幼き頃の油断
アリアが七歳の時。
ガルミッシュ帝国皇帝ゴルディオスと皇后クレアがルクソード皇国で催されたパーティに招待され、その随伴として皇子ユグナリスと兄セルジアスと共に一度だけ皇国に訪れた事がある。
貴族街で提供された迎賓館と皇城を行き来しながら十数日の滞在期間を過ごすアリアは、秘かに人形と入れ替わり市民街や流民街にも訪れたり、皇城の中に設けられた蔵書図書館へ入室して本を読み漁っていた。
その時、蔵書図書館でとある青年とアリアは出会う。
青年は素性と名は、ルクソード皇国の第二皇子ランヴァルディア=フォン=ルクソード。
その年で二十一歳になる体付きの細い黒毛の青年であり、眼鏡を掛け白衣を纏い、書物の山を机に置いて何かを調べて書き連ねる様子を見たアリアは、机に散乱する書物の一つを手に取って表紙を見た。
「進化論の記述書?」
「……ん? 君は……」
「失礼しました。御仕事の御邪魔をして申し訳ありません」
「いや、構わないよ。……君はその歳で、生物学に興味が?」
「いえ、興味は無いです。ただ多く書物を御覧になっているようなので。失礼ですが、皇城にお勤めしている研究員の方でしょうか?」
「……そのようなモノだね。君は?」
「今週、こちらで催されるパーティにて招待を受けて滞在しています。アルトリア=ユースシス=フォン=ローゼンと申します」
「ローゼン……。確か、ガルミッシュ帝国の貴族家だったかな?」
「はい。今日はこちらで本を読む御許可を頂いて入室させて頂きました」
「誰かと一緒じゃないのかい?」
「従者がこの部屋の外で待機しています」
「そうかい。子供でも読める本だったらあっちの方にあるから、見て来るといいよ」
「そういう物に興味はありませんので」
「ははっ、そうかい」
そんな他愛も無い挨拶から始まり、アリアはランヴァルディアの素性を知らないまま蔵書の中から幾つかの書物を見て机に置く。
着飾った幼い少女が分厚い本を幾つも持ち出して読み始める光景に興味を抱き、ランヴァルディアから幼いアリアに話し掛けた。
「何を読んでいるんだい?」
「これです」
「……魔法構築式理論の学術新書? そんな難しい本を読んでも分からないだろ?」
「いいえ。簡単ですよ?」
「か、簡単……? これは多分、高位の魔法師が読んで初めて理解できるものだよ?」
「そうなのですか。なら、私はそうなんでしょう」
「え……?」
幼いアリアが何を言っているのだと困惑するランヴァルディアだったが、聞かれたから聞き返すと言わんばかりの勢いで、今度はアリアが質問を投げ付けた。
「貴方は、どのような研究をなさっているんでしょうか?」
「あ、ああ。僕は生物進化に関する研究をしているんだ。……と言っても、君のように幼い子には分からないだろうけど」
「生物進化。……どれに関する内容ですか?」
「え? えっと……」
「各生物の生態進化の研究。もしくは魔物・魔獣・魔族・人間の進化に関する研究ですか?」
「!?」
「……ああ、でも。そんな簡単な事を今更になって研究するのもおかしいですね」
「簡単……!?」
ふとした会話からとんでもない言葉を聞いてしまったランヴァルディアは、恐る恐る幼いアリアに生物進化に関する情報を聞いた。
それはまだ自身の常識に囚われがちだった幼いアリアの油断でもあった。
「どうして、簡単なんだい?」
「だって、そんなの常識じゃないですか」
「常識……?」
「各生物の進化には一定条件があります。動物が魔物になる際は、自然魔力が濃密な場所で長時間過ごすと肉質が変化し、第二世代から魔物として生まれる事が多くあります。そして魔物となると、濃厚な魔力を体内に蓄え続ける事で肉質を更に変化させます。その変化の途中段階として第三世代の魔獣へ進化し、最終的に上級魔獣や王級魔獣にまで至り、人間以上の知能を有する第四世代の魔獣種も生まれてきます」
「!?」
「ただ、同じ魔力器官を持つ魔族の進化はそれとは異なります。彼等の場合は魔力を蓄えるのではなく、大幅な戦闘経験が体内魔力を変質させ、進化を促します。低位の魔族ならば数度の戦闘を経験する事で魔力器官が特殊な魔力を放ち始め、自身の肉体を大小様々に変化させていきます。それが続くと進化を始め、上位種と呼ばれる種族へ進化します。それに上位種へ変化した魔族の子供は、上位種として生まれる場合が多いようです」
「そ、そうなのかい?」
「はい。戦闘経験が多い魔族ほど上位種が多く種族的に繁栄しているようです。あと、魔物や魔獣の進化で起こる顕著な例ですが、芳醇な魔力を求める魔物や魔獣は高位になるほど生活環境は魔力濃度の高い場所へ移動します。魔大陸はそういう意味で、魔族や魔獣達には絶好の場所でしょう。人間大陸では彼等が欲する餌が不足しているので、魔大陸に比べれば魔物や魔獣の個体数や体格がかなり異なるようですから」
「だ、だが。上級魔獣や王級魔獣が人間を襲う例は数多くあるんだよ? 彼等が餌を求めるなら、人間こそ多く食べようとするんじゃ……」
「魔獣は人間を餌にはしません」
「え……?」
