第8章 調合士の手伝い
エルケ ラナー邸 『姫乃』
羽ツバメの
「ここが、調合士のセルスティー・ラナーさんの家よ」
花の模様が彫られた柵の立つお洒落な玄関の前。ルミナリアの発した唐突な言葉に未利がツコッミを入れる。
「いや、家よ……って言われても。ここに来た理由をまだ聞いてないんだけど」
目の前の建物は、周囲の家より一回り大きい。
石壁は周囲の家に使われているものより、手触りが良さそうでなめらかな見た目をしていて、窓枠は艶やかな赤い塗料で塗られやや小さめの丸窓を飾り立てている。
派手派手しいとまではいかずそれらはうまく家を引き立てていて、見ている人に気品の様なものを感じさせる外観だった。
「ここに、何か用事があるの?」
ルミナリアが紹介したからには何か理由があるのだろうと尋ねる。
横ではなあちゃんが、玄関の柵の彫り込みに興味津々という様子で、顔を近づけて観察している。
「ええ。手伝ってほしい事があるから近々家に来てほしいって言われてたの」
「セルスティーさんって人は困ってるの? なら、なあも手伝うの」
「まず何に困ってるか聞いてからでしょ、それは」
奮起するなあちゃんがさっそく玄関を開けようとするのを、未利は襟首を掴んで止める。
私たちも一緒に連れて来たって事は、一人じゃ出来ないことなのかもしれない。
人手があった方が効率が良い事なのかな……。
「その手伝ってほしい事ってどんなもん? 驚くような無茶な事とかは御免だから」
「難しい説明だから、当人にしてもらうわ。それより、うーん」
「さっきから、ずっと考え込んでるけど。ルミナリア、中に入らないの?」
未利の言葉に答えず、真面目な表情で眉間に皺を寄せているルミナリア。彼女は、用があるにもかかわらず玄関前でずっとこんな調子だ。
「実は、中に入るときにやらなきゃいけない事があってね……」
「やらなきゃいけない事?」
「それって、この地方の他人様の家を訪ねる時のしきたりとかいう面倒くさいやつ?」
「たのもーって、言ったりするのなの?」
ルミナリアの言葉に首をひねりつつ考える姫乃達。なあちゃんのそれはちょっと違うだろうが。
羽ツバメを訪れたときはそれらしい事してはいなかったけど……と姫乃は思う。
では施設とかにはしなくて、普通の家にはするような事なのだろうか。
異世界では人の家を訪ねる時、ごめんくださいでは駄目なのだろうか。
「あ、思いついた」
そんな事を考えてるとルミナリアが玄関を前にして、ポンと手のひらを叩いた。
え? 『思いつく』って……。
数分後、姫乃達は空を飛んでいた。
もちろんそのままの意味ではなく、比喩的な意味でだが。
端的に言えば吹き飛ばされた、のだ。
ルミナリアに連れられて目当ての建物の向かい……ちょうどよい高さの建物にお邪魔した姫乃達は、その家の窓辺から風の魔法で自分たちを吹き飛ばしたのだ。まったく意味が分からない。
猛風と共に、目的場所の家へなだれ込む。
玄関からではなく、窓から浸入するような形で。
そこは作業室のようだった。窓際近くには机が置いてあって、書類を整理してる人物が立っている
灼熱を思わせるような鮮やかな腰の辺りまで伸びた赤毛に、触れれば切れるような鋭さを印象付ける顔立ち。全体的に赤い色調で統一された服を着こなしているのは二十代半ばと思われる女性だ。ルミナリアに事前に特徴を聞いていたので、彼女がセルスティー・ラナー……という事になる。
その人物がいる作業室に転がり込んだ姫乃達の中で、一番に復活したルミナリアが元気よく挨拶した。
「ごめんくださーい、遊びに来ました。友達連れて」
「ルミナリア、今度はちゃんと玄関から入ってきてと言ったわよね」
「あら、そうだったかしら」
こめかみをおさえながらセルスティーという女性は、じっとりとした視線をルミナリアに向ける。
空中浸入を果たしたルミナリアを咎めるような視線だ。
そうだよね。そうなるよね。これって不法侵入と同じなんじゃないかな。
どうしよう、怒られたりするかもしれない。
勢いで付き合ってしまったが、今更ながら罪悪感が湧いてきた。
まさかこういう事だとは思いもしなかったのだが、そんな言い分を相手は聞いてくれるだろうか。
ルミナリアを見るが、まるで堪えた様子がない。
そんな彼女は不満げに口を開いた
「それにしてもセルスティーさん、全然驚かないですね。いっぱい工夫してるのに、毎回冷静なんですから」
何だか毎回苦情を交わし、交わされているようなやり取りだ。
いつもこんな事やってるのかな。
「アンタ、あんな非常識な突撃お宅ご飯、毎回やってたワケ!?」
「ふぁ、お空ふわぁー、じゃなくてぴゅーびゅーだったの」
未利が驚きの声を上げる。
なあちゃんは特に反対も賛成もなく、感想だけだが。
姫乃は浸入してきた場所、風で思いっきり開けてしまった窓が壊れていないか確かめながら訪ねる。
「ルミナリアの挨拶ってこういう事?」
「ええ、そうよ。だって、動じない人を動じさせたら面白そうじゃない」
「しょうもない理由……」
ぼそりとつぶやいた言葉はもちろん未利だ。
彼女の行動動機ってなんというか予測できなくて困る。
「醤油無い理由? お醤油さん無いの?」
「醤油? 醤油はあるわよ、家に。どうしたのなあちゃん、お腹すいたの?」
「ええと、ルミナリア。なあちゃんの言葉は、そうじゃなくて……」
