あの日の出会い


 ワーグナーとケイルと別れ、そして黒獣傭兵団と別れて国境を越えたエリクは、ガルミッシュ帝国領の森に逃げ込んだ。

 約二ヶ月に渡る逃亡劇でエリクの肉体と精神は大きく疲弊しながらも、逃げ込んだ森で数日の間は意識を保ち、周囲の気配を探り続ける。


 ベルグリンド王国から追われ、仲間達とも自らの意思で離れたエリクは、もう支えは存在しない。

 自分自身で全てをやる必要がある今、エリクは気を張り続けるしかなかった。


「……」


 見知らぬ森、そして見知らぬ土地。

 エリクはそこで水を探して彷徨い、ある程度は飲めそうな水源を見つける。

 その周辺でしばらく身を潜め、エリクは消耗した精神と体力を癒す為にいつもの姿勢で休んだ。


「……寒いな」


 季節は年を超えたばかりの冬場であり、森の中は冷え込みを見せる。

 小さな動物達はまだ動く気配はあったが、比較的大きめの動物達は冬眠に入り、エリクから感じる気配を感じ取って近くに姿を見せない。


 エリクは久し振りに、一人の時間を過ごす。

 それは思った以上に、エリクの心に孤独感を宿らせていた。


「……ワーグナー達は、逃げられただろうか……」


 別れた黒獣傭兵団とワーグナーの心配を、エリクは時々だが呟く。


 自身を囮に王国兵達を引き付け、更に自らも煽るように王国兵達がいる場所へわざと向かい、幾度かの交戦をした。

 物量で抑え込み仕留めようとする王国兵に対して、エリクは個の特質した武力で戦い、包囲網を突破していく。

 しかし先回りされ続け、小規模な交戦を含めれば百以上の戦いを行わなければならなかった。


 身に纏う防具はボロボロで、ナイフも残るは一本のみ。

 次に同規模の戦力と相対する時には、抱え持つ大剣だけで戦うしかない。

 それを覚悟しているエリクは、ただひたすら寒い森の中にじっと身を潜めた。


 エリクはその時間を、今まで生きてきた中で一番長く感じている。

 老人に育てられた五年間、老人亡き後に生き続ける為に必死だった三年間、そしてガルドに拾われてワーグナーと共に傭兵団を居場所にしていた二十七年間。

 自身がやるべき事を見失い、目的も無く一人の時間を過ごし、次第に考える事も止めていた。

 