「仮に魔獣が積極的に人間を襲う場合、それは人間側が彼等の領域を荒らしたからでしょう。魔獣の主だった種類は自分が棲み慣れる領域を大事にします。それを犯した外敵となる人間が居た場合、敵意を向けて襲って来ます。人間を殺める事は遭っても、捕食する意図で襲うことはほぼ無いはずです」
「……そ、そんなまさか……」
「仮に人を食べる魔獣が居た場合。それは餌を失い餓死寸前にまで追い込まれた可能性が非常に高いでしょう。狩人や傭兵が多い魔物狩りが盛んな地域では、獲物が奪われ怒り狂った魔獣達が襲って来るというのもよくある案件ですね」
「……」
「魔物や魔獣からして見れば、魔力を持たない人間の身体は味の無い粘土のようなもの。……もっと悪く言えば、人間は自分達の領域を侵し、餌を奪い棲み処を荒らす食べられない害獣と同じなのでしょう。魔獣社会にとって、人間はその程度の認識なんです。そんなモノを食べて美味しいと喜ぶ魔物や魔獣は、よっぽどのゲテモノ食いの偏食家だと思います」
「……君は、それを誰かに習ったのかい?」
「こんな当たり前のこと、誰かに教わる必要があるんですか?」
目の前の幼いアリアが不思議そうに聞く姿を見て、ランヴァルディアは眩暈を起こしそうになる。
今まで詳しい魔物や魔獣の生態調査は各国で幾度と行われながらも、魔物や魔獣の種類が多すぎて特定のパターンを掴み難く、進化前の動物時とは別物の行動性を見せていた為に、どの国の生物学者も明確な規則性を導き出せてはいない。
言わば世界の謎とも言うべき魔物や魔獣の生態と進化条件を目の前で常識だと言い張り、更には魔族が上位種へ至れる条件さえ知る幼いアリアは、ランヴァルディアにとって異常な存在にしか見えない。
しかし彼は、その異常とも思える存在をもう一人だけ知っている。
そして目の前の少女がそれと同一の存在なのではと察し、ランヴァルディアは焦りを隠しながら、改めてアリアに聞いた。
「君は、人間の進化条件。つまり聖人に至れる方法も知っているのかい?」
「……貴方、生物学を研究していらっしゃるのでしょう? どうしてそんな事も知らないの?」
「い、いや。子供の君がそれだけ詳しく知っているのに驚いたんだ。だから、聖人に関する事も知っているのだとしたら、君は賢い子だと思ってね」
「……?」
訝しげな視線を向けるアリアと、何とか聖人の進化方法を聞き出そうと焦るランヴァルディアを阻んだのは、互いに近しい人物。
その一人は、アリアの兄セルジアス。
十四歳ながらも清廉とした姿で現れたセルジアスは、アリアを見つけて呼び掛けた。
「アルトリア、クレア様がお呼びだよ。午後に婦人達や令嬢達と一緒に御茶会に出るから、準備をしようって」
「……」
「嫌そうな顔をしても駄目だよ。女皇様が催される御茶会なんだから。もしアルトリアが参加しないと、不躾だと罵られるのはゴルディオス陛下とクレア様なんだからね」
「……分かりました、お兄様。それでは研究員さん、失礼します」
「あ、ちょっ……」
アリアを呼び止めようとランヴァルディアは動くが、その背後からもう一人が姿を見せる。
それは彼の恋人であり同じ研究者だった女性、ネフィリアスだった。
「ランディ、必要な資料は出来たの?」
「あ、ネリス。いや、それはまだ……」
「今日は昼食を一緒に食べる約束でしょう? またすっぽかしたら、酷いんだからね?」
「あ、ああ……」
互いに呼び人が訪れ、そちらの方へ目を向ける。
アリアはセルジアスの言葉を素直に聞いて本を抱えて去ってしまい、ランヴァルディアは聖人へ至る進化条件を教授される機会を失った。
次にアリアとランヴァルディアが出会ったのは、開催されたパーティーの時。
各傘下国や各同盟国の代表者達が招かれ、ランヴァルディアは皇子として招待客達と挨拶を交える機会を得た。
その招待客の中には、幼いアリアも居た。
「……ガルミッシュ帝国、ローゼン公爵家長女。アルトリア=ユースシス=フォン=ローゼンと申します」
「私はランヴァルディア=フォン=ルクソード。王位継承権や爵位は無いけれど、この国で生物研究学機関の長を任されている。……君には興味がある。是非、今後とも交流を持ちたいね。アルトリア=ユースシス=フォン=ローゼン」
「……お断りよ」
互いに挨拶を交えながらも小声で拒否するアルトリアは、それ以後はランヴァルディアのいる図書館には近付かずに帝国へ戻った。
恐らくは自分が教えた事が異常な事だと知り、それで第二皇子が興味を持ったことを勘付いたのだろう。
その時には既に遅く、アリアが齎した情報はランヴァルディアが抱える研究を驚くほどに進展させる
その時から十年間。
ランヴァルディアは
そしてローゼン公爵家の名で純度の高い魔石の売買が盛んとなり、ガルミッシュ帝国から様々な新魔道具技術や新魔法理論が広まる背景に、アリアの存在が関わっている事を察する。
後にアリアは、ランヴァルディアとの過去の出会いについてこう語る。
あの出会いは、彼を不幸にしてしまうものだったと。
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