赤薔薇の貴婦人


 黒獣傭兵団を庇い迫害を受けたシスター達が暮らすという南方へ赴く為に、ワーグナー達はクラウスの提案を受け入れる。

 そして各国で運び屋として活用されている豪商リックハルトの店へ赴き、面会予約アポイントの申請と共に赤薔薇が刻まれた商号の鉄板をクラウスは受付に提出した。

 それを見ていたワーグナーは、クラウスが持つ商号の証がどのような意味を持つか、その時には理解していない。


 その意味が証明されたのは、翌日のこと。


 食堂で朝食をしていたクラウスとワーグナーを含めた黒獣傭兵団の団員達に、宿の従業員が訪れる。

 そしてクラウスとワーグナーが座る席に近付くと、二人に向けてこう述べた。


「――……クラルス様に、御客様が訪れておりますが……」


「ほぉ。……朝早くからとは、小心しょうしんなものだな」


「お、おい……!」


 クラウスは従業員からその言葉を聞いただけで、誰が来たのかを予測しているように席を立つ。

 疑いも無く応じようとするクラウスを呼び止めようとしたワーグナーだったが、その張本人は意に介することなく食堂を出て行ってしまった。


 仕方なくワーグナーは溜息を吐きながら、追うように食堂を出る。

 団員達も慌てながら食事を口に詰め込み、二人を追って宿の正面出入り口へ向かった。


 一方で、クラウスは従業員と共に正面入り口に赴く。

 そこで待っていたのは、小太りながらも体幹を整え口髭を生やしている中年男性と、その護衛と思しきいかつい二人の男性だった。


 中年男性は訪れたクラウスを見ると、敢えて距離を開けた状態のまま尋ねる。


「――……貴方が先日、我が店に訪れたというクラルス殿でしょうか?」


「そうだ」


「左様でございますか。……失礼ですが、貴方が御渡しになったというこの商号。コレが貴方本人の持ち物であることを、証明できる物は御持ちですか?」


「あるな。……おい、ワグナス。通行許可証を持って来てくれ」


「えっ? あ、ああ……」


 中年男性は訝し気な目を向けながら、薔薇の紋章が刻まれた鉄板をクラウスに返却する。

 そして後ろから付いて来たワーグナーに向けて、クラウスはそう伝えた。


 しばらくすると、ワーグナーは部屋の荷物から通行許可証を持って来る。

 それを受け取ったクラウスは、中年男性に直接その通行許可証を渡して見せた。


 中年男性は通行許可証の読み、目を大きく開きながら驚きを見せる。

 そして通行許可証をクラウスに返却すると、改めてクラウスに話し掛けた。


「……確かに。その通行許可証にされているのは、ローゼン公爵家の印で間違いありませんね」


「信じてもらえたかな?」


「はい。……依頼があるという御話ですが、御都合がよろしいのは何時いつ頃でしょうか?」


「そうだな。まだ朝食中なので、それが終わってからだろうか。私と使用人を一人連れて、昼前に店へ訪ねるとしよう」


うけたまわりました。それでは、御来訪を御待ちしております」


 中年男性はクラウスに頭を下げながらそう述べた後、そのまま正面出入り口から宿を出て行く。

 そして外に止めている馬車に乗り、宿の前から立ち去った。


 それを見ながら表情を困惑させていた団員達を代表し、ワーグナーがクラウスに尋ねる。


「……なんだ、ありゃ?」


「リックハルトだ」


「……なに?」


「大商家の、リックハルト本人だ」


「な……!?」


「私の後ろに誰が存在するか、商号これですぐに察したらしい。流石は、大商人と呼ばれるだけはある」


 クラウスは微笑しながらそう述べると、食堂へと足を戻す。

 それを聞いて困惑の表情を強めるしかなかったワーグナー達は、全員で顔を見合わせながらも食度に戻った。


 そして話し通り、クラウスは朝食を終えてから一時間後に宿を出る。

 それに同行するワーグナーもまた、再びリックハルトの店へ足を運んだ。


 そして前日と同じように受付に赴くと、受付を行っていた昨日の女性が改めて丁寧な面持ちでクラウスを迎える。


「――……御待ちしておりました、クラルス様。また昨日は、御指摘を頂きありがとうございます」


「いやいや。その日の内にリックハルト殿に御見せして頂いたようで、何よりだ。それで、彼は?」


「当店にて御待ち頂いております。わたくしが御案内させて頂きますので、どうぞ」


 昨日も対応した受付の女性だったが、その態度が全く異なり、クラウスに対して過度な礼節を向けている。

 そして自ら受付を開けてまで案内する事を伝えると、ワーグナーは更に怪訝な表情を浮かべながらクラウスの後を付いて行った。


 受付の女性に案内される二人は、店内の奥へと導かれる。

 そして大きな間取りと豪華で見栄えの良い装飾品が飾られる客間に通されると、二人は上質な黒革で作られた長椅子ソファーに腰掛けた。

 案内を終えた受付の女性は、客間に置かれた魔道具の沸騰器で温められた御湯で木筒に包まれた茶葉で紅茶を淹れ、二人の前にある机に茶器カップを丁寧に運んでからこう述べる。


