子供の喧嘩


 先帝時代に元帝国宰相を務めていたゼーレマン卿により、正妃の立場を得て帝国皇子ユグナリスの傍に付けようとしたリエスティアは側妃として隔離される案が講じられる。

 その言葉巧みなゼーレマンを押しきれず、また他の帝国貴族達も側妃に関する案に多くの賛成を見せる中、リエスティア自身も側妃の立場を受け入れる姿勢を見せてしまった。


 この状況に対してユグナリスは、現帝国宰相ローゼン公セルジアスの策を与えられ、愚かな皇子を演じる事を自ら望む。

 その手段として変装した姿で会場内に居たアルトリアを巻き込み、その名を呼びながら自分の下へ呼び付けた。


 その挑発的な呼び掛けに応じるように、アルトリアは席から立ち上がり壇上まで続く赤絨毯の道へ歩き始める。

 それに追従するように女勇士パールも後ろを付いて行き、事の成り行きを見守る様子を見せた。


 この状況に動揺を浮かべているのは、この策を用いる決断をしたセルジアスとユグナリス、そしてアルトリア以外の人物達。


 皇帝ゴルディオスや皇后クレアは突如としてアルトリアを呼び始めるユグナリスの行動に困惑の色を深め、それを制止すべきか否かの判断が出来ずにいる。

 またゼーレマンを除く帝国貴族達もユグナリスの行動には驚いていたが、アルトリアが会場内に居る事に興味を強めて周囲を見回しながら探していた。


 しかし周囲ではなく壇上を見上げるゼーレマンは、ユグナリスの背後で静観しているセルジアスに視線を向ける。

 それに対してセルジアスも視線を合わせ、口元を微笑ませながらこの状況を見計らっていた。


 そんな周囲の状況の中、瞼を閉じたままのリエスティアはユグナリスの行動に驚きを浮かべる。

 そこで何かを察するように気付きの声を漏らし、ユグナリスの方を見ながら呟いた。


「……まさか、ユグナリス様は……」


 ユグナリスがこのような行動に出た理由を察したリエスティアは、寝息を漏らすシエスティナを胸側に抱き寄せる。

 そして思い悩む様子を見せながらも、何かを覚悟するように左側に居る皇后クレアを呼んだ。


「クレア様、よろしいですか?」


「!」


「御願いがあります。どうか、クレア様の御手を御貸しください」


「……貴方も、何をするのです?」


 歩み寄るクレアは、リエスティアを見ながらそう尋ねる。

 そこでリエスティアは両腕に抱えるシエスティナを、クレアに差し出すように頼んだ。


「シエスティナを、しばらく御願いします」


「えっ。……えぇ、分かったわ」


 シエスティナを預けるリエスティアの表情は、今まで見せた諦めの決意とは異なる強張りの表情を見せる。

 その表情を見たクレアは、眠るシエスティナを優しく抱えながら受け取った。


 こうした間にも、ユグナリスは壇上でアルトリアを呼ぶ声を緩めない。

 会場内に居る招待客達も大声で叫び続けるユグナリスに注目を集め、何が起こっているか分からないまま困惑している様子を見せていた。


 その一角に紛れ込んでいる妖狐族クビアと狼獣族エアハルトも、壇上の方を眺めている。

 発泡酒シャンパンを飲みながら壇上を見るクビアは、怪訝そうな様子で呟いた。


「――……何やってるのかしらぁ、あれぇ?」


「……さぁな。あの男が考えている事は、よく分からん」


「あらぁ。ここ最近はぁ、あの子と一緒に訓練してたのよねぇ?」


「それだけだ」


「ふぅん。……エアハルトぉ、貴方はどうするぅ?」


「何の話だ」


「あの御嬢様に付くって話よぉ」


「……そういうお前は、どうする気だ?」


「うーん、そうねぇ。……本当に一領地をくれるって言うならぁ、乗ろうかしらぁ。子供達が安定して暮らせる場所も欲しいものねぇ」


「……なら、お前はそうすればいい」


「貴方は乗らないのぉ?」


「俺は、強さ以外は何も要らない」


「相変わらずねぇ。――……あらぁ、出て来ちゃったわぁ。作戦はぁ、どうするのかしらぁ?」


「……ふんっ」


 他の招待客に紛れているクビアとエアハルトは、そう話しながらある方向に視線を集める。

 そこはガルミッシュ皇族達が皇座へ赴く為に歩いた赤く長い絨毯であり、敢えて他の参列者や貴族達も足を踏み入れなかったその上に、足を乗せて歩き進む二人の女性が現れたのだ。


