黒に挑む者達
聖人用の訓練場所として設けられた第七区画の仮想空間に訪れたエリクは、案内するダニアスと共に凄まじい轟音が周囲に響く音を聞く。
その轟音の発生場所へ赴くと、荒れた大地と土埃の中で沈み倒れるシルエスカとマギルスを見てしまう。
倒れる二人の傍には『黒』の
その光景を見ているエリクとダニアスに気付いたクロエは、そちらに顔を向けて微笑みながら話し掛けた。
「――……おや、やっぱり来たね。エリクさん、それにダニアスも」
「これは……?」
「訓練だよ。まぁ、訓練と称した実戦だけれど」
「!?」
「銃の撃ち方や戦車の操縦なんかは、実際に戦わなくても的を狙って引き金を引くだけでいい。反復行動は、常人にはとても有効な訓練だ」
「……!!」
「だけどね、聖人や魔人は違う。実際に命が危険が伴う戦いをするからこそ、彼等は大きく思考と肉体が変質し、進化していく。……つまり、あれこれ口で教えるよりも実際に戦って感じてもらう方が早いんだ」
そう微笑みながら説明するクロエは、倒れているシルエスカとマギルスを再び見下ろす。
辛うじて意識を保つ二人は地に伏せ跪くような姿勢ながらも、それぞれに傍に落ちていた武器を拾って立ち上がった。
「……ハァ……。ハァ……ッ」
「……イタタ……ッ。クロエ、こんな強かったんだね……!!」
「そうだよ、マギルス。これが私の、聖人としての本来の力。
「これで……!?」
「あくまで私は、『聖人』という枠組みで生きる人間だからね。……さて、二人はまだやれるかい?」
「……ああ……!!」
「もちろん!」
「それは良かった」
再び武器を構えて戦える意思を示したシルエスカとマギルスに、クロエは微笑みながら頷く。
次の瞬間、シルエスカとマギルスが合わせるように前に進みながら左右に別れた。
そして左右から同時にクロエに襲い掛かる二人は、躊躇せずに武器を突き降ろす。
しかしその刃先を捉えたクロエは、まるで紙切れを挟むような手軽さで槍と鎌の刃を両手の人差し指と中指で受け止めた。
「!?」
「ッ!!」
「いいね。躊躇の無い、良い攻撃だ」
受け止めながら微笑むクロエは、そのまま両手で二人の武器を握る。
そして次の瞬間、軽く両腕を動かしたクロエは二人を宙に放り投げた。
「うわっ!?」
「グ、ァッ!!」
強く武器の柄を握っていた二人だったが、その強い勢いで武器を手放してしまう。
そして十数メートルの上空に放り投げた二人を見ているクロエは掴んだ武器を手放し、軽く足を屈めて二人より僅かに高く跳躍した。
「!!」
「防御、したほうがいいよ?」
中空で態勢の整わない二人に忠告した後、クロエは身体を半回転させながら腕と脚を振る。
そして腕はマギルスに、脚はシルエスカに振り降ろして直撃させた。
「グァッ!!」
「ガァッ!?」
シルエスカはオーラを込めた手足で、そしてマギルスは魔力を込めた手足でそれを受ける。
しかし怪力染みたクロエの力に完全に押され、そのまま十数メートル先の地面へ轟音を鳴らしながら激突してしまう。
見事に背中を強打しながら地面へ追突した二人は痛みに悶絶しながらのたうち回り、先程と同じように地面へ突っ伏した。
そして空中から着地したクロエは再び地に伏せる二人を見て、微笑みながら言う。
「うん。さっきと同じ結果だね」
「グッ、ァ……!!」
「イッ、タァ……ッ!!」
「私の打撃を防御する反応速度は良いけど、地面へ衝突する時の防御も考えないとね。シルエスカは前にも言ったけど、常に戦う時には身体全体をオーラで防御する癖を付けないと、隙だらけだよ?」
「……分かって、いる……ッ」
「マギルスもね。常に肉体に巡らせる魔力を全身から放って、肉体の防御能力を高めるといいよ。その上で手足に振り分ける魔力のバランスを、ちゃんと調整しないとね」
「うっ、ぁあ……!!」
二人に対して指南するように指導するクロエは、微笑みを絶やさずに伝える。
それに二人は痛みと余裕を持ったままのクロエの様子に苦悶の表情を浮かべながら、再び起き上がろうと必死に足掻いていた。
そして三人の戦いを傍らから見ていたエリクは、驚愕で表情を強張らせる。
目の前で繰り広げられたクロエの戦いは、エリクにとって想像以上のモノだった。
「……二人の武器を掴んだ瞬間、そして跳躍した瞬間が、見えなかった……」
「クロエの聖人としての身体能力は、
「……あれが、聖人のクロエなのか……」
聖人として戦うクロエの身体能力の高さに驚愕するエリクは、倒れ伏すマギルスとシルエスカを見る。
クロエに攻め込んだ二人の攻撃は、エリクの反射神経でも捉え切れずに受け止める事すら叶わないまま、大きく飛び避けるしかない手段の無いモノだったろう。
それをクロエは意図も容易く刃先を捉えて掴み、そして二人が武器を手放す時間すら与えずに上空へ放り出した。
その怪力染みた力と反射神経も然る事ながら、その躊躇の無さもエリクは刮目する。
間違えば頭から激突しかねない地面へ叩き落とす為に、クロエは躊躇せずに腕と足を振り下ろした。
今の攻撃は訓練と称するにはあまりに危険なモノであり、下手をすれば二人の頭や首が折れ砕けて死んでしまう場合もあっただろう。
