第21章 金冠の調合士
……姫乃達に留守番を頼んだ後、問題の場所へと向かっていたセルスティーは、過去の出来事を思い返していた。
エルケ
春の優しい暖かな陽の温もりを肌に感じながら、一二歳のセルスティーは浴場の底にたまっている白桜の花びらを網でさらっていた。
後ろに立つ白桜はあらかた散ってしまった後で、ところどころ白い花弁が数枚見られるのみだ。この作業を終えてしまえば当分は掃除をしなくても大丈夫だろう。
周囲には彼女と同じく清掃作業にいそしんでいる者達がいる。もともとは、今日一日薬学の本を読んで過ごすつもりだったのだが、彼らに誘われ、外もいい天気なものだったからたまにはこういうのもいいだろうと思って出てきたのだ。
お湯を含んだ重みのある堆積物を網ですくい上げ、離れた所に運び、あける。
二、三日も放っておけば水分が抜けるだろう。その後は、果樹園や畑の主が、肥料として利用するために取りに来るはずだ。
「ふぅ……」
作業を終えたセルスティーは息をはいて、腰を軽く叩いた。
普段は運動しないものだから、これはちょっとつらいわね……。運動不足気味の自分にとってはいい機会にはなるけれど。
何気なく目をやった白桜の作る木陰が涼しそうで、思わず引き寄せられる。
「……虫ね」
近寄った事で判明したのだが、木の幹には数匹の虫がくっついていた。
確か、昆虫や柔らかな草花より木の体表を好んで食べる虫……だったかしら。
安息の場所を提供してくてたお礼に、それらをつまんで近くの草木に離してやる。
この白桜の木も若くない。なので、これぐらいで健やかな老後生活の力になれるなら、手を貸してもいいだろうとも思った。
「なんと言っても、数百年もこの町を見守り続けてくれている存在だものね……」
長命である木は人一人より何倍も長い時間を、この町と生きてきたに違いない。
その時、ひらりと何かがが空から舞い落ちてきた。
白い花びらだった。
花びらはまるで、礼を言うかのようにセルスティーの前でひらりと踊り、地面へと降り立つ。
返事でもするかのように。
ひょっとしたら数百年も生きてたら、返事の一つでも出来るようになるかもしれないわね。
そんな突拍子もない想像に思わず表情がゆるくなる。
セルスティーは微笑と共に言葉を送り返す事にした。
「どういたしまして、と返した方がいいかしらね」
エルケ
「ふごふご、ふごごご……」
温泉の見張り番である男性は、声を出せないように口元を布で覆われ、手足を動けないようにしっかりとロープで縛られて地面に転がされていた。
つい数時間前まで賑わっていたこの場所は、今は数人の人物を残してガランとしている。
「こんな枯れ木でもあんだけの魔力が詰まってんだよな。この分なら、もう五、六回ぐらい搾り取れるんだろうよ」
人数は6人、その中で体格の良い大男が目の前にそびえ立つ白桜の木を見上げて言った。
「馬鹿言うんじゃないよ、目撃者が今回は出ちまってるだろう。誰だい、見張りなんか居眠りしてるだけのカカシだっていったのは」
その傍には誰だと言いつつも、誰が言ったのか分かっているかのように、目の前の大男を睨みつける女性が立っている。
「だいたい、こんなに集めたって、どうなるやら。知ったこっちゃありませんとか言われて、一文も払ってくれないって事もあるんじゃないのかい。あんた、これが正式な依頼じゃないって事さっきまであたし達に黙ってたんじゃないか」
なおも、腹の虫が治まらないと言った様子を装う女性は、文句を続けようと口を開く。
だがそれを大男は、襟首を掴んで強制的に黙らせようとした。
「ごちゃごちゃうるせぇんだよ、女の癖に」
「ふぅん、そりゃあ差別っていうもんじゃないのかい」
泣く子も黙りそうな大男の歪められた凶相を前に、女性は引くどころか強気な笑みを浮かべて返した。
伸ばした手を後ろに下がって避ける。女性の態度には余裕があった。
「あ、親分。そこらへんにしておかないと、人が来ちゃいますよ」
「あの魔法はそれなりに時間がかかるんすから」
さすがに見かねた他の仲間達が止めに入り、大男は舌打ちと共に女性から離れていく。
それくらいの事を気にする分別はあったらしい。
そして男は懐から長方形の何も書かれてない無地の紙を取り出すと、白桜の幹に当て魔言を唱えた。
「リライト・チャージ」
