第20章 やりたいように



 エルケ ラナー邸 『姫乃』


 艱難辛苦の末に姫乃達は、計測器を町の中にすべて設置し終えた。

 今の姫乃達に仕事はないため、セルスティーによる計測結果の解析待ちの期間を過ごしているだけの状態だった。


「おいしい、どうやったらこんなの作れるのかな。お菓子作りかぁ、やってみたいな」


 セルスティーの私室にて姫乃達は、彼女が近所の人からおすそ分けしてもらったフルーツのタルトを食べている。


 部屋の中は意外な事にピンク色の小物が棚に飾られていたり、動物のぬいぐるみがベットの枕元に置かれていたり、ふわふわのハート型のクッションがあったりと、とても可愛らしい内装だ。


 普段の淡々とした、実務的な雰囲気を纏ってている様子から見ればすごく意外だった。必要最低限なものしかない殺風景な部屋が私室なんじゃないかと思っていただけに、部屋に足を踏み入れたときは結構驚いてしまった。


「なあもやってみたいの!」


 姫乃の言葉になあちゃんは両腕を動かして反応する。

 横に広げて何か大きいもののサイズでも表してるみたいだった。


「色々作ってみたいの。クッキーとか、ケーキとか、プリンとか、とにかく色々なの」

「でも、お料理とかした事ないからなぁ。今度機会があったらお母さんに教えてもらおうかな……」


 言った所で、そういえば帰れるかどうかも分からないんだったと思い至る。


「ちょっと気が早いんじゃないの? 帰ったときの事考えるのは」


 タルトをフォークの先で、意外な事にちょっとずつ削りながら食べていた未利が、苦笑していた。


「てか、こんな状況でそんな先の事考えられるとか、逞しすぎ」

「そうだね、まだ帰る方法どころか、私達がこっちに来ちゃった原因も分かってないのに……」


 危機感が足りてないんじゃないかと言われた様な気がして視線を下げると、慌てたような様子で声が返ってきた。


「や、別に呑気だとか思って責めてるわけじゃなくて……」

「未利ちゃまは、姫ちゃまをえらいえらいって誉めたんだと思うの」

「えっ?」


 そうなのだろうか、と視線を向けると、気まずげな表情で顔を背けられた。

 背けられつつも、説明の言葉はちゃんと返ってくる。


「今をどうしようかって事ばっか考えてるアタシとは違って、その後の事を考えられる心の余裕があってすごいなって、……詳しく言えばそう思ったワケ」

「そうだったんだ」


 余裕っていうよりは単に忘れてただけなんだけどな。


「未利ちゃま、よく他の子に誤解されるの。なあはちょっと心配なの」

「なあちゃんに心配されるなんて……」


 同じような事が何回かあったらしい。

 未利はなあちゃんの心配に衝撃を受けて、テーブルに突っ伏している。


 言葉って不思議だなと、ふと思う。

 未利の言葉は、分かっているだけで二つ分の意味があるんだよね。

 プラスとマイナス、まったく逆の意味。同じ文字、同じ字数なのに。


 そういえば、日本語で、愛っていうのは『あい』って発音するんだけど、英語でその発音は『I』でアルファベットの一文字を表し、同時に『わたし』っていう意味の単語になったりもするんだよね。