「もうすぐ夕方じゃん、そういえばお腹すいてきた。子供らの相手で体力はんぱなく消費したし、やば」
おしかけた家の住人を無視して会話はどこまでも進んでいきそうだ。見かねたセルスティーがいい加減引き戻す。
「そろそろ、自己紹介とかしてくれないかしら。それと、部屋の片付けもしてもらいたいのだけれど」
彼女の声音が多少冷たくなったのは仕方がないだろう。
十数分後。
「あの、本当にごめんなさい。私が止めていれば……」
「いいわ、いつもの事だもの。あなたも大変ね」
散らかった紙束をまとめ終えると、物置部屋へと案内された。
互いの自己紹介を終えて、散らかした全てを元通りにする頃には、窓の外の太陽が空を赤く鮮やかに染める時間になっていた。
苦笑を返すセルスティーは、もう怒ってはいないようだ。
「私の手伝いは大変よ。ルミナリアは、自分が出来そうにないから友達を連れてきたのね」
「そうなの?」
ルミナリアに尋ねれば、大きな頷きが返って来る。
「そんな事ないわ、って言いたいところだけどそうよ。聖堂の手伝いの方がね、ちょっと忙しくなりそうなの。頼まれといて途中で放り出すなんてしたくないもの」
彼女の事だからもっと駄々こねたりして、少しでも手伝えないかと交渉しだすかもしれない、なんてこれまでの事から思ったので、その返答はちょっと意外だった。
そこまでまだ自分はルミナリアの事を知ってないみたいだ。
会って、二日目だから当然といえば当然なんだろうけど。
「でも、楽しそうよね。私もやりたかったわ。いいなぁ。できないかしら……。できないわよね……。聖堂が忙しくなかったら良かったのに……、そもそも誰の後始末のせいだと思って……あいつったら」
ただ、愚痴は言うみたいだった。
聖堂で起こった誰かの後始末とやらはあんまり楽しくなさそうだ。
「貴方達、話を進めていいかしら」
なおも、姫乃の知らない誰かへの恨み言を呟いてる彼女は置いて、セルスティーは部屋の壁に掛かっている二つの地図のうち一つを指し示した。
見覚えがあると思ったらこの町の地図のようだった。
なぜ分かったかというと、この世界に来た直後、目を覚ました時に建物の屋根上から見下ろした町の景色とぴったり合っていたからだ。
「とりあえず貴方達にしてもらいたい事の内容を言うは。私がしてもらいたいのは、この町の各地の
「「「空間魔力保有量?」」」
セルスティーからの聞き慣れない単語に反応して、ルミナリアを除いた姫乃達三人の声が合わさった。
「魔力は魔石の中だけではなく、生物や辺りの空気にも満ちているわ。空間魔力保有量とは、言葉どおり、そこにある空間に含まれている魔力の量の事よ。学舎で習わなかったかしら」
「確かにそんな事習ったかも。……ねぇ、姫乃」
「あ、うん。そうだったね」
「そうそう、習った習った」
セルスティーの訝しむ様な視線に、あわてて姫乃と未利が言葉を放ちそれに同意する。
魔力って、言葉通り魔法を使うための力なんだよね。
魔石の事はちょっと分からないけど。石の中に魔力があるみたいなこと言ってるから魔法を使う時にでも使うのかな?
でも、ルミナリアはそんなの使ってはいなかったし……。
「ふぇ、くーかんまりょ……、ませき……?」
「なあちゃん服にゴミが、ほらほらとってあげるから」
よく分かっていないようななあちゃんには、未利がごまかし作業に入っている。
幸いそれ以上追求される事もなく説明は続いた。
「魔力の計測と聞いて
そう言えばまだあの時の説明するって約束したのに、兵士の人にしてないな。
今日行ってみたけど、忙しそうにしてたから。
しかし、そんなセルスティ-の言葉に未利は姫乃とは違う反応を返す。
「ふうん、つまり詳しい
「未利……」
姫乃は心配になり言われた当人を伺う。その言い方はちょっと直接すぎじゃないだろうか。
しかしセルスティーは怒るでもなく冷静に返した。
「ええ、そういう事になるわね。細かい事は私が調べるから、あなた達はただ計測器を置いてくれればいいわ。設置する場所はここと……ここ、それから……」
地図上を次々に指し示していく。相当な数で結構な手間が掛かりそうだ。
その中には一日目に、傭兵の男から逃げ回りながらルミナリアに案内してもらった場所もいくつかある。
「計測器はこれよ。小型な形にしたぶん壊れやすくなってしまったから扱いには十分気をつけてほしいわ」
地図の下に置かれた箱の中に、布で何重にもくるまれた物体がある。取り出されたのは包まれてない方だ。箱にヒビが入っている。壊れてしまった物だろう。壊れやすいというのは本当らしい。
「これを地面に置いてほしいの。針が動いていたらちゃんと計測できてるわ。動かなかったら、壊れてしまっているわね。別の物を置いて持ち帰って来て」
目の前の箱の上部には、赤い針がついていて、その先には何ミリかの間隔で線が刻まれていた。壊れてなかったらこの針が動いて、この空間の魔力保有量を教えるために、刻まれた線のどれかを指し示すのだろう。
「説明はこれくらいよ。何か分からない所は」
首を振る、今の所は無い。
「じゃあ、報酬の件だけれど……」
「えっ、報酬ですか?」
これには驚いた。てっきり、庭のお掃除やごみ出しと同じ感覚でちょっとした手伝いだと思って聞いていたのに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます