知識の蓄積
老騎士ログウェルの訓練に参加する事になった狼獣族エアハルトは、帝国皇子ユグナリスと模擬戦という形で再び戦う。
しかしエアハルトの打撃を全て『軽い』と評するユグナリスに、まったく有効打を与えられずに敗北する形で決着した。
そうした朝を迎える者達がいる一方で、のんびりとした朝を迎える者もいる。
屋敷内に部屋を与えられた妖狐族クビアは
「――……んぅ……」
朝の日差しを感じ取りながらも、クビアは起きるのを拒否するように体を横に向けて顔に浴びていた日差しを避ける。
そうして惰眠を貪ろうとするクビアの意思を無視するように、無慈悲にも部屋の扉が大きな音を立てながら開かれた。
「――……起きなさいっ!!」
「!!」
部屋の扉を開けたのはアルトリアであり、寝台で寝ているクビアに対して大声で怒鳴る。
その声に驚き目を開けて身を起こしたクビアは、上体を緩やかに起こしながら眠そうな表情で扉側を見た。
「……もぉー、なぁにぃ? こんな朝早くにぃ」
「朝だから起こしてるのよ。っていうか、なんで裸なのよ?」
「だってぇ、私は
「もう寝てないんだから、さっさと起きて服を着なさい。着替えも用意してるんだから」
「えぇー」
「アンタ、昨日話したことを忘れてないわよね?」
「……んー、なんだっけぇ?」
「言ったでしょ。朝から、アンタの『
「えぇー、今日からなのぉ?」
「今日からよ。私の
「もぉ、せっかちさんねぇ……」
寝惚けた表情のまま
それにさほどの興味も抱かないアルトリアは、持ってきたクビアの着替え用の服を部屋に備わる机に運び起き、着替えるまで腕を組みながら待っていた。
そして
「ねぇ、御風呂はぁ?」
「……アンタ、自分が奴隷だって忘れてない? 第一、昨日の夜に入ったじゃない」
「えぇー、朝の御風呂は駄目なのぉ?
「風呂は後で入っていいわよ。今は、それに着替えなさい」
「はーい」
奴隷の身に落ちながらも
そうして机に置かれた服を着始めたクビアは、着た後に身に付けた服の感想を伝えた。
「……なんか
「訓練用の服なんだから当然でしょ。その服なら、幾ら汚れても問題は無いわよ」
「私の着物はぁ?」
「こっちで保管してるわよ。返すのは、アンタが奴隷から解放された後」
「えぇー。私ぃ、洋服よりも着物がいいのにぃ。アレってアズマの国では上物なのよぉ?」
「うるさいわねぇ。とにかく、さっさと来なさい」
「もぉ、分かったわよぉ。せっかちな御主人様ねぇ」
自分の調子を守ろうとするクビアに対して、呆れた様子を強めながらアルトリアは部屋の扉へ向かう。
それに付いて行くクビアはまだ眠そうな表情を残しながら、緩やかな足取りでアルトリアを追うように歩いた。
そうして二人は部屋から出て行き、とある場所へ向かいながら廊下を歩く。
眠気を残すクビアは朝の光で照らされる窓の景色を眺めながら歩いていると、何かを思い出すようにアルトリアへ話し掛けた。
「……そう言えばぁ、訓練って言ってもねぇ。
「それなら、アンタが持ってた
「でもぉ、紙は用意できても
「特殊って、どんな事をしてるわけ?」
「私の血を混ぜてるのぉ」
「!」
「
「……なるほど。方法としては、血で描いた魔法陣みたいなものね」
「それは知ってるけどぉ、決定的に違うのは私の魔力が
「そうね」
「後付けで魔力を流し込む血の魔法陣と違ってぇ、私の血を使った魔符術はぁ、元々から私の魔力が宿ってる血を使って紙札に紋様を書くのぉ。だから血の魔法陣みたいに後から魔力を取り込ませる必要が無いしぃ、人間の魔法みたいに詠唱も何も要らないのよぉ」
「つまり、無詠唱で魔法を行使できるってことね」
「そうそう」
「一応、魔石を付けた触媒があれば人間でも無詠唱での魔法は出来るわよ?」
