模擬戦


 アルトリアの誘拐に失敗し捕まった狼獣族エアハルトと妖狐族クビアは、奴隷としてその身柄を押さえられる。

 しかし二人の主人マスターとなったアルトリアは、誰もが思う以上に好待遇を二人に与えていた。


 そうして初日を迎えた二人は、次の日から連れて来られた屋敷内での生活を始める。


 老騎士ログウェルの訓練を受ける事になったエアハルトは、まだ夜も更けぬ早朝に屋敷の敷地に設けられた地肌の見える庭に姿を見せる。

 しかしその庭には、先客として帝国皇子ユグナリスが先に訪れていた。


「――……あっ、おはようございます」


「……」


 庭の中央部分に立つユグナリスは、訪れたエアハルトに挨拶を行う。

 それに対してエアハルトは挨拶を向けず、興味も無さそうに顔を背けながら少し離れた位置で腕を組みながら立っていた。


 言葉を交える事を拒否するようなエアハルトの態度を見て、ユグナリスは苦笑いを浮かべる。

 そして先に訪れてしていた行為を、継続するように続けた。


 ユグナリスが先に訪れて行っていたのは、彼にとって日課で行っている準備運動と言ってもいい。


 軽い柔軟体操ストレッチから始まり、腕の関節を深く沈めながら顔と胸を地面に近付けた深い腕立て伏せを開始する。

 そうした中でユグナリスは自ら身体を支える腕を交互に替えながら片手で腕立て伏せを行い、指の数を減らしながら負荷を強める事もしていた。


 凡そ千百回以上も続く腕立て伏せを終えた後、更に下半身の膝関節を正しく九十度にさせた屈伸運動スクワットも同じ回数だけ行い始める。

 更にそれが終わった後、地面に尻部分を着けながら先程と同じ回数だけ腹筋まで開始した。


 ユグナリスの準備運動トレーニングは常人であれば途中で音を上げてしまいそうな時間と回数で行われているが、本人は僅かな汗を浮かべるだけで真剣な表情でこなし続けている。

 それを途中から見ていたエアハルトは、僅かに鼻を動かし屋敷側から出て来た人物に視線を向けた。


「――……ほっほっほっ。おはようさん、二人とも」


「……ッ」


 そこに現れたのは、いつもの笑みを浮かべながら悠然とした様子で歩いて来る老騎士ログウェル。

 二人よりも遅く現れたログウェルは、立ったまま自身を見据えるエアハルトと、準備運動トレーニングを続けていたユグナリスを対比するように見比べた。


 そしてログウェルは、エアハルトに対して疑問を伝える。


「お前さん、エアハルトじゃったかな。お前さんは、自主訓練トレーニングはせんのかね?」


「……やる必要などない」


「ほほぉ。それは何故かね?」


魔人おれが人間のやる鍛錬で、強くなれるわけがない」


「なるほど。まぁ、それはお前さんの勝手じゃがな。……しかし、次の朝からはユグナリスと同じ自主訓練トレーニングをやってもらおうかのぉ」


「……なんだと?」


「強い身体と精神を作るには、自主的な訓練が大事じゃよ。人に言われるがまま強いられる鍛錬など、自分の身に付きはせん」


「!」


「それに、今のお前さんではのぉ。正直に言って、今のユグナリスに行っておる訓練にも付いて行けるとは思えんよ」


「なんだと……? たかだが人間の訓練に……俺を舐めているのか?」


「そうじゃよ?」


「!!」


「少なくとも、ユグナリスは自分の未熟を認め、そして向上させる為の意思を強く持っておる。精神が向上心を持てば、肉体の向上にも強く働きかけるからのぉ。日々の鍛錬で、着実に強さを身に付けておるわい」


