第13章 暗殺者
正面から戦うのは絶対に駄目だ。
そう判断した姫乃は、とっさにラルラの手を引いて逃げようとする。
「皆!」
短い言葉だったが、仲間達はそれで何をするか分かってくれたようだった。
けれど、なあは姫乃の声に反してその場から動こうとしなかい。
「ちょ、なあちゃん!」
「あ、それはまずいよー」
「駄目なの、黒ちゃま! 暴力しちゃめ、っなの!」
なあは、こっちに向かってくる魔獣を、説得するつもりでいるのだ。
でも駄目だ、相手から対話に応じる意思を感じない。
魔獣は止まらない。速度を落とすことなくこちらへ突っ込んでくる。
姫乃はやむなく、魔法を使って相手を拘束しようとした。だがそれより早く。
『おおぉぉぉぉぉぉぉ…っ??』
付近からレトの声がした。
この場にはいないはずなのに、なぜ?
そう思っていると、なあちゃんのすぐ近くの中空に、空間の揺らぎが発生。そこからレトが出てきたのだった。
『エレベーターに乗せられたような気持ち悪さ……って、うおっ!』
地面に降り立ったレトは、頭を振って周囲に視線をやり、瞬時に状況を把握したようだ。
なあちゃんに横合いから体当たりし、魔獣の進路から強引に回避させた。
『何ぼーっ突っ立ってんだよ! つーか俺、何か知らねーとこに移動してる!』
レトは叱ったり驚いたりして忙しい。本人にも何が起こったのかよく分かっていないようだった。
姫乃も別の所にいたはずのレトが瞬間移動してしまった理由は気になるのだが、とりあえず理由を考えるのは後回しにした。
目の前の状況を何とかしないと。
「アクアリウム!」
魔法を発動して、魔獣を水球に閉じ込める。今度こそ相手を拘束して逃げることができた。
しかし、背後を気にしながらもそのまま逃走し続けているのだが、走っているうちに見知らぬ場所に来てしまっていた。
そこは、まだ見ていない場所だった。こんな場所もあったのだ。
町の外周と思しき場所。
姫乃達が探索した所からは、少し外れたところだった。家屋が並ぶ場所から離れていたから見落としていたのだろう。
大きめに育った大樹の陰に、ひっそりとその場所は存在している。
人工的にならされた平たい土地があり、その近くには小さな小屋が建っていた。
建物の前には、人垣が出来ている。二、三十人はいるであろうその人達は、やはり皆、周囲の土地と樹も含めて石化していた。
「ここは……?」
逃げている最中だというのに、思わず足を止めてしまった。
あきらかに町の中の様子とは雰囲気が違ったからだ。
集まった人数と町の規模から考えて、住民の半数以上がここにいるのではないだろうかと思う。
その人達の顔を見てみると皆、表情を強烈な怒りの色に染めていた。
曝されただけで心臓が縮み上がりそうな、そんな怒りの視線は人垣の中央へと注がれている。
だがそこには何もないし、誰もいない。
姫乃が首をかしげていると、レトを含めた皆も同じようにいぶかしんでいた。
『何だこれ』
「重要ポイントっぽい?」
「あきらかに何かあったよねー、ここでー」
気になるし、もっと詳しく調べてみるべきだと思う。
けれど今ここで足を止めている場合ではなかった。
『グルルッ』
『やべ、来た! 避けろ』
レトの声で後ろを振り返る。
追いつかれてしまったようだ。
黒い魔獣がこちらに突進してくる。
真正面から巨体を受け止めるわけにもいかないので、二手に分かれてそれを避ける。未利と啓区の二人と、姫乃、ラルラ、レト、なあの四人に別れた。
だが、戦力的にバランスが悪すぎる。
どうしよう。
また逃げる?