 それに驚く周囲の人々だったが、それを止める間も無く別に驚きを浮かべる。


 絨毯の上を歩く先頭の女性は、茶色の髪が徐々に金色の髪へと染められ顔の造形も変化し始める。

 そして変化が完全に終わると、そこには金髪碧眼の美麗な顔立ちをした女性が姿を見せた。


 そして壇上前に並び立つ帝国貴族の一部が、その女性の姿を確認する。

 するとその貴族の声で、女性の正体が明らかにされた。


「――……ア、アルトリア=ユースシス=フォン=ローゼン嬢……!」


「!?」


「アルトリア姫……!!」


「ほ、本物かっ!?」


「いったい、今まで何処に……!?」


「……う、後ろの逞しい女性は……誰だ?」


「護衛か……?」


「パ、パール殿……!?」


 帝国貴族達は見覚えのあるアルトリアの顔を確認すると、それぞれが半信半疑の面持ちを見せながら絨毯の上を歩く姿を見送る。

 そしてアルトリアの後ろを追従するパールにも注目が集まると、その姿を見知っているガゼル子爵が青褪めた表情を浮かべながら焦りの声を漏らしていた。


 そうしたガゼル子爵の心配を他所に、二人は壇上の前に辿り着く。

 そして躊躇せずに昇る階段へ足を踏み込ませたアルトリアは皇座が用意されている壇上に立ち、自分を呼び続けたユグナリスと距離を保ちながら向かい合った。


「――……うるさいのよ。この馬鹿」


「……今度は逃げなかったな。アルトリア」


 ユグナリスは偽装を解いて壇上へ上がったアルトリアに、苦々しい微笑みを浮かべる。

 それに対して憤りを隠さない表情でアルトリアは睨み、堂々とした様子で腕を組みながら苛立ちの声を向けた。


「で、私に何の用よ? 馬鹿皇子」


「……とぼけるなよ。性悪女」


「は?」


「どうせこれも、お前の仕業なんだろ?」


「私の仕業? 何がよ」


 声を大にして苛立ちの声を向け合うユグナリスとアルトリアに対して、皇帝ゴルディオスや周囲は帝国貴族達は困惑を浮かべる。

 そんな貴族達を引き剥がさんばかりの勢いを見せながら、突如として二人は言い争いを始めた。


「誤魔化すつもりか? ……俺の事が気に入らないからって、こんなやり方で妨害するなんて、汚いぞッ!!」


「はぁ? 何のことかサッパリね」


「どうしても認めないつもりだな!」


「認めないって、何がかしら?」


「俺がリエスティアに本気だって事を知りながら、正妃にしない為の手回しを帝国貴族かれらにしてたんだろッ!!」


「!?」


 ユグナリスはアルトリアを睨みながら、右手で壇上の下に並ぶ帝国貴族達に人差し指を向けて怒鳴る。

 それを聞いた帝国貴族達は更に困惑を強め、勝手に進められていく二人の口論に巻き込まれ始めた。


 そこで何かを察したアルトリアは僅かに口元を微笑ませた後、再び苛立ちの籠った表情と声色でユグナリスと相対する。


「さて、何の話かしら?」


とぼけるなっ!! お前がまた帝国貴族達かれらに余計な事を吹き込んで、リエスティアを正妃にしないよう反対させてるんだろ! 分かってるんだぞっ!!」


「はぁ? 馬鹿が何を言ってるんだか、さっぱり分からないわ」


「三年前も、同じやり方で俺を嵌めたくせにっ!! 今回もそれかっ!!」


「アンタが私に、あんなことをしようとしてたからでしょっ!!」


「あんなことだぞ!? あんなことで、俺は多くの人前で恥を掻いたんだっ!! アレだけは、絶対に許さないからなっ!!」


「アンタの存在そのものが恥の塊だったくせに、何を言ってるのよっ!!」


「恥の塊って……!? そこまで言うかよっ!!」


「そこまで言われるくらい、アンタがみにくかったのよ!!」


 壇上で激しい口論を始める二人に、周囲は困惑を強めながらざわめきを起こす。

 そして壇上の傍に立つ皇帝ゴルディオス自身が、激しい口論を行う二人を止めようと声を出した。


