神の願い
『
そして右手に刻まれた聖紋の形が従来の姿に戻り、施されていた暗示効果が消滅したミネルヴァは鮮明な思考と記憶が蘇った。
ミネルヴァは目を大きく見開きながら視線を見上げ、クロエの顔を見て涙を溢れさせる。
そしてクロエが手を離すと同時に、顔を伏せ身を震わせながら
「――……私は、あの娘が貴方であると、錯覚させられていたのですね……」
「そうだね」
「そして、私は人類の浄化を……いいえ、殲滅に協力した……」
「うん」
「――……ごほっ……!!」
自らの行いを述べたミネルヴァは、次の瞬間に唐突に荒く咳き込む。
しかも咳き込んだ瞬間に吐血し、更に鼻や耳、そして目からも血が溢れ出るように流れ始めた。
その様子を驚く事もなく立ち上がったクロエは、苦しむミネルヴァを見ながら寂しそうに呟く。
「――……加護を誓約を破った、反動だね」
「が、はっ……。ゲハッ……!!」
「
「グハッ、ゲフ……ッ!!」
「その誓約は、
そう述べるクロエの言葉を聞きながら、苦しむミネルヴァはその場に倒れ伏せる。
そして新たな吐血を生み出しながら全身の血管が破れるように血が溢れ、ミネルヴァを中心に血溜まりを生み出した。
にも拘わらず、ミネルヴァの表情は苦しみながらも安らぎに似た笑みを零す。
そして充血する瞳を動かし、ミネルヴァは見下ろすクロエを見ながら呟き尋ねた。
「――……神よ。……私は、【
「そうだね。きっと
「……よかった……。……ごほっ、ぐが……ッ!!」
クロエにそう聞いたミネルヴァは、安らぎの笑みを深めて瞳を閉じる。
そして新たな吐血と身体中に走る傷みによって苦しみ、徐々に生気を失わせていった。
既にミネルヴァに、既に恩師や友と呼べる人々はいない。
百年以上の時が彼等を導き、既に家族と同じ場所へ赴かせている。
同じ時を生きる者は居らず、百年以上もの時間でミネルヴァを支えていたのは、神に対する忠誠と慈愛、そして魔人に対する憎悪だけだった。
そんなミネルヴァの疲れとも言える言葉を聞き様子を見ていたクロエは、口元を微笑ませて再び屈む。
そして聖紋が刻まれたミネルヴァの右手に右手を重ねて触れ、いつか見せた笑顔と優しい声で告げた。
「――……でも、君が
「……?」
「曲りなりにも、私は君の神様だからね。一度だけなら、許してあげよう」
「……!」
クロエはそう述べ、ミネルヴァの右手に優しく両手で優しく包み込む。
すると包まれたミネルヴァの聖紋が再び強く輝き始め、その光が二人を包み込んだ。
すると光の内部に夥しい数の魔法陣と魔法文字が浮かび上がり、それをクロエは立ち上がりながら見渡す。
すると自身の両手を中空に向け、魔法陣と魔法文字で成された構築式に両手の指を触れさせながら、まるで何かを加えるように中空に文字を描き始めた。
「……!!」
「
クロエは聖紋に施されていた加護、そして誓約と制約自体を、まるで書き換えるかのように操作し始める。
それを見上げるミネルヴァは全身の痛みで意識を朦朧とさせながらも、まるで夢でも見ているような光景だと思っていた。
他者に施された誓約と制約の書き換え。
それはミネルヴァほど卓越した秘術魔法の使い手であっても、どのような手段を用いても絶対に出来ない。
出来るとすれば、それはまさに『神』と称すべき者達だけが行える所業なのだ。
だからこそ、ミネルヴァは苦しみながらも感動に打ち震えた。
目の前の
そして自分の力は、まさにこの方に与えられたモノなのだと、ミネルヴァは絶対的な確信を得た。
そう考えるミネルヴァを他所に、クロエは最後の書き換えを終える。
そして再びミネルヴァの右手に両手を触れると、輝く聖紋は抑え込まれ、二人を囲んでいた光が魔法陣と共に消失した。
「――……これで、誓約を反故にした反動で起きる死という結果は、回避されたよ」
「……なぜ、私のような……罪人を……?」
「私はこう見えても、君が崇める神様なんだ。だから、君がどれだけの大罪を犯したとしても、私はその大罪を許す権利がある」
「……」
「それに昔、君は言ってくれただろう? 私の手伝いをしたいって」
「……!」
「私だけでは、この事態を治められない。……この救いの無い世界を救う『奇跡』を生み出す為に、君の協力が必要なんだ。……手伝ってくれないかい? ミネルヴァ」
「……ハイ……ッ!!」
ミネルヴァは血溜まりの中から血塗れの身体を緩やかに起こし、神に触れられる右手に左手を伸ばす。