しばし、御待ちください。リックハルト氏を御呼びします」


 そう短く述べた後、受付の女性は頭を下げて客間から出て行く。

 そして二人きりになった後、ワーグナーはクラウスに溜まった疑問を吐き出した。


「……どういうことか、いい加減に説明してくれ」


「説明?」


「昨日と全然、対応が違うじゃねぇか。どうなってんだ?」


「……ふむ。良い紅茶だな」


「おい」


 呑気に紅茶を楽しむクラウスに対して、ワーグナーは苛立ちを持ちながら尋ねる。

 それに呆れるように、クラウスは小さな息を吐き出しながら説明した。


「リックハルトは、私がローゼン公爵家の関係者だと気付いたのだ」


「!」


「私がリックハルトに見せた、この板。コレはローゼン公爵家が関わる店名、『赤薔薇の貴婦人ローゼンフロイツ』を示す商号だ」


「……?」


「私がこの商号の刻まれた板を持ち、更にローゼン公爵家の印が捺された通行許可証を持っていた。十中八九、リックハルトは私がローゼン公爵家の関係者だと思っただろう。ならば、丁寧に応じざるを得ないさ」


「……話は、何となく見えるが。だがローゼン公爵家だからって、なんでここまで態度が変化するんだ? ここは共和王べつの国なんだぜ。関係ないだろ」


「ふっ。確かに、ここは別の国だな。……だがリックハルトという豪商にとって、『赤薔薇の貴婦人われわれ』を無視する事は出来んのだよ」


「……どういうことだ?」


 紅茶を飲んだ後、クラウスは茶器を机に戻す。

 そして長椅子に背中を委ねながら、クラウスはここまで丁寧に接するリックハルトの思惑を説明した。


「ローゼン公爵家は、『赤薔薇の貴婦人ローゼンフロイツ』の商号で同盟国を中心に様々な貿易品を取り扱っている。その中には、大量の魔石や魔道具も含まれている。それは知ってるか?」


「いや……。そういう事情は、知らんな」


「実はローゼン公爵家が同盟国に輸出している魔石は、どの国よりも質がいと有名でな。更に公爵家で生産している魔道具も、その魔石の質に見合った高度な品を作っている。……だがその魔道具には、一つだけ欠点があってな」


「欠点?」


「質が良い魔石でなければ、起動しないのだ。仮に起動したとしても、他から入手した魔石では瞬く間に内在する魔力を消費してしまい、長時間の使用は行えない。つまりローゼン公爵家の輸出する魔石でなければ、まともに扱えない魔道具だというわけだ」


「……」


「さて、ここで問題だ。……もし仮に、ローゼン公爵家が同盟国へ魔石の輸出を止めたとしたら。同盟国はどうなると思う?」


「……そりゃ、慌てるだろうな」


「そうだ。もしローゼン公爵家に何かあれば、魔石の輸出は止まり、同盟国の魔道具はほとんど機能しなくなる。そうなれば、同盟国は生活基盤そのものが崩壊する危険すらあるというわけだ」


「……つまり、ローゼン公爵家の関係者であるアンタの機嫌を損ねたら。その魔石の輸出やらが止まっちまうかもしれない。商人として、それを恐れちまうわけか」


「その通りだ。だから、リックハルトは私に会うしかない。もし雑に扱えば、下手をすれば自分の商号に致命的な傷が付いてしまうと考えるだろう。この対応の変化は、そういう理由わけだ」


「なるほどな……」


 クラウスの説明を聞いたワーグナーは、薔薇の商号を見せてからの不自然な対応の変化に納得する。

 各国に対して質の良い魔石と上質で高い技術力を誇る魔道具を製作し輸出しているローゼン公爵家は、言わば各国の生命線を握っているに等しい存在だった。


 そして上質な魔石を生み出し上等な魔道具を作り出していた張本人が、過去のアルトリア。

 ローゼン公爵家はアルトリアの発想によって今までにない程に富を得る基盤を作り出し、各国に行き渡らせる事で需要を高める事に繋がる。

 それは同時に、ローゼン公爵家で作られる魔石や魔道具で同盟国の生活環境を依存させることにもなった。


 同盟国であるマシラ共和国に滞在していたアリアが、傭兵や政府から狙われていた理由。

 まさにその理由こそが、ローゼン公爵家が秘匿する上質な魔石を作り出せる方法を知る関係者だったからに他ならない。

 