言葉が言い終わると共に、白桜が淡く光を放つ。
光は波打つようにして、大男の持つ長方形の紙へと吸い込まれていく。
始めの内は魔力がただの紙切れに吸収され行く様を興味深げに眺めていたものだが、何度目かになると真新しさを感じなくなりこの時間がどうにも手持ち無沙汰になるのだ。
そのおかげで男の傍に立つ女性は、後方から自分達へと忍び寄る一つの気配の存在に気づく事が出来たのだが。
「誰だい、隠れてないで出て来なよ」
「……そこの体格のいい大男さんが始めに気づくべきだと思うのだけれど」
見張り小屋の脇から現れたのは鮮烈な赤毛の髪に、端整で鋭い印象を感じさせる顔立ちの女性だった。
『セルスティー』
発せられた女性の声に、セルスティーは身を隠すのを止めて前へ出て行く。
「なっ、気づいてたに決まってんだろうが。この女に譲ってやったんだよ」
リーダー格らしい男は慌てた様子でそう言っていたが、気に止めることもなくセルスティーはすでにその声を意識の外においやっていた。
相手は六人。内訳は、男が五人で、女が一人だ。
セルスティーは、ベルトに吊るしてある普段は持ち歩かないポーチとの存在と、こんな有事の為に用意しておいた物……魔石のはまった指輪を意識する。
悪い予想が当たってしまったらしい。
いずれの人物も荒事に関わってきた者の雰囲気をまとっている。
……あの子達を連れてこなくて良かったわね。
今は留守番をしているはずの彼女達の顔を思い浮かべる。
まず間違いなく暴力沙汰になるであろうこの場にいたら、巻き込まれ大怪我をしかねない。怪我ですむならまだ取り返しは付くだろうが、最悪の場合は命だって落とす事になるかもしれない。
目の前にいる人物達は、相手が子供だからといって見逃してくれたり手加減をしてくれたりするような者達ではないだろう。
「答えてくれるとは思わないけど一応聞くわ。あなた達何を……いいえ、それは分かってるわね。何の為にそんな事をしていたの?」
「はっ、んなの言うわけ……」
「金儲けの為さ。勇敢な正義の味方殿」
「ばっ、おまっ!」
予想通りの反応を返そうとした大男の言葉を遮るように、女性が答えた。
「とある筋で魔力を、それも光の属性のやつを高く買い取ってくれるって話があってね」
光の魔力……、生命なら魔法が使えないものでもその身の内に必ず内包している魔力だ。
「こうやって、材料を仕入れてせっせとやってるって様さ」
ひらひらと、長方形の紙片をちらつかせる。
遠くから見たときはよく見えなかったが、近くだとはっきり見える。
何の模様も書かれていないただの紙切れだという事が。
なのでそのまま言った。
「ただの紙切れに見えるけれど」
「ああ、ただの紙切れさ。アタシ達にもそう見えるね。この話を持ってきたのも材料仕入れてきたのもこのへっぽこなんだよ。くわしく聞きたきゃ、こいつに聞いたらどうだい。もっとも大した事は知らないようだけどね」
「てめぇ、黙って聞いてりゃ勝手な事ばっか言いやがって……。あげく、この俺様をへっぽこ呼ばわりだと」
自分抜きで話が進んでいる事に耐えられなくなったのか、それとも部下(仲間ではなく、そう本人は思っているようだ)に言いたい放題言われている事に我慢の限界がきたのか、もしくは両方か、大男は額に青筋を立てながら女性とセルスティーの視線の間に割って入って来た。
「誰だか、知らねぇが女一人なんだ。さっさと縛りあげちまえばいいじゃねえか。その後はいろいろと……、いでででで」
無造作に、反撃を受けるとも考えずに伸ばしてきた手を、セルスティーは簡単にひねりあげた。
「ちっ、このへっぽこ馬鹿が!」
女性は怒鳴ると共に、小さな球状の物体を地面に投げつけた。物体は衝撃で破裂し、中から盛大に煙を撒き散らす。
「二回も言うんじゃねえっ!! げほげほっ」
そんな行動を見てセルスティーは大男から離れ、呼吸を止め周りを見回した。
背後に一人いる。
なるほど、会話で意識から外れた仲間の一人が、後ろに回ったってところみたいね。
挟み撃ちにするようだ。
意味も無くただ話をしていたわけでなく、時間を稼ぐという目的があったらしい。
「こんな、ことも……あろうかと、げほげほっ……煙に慣れておくもんだっ! ……げほっ、うりゃあっ!!」
咳き込んでいるようだけれど、それは慣れたっていうのかしら……。
