第7話 八神いろはは見ているⅠ
綺麗に整理された部屋の中で、八神いろはは予習をしている最中だった。
広々とした部屋に静かな空間。機能性を重視された調度品はシンプルなもので揃えられているが、そのどれもが高級品である。
大きな病院の医院長を務める両親はいつも通りおらず、家の中には一人きり。
彼女はスマホを専用のスタンドに立てて、動画サイトにアクセスするとある個人チャンネルを開く。
【ボッチチャンネル】VRテニス200Xと書かれた、アップロード動画の中で最新のものをタップすると動画がスタートする。
『あ、あぁどうも~U1で~す。……皆音量とか大丈夫?』
画面に映し出されたのはヤンキーのキャラクターアバター。
配信者本人に似せて作られているのだが、これがかなりデキが良く本人とそっくりなのだ。
『こ、こんばんは~』
毎度最初の挨拶は若干上ずっている。本人はヤンキーなくせに声だけ聞くと好青年のような気がしなくもない。そんなことを思いつついろは勉強を再開し、耳だけをラジオ感覚で動画に傾ける。
この動画は先日Live配信されたアーカイブ動画で、彼女は既にリアルタイムでこれを視聴している。
つまり今再生されているのは二周目ということだ。
『今日はね、これやろうと思うんだ。VRエキサイトテニス200X。さっきVRストアで500円で買って来た。かなり昔のゲームをVRゲームとして移植したっぽいんだけど、やったことある人いる?』
動画には「知らない」や「クソゲーすんな」などのコメントが流れていく。
他の配信者のことはあまり知らないいろはだが、彼の動画のコメント欄はかなりモラルが低いと思う。
『クソゲーかどうかはやってみないとわからないだろ。よし、じゃあとりあえずCPUは最強でやってみるか』
毎度のことながらとりあえず最強の敵と戦ってみるところから始まるゲーム実況。しかもタチの悪いことに途中で難易度を下げることをせず、例え勝てなくても延々最強のAIと戦い続けるのだ。
毎度毎度ボッコボコにされる為、ストレスを嫌う視聴者からはすぐ「下手くそ」「しね」などの暴言を吐かれているが、彼らはこのU1の醍醐味をわかっていない。
彼は決してゲームが上手いというわけではない。プレイヤースキルとしてはごくごく普通の域を出ず、むしろあまり考えてプレイしない分下手まである。
ただそんな下手くそが、ゲームを学習してちょっとずつ前に進み始めるのだ。
最初は10対0で負けていても1時間後には1点とれるようになり、更にもう一時間すると今度は2点、もう一時間すると5点と徐々に最強のAIたちを追いつめ、ゲームによって差はあるが大体6時間から10時間ぐらいで最強のAIと互角に渡り合い始めるのだ。
最終的に死力を尽くした限界バトルになり、見ている方は自然と応援したくなる。
「下手くそ、ゲームやめろ、別ゲーしろ」などのコメントが、徐々に「もう少し、頑張れ、惜しい、後一点、ボール見ろ!」などの応援にかわっていく。
そして最後の最後、集中力も切れてボロボロになる頃、AIのパターンを覚え、理不尽なランダムの壁を乗り越え、運さえも味方にして勝つ。
数時間前迄は世界で一番下手なんじゃないかと思う実況者が、最強に勝るその達成感たるや、見ているだけなのに我がことのような爽快感がある。
『なんだコイツ超つえー! っていうかサーブが全く見えんぞ!』
確かに古くさいポリゴンをしたNPCは、サーブを繰り出した瞬間既にボールが着弾しているという鬼畜仕様。
しかもこちらのサーブはどこに打ってもはじき返される、攻防に隙の無い、というより明らかにゲームバランスがおかしいレトロゲームにありがちな強すぎるCPU。
『どうなってんだ、どこにサーブ打ってもとってくるぞ!? ちょっとあいつの体狙ってみるわ。もうあいつの腕へし折るくらいしか勝つ手ねぇよ』
出た、お得意のバカムーブ。100%NPCの腕なんか折れるわけないのだが、たまにこういった意味不明な攻略方法で奇跡を起こすこともある。
U1はNPC目掛けてパーンとサーブを打つと、ボールはNPCの顔面にぶち当たった。するとNPCの動きが若干鈍くなる。
『やったぞ皆、あいつ顔面が弱点だ!』
一斉に『これそういうゲームじゃねぇから』とコメントが流れる。
スポーツゲームで弱点を探す男。それがU1。
「桧山君とりあえず壊せばいいと思ってるところあるわね」
フフッと笑みを浮かべるいろは。
勉強机に置かれた鏡に、自分のニヤけた顔が映り、気恥ずかしさから鏡をパタンと倒す。
ついつい顔がほころんでしまう。こんなとこ誰かに見られたら大変だ。
そのまま二時間ほどの予習を終えると、動画の内容はようやく二点とれるようになったところ。
『いけるいける、完全に感じつかんできたわ!』
動画の再生時間は残り6時間と3分。彼がこの最強のNPCを攻略するまでの時間である。ちなみにこれからあと5回『完全に感じつかんできたわ』と動画で言うことをいろは知っている。
時刻は五時を回りいろははスマホを持って部屋を出て、夕飯の準備を始めようとする。すると自宅の固定電話に留守電が入っていることに気づいた。
『留守番電話ハ一件デス……八神、大樹……サン、カラデス』
『いろは……また勝手にお手伝いさんを断ったそうだね。父さんと母さんはほとんど家に帰れていないが、決して君をないがしろにしているわけじゃない。その点は君もわかってくれていると思う。お手伝いさんの事は好きにすると良い。お小遣いは増やしておくから、それで君が不自由のない生活をしなさい。君はとても賢い子だ。愛しているよいろ――』
いろはは冷めた目で留守電を消去した。
彼女は不意に電話の隣にあった花瓶を掴むと、苛立ちの衝動に任せて床に叩きつけようとした。
委員長としての仮面を被っている為、周りにはあまり気づかれていないが本来いろははかなり短気な部類で、特に物に当たる悪癖がある。
『はぁ!? 何勝手に分かった気になってんだよ。お前は俺のなんなわけ!?』
「……………」
丁度のタイミングで鳴る動画の音声。
これはNPCから1セットもぎ取った時、それまで無言だったNPCが【君の事は完全に理解した。これからは本気で行く】と永遠のライバルみたいなことを言いだした時のU1の返しだ。
『おい皆、俺はどうやら生涯を賭けて越えなきゃなんねぇ壁を見つけちまったみたいだ。奴がそのつもりなら俺も命差し出す覚悟でやるぜ』
たかがVRテニスでここまで本気になる男は恐らくいないだろう。
U1のドラマチックバカな言葉に笑ってしまい、いろはは掲げた花瓶をそのままスッと下ろした。
嫌な気分が霧散した彼女はスマホにイヤホンをつけると、U1のゲーム実況を聞きながらエプロンを身に着ける。
その後一人の夕食を終えると、風呂場にまでスマホを持ち込む。
広々としたお風呂の中で聞こえてくる頭の悪いゲーム実況。
『おらぁ! 俺のツイストサーブくらえや!!』
「――返した……だと?」
『――返した……だと?』
いろはは動画より一瞬早くU1のセリフを言う。リアルタイムで視聴した時あまりにも面白くて、つい何度も見返してしまったからタイミングを覚えてしまった。
「やられ役をやらせたら彼天才ね」
いろははクスクスと笑みを浮かべ湯船に脚を伸ばす。
「あなたのおかげで私は寂しくないわ……」
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