「でもぉ、それも体内に魔力を循環させる必要があるのよねぇ? 魔符術は神札に触れてさえいれば発動できるからぁ、紙札さえ用意してれば呼吸が出来ない場所や魔力が無い場所でも使えるのよぉ」
「なるほど。紙札に防水加工も施しておけば、水中でも使えるってわけね」
「そうなのよぉ」
「でも、魔符術を使うにあたって欠点もあるわけね。例えば、触媒である紙札を破壊されるとか。そして魔符術を使う際には、一度は術者が紙札に触れないと魔符術を使えないとか」
「!」
「アンタが魔符術を使う姿は、二度だけ確認したわ。どれも一度は手に取り、そして魔符術を行使していた。更にログウェルが紙札を切り刻んだら、魔符術は使えなかった。そうでしょ?」
アルトリアは『魔符術』に関する欠点を、自身の推測として語る。
それを聞いたクビアは眠気を宿す顔を驚きの表情に染め、僅かに微笑みながら肯定した。
「……よく見てるのねぇ。その通りよぉ」
「そして一度でも触れる事が出来れば、紙札が離れても魔符術を行使できる。手だけじゃなくて、身体の何処に付けても使えるのね?」
「そうねぇ」
「でも、魔符術で行使する魔術にも限度がある。紙札に込められた魔力以上の魔法は行使できないし、それ以上の魔力効果を持つ魔術を使えない。だから転移魔法という膨大な魔力を使用する場合、魔符術を施している紙札が百枚近く必要になる。そういう事でしょ?」
「……貴方って凄いわねぇ。魔符術の原理に、すぐ辿り着くなんてぇ」
「別に。魔符術も、原理的に言えば魔法とそんなに変わらないだけよ」
「でもぉ、それなら人間が魔符術を使えない理由も分かるんじゃなぁい?」
「まぁね。――……人間が魔法を使う場合、体内を循環する魔力を魔法という現象に置き換える際、魔法陣の刻まれた触媒に触れていなければいけない」
「でも魔符術はぁ、一度でも術者の手に触れて魔力を通せばぁ、何処に離れてても使えるのよぉ」
「つまり、設置できる小型の遠隔魔法陣みたいなモノね。確かにそういう意味では、魔符術を十全に活かせるのは
「そうねぇ。例え人間が魔符術を使えるようになったとしてもぉ、紙札に触れながら行使する事になるからぁ、魔符術の良さを活かせないわぁ。それならぁ、魔法を使ってた方がまだマシねぇ」
「でしょうね」
「だから私は言ったのよぉ? 人間の貴方には無理だしぃ、時間の無駄だってぇ。それでも、魔符術を覚える気なのぉ?」
クビアはそう述べ、魔符術の使用に関して人間が行使できない条件を教える。
触媒となる紙札を離しても魔符術を行使できる妖狐族に対して、人間は体内に循環させた魔力を紙札に通し触れながら魔符術を行使する必要があった。
それは通常の魔法とほとんど差異は無く、また大きな魔力を秘められる魔石を使った触媒と違い、紙札に込められる魔力は極少量に等しい。
紙札を離せず使える魔符術の効力も弱々しいとなれば、人間が魔符術を行使する意味が無い。
ならば魔法を学んで使用する方が、人間にとって最も効率が良い手段となる。
それを最初から察して伝えているクビアに対して、アルトリアは歩きながら微笑む顔を浮かばせて立ち止まった。
同時に足を止めたクビアは、不思議そうに首を傾げながら尋ねる。
「どうしたのぉ?」
「例えば。離れている物体に魔力を注ぎ込めれば、人間でも魔符術を使えると思わない? しかも、
「……それはぁ、確かに出来ると思うけどぉ」
「見てなさい」
「?」
アルトリアは顔を左側に向け、左腕を動かしながら左手の人差し指をある物に向ける。
それは廊下に飾られている花瓶であり、クビアは不思議そうな表情を浮かべながら指された花瓶を見つめた。
そして次の瞬間、アルトリアは手の平部分を上に向け、人差し指を軽く上へ動かす。
