第12章 足りない戦力



「私もセルスティーさんみたいに、薬を調合してみたいんです」


 それはいつか、エルケの調合室でセルスティーに言った言葉だ。


「薬を作りたい?」


 調合室には、窓のある面を除いた三方向の壁に隙間なく棚が並んでいる。

 それらの棚には、色とりどり、大小、種類様々な薬が並んでいた。


 日光を浴びても大丈夫な物は、分かりやすくラベルのついた透明な瓶に入れられ、目に付く所に置かれている。そして、大丈夫ではないものは遮光のため引き出しの中に仕舞われている。


 姫乃はここに来ると宝石箱の中に入ったみたいな気持ちになる。人の目を楽しませる為に置かれているわけではないのだろうけれど、そう思うのだ。おそらく、この部屋の主の几帳面さを反映するように並べられたことが影響されているのだろう。

 それと、この部屋に入ると分かる、不思議な匂いが嫌いではなかった。

 学校の理科の授業とかで嗅ぐアルコールの匂いとほんの少し似た、だけど違う甘みのある匂い。


 だから、セルスティーの手伝いの為に調合室に入って、並んだもの達を見つめていた時、数日前から言おうと思っていたことを思いだしたのだ。


「セルスティーさんみたいに薬が調合できればいいなって思って。今でもたまに調合の手伝いとかはしてますけど、もう少し知識とかを見につけけられたら……」


 今日みたいに、たまにセルスティーの薬の調合の手伝いをしてはいるが、それだけでは足りないと思ったのだ。これからの事を考えると、特に。

 前々からもう一歩踏み込んだ知識が欲しいと思っていた。


 セルスティーはそんな姫乃の様子をみて尋ねてくる。


「それは旅に出るからかしら?」


 湧水の塔への小さな旅はもう数日後に控えている。

 それもある。というよりそれが考えるきっかけ、だろうか。

 もうすぐ、安全な町から出て危険にさらされる事になる。旅路で役に立てるように、自分のできる事を増やしておきたかった。

 調合士としてのセルスティーさんはすごく頼りになる。姫乃達が少しばかり怪我をしたり、病気になったりしても大丈夫だろう。だが、頼りきるばかりで何もしないのは違うと思うのだ。


 それに、と思う。

 皆はそれぞれ得意なことが、自分にしか出来ない事があるのに。


「私にできる事を増やしたいんです」


 だから姫乃はそう言って、まっすぐに彼女を見つめる。

 しかし、セルスティーは表情をくもらせた。


「ないよりはましだと、人はよく言うけれど、付け焼刃の知識ならない方が良い時もあるわ」


 彼女が発したのは意外な言葉だった。

 喋るセルスティーの表情には痛みがある。


 聞いても良い事だろうか、そう思いつつも。聞かずにはいられない。


「どうして、ですか?」


 皆の力になりたい。それが出来るのなら、方法があるなら、そうしたいからだ。

 セルスティーには悪いと思うけれど。


「良かれと思ってやったことが、結果的に悪くすることだってあるの。中途半端な知識を、実力を身につけるよりは、出来る人間に任せた方が良い事もあるわ」


 セルスティーは答えているようで違う。同じことを繰り返して言うのみだ。


「でも」


 食い下がる姫乃を、セルスティーはそれを踏まえたうえで、と言葉を繋げた。


「これは私の意見よ。これに関しては悪いけれど、私は絶対の正しさを信じることが出来ないの。貴方が信じるようにすればいいわ」


 個人的には反対だけれど、姫乃の意思を尊重する。

 それはつまり、こちらが望むなら調合の知識を教えてくれるということだろう。

 何だか姫乃が我がままを言って、意図せずそれが通ってしまった様なバツの悪さがある。

 セルスティーを困らせたいわけじゃなかったし、負担になるような事をさせたいわけじゃなかった。

 釈然としない気落ちをかかえる姫乃にセルスティーは微笑みかける。


「結局私が教えたくないだけなのよ。だから気にする事はないわ」


 そんな言い方されると、気にしちゃうよ……。

 そんな流れで許可をもらったのだけれど、教えてもらったのは結局触りだけ、大体は一般的な知識だけだ。基本的な材料の計り方や薬の保存の仕方は学んだけれど、実践的なことはあまり教そわっていない。


 私は皆の力になりたい。

 けれど、誰かを傷つけてまで無理に力を得たいとは思わない。思えなかった。

 優柔不断なのだろうか。

 話をきりだす前はどれだけ大変でもやってみようって思ってたのに、いざセルスティーの話を聞くとこれで良いのかな、と悩んでしまった。


 あの時、無理を言ってでももっと教えてもらうべきだったのだろうか?