駄目だ、このまま逃げたら他の人達にも危害が加えられるかもしれない。
あっちには、距離の差が開いたからといって、こっちを諦める意思など感じられないし。
「戦うしかない……っ」
途中で諦めてくれたなら、少しは対策の時間が稼げたけれど、そうはいかないようだ。
不利でも何でも、ここで決着をつける以外に、状況を切り抜ける方法はない。
姫乃が決断を下せば、他の面々も意識を切り替えたようだ。
『こうするしかねぇか』
「仕方ない、無理やりポジティブに考えれば二方向から挟み撃ちになってるし」
「互いに注意を引きつけ合いながらやってく感じかなー」
だから、挟み撃ちにする事を意識しながら、それぞれが戦意を上げて魔獣に向かいあうのだが。
「駄目なの、戦うのはいけないの!」
こんな状況になっても、なあは魔獣を説得しようとしていた。
だが、魔獣はそんな言葉を気にすることなく、未利たちの方へ突っ込んでいく。
「おわっ!」
未利は、ギリギリながらもそれに反応できた。
己の目前にせまった巨体を避けながら、機敏に戦闘。
風矢を連射する。
啓区は短剣(あれは茨の剣だ)、を駆使して一撃を見舞っては距離を取って、と攻防を繰り返している。
しかしそれでも、彼女は戦いに反対するようだった。
「なあ思うの、黒ちゃまはぶるぶる恐いよーってなってるの。だから戦っちゃ駄目なの」
あくまでも戦わない姿勢をつらぬくなあ、そんな彼女に向けていらだった様子で、レトが怒鳴る。
『そんなの言うだけ無駄だ! あっちはこっちを殺す気満々なんだぞ。通じるわけねーだろ』
遠くで未利が「知るかそんなの、それがなあちゃんだし!」とか反論して、耳ざとく聞きつけたレトが『何で俺が怒られるんだよ!』声を荒げる。関係ない所でケンカが起こっている。
このまま皆の心がバラバラになるのはまずい。ただでさえ、力が足りてないのに。
「なあちゃん。でも今は……」
「お前、状況分かってるのかー?」
しかし、ここで割り込むように声を上げたのは、この場でなあと同じくらい非力な少年だった。
どうにか説得しようとする姫乃の代わりに、今まで大人しくしていたラルラが声を上げたのだ。
「物事にはなー、できる事とできない事があるって考えたほうがいいぞー」
子供らしからぬ辛辣な意見だ。でも、認めたくはないが姫乃も同意してしまう。
なあの言うそれは無理なのだ。
いくらなんでもこんな状況では、なあの説得が通じるわけがない。
けれど、彼女は思わぬ方面から心境を吐露した。
「なあ分からないの。どうして戦いたくないって思ってるのに、戦っちゃうの?」
姫乃はその言葉を聞いて驚く。こんなに戦意と敵意を感じるのに、あの魔獣は戦いたくないと思っているらしいのだ。なあちゃんが感じるには、だが。
だがたとえそうだとしても。戦わないといけない。
このままでは、皆負けてしまう。
「黒ちゃま!」
『ガルルルル』
『ああもういいから、少し黙ってろよ』
姫乃達の前でレトがイライラした声で怒鳴った。対面で戦っている未利と啓区の二人に参戦したいけれど、なあの動向が気になって仕方ないのだろう。
事実、今も前に出ようとするなあちゃんを姫乃達が抑えていなければどうなっているか分からない。
レトはじれったそうにしながら、背後を何度も確認しては踏みとどまっている。
やり取りを聞いていた未利が、魔獣の咢を避けながら「犬ッコロ、後で覚えとれ!」とか言うと、レトが『だから何でお前に怒られなきゃいけないんだよ!!』そう叫び返して前足で頭を抱えている。
「驚きました」
魔獣がやってきた方から男の人の声がした。そうこうしているうちにあの男性に追いつかれてしまったようだ。
「この後に及んでも相手と対話しようとするなんて」
顔を覆っている布のせいで相手の表情は見えないが、少なくとも声の調子で言葉通りに驚いている事だけは分かった。
「どうしてそんな無駄な事をしようとするのです? ここを生き残ったとしてもあなた達の前に待っているのは絶望だというのに」
対するなあちゃんは、悲しげだ。
