第9話 八神いろはは見ているⅢ

 鳴り響く完全下校のチャイム。


 しかしそんなもの聞こえないほどにバクバクと心臓が鳴る。


 自分がどうやって昇降口までやって来たのかわからない。


 ちゃんと靴を履き替えたのかも覚えていない。


 ポケットの中に爆弾でも入っているような。事実教師に見つかれば人生が崩壊するので爆弾と言っても過言ではない。


 早く帰ろう。


 使うかどうかはじっくりと考えて……そう思いながら彼女は一人歩を早める。だが校門前で大嫌いな男子生徒と出会ってしまう。


 いつもならナイフのような切れ味を持つ嫌味でも吐いているところだが、今はそんな余裕はない。


 顔を伏せてすれ違おうとした時、彼はいろはに対してこう言った。


 「それだけはやめろ」


 つい足が止まった。最初は何を言っているかわからなかった。


 なぜ彼がそう言ったのか。バレている? そんなはずはない。あの場にいたのは会長と自分だけ。

 だが祐一の目は、今にも殴りかかって来そうなほど真剣な目をしている。


「な、なんの話かしら?」


 唇が渇く。声が裏返りそうになる。


「…………」


 しかし対面の少年は何も語らない。その目は言わなくてもわかっているだろうと。

 彼に対して白を切るのは無意味だと気づいたいろは、段々腹が立ってきた。たかがヤンキーに一体何がわかるのか。自分が今どのような気持ちでこれを手にしているのか。

 お前みたいに喧嘩でストレスを発散できるならどれほど楽に生きられたか……。


「出せ。今ならまだ間に合う」


 そんな子供を叱る親みたいな目をするな。イライラする。キレてしまいそうだ。

 心がブレる。抑制が効かない。


 いろはは目の前で凄みをきかせる祐一に対して、ある種の開き直りがあった。

 こんな校門のど真ん中、目立つ場所で殴ったりはしないだろうと。

 だが祐一は薬を渡そうとしないいろはの顔面を躊躇なくひっぱたいた。


 パンと軽い音が響き、頬がジンジンと痛む。

 初めて誰かに叩かれた。


 いろははヤンキーという生き物が怖いものだと実感すると同時に、燃えるような怒りが一気に鎮火し、脚がガクガクと震える。

 前科持ちというのもある種はったり的なものだと思っていた。だが違う、彼は本物だ。彼は『殴れる側』の人間だ。

 これ以上暴力を振るわれたくない。しかし逆に、祐一はこれ以上の暴力は振るわない。そんな確信めいたものも頭の中にあった。

 恐らくここで逃げたとしても多分追いかけて来ない。この校門が分岐路であることに気づく。


 逃げるか

 渡すか

 逃げるか

 渡すか――


 吐きそうになるのを必死に堪え、いろはは震える手でポケットに手を入れると”ソレ”を祐一に手渡す。彼は躊躇いなく袋を破り捨てると、白い粉が風に乗って消えていく。


「よくやった」


 彼は一言いろはを褒めてから生徒会室へと向かっていく。



 ――翌日

 祐一は暴力事件を起こして、一週間の停学となった。

 いろはと同じように勉強や家庭環境に悩んでいる生徒を見つけては、薬を売りつけていた大谷を病院送りにした為だ。

 祐一の退学も一時検討されたが、教師たちは大谷が危険薬物に手を染めていたことを知り、内々で処理を進める。


 いろはは正直に教師に大谷から薬を受け取った旨を話した。

 だが教師は「やっていないならそれでいい。このことは誰にも言うな」と釘を刺してきたのだ。

 受け取った薬は桧山にカツアゲされてなくなった。自分は風邪薬だと思っていたというストーリーで処理された。


 勿論抗議はした。しかし、ただでさえ生徒会長の大谷が問題を起こしていたのに他の生徒会役員いろはにまで薬物が広がっていたなど、学校側は公表できるはずもなく、最低限の尻尾きりですませようとしたのだ。