「……強くなりたいと思うだけで、誰もが強くなれるわけがない」


「しかし強くなりたいと望まねば、強くなる事も叶わぬ。そうではないかね?」


「フンッ。……真の強者は、そんな願望ものすら抱かずに強くなる」


「なるほど。確かに、そういう存在も居ないわけではなかろうがな。……じゃが、少なくとも。お前さんはそうした存在ではないのは、確かではないかね?」


「……グルル……ッ!!」


 自主訓練トレーニングを続けているユグナリスを見ながら、ログウェルとエアハルトはそうした会話を交える。

 しかし強さを身に付けるという点に置いて相反する思想を持つ二人は、意見の相違を見せながら対立しそうな様相さえ見せていた。


 そうした会話で煽られるエアハルトがログウェルに敵意を見せ始めた頃、自主訓練を終えたユグナリスが身を起こす。

 そして僅かに浮かんだ額の汗を腕の袖で拭った後、ユグナリスは二人が居る方向へ歩み寄りながら声を掛けた。


「――……おはよう、ログウェル。……何か、あったのか?」


「ほっほっほっ。なに、少しばかり世間話をしていただけじゃよ」


「そっか。……今日から、エアハルト殿も訓練に参加するんですよね?」


「……」


「えっと……」


 ユグナリスに話し掛けられたエアハルトだったが、敢えて無視しながら無言を貫く。

 そうした様子に困惑するユグナリスだったが、助け舟を出すようにログウェルが訓練についての情報を伝えた。


「今日から、お前さん達は一緒に訓練をしてもらう」


「一緒にってことは、同じ訓練を?」


「そうじゃよ。しかし、訓練に付いて来れなければ置いて行く事もあるかもしれん。その場合は、別の訓練と自主訓練を大幅に追加じゃな」


「えぇ……」


「……ふんっ」


 訓練について話すログウェルの言葉に、ユグナリスは嫌そうな表情を浮かべる。

 真逆にエアハルトは嘲うような鼻息を漏らし、ログウェルの課す訓練に対する認識を軽視していた。


 そうして互いに違う反応を見せる二人を見ながら、ログウェルは今後の訓練に関する自身の考えを伝える。


「今のところ、ユグナリスの訓練ほうは順調じゃよ。儂が心配しているのは、もう一人の方じゃな」


「……俺がお前の訓練について行けずに、この小僧ユグナリスに置いて行かれるとでも?」


「そうじゃよ?」


「……俺を舐めるな。老いぼれ」


「まぁ、語るよりも実際に体験した方が早いじゃろ。――……ユグナリス。お前さん、この男エアハルトと立ち合ってみなさい」


「!!」


「えっ!?」


「ただし、素手でな。ユグナリス、お前さんも素手だぞ?」


「お、俺もっ!?」


「お前さん、剣術はそこそこマシになったが、動きの運び方がまだまだじゃからのぉ。ついでに見ておるから、やってみなさい」


「……いや、でも。彼は奴隷になって、他人に危害を加えられなくなってるんじゃ……?」


 ログウェルはそう述べ、訓練を施すはずの二人に素手での対峙を申し付ける。

 それを聞いたユグナリスは困惑を浮かべながら問い掛けたが、エアハルトは苛立ちを含んだ視線を両者に向けて低い声を放った。


「……いいだろう。その小僧と戦ってやる」


「!」


「ほっほっほっ。アルトリア様からは、『訓練の範囲でなら他者への危害も許可する』という承諾は得とるから、奴隷契約の違反にはならんよ。安心せい」


「そ、そうなのか。じゃあ、平気なのかな……?」


 前もってそうした承諾を得ていた事を知り、ユグナリスは僅かに安堵を持つ。

 そうした様子のユグナリスよりも、ログウェルに対する敵対心を剥き出しにしているエアハルトはそちらに怒りを含む声を向けた。


「おい、老いぼれ」


「ふむ?」


「俺がこの小僧を叩き伏せた後、先程の言葉は撤回してもらうぞ」


「ほっほっほっ。まぁ、ええよ? その時は、素直に謝罪するとしようか」


 そうした話を交えたエアハルトは、僅かに憤りを見せながら中央に寄った場所に歩み始める。

 それに応じたログウェルに背中を押される形で、ユグナリスもエアハルトを追うように庭の中央へ向かった。


 エアハルトは格闘技術に関して秀でてはいるが、右手首には混合魔鋼ミスリルで施された魔封じの枷が嵌められたままで、魔力を用いた身体強化や魔術の類を使用できない。

 そして対するユグナリスは、今まで基礎訓練を積み重ねながらも実戦や訓練では剣術しか行っておらず、格闘技術に関する鍛錬を行った事が無い。


 互いに有利と不利な条件を混同させた状態で、敷地の中央で向かい合う。

 そして朝日が僅かに昇り空が白くなり始めた頃、ログウェルの合図が行われた。


「――……それでは、はじめいっ!」


「ッ!!」


 ログウェルが告げる開始と共に、二人は独自の構えを見せながら駆け出す。

 そして先に殴打を繰り出したエアハルトの右拳が、防ぐユグナリスの両腕に衝突する形で試合が始まった。


 ユグナリスは望んだ形とは異なりながらも、再びエアハルトと対峙する。

 そして慣れない格闘戦で試合を行い、今までユグナリスが行って来た鍛錬の成果を証明させる場面となった。

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