「無駄じゃないのっ! なあ、いっぱい黒ちゃまとお喋りしたいの。お喋りしたいからお喋りする事は無駄じゃないの、だってなあ戦いたくないの」
姫乃達より一回り小さい少女の声、しかしそこにはそんな事を感じさせない強い気持ちが感じられた。
常にない彼女の迫力に姫乃は驚いた。
なあちゃんがこんな風に感情を顕わにするなんて珍しいことだ。
しかし男性は首を傾げる仕種をする。
「……」
「どうして戦うの? なあには分からないの。戦いたくない恐いよーって思ってる人も、動物さんも皆どうして戦うの?」
なあちゃんの言葉を受けてなのか、彼は魔獣へ視線を向けていた。
視線を遮るように布があるにも関わらず、どういう事か彼には周囲が見えているようだった。
男性が何かを確かめる様に、魔獣へ問いかけた。
「あなたは、戦いたくないのですか?」
『ウゥゥゥ……』
だが、返ってくるのはそんな低い唸り声のみ。
それを聞きとり、「とてもそうには見えない」と彼は首をふってみせた。
会話してるその一瞬だけは、魔獣は攻撃を止めている。未利達はその隙に分断された状況から合流を果たそうと、気付かれないようにじりじりと移動しているようだ。
「なあは不思議なの。黒ちゃまは戦いたくないのに、どうして戦ってって言うの?」
「おかしな事を言うものです。あの子は戦う気でいますよ。それに仮にそうだとしても、やりたくないからと言ってやらないなど、我がままではないですか? 我がままは許すのですか?」
「しなくちゃいけない『やりたくないこと』は、なあは『誰かにしてあげること』だと思ってるの。でもしたくない『やりたくないこと』はしちゃいけないと思うの」
ちょっと考えてしまった。どういう意味だろう。
未利が、啓区の方を見て何事か呟いている。啓区は「深くは考えてないと思うよー。え、どういう意味かってことー? 分かんないー」そんな事を言いあっている。
なあの言葉を聞いた彼は、最後まで聞いてから一つ頷いた。
しかしそれは、理解したという意味ではないようだった。自分のスタンスを考えた末、再確認したという風だ。
「貴方に対して個人的な興味は湧きましたが、これも依頼です。気になるところはありますが、仕方ありません。やってください」
『グルアアアッ!』
再び魔獣が襲い掛かってくる。
『ちっ、結局はやるしかねぇのかよ!』
レトが破れかぶれの様に叫んで、突っ込んでくる魔獣の前から回避しようとした時。
「戦うなら誰かのため、なの!」
「キキー」「キキッ」「キキキー」「キキキキーッ」
なあの言葉とともに、どこからともなく大量のコウモリたちが飛んできて、魔獣に群がった。見覚えのある姿だ。というか最近見たばかりだ。
「どうしてクロフトのコウモリ達が……」
「なんであいつらここに? ってかどっから!?」
「降って湧いたような突然さだねー」
その身慣れた姿に姫乃達は当然驚くが、一番驚いているのは敵の方だった。
「これは一体……。貴方は一体何をしたのですか?」
困惑の感情をそのまま声に出している。
コウモリたちにたかられている魔獣はそんな彼の様子にどう動くべきか分からないでいる用だった。
だが、その彼は、顔色をさっと変えた。直前までの困惑などなかったかのような態度で魔言を唱え、水鏡を出現させた。
「……不測の事態?」
向こうにいるであろう相手と、小声でやり取りが交わされる。湧水の塔にて、捕縛対象を逃したとか何とか。
それって……。
「緊急事態なら仕方ありません。ここからの脱出を優先します。行きますよ」
彼は魔獣へ声をかけて、姫乃達の事など興味を失ったかのように、いずこかへと去っていこうとする。が、ふと足をとめて。
「私の名前はロクナです。縁があればまたお会いできましょう。相当良ければ、の話ですが」
そう自らを名乗っていった。
「待って、さっき湧水の塔って、それに捕縛対象って……。それってセルスティーさんの事なんですか!? 貴方は一体……っ」
姫乃が慌てて尋ねるも、時遅く。彼らは掻き消えるようにその場からいなくなっていた。
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