幼い少女だった頃のクロエと、聖人として成長したクロエ。
同一人物ながらも全く異なる様子で実戦を施すクロエの姿に、エリクは思わず息を飲んだ。
そうした様子で見ていたエリクに、クロエは顔を向けて微笑む。
そして提案するように、クロエはエリクに話し掛けた。
「――……エリクさん、貴方もどうかな?」
「!!」
「この訓練は至って
「……」
「私が見る限り、貴方達はそれなりの修羅場を潜り抜けている。魔人としての身体能力も内在魔力も、素質として申し分ない。……でも魔大陸の戦闘種族達やフォウル国の干支衆と比べると、その素質を活かしきれていない」
「……!!」
「三十年前の貴方達の戦いを見ても思っていたけれど、はっきり言おう。……貴方達は弱すぎる。このまま何もせずに魔導国との戦いに挑めば、全員が死ぬ事になるだろうね」
「!?」
「今の貴方では、アリアさんを連れ出して魔大陸に行こうなんて夢のまた夢だ。……叶わない望みの為に無駄な足掻きをするくらいなら、いっそアリアさんの事は諦めてしまうのはどうだい? それが貴方の為かもしれないよ」
「……なんだと?」
クロエは微笑みながらそう告げ、エリクが考えていた事を否定する。
何故クロエがその話を知っているかを考えるより、その挑発にも似た言葉でエリクの感情が憤怒に寄りながら刺激された。
一歩前に出たエリクは、荷物を下ろして背負っている大剣の柄を右手で掴む。
そして全身の魔力を滾らせながら手足に力を込め、クロエに殺気を込めた表情と身体を向けながら構えた。
「……」
「良い顔だね。……おいで、未熟な小鬼さん」
「ッ!!」
軽く右手を向けながら指を揺らして挑発するクロエに、エリクは走りながら飛び掛かる。
そして赤い魔力を帯びた大剣を両手で握りながら、凄まじい剛力でクロエの脳天へ振り下ろした。
それをクロエは無造作に右手を軽く上げて対応すると、大剣の刃と右手が激突する。
しかしエリクの大剣は容易く受け止められ、クロエの足元である地面が大きく四方へ割れ砕けた。
「――……なに……!?」
「流石、鬼神の魂を宿しているだけはある。……でも、力の調和が出来ていないかな」
エリクは自身の攻撃が相手に受け止められ、地面が割れ砕ける光景を以前にも見ている。
それはマシラ共和国で闘士長である魔人ゴズヴァールと戦い、その剛力で放たれる大剣の一撃を全て受け止められた時だった。
あの時のゴズヴァールと同じ事を、クロエは行っている。
それを実際に見て体感した事のあるエリクは、すぐに大剣を引こうと腕を引かせた。
しかしそれは遅く、前の二人と同じように武器の刃を右手で掴まれる。
そして腕を引いても大剣がピクリとも動かなくなってしまった事に、エリクは驚愕しながら表情を強張らせた。
「このまま二人と同じように、投げてもいいけど――……」
「!!」
そう悪戯染みた笑みを浮かべるクロエに、エリクは僅かに戦慄する。
そして大剣を手放しその場から引いて離れようとした瞬間、目の前に居たはずのクロエが突如として視界から消えた。
しかし次の瞬間には、エリクの顔面にクロエの右手が伸びて掴む。
視界から消えたクロエが僅かな時間で跳躍し、真横に居た事に気付いたエリクは指の隙間からその姿を見た。
「――……それじゃあ、味気ないよね?」
「!!」
微笑みながら伝えるクロエの言葉と同時に、掴まれるエリクの顔面が大きく押し込められる。
そして頭ごと上半身が後ろへ傾き、その勢いでエリクの下半身は持ち上がるように中空へ揺れ動いた。
次の瞬間、掴まれていたエリクの頭は地面へ激突する。
華奢な女性に頭を掴まれ押し倒されるという、初めての経験に何かを思う事も出来ずに、地面に激突した衝撃と腕の腕力で脳を揺らされたエリクは気を失った。
白目を剥いて立ち上がれないエリクを見たクロエは、微笑みながら腰を上げる。
そして、その戦いを見ながら倒れていたマギルスとシルエスカに向けて話し掛けた。
「二人とも、動けるなら離れた方がいいよ?」
「……?」
「起きるんじゃないかな。彼の中にいる、赤鬼がね」
「!!」
そう伝えるクロエの言葉通り、気絶しているはずのエリクから凄まじい魔力と強い気配が漂い始める。
悪寒にも似たその感覚にダニアスを含めた三人は気付き、思わず飛び退くように離れた。
数秒後、白目を剥いたままのエリクが表情を強張らせる。
そして傍に立つクロエに襲い掛かるように飛び起き、右手の剛腕で殴り掛かった。
更には殴って来た右拳を軽く握り返し、エリクの腕を捩じるように固定する。
しかし赤肌へ変色していくエリクは身体を起こし、固定された右腕に力を込めながら腕の向きを無理に正常に戻し、完全に立ち上がった。
「久し振りだね、鬼神さん」
「ガァ……、ガァアアアアァァッ!!」
そう話し掛けるクロエに、エリクは吠えるように左手を振るう。
それを大きく飛び退いて避けたクロエは、笑顔を絶やさずに赤鬼と化したエリクを見た。
『黒』の
化物と呼ぶべき実力を秘めた二人が、思わぬ場所で思わぬ戦いを繰り広げ始めた。
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