「ふ、二人共! めなさいっ!!」


めないでください、父上っ!!」


「!?」


 二人の喧嘩を止めようとしたゴルディオスだったが、初めて息子の怒り溢れる感情を滲ませた拒否の言葉を受ける。

 それを聞き衝撃ショックを受けたゴルディオスに対して、アルトリアも罵声染みた言葉を向けた。


「元凶は引っ込んでなさいっ!!」


「げ、元凶……!?」


「そもそも、アンタ達が考えも無しに私達を婚約なんかさせるから、こんな事になってるのよっ!! 今回もそれと同じ事になってるのに気付きもしないで、余計な事をするんじゃないわよっ!!」


「!?」


 ゴルディオスは今までに見た事のない程の剣幕で怒鳴るアルトリアの気迫を浴び、思わず足を引かせる。

 今まで人前では見せた事の無い怒りの感情を露にするユグナリスとアルトリアは、邪魔者を退けた後に再び睨み合いながら口論を続けた。


「三年前! お前は逃げて、俺が全部悪い事にしやがってっ!!」


「アンタが悪いのは事実でしょ! 豚が女の子相手にブヒブヒ言いながら迫ったくせに!」


「迫ってねぇよっ!! だいたい、あの時に声を掛けて来た女性ひとは、お前に取り入ろうとして俺を利用としてた奴だったんだぞっ!?」


「それを利用して迫ったんでしょ! まったく、いやらしい豚男ね。吐き気がするわ!」


「そんなこともしてねぇっ!! あの時のやつはお前と知り合いになりたくて、俺の事なんか見もせずにお前の事を質問ばっかりして来たんだよっ!! それで振り払ったら顔に当たって、向こうが転んだだけだっ!! お前はその女の言い分を鵜呑みにして、俺の話なんかまともに聞こうともしなかったくせにっ!!」


「はいはい、言い訳は結構! アンタが女に手を上げた事実は変わらないわ!」


「なんだよそれ、極端すぎだろ!」


「アンタが馬鹿な女に引っ掛かるのが悪いんでしょ! それを逆恨みして、アンタの学園卒業式にあんな事まで企てて! アレで愛想が完全に尽きたわ!」


「そう、それだ! お前が滅茶苦茶な捏造で俺を嵌めた、あの卒業式の事だけは何があっても許さないっ!!」


「はぁ? 何が捏造よ! 私の贈り物にゴキブリを入れた箱を渡そうとしたくせにっ!!」


「……え?」


 過去の出来事に関して二人はそう怒鳴り合う中で、帝国貴族達が呆気に取られる言葉をアルトリアが吐き出す。

 逆にリエスティアやシエスティナを除くガルミッシュ皇族の一同は、手で顔を覆いながら大きな溜息を漏らした。


 ユグナリスは怒りの表情を強めながら、右手の人差し指を向けてアルトリアに嵌められた出来事を明かす。


「そう! 俺はお前に、ゴキブリ入りの箱を開けさせて驚いて腰を抜かした顔が見たかっただけなのにっ!! 俺が学園生徒を虐めてた冤罪をお前に擦り付けようとしてたとか、なんでやってもいない事で失望されなきゃいけないんだっ!!」


「はんっ! アレはアンタに対する罰よ! 罰! それ以外に何があるってのっ!?」


「やっぱり捏造じゃねぇかっ!! 俺を嵌めやがってっ!!」


「先に嵌めようとしたアンタが言うんじゃないわよっ!!」


 二人の口論の根幹に何があるのか、周囲に居る者達はようやく理解し始める。


 それは、まさに子供の喧嘩。

 とても帝国貴族を束ねるガルミッシュ皇族として教育を受けたとは思えぬ程に、幼稚な理由で三年前に二人は決別し、ユグナリスは謹慎処分となり、アルトリアは帝国を出て大捜索されるという大騒動を引き起こした。


 そんなくだらない理由で決別した二人が、今でも互いに嫌悪した様子で喧嘩をする姿を見る帝国貴族達は、何処か冷めた表情と冷ややかな視線を壇上に向けるようになる。

 そうした状況変化を確認するセルジアスは、口元を微笑ませながら少し前にセルジアスに提案した策の言葉を思い出していた。


『――……ユグナリス。今ここで、三年前の真実をアルトリアと一緒に話すんだ』

 