 それで今、私達は困っているんだよね。





 翌朝、朝一番に起きて姫乃は自分のやるべき事を考える。

 頭の中でセルスティーに教わった調合士の知識を思い浮かべた。


 素人がうかつに調合に手をださない事は大事。

 だが、薬の保存法、材料の計り方は知っているし、原材料の採取ならルミナリアと何度かやったことがある。

 薬をつくるのは難しいけれど、それ以外ならできるはず。

 さっそく起きている町の人たちへ話しかける。

 ちなみに、見張り役の人以外は皆同じ部屋で一緒に横になって夜をすごした。


「あの、この中に薬を作れる人っていますか」


 相手はバールだ。

 寝起きがあまりよくないのか、焦点のあわない目をしてぼーっとした様子だった。

 眠れなかったのかもしれない。昨日もラルラの様子をみてて夜まで大変だったし。


「……ん、ああ。いないな。ラルラが心配だって、最後の組に残ろうとした奴がいたんだけど、具合が悪い奴が他の組にいたから、そっちに付き添いになったんだ。そのかわり薬は大量に調合してってくれたんだが、肝心のそれがスカじゃなあ……」


 頭をガリガリとかきながら、ため息を付け足す。

 話をしているうちに目が覚めてきたのか、落ちそうになっていた瞼を引き上げてしっかりとした視線で周囲を見回す。


「皆が起きたらもう一度話し合おうと思ってるけど、お譲ちゃん達はどうするんだ?」

「この町を見て回ろうと思ってます。昨日見れていないところもありましたから」

「そっか、でも危なくないか? 昨日気づいたらいなくなってんたんでびっくりしたぞ」


 眉根を寄せたバールにそう言われる。

 どうやら姫乃達の行動で心配をかけてしまっていたらしい。

 

 姫乃達としてはちょっと見て回るくらいだし、大丈夫だと思ったのだが。


「君らが何と思ってようと、一応子供なんだから黙ってどっか行くのはよしてくれよ? 心臓に悪い」


 と、彼はこれ以上心臓に悪い事がつづくと倒れそうだ、と大仰に続けた。

 さすがにそれで倒れられては困るので、次があったら必ず一言言っておく事にしようと姫乃は心に留めておいた。







 それから姫乃達は、仲間達と共に一通り石の町を回ってみたのだが、目的の物は見つからなかった。昨日見て回れなかった所と一度行った所も含めて念入りに調べたのだが、収穫はない。

 必要な満月花まんげつばなも見つからなかった。


「せめてここから出られればいいんだけどね」


 石の町から出られれば、少しは状況も変わってくるんだけどな。


「ぺたぺたなの。透明の壁さんが通せんぼしてるの、むむむ説得しなきゃなの」


 だが、町と外を阻む壁を何とかしない事には、どうにもならない。

 そろそろ花は一旦保留にしておいて、そっちの方を考えるべきだろうか。


「レトも探してくれてるみたいだけど、どうなったかな」


 最初は何があるか分からないとのことレトも一緒に、行動していたのだが、今では別々に行動していた。


 未利と啓区が、どこかにいるらしい魔獣姿の彼を探すように周囲を見回しながら、話す。


「あっちの方はどうなんだか。アイツ犬っころだし鼻が効くんじゃないの?」

「でもー、元の現物がない事にはねー。そういうのって匂いを覚えなきゃどうしようもないんじゃないかなー」

「くっ、そうだったか」


 町の人達、バール達も集会所の近くを確認して回っているはずだが、そちらの方がどうだろう。

 ツバキは、気が付いたらまたどこかへといなくなっていたので当てにはできない。


 他の者達の進捗を聞いてみようと思って、そろそろ戻ろうかと考えていた頃合いに、少年の声がかかった。


「馬鹿なのかー。お前らー」


 声の主は昨夜大変だった少年だ。


 なあちゃんが「ぴゃっ」っとなって驚いてる。


「ラルラちゃまなのっ!」


 安静にしていなければいけないから、集会所でじっとしているはずなのに。

 何故こんな所に?


