第2章 異邦の地にて



 エルケ 譜暦ふれき 775年

 ヴィルメルド領 エルケ ディテシア大聖堂 『ルミナリア』


 コーティリアイ・ヴィルメルド・ラハウス女王の統治領の中、統治領中央都エルケ。

 その町の、女王が住む城に近い場所に、周囲の建物と比べてはるかに背の高い建物……ディテシア聖堂院が建っている。


 聖堂院とは単なる建物の名前などではなく、孤児の世話や難民の生活の手助け、傷病者を手当する医術寮を建てたり、貴重な文献を集めた蔵書館などを経営している、大きな組織のようなものだ。


 病める者も貧しき者も平等であり、健全なる者も富める者もまた平等である。という名目の元、ならば、互いに手をとって支え合おうというという事で、聖堂院に務める彼らは日々活動に精を出していた。


 そんな場所で、一人の少女が聖堂院の中で鼻歌交じりにステンドグラスの窓を磨いていた。


「ふんふんふふーん」


 洞窟の暗闇にそっと差し込むようなやわらかな色をした金色の髪と、その色より少し赤みがかった色の瞳を持つ少女だ。


 水の入った手桶に、汚れを拭きとった雑巾を突っ込んで、ジャブジャブと音を立て、掃除にいそしむ彼女の名前は……、


 ルミナリア・リリアント。


 彼女は白い生地に金糸をあしらった司教服ではなく、手作りでディテシア聖堂院の意匠が刺繍された平民服を着ている。その服装は、この少女が正式な作業員ではない事を示していた。


「今日の手伝いはおーわりっと」


 彼女は、顔見知りの司教のおかげで特別に聖堂の掃除を手伝えることになった身だった。


 ルミナリアにとっても町の人達にとってもの聖堂院の手伝いは、憧れの職であった。


 そこは少女があれこれ手をつくして手に入れた場所なのだ。

 うっかり仕事ミスで失いたくないので、ただの清掃でも手をぬかずに、丁寧にしっかりこなしていく。


 キュッキュッ……キュッキュッ……。


「あら?」


 そんな彼女が、ステンドグラスの窓の向こうに何かが光るのに気づいた。

 窓の上の方から見えるので、光は空だ。

 自分の立ち位置を、色つきのステンドグラスのある場所から透明な窓の方へと移動し正体を確かめに行く。

 そこからは、白い光の点が空の上から下へ、ゆっくり移動していくのが見えた。


「誰かのいたずらの光……とかじゃないわよね? じゃ、何なの……?」


 誰ともなく問いかけるが、空気から答えが返ってくるわけもない。

 下へ下へと移動していく光は正体が分からないまま建物に隠れて見えなくなった。


 それは比較的近くの場所だ。


「むむ……」


 悩み始めるルミナリアの耳に、油断したら聞き逃してしまいそうなくらいの女の人の小さな声が届いた。


『助けて……。……お願い、助けてあげて』

「誰……?」


 辺りを見回してみるが人影は無い。

 首をかしげる。

 しばらく考え込んだのちルミナリアは、視線の先にあったディテシア聖教を作り出した司教、ディテシア像へ視線を向ける。じーっと見つめていると、なんとなく目があった……ような気がしてきた。






 大聖堂屋根上 『+++』


 堅牢な城壁に囲まれた町エルケは夕暮れに沈んでいく中にあった。

 そんな町の中、聖堂の上空に一つの光の球が現れる。


 光はゆっくりと降下していき、大聖堂の屋根上へと降り立った。


「……」


 光の球がゆっくりと消えると、そこには一人の少女がいた。

 少女は、しばらくした後に瞼を震わせて目を開ける。


「ここは……」


 身を起こした少女……、結締姫乃は景色を見て首を傾げる。

 彼女の目にまず入ったのは、夕暮れ空の赤色だ。


 視線を少し下に向ければ、赤く染まった町並みがある。

 背の高いビルなどは一切なく、写真の中でしか見た事がないような外国のような街並みだった。


 その中には、絵本の中で見るような一際背の高い城が建っていたりする。

 街をぐるりと取り囲むのは背の高い壁。


「…………」


 そして姫乃は、最後に自分のいる場所を見る。

 ステンドグラスが夕日に輝く、装飾の凝った建物。その屋根上だった。

 屋根の上から地面までの距離を確かめたら、くらっとした。


 姫乃は先程まで学校の教室にいたはずだった。

 なのにそこは、見知らぬ場所で、室内ですらない。


「えっと……」


 どうしよう。

 もっと驚くとかうろたえるとかあるんだろうけど、なんというか。

 とりあえず姫乃が考えたのはどうしよう、だった。


「どうやってここから降りればいいんだろう……」


 そんな風に途方に暮れていると、背中をつつかれるような感触に気づく。

 振り返るとそこには、


「にゃー」


 姫乃の腰くらいの位置に

 可愛い生き物がいた。


 ネコだ。


 いや、いたというよりは浮かんでいた、と言ったほうが正しいだろう。

 なぜならその生き物の背には、


「と、飛んでる?」

「にゃー」


 白い羽根が生えていたからだ。


「うにゃあ、にゃあ」


 ネコは鳴きながら姫乃の後頭部にまわって、ポニーテールにじゃれついている。

 姫乃の頭の後ろでは、猫の鳴き声がして、髪の毛が揺れて動いた。


 ネコって普通は飛んだりしないよね?

