第15章 王女の息抜き
シュナイデ シュナイデル城 中庭付近 『コヨミ』
城の中。
柱の陰から影。
夜の闇にまぎれるようにして動く影があった。
影は息を殺して移動している。
じわりじわり、にじりにじりと移動している。
物音の一つも立てないように、慎重に。
「……」
自分自身の気配さえ殺して、移動するその者の正体は、わずか十を過ぎたばかりの少女だった。
彼女は気を配り、周囲に視線を投げ誰もいないことを確かめたのち大きく息を吐く。
「……、ここまでくれば」
大丈夫だろうと、安堵の息をつく。
やってきた場所は、このシュナイデル城の憩いの場。
目前には暗い緑色の満ちる中庭があった。
先々代の統治領主である、サクラス・ネインも良く息抜きに来ていたと言われている。
中庭の中央には大きな桜の木があって、その周囲をまるでおとぎ話の世界の様に色とりどりの花々が美しく咲き誇っている。
中庭の隅には、そんな美しい景観を台無しにしかねない奇妙なものがあったりするが、それは無視だ。あんなものは存在してない。
そんなこんなでこの場所は、影の主のお気に入りであった。
虫も草木も寝静まる時刻。風が吹いてないのか、緑の揺れる音もしない。
このような時間でなければと思うが、自身の身分を考えれば仕方のないことだと思う。
辺りを見回す。
周囲には誰もいない。
……うん、いないわね。
少し前までは近くに人がいなくもなかったが、あの見張りはまあ、お勤めご苦労、という事で強制的に眠りについてもらった。
日頃の真面目な勤務のご褒美だ。
どうか小一時間ほど、安らかに眠っていてほしい。
決して毎回毎回、夜の無断散策を咎められてる恨みとかではない。
……ないのよ?
影の主は気兼ねなく、中庭に足を踏み出した。
しかし、数秒後にはそれが間違いだったと気づく。
「姫様、何してるですか」
足を運ぶ時間を間違えたようだ。
「っっ……!!」
そういえば彼女もこの時間によくいるのだった。
あの奇妙なオブジェクトを研究……と、あれは存在しないんだった。
見た目が、十を過ぎたばかりの少女はびくりと身をすくませて、声をかけた者の方を見る。
「アテナ……」
そこにいたのは魔動装置研究の主任であり、友人のアテナ・ルゥフェトルだった。
「まったくですです。グラッソはまた振り切られたですか? これは護衛の兵士交代を意見した方が良いかも知れませんですですね」
ため息を尽きながら、アテナが言うとコヨミはさっと顔色を変える。
「グラッソは悪くないわよ。私の逃走技術がうますぎるだけなんだから」
「辞められて困るのなら、今後はこういう事はひかえて下さいです、本当に」
アテナは、そんな言葉が返ってくるだろうと思っていたという顔だ。
「それは……無理よ」
うっ、と言葉に詰まるが数俊後には否定した。
影の主である、この付近の統治領主コーヨデル。ミフィル・ザエル、コヨミ姫は、星のきらめく夜空を見上げた。
アテナに構うことなく、どんどん進んでいく。
やはり自然はいい。
どこがどうとは言えないが、生命の伊吹のようなものを感じる。
無機物ばかりの空間に閉じ込められて仕事ばかりしていると、どうにも気が滅入る。
余計な遮蔽物、壁やガラスか何かで天井を覆われていないのもまたいい。
この中庭は外と繋がっているのだ。限定的にだが。
「お姫様なんてやりたくてやってるわけじゃないもの」
「数年前はただの町娘だったですですしね……」
アテナはもうおとなしく話を聞いてやる方向にシフトしたらしく、特に何も言わずにその後についていく。
「恵まれてるってのは分かってるのよ。私だって。お城で働いている人たちは、町娘の成り上がりだからって馬鹿にしたりしないし、悪口だって言わない。それに気心の知れた友達だっている。けど、……」
「大丈夫ですよ」
話している内に次第に不安に揺れるようになる声音に、アテナは優しく割り込んだ。
この大変な時期に、望んでもいないのに統治領主になってしまった友人に、語りかける。
「ずっと私達がついてますですです。だから……」
「……」
大丈夫ですよ、と繰り返して彼女の肩を抱く。
吹き抜けの空から覗く星空を眺めながらしばらくアテナととりとめのない話をした。
話の内容は主にこうだ。
コヨミの、執務の愚痴や
アテナの研究主任の立場からの愚痴(コヨミと似たようなものだ)や、最近付き合いはじめた彼氏ルーンについてのノロケ、個人手的に研究は楽しいなど日々が充実してる話など。
しばらくそんな事を話していると、コヨミが振り切って逃走してきたグラッソがようやくこちらを補足したようで、中庭へと駆けつけて来た。
「はぁー……。もうお姫様なんてやめた……って、ちょっとグラッソ持ち上げて執務室に運ぼうとしないでよ!」
あまり口数の(発する言葉のレパートリーも)多くない彼は、無言でこちらに走り寄り、さっそく自らの主を持ち上げた。
「そうですか」
「その肯定はどこへの肯定なんですか?」
「そうですか」
「……ええと、ですです」
本当にどこへの相槌なのだ、とアテナは思う。
というか、取りあえず喋ってるだけ……という事はないですですよね?