『し、真実をですか?』


『君とアルトリアが決別した理由。アレについてだよ』


『……でも、アレは秘密にしろと父上達が……』


『それはそうだ。皇族である君達が、そんなくだらない理由で婚約破棄をしたなんて情報が広まったら、笑い話にもならないからね』


『……それを今、アルトリアと一緒に明かす理由が?』


『今ここに集まっている帝国貴族達かれらは、何故リエスティア姫を君の正妃にしたくないか。その大きな理由は、分かるかい?』


『……それは、リエスティアが共和王国の姫だからですよね?』


『違うよ。彼等の大半はゼーレマン卿と違い、成長して改心した君の正妃にリエスティア姫を着かせるのは阻止したいと考えているんだ』


『えっ』


『リエスティア姫を側妃に出来れば、皇子きみの正妃の座が空く。そこに自分達の身内じょせいを入り込める隙に出来る機会を見逃せない。だからリエスティア姫を側妃にする事に、賛成しているんだよ』


『……じゃあ、俺がまた馬鹿な事をすれば……?』


『そう、君が愚かな皇子ままだと知れば、彼等は思うはずだ。皇子きみの正妃に付けても、それを御しきれずに苦労を強いられる事になるだろうとね。……なら、次に誰を頼ると思う?』


『……ローゼン公か、アルトリアですか?』


『そうだね。だがアルトリアもこの場に参じて、三年前の出来事に関するくだらない口論を君と始めたら。彼等はどう思うかな?』


『……アルトリアも、次の皇位継承者には相応しくないと考える……?』


『そうだよ。……これは、帝国貴族達の思惑を二重の意味で崩す安易な策だ。だがこの状況、この場だからこそ、彼等は君達への落胆も強くなるかもしれない』


『……でも、そうなったらローゼン公に期待が集まるんじゃ……』


『私に集まる分には、別に問題は無いよ。例え愚かな皇帝おうになっても、支える人間わたしがしっかりしていれば良いと、帝国貴族達かれらに思わせればいいだけさ』


『!』


『君には帝国貴族達かれらも呆れるような、愚かで馬鹿な皇子をこの場で演じてもらいたい。……出来るかい?』


『……分かりました。やってみます』


 少し前にセルジアスとユグナリスはそうした話を行い、この茶番を決行する事を決める。

 その策を即興ながらも考えたセルジアスは、壇上の下に居るゼーレマンに微笑みを見せた。


 帝国貴族達が賛同していた側妃案の原動力は、正妃の座を得る為の共通した狙い。

 しかし愚かな皇子の正妃と身内という役割を担うことを嫌悪し始める帝国貴族達は、冷めた空気を醸し出しながら先程のような強い反発を向ける気力が薄れていた。


 それを感じ取るゼーレマンは、小さな溜息を漏らしながら壇上で行われる口論を見る。

 そして二人の激怒した様子を見ながら、口元を微笑ませて呟いた。


「……仲が悪いのか、本当は良いのか。これでは分かりませんな……」


 そんな言葉を零すゼーレマンや周囲の者達は、冷めた空気の中で収拾が着かないこの状況をどうしたモノかと考える。

 皇帝の威厳すら一蹴される二人の喧嘩を止められる者は、この場には居ないのではないかとさえ全員が考え始め、思わず後退りしながら会場を出ようかと考える者も居る様子を見せた。


 そんな時、一つの声が二人の口論に割って入る。

 その声に思わず、ユグナリスとアルトリアも怒鳴り声を止めて驚きの視線を向ける事になった。


「――……二人とも、もう止めてくださいっ!!」


「!?」


「……えっ、リエスティア……!?」


「ちょっと、アンタ……!!」


 めに入るリエスティアの声を聞き、流石の二人も視線だけは向けようとする。

 しかしそこに居るリエスティアは車椅子に座った状態ではなく、半年前まで動かなかった両足で立ち上がった姿を見せていた。


 こうして愚かなガルミッシュ皇子達の喧嘩で、王妃に関する反対の空気が帝国貴族の間で冷めていく。

 そこで仲裁に入るリエスティアの立ち姿は、その場に居るほとんどの者達を驚愕させる事に成功していた。

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