セルスティーは煙で視界不良であるにも関わらず、大男の振り上げた斧を最小限の動きで避ける。
「挟みうちっす、それっ」
後ろから来た他の相手の攻撃も、だ。
同士討ちを恐れてか、魔法は放ってこないのが救いか。
「親分ーっ、当たらないっすよ」
「まぐれに決まってんだろうが、そんなもん」
だが大男が余裕でいられたのも最初だけだ。
しかし、まるで未来が見えているかのように、セルスティーは攻撃をことごとくかわしていく。
そこまでくると、偶然だとは思わないだろう。
「くっ、いったいどうなってるんだい、この様は」
短刀を振り回し、予想通り空振りに終わったのを見て、女性が忌々しげに舌打ちした。
「
「金位! あんたひょっとして……」
セルスティーは、今が好機と判断して動きを見せた。
煙は最初の頃よりだいぶ晴れている。
今までのやり取りで得た、6人分の行動規則、動きの癖、武器攻撃を念頭に入れ、これからすべき行動をはじき出す。
セルスティーはベルトに吊るしたポーチを開け、中から小瓶を取り出した。
目の前の魔力泥棒達にきつくお灸を据えてやらねば。
いくつかはめた指輪の一つ、緑の魔石が光を放つ。
「ウインド!」
とにかく風を起こせればいい。魔言を唱え、自身は背後へ下がる。
荒れ狂う風が発生し、狙いをつけず小瓶を投擲。瓶は、風に運ばれ壁や地面に叩きつけられる。
瓶の中身の、わずかに発光している金色の液体がばらまかれた。
研究に研究を重ね、セルスティーが独自に作り出したこの液体の名前は、見た目通りの名前だ。
名前こそ金の付く液体だが、別に金で作り出したわけではない。生成しているうちに金色になってしまっただけだ。成金趣味とかでもない。
液体は、風の流れに沿って網の目状に広がり、内部に人を閉じ込めるように檻を形成した。黄金水は空気に触れて数秒で科学反応、固体へと変化する。
「こんなもん、ぶっ壊してやる!」
「壊せないわ」
大男はすぐさま斧を振りかぶるが足が動かない事に気づいた。
「親分っ、足が動かないっす」
「なっ、何だこれは。ちくしょうっ!」
「やられたっ、相手の方がこりゃ二枚も三枚も上手だったね……」
ねばねばとした液体が相手の足にからみ付いている。
投げたのは黄金水だけだ。
粘着性の高い液体、粘着液は隙を見てあらかじめ地面に撒いたのだ。そう、目立つ黄金水に気をとられているうちに。
ひっかかったのは三人、大男と女性、そしておろおろしている仲間の男一人だ。他の男二人はというと……。
「ど、どうしましょう親分」
「た、大変だ。どうやってとれば……」
同じくな有様、だった。
だが大男はあきらめ悪く、粘着液から離れようともがきつづけている。
「くそっ、ふざけんなっ。あんな枯れ木なんかどうなったっていいじゃねえか。俺を捕まえてどうする気だよ。兵士共に突き出すつもりかっ! それとも、命が欲しけば金目の物を差し出せってーか。はっ、誰がやるもん……」
「黙りなさい」
静かな、しかし刃物のように鋭い棘を含んだ声がセルスティーの口から発せられた。
「あの木は……、この町の住人よ」
この町が、火山の自然災害に悩まされていた頃から、もしかしたらそれよりもずっと前……この町が誕生した頃からになるのか、あの白桜はエルケの町を見守り続けてきた。
いつも側で、いつでも共に。
作物や果物の実りで成り立っているこの町にとって、木々たちはまさしく共に生きる隣人なのだ。
「これ以上貴方達と話す事は無いわね。私と貴方達とじゃ、埋めようのない価値観の溝があるみたいだもの」
なおも、仲間にしてやるとか見逃せだとかの声が聞こえ続けているが、セルスティーはその内容にはもう注意を払わなくなった。
「少し、眠っててもらうわ。……ウィンド」
セルスティーはポーチから紙包みを出し破った。中に入っていた紫色の粉末を金色の檻の中へ。
即効性の眠り薬だ。
檻の成分が浮遊する眠り薬の粉を吸着するように出来ているので、うっかり通りかかった人や動物がふいに眠くなって倒れたりはしないはずだ。おそらく。
「な、……てめ……。覚えてろ……よ……」
予想通りというか、一番に眠りに落ちたのはやはり大男だった。
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