 ラルラの顔色を身ながら、様子を尋ねる。


「ラルラ君、起きてても大丈夫?」

「平気だぞー、別にどこも変じゃないしなー」


 とりあえず今すぐどうこう、という状態ではないらしい。


 大丈夫かと身を案じれば、当の本人は異変がある前と変わらない態度だ。


「まだこんな所で花探してたのかー? そんな事してるより、この町から出る方を優先した方が良いと思うぞー」


 つい半日ほど前に大変だった当人からの言葉に姫乃は耳を疑う。


「もちろんそれも考えてるけど、ラルラ君の事だって大切だよ」

「別に平気だぞー?」


 まじまじと相手を見つめてしまうが、ラルラは至って平静だった。取り乱すような事はない。

 どうしてそんな事、言えるんだろうか。

 ラルラは怖くないのだろうか。


 今は何とかなっていてもこのまま薬を飲まないでいたら、また症状が出て危険にさらされる事になるのに。


 ラルラの心境に想像が追いつかないでいる姫乃は、続く会話に言葉をなくしそうになる。


「無駄な事に時間を費やすなんて、ねーちゃん達は馬鹿なんだなー」

「無駄だなんて……」


 だが、次の一言を聞いて完全に頭が真っ白になった。


「何で薬がすり替えられてたか、そんな事も分からないのかー」

「え……」


 すり替えられていた?

 間違えたとかじゃなくて……?

 姫乃がその事について詳しく聞く前に、


『くぅーん』

「あ、黒ちゃまなの!」


 街道で逃がした三つ首の魔獣の子犬が飛びだしてきた。

 なあちゃんが、その子犬の無事な姿に喜んでいるが、姫乃達としては安心できない。


 なぜなら、子犬は隣には誰かが立っていたからだ。


「その子が世話になりましたね」


 そこにいるのは一人の男性だ。


 細身の体つきに、動くときの柔らかい物腰そして、中世的な声に丁寧な口調。

 黒いたっぷりとした服を着こんでいて、ベールのような布で顔を隠している。


 子犬はその男性の足元で、ズボンのすそに甘噛みしたり、噛みついてから引っ張ったりりしていた。

 という事は、男性の子犬なのだろうか。


 この場に現れた男性は、足元にじゃれつく子犬の頭を撫でながら、こちらに視線を向けてきた。


「まさかこの子を相手にして生き残れるとは計算外です」

「あなたは……」

「計画を変更しなければなりませんね」


 話された内容も気になるが、意識に引っかかることがあった。

 姫乃はその声を最近聞いたことがある。

 あれは、確か


「レトに話しかけてた……」

「そうです。彼という戦力を引きはがす為に声をかけさせてもらいました。私がその人です」


 どうしてそんな事を、とそう考えれば、その人はこちらの顔色を読んで言葉を放つ。


「どうして、だなんて。私から聞かずとも、そこの子に聞けば分かる事です。貴方達を……、クリウロネを出た最後の避難民を殺害する理由。それはおそらく、彼の考えている推測と同じですので」


 でも、と彼は最後にひと撫でして子犬から手を離す。


「知る必要はないですね。もうすぐ私に殺されるのですから」

「くぅん。グ…グルルルル……」


 子犬は可愛らしくひと鳴きした後、こちらへ向かいなおる。先ほどの声とは似つかない獰猛な鳴き声を発しながら、その体は徐々に大きくなっていった。

 ほどなくして始めて会った時の様な巨体にまで膨れ上がった。


「っ……」


 姫乃の瞬時に判断した。

 戦うなんてとんでもない、逃げなければ。

 ツバキがいなければ敵わない相手に、今の戦力で敵うわけがない。


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