第10章 ルミナリアの魔法講座



 ルミナリア家 私室


 セルスティーから仕事の依頼を受けた翌日、姫乃はこの世界の魔法についてルミナリアに教えてもらっていた。

 場所は彼女の部屋だ。

 ベッドと机とそして大きなタンス、後は何に使うか分からない物が並べられた部屋に、姫乃は椅子に座り、未利はベッドに腰かけ、なあちゃんはベッドの上で正座している。


「というわけで、勤勉なヒメちゃんの為に、最初の基本から説明していくわ」


 そんな一同の前に立ち、腰に手をあてたルミナリアが説明していく。


「魔法は、人の体内にある魔力を使って行使する。これくらいは分かるわよね。魔力はそこらへんの生きている者なら何だって持っているわ、草木や虫、動物なんかも」


 この世界では当たり前の事なんだろうけど、私達にとっては本当に知らない事ばかりだ。


「それでね、魔法を使う為には、大事な事が二つあります。一つはイメージ。脳裏にどんな風に魔法を使いたいかしっかり思い描く事よ。そしてもう一つは魔言まごんの詠唱。古代約錠語エンセンテスを用いて魔言を唱えないと、魔法はうまく発動できないのよ」


 そこまで説明した時。

 なあがぴっと挙手した。


「はいなの。ルミナちゃま先生に質問なの!」


 そこに未利が反応。


「ちゃま先生って……、なあちゃんに先に聞くけど何を質問するつもり」

「うんと、えっと、なあ達魔法知らな……」

「あーはいはい、なるほどなるほど。魔言まごんって言葉が分からない。ふんふん。古代約錠語エンセンテスとやらも分からない、へー」


 迂闊にこの世界の人間ではない事を話出しそうな気配だったなあの口を、未利が途中でがばっと抑えて早口で代弁し始める。


 口を塞がれてなあちゃんがもごもど言ってるけど、大丈夫かな……。

 

「え、分からないの? そう、教えるけど……魔言まごんっていうのはそのまま魔法を使うための言葉よ。古代約錠語エンセンテスは今私達が使っている言葉……真現英和語イングリアの元となった、大昔に使われている言葉よ。今は修飾語とか代名詞とか形容詞とかなんとかがそれっぽく増えてるけど、昔はシンプルだったのよね」


 なあと未利のやりとりに怪訝そうな顔をしたもののルミナリアはそれ以上追及する事もなく話を続けてくれた。

 彼女は、腕を組みながら部屋の天井を見つめ始めている。


「昔の人はそれでも意思疎通できてたから不思議よね。複雑そうに思えても、人間の感情を表現するのって言葉の豊富さが全てじゃないって事かしら」


 視線を姫乃達に戻したルミナリアは、部屋の扉の方まで言ってぺたりと耳をつける。


 えっと、何やってるの?


「ふむふむ、ヤアンとローノはいないみたいね」


 そうやら昨日のような盗み聞きを警戒していたようだった。

 聞かれて困る様な事を話しているつもりはないんだけど、と思えばルミナリアは人差指をぴっと立て、「マナーの問題!」と答えた。

 

 ああ、確かにそういうのって良くない事だよね。


「それで、魔法を使うにしても、世の中には魔法が使える人と使えない人がいるわ。なんでも魔法を使うには才能が必要みたいで、ある人とない人に分かれちゃうらしいの。昨日見たと思うけど、私は才能ありの方ね」


 脳裏に自分より大きな男性に立ち向かうルミナリアの姿を思い起こす。


 彼女は魔法が使えたから、あの人に立ち向かえたのかな?

