忠誠ある者達


 悪魔の種を与えられ黒い泥に飲み込まれた、オラクル共和王国の大臣ベイガイル。

 そして貪欲に力を得ようと人を喰らう怪物と成り果て、その上質な餌として魔人である妖狐族クビアを標的に定めた。


 黒い泥を身に纏う怪物の依り代が人間ベイガイルである事を察したクビアは、人を殺められない制約に解除する為に奴隷の契約書が保管されている帝城の金庫へ向かう。

 そのクビアを捕食する為に怪物は壁を突き破り、帝城の内部を破壊しながら追走劇を開始した。


 怪物ベイガイルが消えた会場は、人々の騒めきを残しながらも平穏の静寂が戻る。

 そして怪物が去った事を確認した騎士や招待客の幾人もが、この機を得てそれぞれに口を開いた。


「……化物が、いなくなった!?」


「い、今なら逃げられるぞ!」


「早く避難をっ!!」 


 怪物が視界から消えた機会を逃さず、それぞれが会場から離れ逃げるという選択を思考に浮かべる。

 そして五百名を超える招待客を帝城の外へ逃がす為にも、大広間の正面大扉が最も近く、そして多くの人間が逃げられる避難経路だと誰もが思った。


 警備の騎士達は中央に集めた招待客を誘導しようと、ガルミッシュ皇族達が歩いて来た赤い絨毯へ人々を導こうとする。

 そして壇上に残る皇族達も避難させようと幾人かの騎士が駆け寄ろうとした時、セルジアスが魔石で拡声させた警告の言葉を発した。


「――……全員、まだ外に出るなっ!!」


「!?」


「さ、宰相閣下……!?」


「ローゼン公! 何を言うのだっ!?」


「あの怪物が居なくなった今こそ、逃げる機会チャンスだろう!」


「そもそも、怪物が居る会場に留まるという判断がおかしいのだっ!!」


「早く会場ここから逃げなければ、あの怪物がまた来てしまう!」


 セルジアスは壇上から会場から帝城の外に逃げようとする人々を制止しようとしたが、下に集まる招待客や帝国貴族達は焦りから批判の声を出し始める。

 しかし実力者である魔人達ふたりが感じた外の危機感を信用するに値すると判断しているセルジアスは、再び強い口調で動き出そうとする騎士や招待客達を止めた。


「外は危険です! 状況も分からず事態を把握できないまま混乱状態で外に出れば、死ぬ可能性も――……」


会場ここに残ってる方が、ずっと危険だっ!!」


「混乱しているのは君の方だろうっ!!」


「この緊急事態に、なんと悠長な……!!」


「やはり若いセルジアス殿に、父君クラウスのような迅速な動きは出来ぬらしい……」


「もういい! 君の指示を仰がずとも、我々は自分の判断で動かせてもらうっ!!」


 セルジアスの制止に対する返答として、各帝国貴族達は反発の意思を示す。

 その反発を見せる帝国貴族達の中には、今までセルジアスを皇帝の座に推そうとしていた者達もいたはずだが、誰もがセルジアスの言葉の従う事を拒否して自ら動いて逃げるように大扉へと向かい始めた。


 そして帝国貴族達は従者を伴い、会場の護衛をしていた帝国騎士達の中で近親の血筋や懇意のある人物に命じて勝手に避難を始めようとする。

 それを止めるようにセルジアスは幾度も声を発したが、それに従わぬ者は一致するように会場からの逃走を選んで止まる事は無かった。


「止まりなさい! 外は――……」


「ローゼン公」


 必死に呼び止めていたセルジアスに対して、壇上の下に居たゼーレマンが呼び掛ける。

 そしてゼーレマンは首を横に振る様子を見せながら、セルジアスは苦々しい面持ちを浮かべた。


「ゼーレマン卿。……まさか、貴方も?」


「いいえ。私も今は、会場ここに留まるべきだと考えます」


「!」


「しかし、従わぬ者を必死に止める事はないでしょう。――……それに外が本当に安全かどうかは、彼等が身を持って知ればいい」


「それは、しかし……」


「上に立つ者とは、従う者は重用ちょうようすべきです。しかし従わぬ者に対しては、そのように扱う事も然るべきでしょう」


「……ッ」


「私もまた、帝国宰相としてそうした決断を行ってきた身。しかし帝国として守るべきモノが何かは、御若い貴方以上に理解しておるつもりです。……この状況で自分の身ばかり優先し、帝国貴族として守るべきモノを理解しない者達など、御見捨てなさい」


 その場から背を向けて逃げる帝国貴族達を睨むゼーレマンは、そうした事を語る。

 それを聞いたセルジアスは驚きを見せながらも、ゼーレマンと同様にその場に留まる事を選んだ五十名程の老若男女の帝国貴族達と従者達を見た。

 彼等の中にはガゼル子爵夫妻も含まれ、その傍には息子と娘と思しき青年達の姿もある。


 そして留まる全員が壇上を見ながら、そこに立つ者達に覚悟を秘めた視線を向けている事にセルジアスも気付く。

 彼等が向けるのはガルミッシュ皇族に対する義務的な忠誠ではなく、自身の誇りとすべき存在を守ると誓う意思を感じさせる瞳だった。

 

 ゼーレマンはその意思を代表するように、セルジアスを含むガルミッシュ皇族達に一礼を向ける


「我々は帝国に仕えし貴族もの。それと同時に、ガルミッシュ皇族を守護する立場を与えられた者です。……有事の際には貴方達を守る盾となり、敵を屠る矛となる。それが帝国貴族としての、我々の在り方です」