 当時の担任はこう言った。

「桧山なら大丈夫だ。あいつはクズで前科がある、全て奴がやったことにしておけばいい。なにあいつはこういう時のためにいるんだ・・・・・・・・・・・・・。たまには役に立ってもらわないとな」


 その後大谷は勿論警察送りになり退学となった。

 祐一も警察に一時身柄を拘束され、薬物検査を受けさせられたと聞いた。

 不当な扱いを受けたはずなのに、祐一は最後までいろはの名前は出さなかった上に、教師が作った偽のストーリーをそのまま受け入れたのだ。


 数日後に警察が出した答えは白。

 前科持ちということで厳しく尋問されたようだが、彼と薬物は関係ないことが証明された。

 しかし学校側は暴力をふるった事実はかわらないとして、停学の処分は取り消さなかった。

 しかも学校内では大谷の件を隠すように祐一一人を槍玉にあげた。


 祐一が停学をくらっている最中、いろははなぜ彼が校門前にいたかを調べることにした。

 理由は単純。彼の妹の友達に”売った”クズを殺しに来ただけらしい。

 なぜいろはがブツを持っていると気づいたのかは、大谷と同じ生徒会役員の制服と恐らくただの勘。

 いやきっと、いろはの表情や仕草で気づいたのだろう。


 『こいつは自分の手に余るものを所持している』と


 ヤンキーの弱者を見抜く観察眼が功を奏したわけだ。



 一週間後――

 彼の停学が解除され、いろははこれまでのことを謝罪しようとした。

 あなたのおかげで自分は踏み外さずにすんだと。

 できるなら贖罪がしたい。ほとんどすべての罪を被ってしまったあなたの為に、何かできることはないか? そう伝えると祐一は――


「贖罪なんぞいらん」


 そう一蹴した。


「でもそれじゃあ、あなたが全ての罪を被ったままになる。教師も両親も誰も私を裁かなかった……だからあなたに裁いてほしい」


 教師や両親は傷の悪化を防ぐため、いろはになんら処罰を下さなかった。その為、この件で唯一の被害者と言っていい貴方に裁いてほしいと。

 ここまで聞くと贖罪を願う迷える子羊的な感じもするが、いろはの様子は明らかにおかしかった。

 祐一は頬を紅潮させ爛々と目が輝かせる彼女に若干引いた。

 明らかに贖罪を待つ人間の目ではなかった。

 例えるならご褒美を待つ犬の目である。

 彼はあのビンタ一発で、いろはの攻撃的な性癖が反転してしまったことに気づいていない。


「ス、ストレスが溜まっているなら、いいものを紹介してやる。実はゲーム実況者でU1って奴がいてな。そいつの動画を見てると嫌な事全部忘れられるらしいぞ。お礼なら彼のチャンネルを登録してやってくれ」



 そして現在――。

 ストレッチを終え、布団に入るといろははイヤホンを耳にかけ、目を瞑る。


『シャアオラァァァァ見たか! 勝ったぞ!!』


 どうやら動画内では最強のCPUに勝ち、勝利の咆哮を上げているところらしい。


「ご苦労様」


 いろはは優しく労いの言葉をかける。

 VRテニス200Xのゲーム実況が終わると、次の動画を再生する。


『ど、ど~も~U1で~す。今日はね、これをやってみようと思うんだ。これは皆知ってるだろ、往年のレトロゲーム超魔王村。今日はね……これやる為に12時間睡眠とったから。死ぬ気で魔界救うから。お前じゃ無理とか言うなよ!』


 U1の超魔王村編のアーカイブは22時間に及ぶ激戦である。

 彼女が朝起きても多分まだ半分もクリアしていないだろう。

 だがそれでいい。いろはの朝はU1のゲーム実況で始まりU1のゲーム実況で終わるのだから。


 八神いろははU1のヘビーリスナーであり、彼女のような特定の配信者のみに熱を上げる人物のことをネットではこう言う。


『ガチ恋勢』と。





―――――――

次回はバカ話

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