そして神の両手に触れるように頭を下げながら、再び自分が敬い崇めるべき
それを優しい笑顔で受け入れたクロエは、頷きながら握るミネルヴァの手を優しく握る。
そして立ち上がったミネルヴァはクロエと頭を下げたまま、その命令を聞いた。
「――……神よ。罪深き私に、導きを」
「まず、君が殴り飛ばしたケイルさんとマギルスを癒してあげてほしい。いいかな?」
「はい!」
クロエの命令に即座に反応したミネルヴァは、落としていた旗槍を掴み柄に描かれた一つの魔法陣を起動させる。
するとミネルヴァの周囲に瓜二つの
駆け寄りながら白と緑の光が含まれる魔力を両手で扱う分身体のミネルヴァは、二人に治癒を施し始める。
腹部の臓器が潰れ胸部の肋骨が砕けていたケイルの傷は、僅かな時間で目に見える治癒と回復の魔法が施された。
そして魔力がほとんど消耗し動けないマギルスの身体に掠り傷以上の外傷は少なく、分身体のミネルヴァが瓦礫から出して地面へ寝かせてた後に目に見える小さな傷を癒していく。
その様子を見ていたクロエに、本体のミネルヴァは再び尋ねた。
「後は、どのように?」
「近くに落ちてる、黒い人形を一体だけ持って来て。出来れば、私と同じくらいの背丈のを」
「はい!」
新たな命令を受けたミネルヴァは、再び一体の分身を出現させて周囲を見渡す。
そしてかなり先に落ちていた黒い人形を一体だけ見つけ、分身体を駆けさせクロエを元まで持って来させた。
その間に重傷だったケイルとマギルスの傷は完全に癒され、二つの分身体もミネルヴァの傍へ戻る。
そして分身体は消失し、ミネルヴァは新たな命令をクロエに尋ねた。
「次は、どのように?」
「その人形は、あのエリクという男の人と一緒に安全そうな建物の中で寝かせておいて。出来れば高い建物の、二階か三階辺りがいいかな。……それと彼の傍にある包みの中身を、人形と彼の手に重ねるように置いてほしいんだ」
「承りました」
「そしてこれは、君に頼む最後の手伝いの内容になる」
「!」
「少しでいい、時間を稼いで欲しい。あそこにいる、彼女を救うために」
クロエはそう言いながら、背後に聳え立つ巨大な氷柱結界に目を向ける。
それに反応したミネルヴァも氷柱を見上げ、疑問を浮かべるように聞いた。
「……あの、偽の神をですか?」
「そうだよ。――……彼女は、幼い頃の君と同じなんだ」
「!」
「彼女は全てを捧げて、大切な物を守ろうとした。でもその繋がりを失い、残された繋がりさえ世界から失ってしまった。……その悲しみと虚無が彼女を蝕み、そんな彼女に誰の救いの手も差し伸べられず、内に宿る狂気に身を堕としてしまった」
「……」
「彼女はこの世界にとって、最も罪深く許されない存在だろうね。――……でも私は、そんな彼女も許したいと思っている」
「!」
「彼等三人もまた、彼女を許したいと思っている私の同志だ。……彼女を救う為には、どうしても彼等が必要だ。そして彼等こそ、繋がりで起こる【奇跡】を生み出せると、私は願っている。……その為には、少しでも彼女を抑えられる時間が必要になる」
「……」
「彼女を救う為に、私と彼等に協力してほしい。……これは命令ではなく、お願いだよ」
そう微笑み頼むクロエに、ミネルヴァは再び身を震わせて感涙の涙を零し始める。
そして頭を深く下げながら、こう返答した。
「――……我が神よ。貴方の願い、そして貴方が信じる奇跡のお手伝いを、命を賭してさせて頂きます!」
クロエの願いにミネルヴァは答え、黒い人形を片手に持ちながらエリクの下に赴き抱え持つと、そのまま崩壊の無い地区の方へ目を向けて防壁を張りながら跳躍して駆ける。
それを見送ったクロエは、そのまま氷柱結界の方へ静かに目を向けた。
「――……私が出来る協力は、ここまでだ。……後は、エリクさんと彼女次第。それで、この未来の結末が決まる」
そう呟くクロエは、倒れているケイルの方へ歩み始める。
そして自分よりやや大柄のケイルを抱えて息を荒げながら、マギルスが倒れている傍まで近付いた。
こうしてクロエはミネルヴァを信仰を取り戻し、この戦いを終わらせる為の準備を整える。
そしてエリクともう一人の人物の事を思いながら、この戦いの行く末を見守った。
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