 手持ちの干し肉を齧り、残る食料から数日前後で尽きる事を知っても、エリクは動物を狩ろうとしない。

 今の自分がどうするべきなのか分からないエリクには、その先を生きる為に必要な糧を得るという発想が出来なくなっていた。


 この時のエリクは、自分自身の死すら受け入れている。

 仲間達の為に囮の役割を果たし終え無事を願うだけの長い時間が、エリクに生きる気力と思考を失わせていた。 


 それから数日、エリクはただ静かに座り続ける。

 腹が減った時に水や食料を飲み込み、ただ用を足す時にだけ立ち上がる。 

 進むことも戻ることも止めたエリクは、それを森の日常にした。


 そして食料が尽きる前の日。

 エリクは森に小さな動きがあるのを察知する。


「――……来たのか?」


 小動物達がいつもより活発に動き、森の中を移動する気配を感じ取ったエリクは、久し振りに大剣を持って立ち上がる。

 ついに王国兵が自分を殺す為に森にも追って来たのだと判断し、エリクはそれと対峙する覚悟をして森の中を徘徊しようとした。


 しかしエリクは、それは違うのだと途中で気付く。

 小動物の動きが活発になったのは自分が来た王国側ではなく、帝国側の方角からだった。


「……向こうから……?」 


 エリクは訝し気な様子を見せながらも動きがある帝国方面側の森に移動し、その周囲を探る。

 そして一日が経ち、エリクはある痕跡を見つけた。


「――……焚き火の跡か」


 小川の近くに焚火をした跡があり、それを巧妙に隠そうとした跡をエリクは見つける。

 森の中に自分以外の誰かが入り、そして森の中で過ごしている事を察知したエリクは、警戒度を引き上げながら痕跡が残る跡を追った。


 茂みの葉が散った跡や、泥の付いた砂利の跡。

 巧妙ながらも隠しきれていない人が通った痕跡を辿ると、帝国方面から来たその痕跡が王国方面で移動している事を悟った。


「……追っ手じゃ、ないのか。……追っ手ではなければ、誰だ? 森に入ったのは……」


 エリクはその痕跡から、自分を追跡して来た王国兵ではなく別の存在だと悟る。

 それでも警戒を強めながら跡を追ったエリクは、ついに痕跡を残して進む存在を見つけた。


「……」


 夜中、エリクは一つの煙が上がる場所を見つける。

 その場所に隠れながら気配を殺して近付き、エリクは意識を薄れさせながらそこにいる人物を見た。


 見つけたのは、深いフードを頭に被り、全身を外套で羽織った人物。

 体格は自分エリクより遥かに小柄で、その人物は静かに焚き火の前で温まっていた。

 そして食事と思しき携帯食を齧り、皮袋に入った水を飲んで休む様子を見る。


 エリクは自分の追跡者なのか、それとも全く無関係の旅人なのかを見極める為に、隠れながらその様子を窺った。


 次の日、その人物は起きて焚き火の跡を隠し、再び帝国方面へ進み始める。

 エリクはそれを追跡し、相手の正体を見極めようとした。


 その時、その人物の正面の茂みから音が鳴り、魔物である角兎ホーンラビットが姿を見せる。

 その人物と対峙する角兎は途端に興奮状態となり、その長く太い角を追跡している人物に向けた。


 しかし角兎と対面し戸惑った様子を見せる人物に、思わずエリクは後ろから身を晒して声を発する。


「――……避けろ!!」


「!?」


 その声に気付き、角兎の突進を相手は横へ跳んで避ける。

 そして角兎にナイフをエリクは投げ、自分に注意を向けさせた。


「貴方、誰!?」


「この声、女か」


 突如として現れたエリクに、その人物は声を上げる。

 その声が男ではなく女だと気付き驚く中で、角兎が目標を変えてエリクに突っ込んできた。

 

「危ない!」


 女の声でエリクは角兎の突進を受け、右手で角を掴み動きを止める。

 それに驚く女の声が微かに聞こえたが、エリクは即座に左手の掌底で角を折った。


 折れて角を失った兎は、興奮状態を止めてエリクの傍から離れる。

 その逃げる姿を見ながら、掴んでいる角を見て呟いた。


「角が無ければ、ただの大きな兎と変わりない。……これは、売れば金になるんだろうが……」


 兎が再び茂みの中に入り、遠ざかる気配を感じながらエリクは角を見て呟く。

 そうしたエリクに、追っていた女が声を掛けた。


「……ねぇ、ちょっと」


「ん? ……すまない。何者かと思い、後を追わせてもらった」


「……今まで、後を追ってきてたの?」


「昨日の夜から」


「気付かなかった。……それで、貴方は誰?」


「俺は……」


 自分の名前を名乗ろうとした時、エリクは咄嗟に口を閉じる。

 名前を言う事で自分の正体を知られる事を考えたエリクは、沈黙するしかない。


 それに対して女は、疑心を含めた声を向けた。


「どうしたの。名前、言えないの?」


「いや……」


「それとも、言えない事情でもあるの?」


「……」


「やっぱり、そうなのね」


 そう言いながら女は懐から短杖を素早く取り出し、それをエリクに向ける。

 それに気付いたエリクは反射的に身構え、女が呟く呪文を聞いて跳び避けた。


「――……『聖なる光ホーリーレイ』!!」


 女が翳した杖から、光の矢が出現しエリクを襲う。

 それを回避しながら帝国の戦いで放たれたあの光を思い出したエリクは、態勢を整えながらそれが何かを呟いた。


「これは、魔法か」


「もう追っ手がここまで来てるなんて、帝国もマヌケばかりじゃないわね!!」


「……追っ手、だと?」


「私はもう、あんな皇子の所になんて戻らないわよ!! あの馬鹿と結婚させられるのも、殺されるのも真っ平ごめんよ!!」


「……お、王子と結婚? 殺す?」


 相手の言葉を辛うじて理解しながら、エリクは相手が言っている事を疑問に思い呟く。

 そうした様子を見せたエリクに、相手は杖を向けたまま再び問い掛けた。


「……貴方、逃げ出した私の追っ手でしょ? お父様が差し向けたの? ……それとも馬鹿皇子が差し向けた暗殺者?」


「……?」


「ここに私が居るのが分かった上で追って来たなら褒めてあげたいところだけど、連れ戻されるのも殺されるのも、絶対に嫌!!」


 声を張り上げる女は、顔を振った時に頭を覆っていたフードが外れる。

 そして晒される女の顔をエリクは見ると、エリクは驚愕の表情を見せた。


 その女は、髪は金色で瞳は美しい青。

 顔立ちは綺麗に整い、王国のパーティーで見たどの貴族令嬢を圧倒する美しい女性だった。


 その顔を見た時、エリクはやっと思い出す。

 そして、その女性の名前をエリクは呼んだ。


「――……アリア……」


 アリアの名を呼んだ瞬間、世界が一変する。

 森が消えて暗闇となり、アリアの姿も同時に目の前から消えた。


「な……!?」


『――……やっと思い出したか』


「!?」


 エリクは暗転した世界の中で大きく響く声を聴き、思わず背中の大剣を引き抜いて構える。

 それと同時に足元の踏ん張りを無くし、暗転した世界へエリクは落下した。


「な――……!?」

 

 エリクはそれから、底の見えない闇へ落下し続ける。

 そして意識が薄れ、エリクは深い眠りへ誘われるように闇の中に溶け込んだ。


 エリクが生きてきた、三十五年に渡る人生。

 アリアと出会うまでの追憶は、こうして終わりを告げた。

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