必然的にコヨミと話すと、グラッソとも話す機会が一緒についてくるのだが、未だにアテナはこの男性との会話の距離を測りかねていた。
「ちょっと、グラッソ! 無言で突進するような勢いで走ってこないでよ、夜の暗闇の中を。怖いじゃない」
「そうですか」
「まあ、そこは立場的に仕方ないと思いますですが……」
文句をお決まりの言葉で返した後、護衛兵士はさっそく己の任務を忠実に果たそうとする。
持ち上げたお姫様を強制連行だ。
もちろん抵抗するちびっこ姫様。
手足をばたつかせて、必死に。
ただ抗うには、体格差が絶望的だった。
大男のグラッソは、まるで水揚げされたばかりの勢いよく跳ね回る魚でも扱うように、軽くいなしたり押さえたりしている。コヨミは人と思われていない。
「いえ、普通の人はそれでも暴れまわる魚は手にあまるはずなんですが……。グラッソ、少しの間だけだと思いますですから、息抜きさせてあげてくれませんですです」
少しかわいそうに思ったらしくアテナがそんな助け舟を出した。
ひと悶着の後に話を続ける。
「そういえば先日の騒ぎ覚えてますですか、姫様」
アテナの仲裁のおかげで、どうにか貴重な自由時間の続きを確保したコヨミは例の奇妙なオブジェクトの前に来ていた。
アテナがこれについて話があるというのだ。
あまり視界に入れたくはなかったが、入れてしまったので存在を認識するしかない。
それはまず黒っぽい。
夜なので見えないから昼間の明るさで見たの記憶になるが。
そしてとりあえずでかい石だ。人間手をつないで周囲をぐるりとかこんで十人くらいの大きさだ。高さは基本的な成人一人くらい。
そしてわずかに透明度がある。
先々代の統治者、サクラス・ネインが、どういう経緯があって、どういう意味があるのか知らないが、どこからか持ってきてここに置いたのだ。こんなものを。
アテナは謎物質の表面をペタペタ触りながら話を始めた。
「この前のは、なかなかハードなトラブルだったですです」
「騒ぎって例のアレでしょ、封印が解けてたっていう」
「そうです、それですです。もうほんと大変だったですよ。ロクに睡眠も取れない、お肌はボロボロ、疲労は貯まりまくる、ルーンとのデートにも響くわ、ルーンとのデートには響くわ……こほん。続けますですです」
話が脱線した。
アテナ的に肝心な所は二回言ったらしい。
「非常事態という事で、限界回廊を使ったですが……。そうです、数年前に一般人が封印場所から迷い込んでしまったとか話になっている場所ですです。何とか屋の主人だったとか。まあそれは良いですね。結論から言ってあそこは行くもんじゃないですです。人が入っていいような所ではないです」
話の途中で、玩具屋の主人だとかなんとか、割とどうでもいい情報がグラッソの口から呟かれるというレアな出来事があったが、とにかく続きだ。
「……ああ。アテナ、あれを使ったの? 良く無事で帰って来れたわね」
「護衛さん達が優秀でしたので、何とかですです」
限界回廊。
これもまたサクラス・ネインにまつわるものだ。
彼女の元私室だった場所に何故か出来ていたという謎空間。
中の方は一言では説明できないが、述べるなら取りあえず一人で行けるような安全な場所ではないというとこだ。もうほんとに。
「それがどうかしたの? いえ、行くこと自体がどうかしてるけど」
「実はですね」
しっかり三秒ためてから、アテナはその事実を口にした。
とても気になる事を口にした。
ただし、ちょうど時間切れで、(物理的に)やすらかにお休みいただいていた方たちが起きてしまい解散を余儀なくされるのは、さらにその三秒後だったので気になる事の詳しい中身はもう少し時間がたってから聞くことになる。
「人が入っていましたですです。これと似たような石の中にです」
「それをまず最初に言うべきでしょ!?」
コヨミの突っ込みは間違っていないはずだ。
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