「……!!」


「守るべきガルミッシュ皇族、そして『火』の意思を継ぐルクソード皇族である貴方達を失えば、我々は我々が存在する為の意義も、そして意味も失う。……その時が来ぬように、我々は御傍に仕えさせて頂きます」


 ゼーレマンがそう述べながら深々とした礼を向けた後、留まり残る者達も礼を見せながら同じ意思を持つ様子を見せる。

 それを見たセルジアスを始め、皇帝ゴルディオスや皇后クレア、そして皇子ユグナリスも感情の奥から込み上げる何かが奥から込み上げていた。


 そして皇帝ゴルディオスは込み上げる何かを抑え込み、前に出ながら留まる者達に伝える。


「――……貴殿等の意思、確かに受け取った。……セルジアスの判断に従い、我々は外の安全が確認できるまでこの会場に留まる。いな?」


「ハッ!!」


「セルジアス。君が適切だと思う時に、避難の指示を出してくれ。余も、そして彼等も、その判断に従おう」


「……ありがとうございます。皆さん」


 皇帝ゴルディオスの言葉により、この場に留まる者達はセルジアスの判断に従う事が決める。

 それに対して留まる者達の中には反対する者や去る者は無く、その場に残る真の忠臣に対してセルジアスは感謝の言葉を呟いた。


 壇上側でそうした状況が行われている中、大扉から帝城の外へ逃げる者達は同行している騎士達に導かれる。

 そして騎士達が大扉を開いた後、前に居る招待客や帝国貴族達は我先にと外へ続く渡り廊下に入った。


 しかし会場内の大扉付近で佇んでいた狼獣族エアハルトは、鼻息を漏らしながら呆れるような口調で呟く。


「……ふんっ、馬鹿共め」


 エアハルトは逃げ出す者達を止めようとはせず、次々と大扉の中に入る人間達を見送る。

 それから数分ほど掛けて約四百名程の人員が出て行くと大扉が閉められ、広い会場内には約六十名の人々が残るだけになった。


 逃げた者達の騒めきが無くなり、静寂に包まれる会場内は不思議な緊張感を漂わせている。

 そしてエアハルトの鼻が微かに動き、何かを感じ取りながら大扉の向こう側へ視線を向けた。


「……また、血の匂い。……それが、一瞬で消えた」


 エアハルトの嗅覚に届いた血の匂いは、再び会場の外で異常が起こった事を伝える。

 そして大扉を見ながら姿勢を整えたエアハルトは、体内の魔力を滾らせて大扉を鋭く睨んだ。


「……この匂いは、あの時の……」


 エアハルトは扉越しに届く匂いを感じ取り、そうした呟きを見せる。

 それから十数秒が経った後、閉められたはずの大扉が開き始めた。


「……!」


「あの男は、確か……」


「……騎士団長」


 大扉が開けられた後、闇に閉ざされた渡り廊下から一人の人物が姿を見せる。

 そしてエアハルトと向かい合う形で立つ人物を確認したパールやセルジアスは、それが見覚えのある帝国騎士団長である事を察した。


 その騎士団長は広い会場内で、通しの良い響き渡る声を発する。


「――……賢明なる者達。そして真に、忠誠厚き者達よ」


「!」


「私も騎士として、貴殿等に心からの敬意を表する。――……そして貴殿等の在り方こそ、我が主君あるじの敵として認めよう」


 騎士団長はそう述べ、自身の顔を右手で覆う。

 すると騎士団長の顔部分から黒い霧が発生し、その場に残る全員が驚きの表情を見せた。


 そして黒い煙が消えた後、騎士団長は顔を覆っていた右手を離して下ろす。

 しかし騎士団長の顔が見えるほとんどの者達は驚愕を浮かべ、それぞれが身構えながら驚きの言葉を口にした。


「……なんだ?」


「顔が、変わった……?」


「あれは、偽装魔法だろう」


「なら、アレは騎士団長ではないのか……」


 騎士団長の顔が変化した事を確認した者達は、今までの顔が偽装魔法だった事を認識する。

 しかし別の驚きを見せたのは、壇上に立っていた皇后クレアだった。


「……まさか、彼は……」


「クレア?」


「彼は、確かに……。……でも、そんな……」


「どうしたのだ?」


 驚きを見せながら前に歩み出るクレアの様子に、ゴルディオスは不可思議に尋ねる。

 それに対する答えとして、クレアは思わぬ言葉を口にした。


「……私は、彼を知っています」


「!」


「彼は、ナルヴァニア御姉様に仕えていたルクソード皇国の騎士。――……ザルツヘルムです」


「!?」


 クレアの言葉を聞いたゴルディオスとセルジアスは驚愕を浮かべながら、改めて大扉を背にする人物を凝視する。


 彼はアリアやエリク達が旅の途中、ルクソード皇国で起きた事件に最も深く関わっていた皇国の騎士。

 幼い頃にはナルヴァニア=フォン=ルクソードの従者として仕え、二年前まではルクソード皇国の第四兵士師団を任されながら合成魔獣キマイラ合成魔人キメラの実験を主導していた師団長の立場に居た。

 

 しかし事件が収束後、マギルスによって彼の死はその場に居た研究者達に証言されており、その遺体も崩壊した基地施設の解体が終わらず今も発見されてはいない。

 その騎士ザルツヘルムが健在な姿を晒し、ガルミッシュ皇族と帝国貴族達に対して敵である事を告げたのだった。

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