 いくら世界は広いといっても、空を飛ぶネコなんて存在しなかった……はず。


 くるん、と振り返り当たり前のように存在するネコを見つめる。

 つぶらな瞳でとっても可愛いネコだが、やっぱり背中に翼が生えている。どこからどう見ても生えてる。


「ええと、突然変異……とかだったりするのかな?」


 姫乃は手を伸ばして頭を撫でてみた。

 温かくて柔らかかった。

 その感触は、幻でないことを伝えてきた。


 そうこうしてネコ(?)の頭を撫でていると町並みに変化が起きた。

 太陽が沈んで夜の暗闇が満ち始めたその街は、透明な壁みたいな物で包まれ始めたのだ。


 城壁の上から光の粒子が集まって、ドームを作り上げていく。

 わずかに光るその壁は、町の上空で空との境目に境界を作って完全に塞がった。


「どうしよう、これ」


 うん、どうしよう。

 自分が置かれた状況が全然分からない。


 しかし、夢でも幻でもない。

 羽根の生えた生き物はちゃんと目の前で可愛らしく撫でられてるし、透明なドームはどれだけ見つめても見間違いとかではなくしっかりと存在している。


 あ、星が見えてきた。

 一番星かな。


「――――わね」


 若干現実逃避気味になっていると、何やら下の方から女の子の声が聞こえてきた。

 姫乃は屋根の上から覗き込む。

 ちょうど金髪の少女が、下を通りかかるところだ。

 少女は周囲を気にしながら、しきりに首を傾げていた。


「確か光が……この辺に……」


 もっとよく聞き取れないかと屋根の縁に近づく姫乃だが、その行動がいけなかった。


 長年の傷みやら何やらで古くなっていたのか、姫乃が移動した瞬間足場がパッキリと音を立てて割れたのだ。


 え?

 嘘。


「――――っっ!!」


 考えられたのはそこまでで、声にならない悲鳴を上げながら姫乃はその場所から真っ逆さまに落下した。

 できる事などなかった。

 ただ体を強張らせて、重力に引かれるままになるしかなかった。


 しかし、待っていたのは固い地面との激突ではなかった。


「フロート!」


 女の子の声。

 同時に、落下が止まって体がふわりと浮き続ける。


 閉じていた目を開くと、姫乃は宙に浮かんでいるようだった。


「え、えぇっ……っ」


 あわあわと、今更ながらに慌てる。

 心許ない感覚に動揺していると、下から声がかかった。


「あなた大丈夫?」


 そこには驚いた少女の顔があった。

 金色の髪、橙の瞳。

 姫乃と同じくらいの年の女の子だ。


「え……と……」

「今降ろすわね」


 そういうと、姫乃の体はゆっくり地面へと降下していく。

 完全に足が地面に着くようになった瞬間に、ほっと息をつく。


 でも今のって何だろう。

 なんだか現実ではあり得ない事が起きたような気がするんだけど。

 夢……かな?


 よく分からなかったが、姫乃は自分を助けてくれたらしい少女を見た。


「あ、ありが……」


 そして感謝の言葉を述べようとするのだが、少女は興奮したような様子で喋りながら姫乃に近づいてきた。


「空! 空から可愛い女の子が降って来たわ! びっくりね! 驚きだわ! 何これ、日ごろ頑張ってる私へ神様からのプレゼント!? やったね私!!」


 やたらテンションが高かった。


 そんな調子でまじまじと観察されて、かと思えば腕組をして考え始める少女。

 中々せわしない。


「とりあえず、人と人が出会った時は自己紹介よね。私の名前はルミナリア。ルミナリア・リリアントよ。貴方のお名前は?」

「えっと、結締姫乃、です。……はじめまして?」


 頭を下げると、「あ、これはご丁寧に」なんて互いに下げあったりする。


 姫乃の心がちょっと落ち着いた。


「変わった名前ね、ユイシメちゃん?」

「あ、逆なのかな。姫乃が名前の方なの」

「ヒメノね、分かったわ。ねぇ、ヒメノは光の玉とか見てないかしら?」

「見てない、と思うけど」

「そう、この辺に落ちてくるのを見たんだけど、気のせいだったのかしら」


 屋根上から見た時のように周囲をキョロキョロし始める彼女。

 その様子は、何か探し物でもしているようだった。


「落とし物とかかな?」

「ううん、私のじゃないわ。空から落ちてきたのよ。そういうなら空の落とし物って言えるわね。気になったから来てみたんだけど」

「私は、見てないかな」

「残念だわ」


 そんなこんなで謎の落とし物について会話した後、ルミナリアと名乗った少女は尋ねた。


「ところで貴方、どうして屋根の上なんかにいたの?」


 そうだよね。気になるよね。

 どうやって説明しよう……。


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