 タルトの甘い味の中休みとして、横に置いてある紅茶で一口喉を潤す。

 未利はもう復活したらしく、背中の方から食べていってるなあちゃんのタルトを狙っているようだった。獲物を狙う猛禽類のような鋭い視線。


「やっぱり、この世界の人達が使う魔言まごんじゃ、きちんと魔法にならないのかな」


 思わず口から出た呟きに二人がこちらを向く。

 あ、未利……。今なあちゃんの分も食べちゃったよね。


「この間の事なんだけど……」


 雪菜先生のものとしか思えない声を聞いたことを話す。


 あの後も、考えて自分なりに考えて魔法を練習してみたのだが、どうにもスムーズに上達しない。


 それはやはり、環境の影響が原因なのではないだろうか。


 この世界の人達は魔言まごんに使う古代約錠語エンセンテスを、魔法の為の言葉だと覚えてて慣れ親しんでいる。


 だが、別の世界の住人である姫乃達にはなじみの無いものだ。


「つまり、そのやり方はここの連中にとっての最適化された最善のやり方であって、アタシ等にとっての最善のものじゃないってワケね。なるほど」


 未利がこれまでの話の結論をまとめる。


「だから、私達が使う魔言まごんは私達の世界の言葉の方がいいんじゃないかなって」

「うーん、だったらどんなのになるワケ?」

「それは……」


 考え込んでしまう。

 さっぱり分からない。


「呪文を考えればいいの? なら、ちちんぷいぷいのぷい、なの」

「それは無いでしょ」

「じゃあ、開けーごまさんなの」

「それもないない」


 なあちゃんと未利があれこれ言い合っているが、使えるものではない気がする。

 イメージが別の物になってしまいそうだ。


「ま、悩んでても仕方ないんじゃないの? 幸い生活に困ってる現状じゃないし、今すぐ力が必要ってワケでも無いんだし」

「そうだね……」


 口では同意しつつも、結構残念だったりする。

 やっと手がかりみたいなものを見つけたのに。

 考えながらだったせいか、いつの間にかお皿の上のタルトはなくなっていて、コツコツとフォークが音を立てていた。


「あれ、なあのタルト少し減ってる気がするの、気のせいなの?」

「気のせいなんじゃない。気が付かないうちに食べちゃったんでしょ」

「うーん、そうなの?」


 しばらくして全員が食べ終わり、甘味物による幸福感にひたっていると、部屋のドアがノックされた。


「やっぱりここにいたのね……、ちょっと頼みたい事が出来たのだけれど。いいかしら」


 中に入ってきたのはもちろんセルスティーさんだ。

 彼女は今まで、魔力計測器の計測結果を調べていたはずだ。残念ながら姫乃達には、作業が難解すぎて手伝うところが無かったのだが。その結果についての事だろうか。


「ある場所の計測結果でありえない結果が出たの、調べたいわ。その為にお願いしたい事があるのだけれど」 



 



 ラナー邸 個室(未利、なあ用)


 そういうわけで改めてお願いされた姫乃達は、引き続きセルスティーさんの家で普段通りに過ごしていた。ただし部屋は違うが。

 

「お願いって、留守番かい…」

「なあ。セルスティーさんと良い子でお留守番してるって約束したから、頑張って良い子にしてるの」

「あー、えらいえらい」


 姫乃と、未利となあ、そしてそこに加わる新たな訪問者ルミナリアは、タルトを食べたセルスティーさんの部屋ではなく別の部屋にいた。

 そこは未利となあちゃん二人に用意された部屋だ。未利は二つ並んだベッドのうちの自分のベッドの上に寝転がっていて、その隣でなあちゃんが正座、姫乃とルミナリアはもう一つの方のベッドに腰掛けている。


 時刻はもう夜。

 姫乃は一旦帰り、夕食を食べ入浴をすませてからルミナリアと共にまたこっちに戻ってきたのだ。

 等身大ネコウのヌイグルミを膝に乗せて、正座してお留守番実行中のなあちゃんの言葉に、未利はぞんざいな口調で相槌を打っている。


「そういえばもう一週間になるけれど、ヒメちゃん達は事件の事を兵士さん達に説明した方がいいんじゃないかしら。セルスティーさんの名前を出せば、子供だからって理由であしらわれる事もないだろうし、色々警吏さんとか動いてくれると思うのよ」


 姫乃達は顔を見合わせた。

 そういえば私達、この世界のどこかの町か村で事件に巻き込まれてエルケに来た事になってるんだった。

 本当は異世界から来てしまい帰ろうにも帰れない状況にいるのだが、当面の生活基盤を得られた事で一安心していたため今まですっかり忘れていた。


「お巡りさんとか言う人間なんてアテになるワケ、役たたずの集まりとかじゃないの? エルバーンの時だって右往左往してたじゃん」

「あら、そんな事ないわよ。ここ最近ないからちょっと腕は鈍ってたかもしれないけど」

「ふぇ、そう言えばって思いだしたの。ルミナちゃまのお父さん」

「ナアちゃん、それは面白そうだから思い出すまで黙ってましょう」

「あーっ、ちょ思い出したたしか父親って、いやアタシは別にそういう意味で言ったわけじゃ……」


 お巡りさんの話題で盛り上がっているルミナ達の姿を横目に、姫乃は窓の外を眺める。

 セルスティーさん、大丈夫かな。

 雲は重くのしかかる様で、月も星も見えない空模様に何となく不安を抱いた。


「心配?」


 こちらの様子に気づいたのか、ルミナリアが尋ねてくる。


「うん、一人で大丈夫かなって……。危険な目に遭うかもしれないのに」

「私達はこんな所にいてもいいのかって?」


 セルスティーさんのお願いは、自分の身にもしもの事があった時の為の措置として、私達を警吏への連絡要員として自宅に待機してもらう事だった。


 もしもが起こったその時には、何らかの方法で私達に分かるよう合図を送るらしかったが、出来ればそんな状況にはなってほしく無いし、想像したくなかった。


 魔力計測器の測定ブレを確かめに行くだけとは言っていたけど、本当にそうだと思ってたらお願いなんてしないだろう。

 セルスティーさんはきっと、危険な目に遭ってしまう。


「だったら、今からセルスティーさんの所に行っちゃえばいいじゃない」

「でも……邪魔になるだけだよ。私、弓と剣とか使えないし、魔法も……ちゃんと出来ないのに」


 体力は人並みだし、力も強くない、足も速くない。

 何かがあって、役に立つほどの力が自分には無いんだなって知ると、悲しくなる。

 私はただの子供なんだなって。


「何も出来ない私が行っても足手まといになると思う、だからここで待ってる方がきっといいはずなんだよ」

「本当にそうかしら」


 いつもの彼女の言葉とは違う成分を感じ取って、いつの間にか俯いていた顔を上げる。


「正しい事は、私達にとって正しいのかしら」

「え……?」


 ルミナリアはなあちゃんの方に、まるでどんな答えが返ってくるか分かっているかのような笑顔の表情を向けて尋ねる。


「ナアちゃんはどうしたいの?」

「うーん、なあはセルスティーさんのお手伝いがしたいの。でも皆がここにいるから、なあは正座でお留守番の約束を頑張る事にしてるの」

「じゃあ、皆が行くって言ったら」

「もちろんなあも行くの!」


 そんなの決まってるという風に、力を込めて即答。

 勢いよく立ち上がり、いつのまにか膝に乗せていたヌイグルミが転がってしまい慌てて拾い上げている。


「なあ、一人じゃ何もできないの。でも未利ちゃまや姫ちゃま、ルミナちゃまがいてくれたら、きっとなあに出来る事がでてくると思うの」


 ヌイグルミの頭をなでながら発したあの言葉を、ルミナリアは満足そうに聞いてその後を引き継ぐ。


「一人じゃ何もできないのは皆同じよ、きっと。それにね、その方が正しいとか、そっちの方が良いとかは理由にしちゃ駄目だと思うのよ。だって正しい事も良い事も、やりたい事じゃないんだもの。後悔しちゃうわ」


 だから、ね? とルミナリアは手を差し出す。


「ルミナ……」


 いいのだろうか。この手をとってしまって。


 迷いはつきない。きっといくら悩んでもこの迷いは無くならないだろう。

 やりたい事じゃないってのも、後悔するだろうって事も分かる。けれど、それを優先する事は我がままにならないだろうか。勝手な事じゃないだろうか。


「姫乃ってホント優等生なんだからさ。やりたいように生きろ、でいいじゃん」

「未利ちゃま。覚えててくれたの、その言葉。なあ嬉しいの」


 見かねたように未利が口を挟んだら、瞳を潤ませたなあちゃんに抱きつかれてうっとおしがっている。


 それでも決めかねているこっちの手をそっと掴んで、彼女は引っ張った。

 いつもの太陽みたいな笑顔じゃなくて、夜の空に浮かぶ月のような優しげな笑みを浮かべて。

 それを見て姫乃は、向こうの世界で今頃心配してくれてるはずのお母さんみたいだなと、そう思った。


 「行こう、ヒメちゃん」


 

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