 ううん、そうじゃない気がする。


 たとえ、魔法が使えなくてもルミナリアはきっと同じ事をしただろう。

 

「でも、才能がない人だって悲観する事はないのよ。魔石ませきっていうものがあってね、綺麗な鉱石があるの。その中には魔力がたくさん詰まってるから、魔言まごんを唱えてあげれば魔法を行使できるようになるのよ。持ち歩きに便利なように装飾品とかに加工されているけれどね。あ、そうだ。注意する事があったわ」


 思い出したかのようにルミナリアは手のひらを打つ。


「才能がある人もない人も、全ての魔法を使う事は出来ない。使える魔法が決まってるのよ。海辺で暮らしている人は水の魔法が使えたり、はるか高所で仕事してる人が風の魔法や浮力の魔法が使えたり、自分がいる環境に左右されるの。そういうのは長い年月をかけて培っていく感覚みたいだから、全部使いこなすのは無理なのよね」


 つまり、とてつもなく魔法に詳しい人でもこの世界に知られてい全部の魔法を使いこなすことはできないって事かな。


 そこまで話してルミナリアは、ベッドに近づいて腰を下ろし、話を締めくくる。


「以上が、一般的な魔法についての知識よ。どうかしら?」

「ありがとうルミナ。すごくよく分かったよ」

「ま、本とかに載ってる難しいひねくれた説明じゃないのが助かったかも」

「なあは、えーとえーと魔法さんが魔法さんで……」


 礼を言うとどういたしましてと笑顔が返って来る。若干一名理解が及んでいないようなので、後でかみ砕いて教えてあげる必要はありそうだが。


「それにしても、ヒメちゃんって学舎に通ってたんでしょう。どうして今さらそんな事を聞いてきたの?」


 間違っても異世界から来ましたなんて言えない姫乃は口ごもるしかない。


 ルミナはそんなこと言ったら、今までと同じように接してくれるのかな……?


「基本は大事って事で、振り返っておいて損はないでしょ」

「まあ、大事と聞かれれば大事よね」


 未利のそんなフォローにやや腑に落ちない様子を見せながらも、ルミナは納得してくれた






 エルケ 果樹園

 そんな風に魔法の個人講義を受けてから一週間が過ぎた。

 セルスティーと手伝いの約束をしてから、今日で一週間だ。


「これで……百三十二個め、っと」

「姫ちゃま、そろそろ休憩するの。頑張りすぎはよくないの、なあお弁当広げるの」

「そうだね。じゃあ、そろそろ休もっか」


 エルケの町の一角、果樹園に植えられている一本の木の根元に計測器を置いて、姫乃達は午前の作業に一区切りつけた。

 なあちゃんは、周囲より背が少し高めの木を選んで場所を決め、その木陰の下で近くにあった手ごろな石を台にして昼食の準備をしてくれている。

 

 ここのところは指示通りに町中に計測器を置いていく毎日なのだが、思ったよりずっと時間がかかっていてちょっとしんどい。その労力がかかる大部分が設置場所の捜索にある。


 誤って人が躓いたりしないような、または人に蹴られたりしないような場所を探したりするのは当然として、一番の問題は人通りの少ない所を見つけなければいけないからだ。


 一つの居場所に設置してその後、すぐ近くにも設置予定箇所があっても、そこが人の行き来の激しい場所なら後に持ち越し、遠回りをして別の設置場所で作業をしなければならない。それで結果的に、作業時間が長引いてしまうのだ。


「あと、もう二、三十個くらいかぁ。もう一日くらいかかるかな……」

「もう一日で終わるんならいいんじゃないの? すぐだって。だいぶ手慣れてきて、最初の日みたいに良いとこ探してうろうろしまくって時間かけるなんて事もなくなったし」


 そういって未利は、いつの間にか手に入れていた小物入れの中をのぞいて、指輪を取りだす。緑色の魔石のはまったものだった。設置するときに土をつけると思って一時的に外していたのだ。


「そっか、ご飯の前にちょっと練習しとかなきゃ」


 姫乃もそれにならって、青い魔石のはまった指輪をつけた。


 なあちゃんも一応持っているこれらの魔石はセルスティーさんの物だ。


 作業するに当たって、人通りの少ない所も歩くわけで、もしもの事があった時のためにとセルスティーから護身用に借りだされたものだった。


 初日に手に入れた男物の服をずっと着込んでいる未利は(なあちゃんは普通にお古と自分の服を組み合わせて着ているのに。姫乃も同様だ)、近くの木に背中を預けて目を閉じた。集中しているらしい。