すると不可解な事に、机に置かれていた花瓶が震えた後に中空へと浮かび上がった。
「!!」
クビアは中空に浮かび出す花瓶を見て、再び驚きの表情を浮かべる。
そして驚く僅かな声を聞き取ったアルトリアは、そのまま人差し指を真っ直ぐに戻して宙に浮いた花瓶を机の上に戻した。
「……今のってぇ、もしかしてぇ……」
「魔力への干渉。それが私の
「!」
「あんな風に、物体に含まれる魔力を使って浮かせたり、大気中の魔力を操作して魔力を用いた効力を消失させる事も出来る。……勿論、操作してる大気中の魔力を物体にも込める事が出来るわ」
「……なるほどねぇ。確かにそれならぁ、貴方も魔符術は使えるだろうけどぉ」
「けど?」
「それこそぉ、魔符術を習う意味があるのぉ? 転移を覚えたいだけならぁ、素直に『青』の所にでも行けばいいのにぃ。貴方になら教えてくれるんじゃなぁい?」
再び歩き始めたアルトリアの後ろを付いて行くクビアは、そうした疑問を尋ねる。
それを聞いていたアルトリアは、然も当然のように話した。
「誰も使えない、もしくは知らない技術を覚えれば、それだけで色んな展開で有利になるでしょ?」
「それはそうだけどぉ」
「現状だと、私が卓越した魔法使いだってのは沢山の人間に広まり過ぎてる。だから接近戦を得意としない私を捕まえるのも容易いと考えて、刺客を送ってくる奴もいる。アンタ達みたいにね」
「……」
「だったら、誰も知らない
「魔符術だってぇ、そんなに万能じゃないわよぉ? 貴方が言った通りぃ、不利な点もあるんだしぃ」
「一つの技術が万能じゃなくても、幾つもの技術と組み合わせる事で大きな効果を得る事もある。技術という『知識』を学ぶ事と、技術を用いる為の『知恵』を働かせる事は、別で考えないとね」
「なるほどねぇ。……貴方が『青』に警戒されてる理由がぁ、少しだけ分かった気がするわぁ」
「ん?」
「『青』と前に会った時に言ってたのよぉ。貴方を放置しておくとぉ、とんでもない事をしでかしそうだってねぇ。……『知恵』を働かせすぎて、とんでもない物を作ったりしないでねぇ?」
「とんでもない物って?」
「例えばぁ、この世界を壊しちゃうモノとかよぉ」
「そんな物、作る予定は今のところ無いわね」
「今のところって部分がぁ、凄く怖いんだけどぉ?」
「作らせたくないなら、素直に魔符術を教えることね。……さぁ、着いたわよ」
そんな話を交えながら、二人は階段を降りて一階に降りる。
更に外が見える渡り廊下を歩いて屋敷の離れに移動し、そこに設けられた一つの家屋に辿り着いた。
その建物に備わる扉を開けると、アルトリアは臆する事も無く入室する。
続いてクビアも建物内に入ると、そこには山のように積まれた紙札が存在し、黒いインクが入れられた大量の小瓶や箱に敷き詰められた小魔石が見えた。
そうして広い空間を確保された室内を見渡すクビアに、アルトリアは腕を組みながら言い渡す。
「朝食までには基礎くらいは終わらせるわよ。魔符術に関して教えられる事は、一から全て教えなさい」
「はぁーい」
アルトリアの命令にクビアは素直に応じ、それから朝食時まで二人はその建物内に籠り続ける。
中庭で訓練に参加するエアハルトと同様に、異なる朝を迎えるようになったクビアは魔符術に関する習得と研究をアルトリアと共に行うこととなった。
こうして奴隷に堕ちたエアハルトとクビアの二人は、ローゼン公爵家の監視下に置かれながら帝都の別邸に身を置くことになる。
そして新たな力を身に付けようとする若者達の傍で、様々な刺激を受けることとなった。
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