 そうした事情を改めて把握したワーグナーは、この面会が脅迫に近い状態で成し得られた光景ものだと改めて実感する。

 それに対する不安を口にする前に、客間の扉が開く音を二人は聞いた。


「――……お待たせしました。クラルス殿」


「いえいえ。こちらこそ、急な申し出に応じて頂き感謝しよう。リックハルト殿」


 訪れたリックハルトに対して、クラウスは立ち上がりながら丁寧に応じる。

 そして互いに一礼を向けた後、リックハルトは二人の向かい側にある椅子へ腰掛けた。


 改めて三人は向かい合う形となり、話の場が整う。

 そして真っ先に口を開いたのは、リックハルトからだった。


「では、御話を伺いましょう。『赤薔薇の貴婦人ローゼンフロイツ』の方が、私に御依頼というのは?」


「話が早い。だが、こちらとしてもその方が助かります。……実は我々は、同盟都市開発の資材搬入を手伝う為に行商団と共に共和王国に訪れたのだが。少し、行きたい場所が出来てしまいましてな」


「ほぉ。それは共和王国内で、という話でしょうか?」


「そうですな。……だが五日後には、我々は行商団と共に都市開発現場へと戻ってしまう。そこで、大商人として名高いリックハルト殿へ御相談できればと思いまして」


「……なるほど。それで、どのような御相談でしょうか?」


「一つ目は、我々の代わりに資材の運搬を務められる行商人と荷馬車の手配。そして二つ目が、私達が目的とする場所の情報。そして三つ目が、その目的地に行く為に必要な諸々の助力。それをリックハルト殿に御願いしたい。そういう相談です」


 クラウスは南方へ向かう為に、最低限ながらも必要な要求を伝える。

 それを聞いていたリックハルトは僅かに表情を渋らせ、顎を上げながら椅子の背もたれに背中を預けながら口を開いた。


「……それは中々に、難しい御願い事ですな」


「難しいですかな?」


「ええ、とても難しいです。……我々も名のある商家である事を自負しておりますが、現在の共和王国はまだまだ発展を続けております。それと同時に、慎重に制度なども整えられつつある。共和王国に所属する商人ならば、手続きを行えば国内の移動も認められますが。所属していない帝国の行商人を共和王国内で自由に移動させるのは、認められないでしょうな」


「……」


「先に述べた二つの御願いに関しては、我々の一存でも可能でしょう。しかし他国の商人が共和王国内で長期滞在や移動を行うのは、どのような事情でも政府側が認めることは難しい。……残念ながら、御力添えをしても無駄に終わってしまうでしょう。同じ商人として、無駄な事に時間を費やしたくないという考えに、御理解をして頂きたい」


 リックハルトは慎重な面持ちで言葉を発しながら、クラウスの願いについて答える。

 それは物腰の柔らかな言い方ながらも、自分達リックハルトでは叶えられない事だと伝える内容だった。


 ワーグナーはその返答を聞き、僅かに表情を強張らせる。

 しかしクラウスは余裕を持った面持ちを保ったまま、リックハルトにある提案を述べた。


「つまり、我々も共和王国に所属する商人となれば、問題は無くなるということですな?」


「!」


「リックハルト殿、三つ目の願いの内容ですが。我々を貴方の商会の傘下として加えて頂き、共和王国の所属に登録されるよう助力して頂きたい」


「!?」


「それに対する報酬として、『赤薔薇の貴婦人ローゼンフロイツ』で取り扱う貿易用の魔石取引に関する一部を、貴方達『旅の運び屋リックハルト』と提携し行う事を、御約束させて頂きましょう」


「な……っ!!」


 クラウスは不敵な笑みを見せながら、その願いと提案をリックハルトに伝える。

 それを聞いたリックハルトは目を見開いて明らかな驚愕を見せ、思わず腰を上げて立ち上がった。


 こうしてリックハルトと面会する事に成功したクラウスとワーグナーだったが、思わぬ形で交渉が進み始める。

 それはローゼン公爵家が持つ『魔石』の売買という切り札を、大商人リックハルトに分け与え助力させるという、凄まじい内容だった。

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