 緑の魔石には風の魔力が宿っている。風の魔法を行使するためのイメージを練るために彼女は木の葉が風にそよぐ音を聞くのがいいのだと言っていたから、その為だろう。


「イメージするのが大切なんだよね……」

「姫ちゃま達、魔法の練習なの? ご飯まだにするの?」

「うん、ちょっとだけやっとこうかなって」


 なあちゃんにそう言って、練習にかかる。

 目を閉じて集中。

 水が動き出す様を、頭に描き出す。

 鮮明に、具体的に。


「…………」


 目を開き、魔法を行使するための魔言を唱える。


「ウォーター」


 姫乃達のいた世界の英語に似たような言葉、古代約錠語(エンセンテス)を口にするが何も起こらなかった。

 今回も、だ。

 何度も練習してるのに一度も成功した事がないのだ。


「どうして出来ないんだろ……」


 関係があるのかどうか分からないが、実はこの青い魔石は始めなあちゃんが持っていたものだった。姫乃には赤い魔石があったのだが……。


 記憶の中に浮かび上がる、熱と色を慌てて脳裏から振り払う。

 姫乃に炎の魔法なんて使えるわけないのだ。


 なあちゃんも全然出来なかったから、交換してみたらどうかなって思ったんだけど。

 結果はこの通りだ。


「はあ……、適性の関係なのかな」


 魔法の素質が無い人でも。魔石があれば魔法が使える。ただ、個人によって使える魔法と、そうでない魔法があるのだとルミナリアは言っていたが。


 ため息をついて、空を眺める。

 とっくに集中は途切れていた。

 そのまま練習を止めようと思った時だ、


「ゆきなーんっ。雪菜先生の一口ひとくちアドバイス! 環境の影響はとっても大きいわよ。日本の人がなかなか英語を覚えられないように、マドモワゼルプリチー国の人々がロンロンタップー国の言葉を覚えられないように、ね」

「雪菜先生!?」


 聞きなれた声がして振り返った。だけどそこには誰もいない。


「え……、あれ……?」


 おかしいな。今明らかに雪菜先生のものとしか思えない声が背後からしたはずなんだけど。


「どうしたの姫ちゃま」

「ええと、いま雪菜先生が……」

「雪菜先生がいるの? どこなのどこなの?」


 きょろきょろするなあちゃんに合わせて、自分もきょろきょろ。

 だけど見渡す景色のどこにも、それらしい人影はない。


 気のせいだったのかな。

 でも、気のせいで済ますには結構な長ゼリフで、内容がはっきりと耳に届いているような気がするんだけど……。


「そ、空耳かな……。ごめんね、なあちゃん」


 いつまでも期待のこもった眼差しであちこち探させるのも可哀相なので、そう言っておく。


「何が空耳だって? あー、お腹すいてあんまし集中できなかったし。もうご飯食べちゃわない?」


 いつの間にか練習を終えたらしい未利が、こちらに来てなあちゃんの用意した弁当の前に座り込む。

 未利はそこそこ魔法が使えるようになってるんだよね。


「練習どうだった。どれくらいできるようになったの?」

「んー、秘密。まだまだ子供だましみたいなもんだし」

「そうかな。葉っぱ一枚でも動かせるなんてすごいと思うけどな」


 上達の参考にしようと聞いても詳しく教えてくれないから、いつも離れた所から見るしかないんだよね。


「姫乃って、嘘つけないよね」

「あ」


 見てたのがばれてしまった。

 顔色を窺うが別に怒っているという感じではなかった。ただちょっと呆れてはいるようだけど。

 でも、黙って見てたのはちょっと悪いかな。

 謝ろうとしたら、なあちゃんが間に割って入ってきた。


「二人ともご飯食べなきゃなの。おいしいご飯さんが放っておかれて悲しそうなの。頑張るのはその後でいいの」

「だってさ。食べてからまたやればいいじゃん」


 確かにせっかく用意してくれたお昼ごはんをいつまでも放っておくのも悪いだろう。

 セルスティーさん手製の、ハートや星形に切り取られた具材満載の可愛らしいお弁当を三人でつまむことにした。

 

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