第8話 八神いろはは見ているⅡ

 祐一といろはの出会いは高校一年生の時、同じクラスになったことが初邂逅。


 その時はまだアンジェとレオが交換留学でやって来る前の話で、当時の生徒会長はある薬品会社の社長息子だった。

 いろはは一年生でありながら生徒会長に抜擢され、生徒会会計に就任する。その当時はエリート意識が強かったと今でも覚えている。

 何か学校の為になることをと考え、思いついたのは学内の不穏分子、桧山祐一の排除である。

 ヤンキーである祐一を毛嫌い、嫌悪している生徒は多い。

 いろはも多分に漏れず、勉強もせず他者を威圧するだけの存在価値のない人間とまで思っていたほどだ。

 おまけに前科持ちと、正直嫌っていなくても同じ空間にいたくない。


 教師や生徒、誰もが桧山祐一に怯えている。あんな奴を野放しにして、この学校にいいことは何もない。

 正義感に燃える彼女は、何か重大な秘密をもっていないか? 一発で停学、できれば退学になるくらいの爆弾を抱えていないだろうか? そんなことを考えながら日々祐一のことを監視していた。


 しかしある時、事件は彼女の身に降りかかる。


 初めての学力テストトップ10陥落。その原因はわかっていた。

 親の仕事による長期不在、高校に入ってからは誕生日にすら帰ってこなくなった。そのことで腹を立てる子供の自分と、大人になれと諭す自分が同居して、常に喧嘩を続けている。

 子供のままの心と、急激に大人へと成長していく体のバランスがとれず、ストレスによる不眠、成績の低下、攻撃性の増加、思春期特有の悪循環を繰り返す。

 本来それは反抗期と呼ばれ、両親は自分の身を焼かれる子供の熱を受け止めなければならない。

 しかし役目を果たさない両親のせいで、彼女には排熱できる場所がなく、一人苦しみ続け精神的に不安定な時期があった。



◆◆◆ 誘惑は常に甘く。そして身近に。


 ――生徒会室にて


 祐一のスキャンダルを狙ういろはだったが、調べれば調べるほどヤンキーの像が崩れていった。

 例えば校門前に放置された捨て猫。誰もがかわいそうと言いながら他者の善意に期待する中、学校をサボタージュして里親を探したり、中学生からカツアゲするヤンキーを殴り倒して財布を取り返したり、「おいジジイおんなじとこグルグル回ってんぞ!」と悪態をつきながらも認知症の老人の家を探したりと、正直なんなんコイツ? と言いたくなるくらいの模範生徒である。


「それに前科のところも怪しいのよね……」


 一般男性を殴ったヤンキーが逮捕……。

 いろはが調べると、彼の親はチャイルドセーフハウスという児童養護施設を運営しており、その一般男性は身寄りのない子を引き取った養父にあたる人物らしい。


「孤児を引き取ってくれる聖人を殴る理由って何?」


 いろはの中に一つの推理が浮かぶ。今までの行動を鑑みて、全てが繋がる彼が暴力を振るう動機トリガーとなった出来事。


【義親による虐■】


 しかしそれは所詮憶測の域を出ず、今いくら考えたところでわからない。

 彼女は小さく息を吐くと、生徒会室の天井を仰ぎ見た。


「人のこと考えてる場合じゃないわね……」


 今いろはの鞄の中には人生で初めてとった80点代の答案用紙が入っている。

 落ち込み続ける成績。正直桧山祐一のことを考えている余裕などない。

 こうして彼のことを考えているのはただの現実逃避だということは自分でもわかっている。


 勉強をしていい点をとっていれば、いつかは両親に褒められる時が来る。しかし実際のところどれだけいい点をとっても、当然と思われているのか何も言われたことはない。

 それよりも一番危惧しているのは、こんな悪い点をとったのに何も言われないのではないか? という恐怖である。

 悪い点をとっても反応がないということは、両親は完全にいろはに興味がないということになってしまう。


「そんなの認められない……」


 泣き出しそうになるのをぐっとこらえる。

 そう、彼女はどうしようもないくらい愛に飢えていた。


 目尻を拭っていると生徒会室に3年の男子生徒が入って来た。

 爽やかな少年の制服には生徒会長にのみ認められた金の飾緒が光る。

 彼こそが昨年生徒会長を務めていた大谷勲おおたにいさむだった。


「お疲れだね、いろは君」


 人望が厚く、眉目秀麗、成績優秀、彼を目的に生徒会を目指すミーハーな生徒までいるくらいだ。

 かくいういろはも、3年連続で学年首位の成績をとり続ける彼のことを尊敬していた。


「すみません。少し家庭でごたついていまして……」

「そういう時期は誰にだってあるよ。顔色悪いよ? 夜ちゃんと眠れてる?」

「…………いえ、あまり」

「そうか……それは心配だね。ならこれを使うと良い」


 彼はいつも通り爽やかな笑みと共に、怪しげな薬の入った袋を手渡してきた。

 ぱっと見は風邪用の顆粒薬に見えなくもない。だが、中身は確認せずとも己の身を崩壊させる恐ろしいものだとわかる。

 危険な薬を手渡してきた大谷は「最近疲れているみたいだから、これを使えばスッキリするよ」と誘惑の定型文みたいなことを言ってソレを勧めてきたのだ。

 最初は意味が分からず受け取ってしまったが、すぐに返そうとした。

 だが彼は「少しくらいなら大丈夫。嫌なことを忘れられるよ」と甘く囁く。

 聞くと大谷も親が離婚して、気分が落ち込んだ時成績が低調になったが、これを使用したら一気にV字回復したと。

 そして魔の言葉「大丈夫、皆やってるから」と囁かれる――


 いろはの視界がぐにゃりと歪む。

 いけないのはわかっている。

 でも、あの尊敬する大谷先輩がそう言うなら……。


「使わないなら捨ててくれればいいから」選択の自由を残して、悪魔大谷は”ソレ”を無理やりいろはのポケットにねじ込んだ。

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