに席についており、姿勢を正してライキが何かを言うのをずっと待っている。

 しかしアレナは正座という物が初めてなのか、あまり綺麗にできていない。

 時々足を崩したり正してみたりを繰り返しているが、結局女の子座りに落ち着いたようだ。

 慣れるまではそれくらいでちょうどいいだろう。


 ライキは全員が席に着いたのを確認すると、一度咳ばらいをしてから口を開いた。


「応錬様の手前、本来であれば堅苦しい話をしなければならぬのだが……応錬様はそれは望んでおられぬご様子。で、あれば。頂くとしよう」


 ライキは膳の片隅に置かれてあった杯を手に取ると、自分の前に掲げた。

 他の者も同じようにするのを見て、俺と零漸、そしてアレナも同じように杯を自分の前に掲げた。

 だが片手だけで掲げるのはちょっと難しいようで、アレナだけは両手で掲げていた。

 因みにアレナの持っているのは杯だが、入っているのは水なので安心してほしい。


「乾杯」


 ライキはそう言って一気に酒を煽る。

 他の者達も同じように酒を飲み干していく。

 鬼の酒は強いと聞いたことがあるので少し心配ではあったが、ここで飲まないという選択肢はないだろう。

 なのでゆっくりと口の中に酒を流し込んでいく。


 その酒は少し辛かった。

 辛いという表現が合うのかどうかはわからないが、口の中に酒を入れた瞬間、ピリリとした刺激が走る。

 鼻の奥を突き差すような強い香りに驚きこそしたものの、それは一瞬のことですぐに引いていく。

 口の中に少しだけ含んでから、クッと飲み込む。

 口の中に走った刺激は喉までは到達せず、何にも引っ掛かることなくストンと胃袋の中に落ちてゆく。

 飲み干してふっと息をつくと、そこからまた強い香りが漂ってくるのがわかった。

 とても香ばしい香りだ。癖になる味だがとても飲みやすい。


「……美味い」


 空になった杯を見ていると、自然とそんな言葉が口から零れた。

 完全に無意識に発した言葉であり、この静かな空間ではとてもその声が大きく聞こえてしまった為、俺も少しだけ驚いた。


 その直後、ライキが今までにない大きな声で笑い始めた。

 それに続いてテンダとウチカゲも。

 そしてシムや姫様までもが笑い始める。

 零漸とアレナはその様子を見て少し驚いているようだったが、俺は一度この光景を見たことがあるのであまり驚きはしなかった。

 その代わり、笑いが込み上げてきた。


「ふあっはっはっは! うぅむ! 久方ぶりに乾杯などと言ったわい!」

「ふふふっ。ライキ様、流石の貫禄でございましたわ」

「うえぇぇ!? なんすかなんすか!? 俺たちにもわかるように説明してくださいっ!」

「説明は後だ零漸! 飯が冷めないうちに食うぞ!」

「そう致しましょう!」


 それを合図に各々が好きなお椀を持って料理を口に運んでいく。

 零漸は少し腑に落ちないようだったが、流石に食い気には勝てなかったらしい。

 すぐさまお味噌汁を手に取って飲んでいる。


 俺も同じようにお味噌汁を手に持って口に含む。

 すると懐かしい味が口いっぱいに広がった。

 中には豆腐とネギが入っている様で、それも一緒に口の中に運んで咀嚼していく。

 味噌が少し多いのかちょっと辛い。

 だが久しぶりに味噌を使った料理を食べた。

 味は濃いが、非常に美味だった。


 次に手を出したのは刺身だ。

 山葵を刺身の上にちょこんと乗っけて、少しだけ醤油をつけて米と一緒に口の中に運ぶ。

 刺身はサーモンのような食感だ。

 そこに醤油と山葵が混じって米にとても合う味に変身する。

 刺身と米を一緒に食べたってあまり美味しくはない。

 醤油と山葵が絡まることでようやく米と一緒に食べることのできる味になるのだ。

 一緒に食べた米は非常に柔らかく、その美味しさに感動すら覚えた。

 ここまで米が美味いと感じたことは今までなかったかもしれない。


 それからは、もくもくと掻き込むように料理を口の中に入れていく。

 少し意地汚いかもしれないが、そんなことは気にしていられなかった。

 懐かしい故郷の味を精一杯楽しみたかったのだ。


「美味い! 美味いっすよ応錬の兄貴!」

「ああ! はははは! 美味いなぁ!」


 これは俺と零漸にだけわかる会話だ。

 俺たちは同郷だ。考えていることは同じことだろう。


 今日、俺と零漸は前世と同じ食事にありつけたことに大いに感謝した。

 この世に神様がいるかどうかはわからないが、それでも今日は神様に手を合わせたい。

 ありがとう。神様。


 それから俺たちは雑談もまじえつつ、食事を楽しんだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る