マシラの家族


死者であるレミディアの魂と会話し、

改めて目の前の彼女が死者だと認識したアリア達は、

生者としての選択を問われた。


死者の黒い瞳を向けるレミディアに、

アリアは生者の青い瞳を向ける。

顔を伏せるマシラ王はその問いを聞き、

口から出掛かる言葉に何度か躊躇を見せていた。


その中で、言葉では無く行動を示す者がいた。



「……」


「……アレクサンデル様?」



母親であるレミディアの手を握った王子が、

歩きながら母親の手を引き、

もう一つの手を父親であるマシラ王に伸ばした。


息子である王子を挟む形で、

父親と母親が子供と手を繋ぐ姿になった時、

アリアは現世で見た一枚の絵を思い出す。


その光景は、王子が描いた親子の絵。


そして思い出したその絵に、

今更になって違和感を覚えたアリアが、

呟くように王子に向けて聞いた。



「……あれは、貴方がそうしたかった事なのね」


「……」



そう聞いたアリアの言葉に、

王子は無言ながらも頷いた。


その返事に納得したアリアは、

自身の手の平を広げると同時に、

瞳を閉じてある記憶を自身の中に生み出した。


それは人の姿を模した魂と同様に形と成り、

レミディア達にも見える形となる。


歩み寄ったアリアはレミディアにそれを渡した。



「……これは?」


「貴方の息子が描いた絵よ。ここに来る前、部屋の中で見せてもらったわ」


「……ウルクルス様と、アレクサンデル様と、私……?」


「親子の絵。この子は、そうやって親子で手を繋ぐのが、夢だったみたいよ」


「……」


「それとも、こういう事を一度でも、その子と一緒にしてあげたの?」


「……いいえ」



王子の描いた絵を見て首を横に振るレミディアに、

アリアは溜息に近い鼻息を漏らすと、

差し出した絵を戻し、今度はマシラ王に差し出した。



「これを見なさい」


「……」


「この絵を見て、アンタはどう思うワケ?」


「……」


「この子はただ、絵のように父親と母親の手を握りたかっただけ。ただ親子で一緒に居たかっただけよ」


「……」


「それをアンタ達は、身分だの制度だの、生者だの死者だのをいい訳にして、子供であるこの子に向き合う事もせず、自分の事しか考えない言動をし続けた。私から言わせれば、アンタ達はこの子を前にして、人間にも親にさえもなれてなかったのよ。……そんな奴が一丁前に大人ぶって、見苦しい御託を並べないで」



辛辣な言葉を向けるアリアに、

マシラ王とレミディアは互いに沈黙した。

目の前で突きつけられるアリアの正論に、

反論する言葉さえ見苦しいと察した。


その沈黙の中で、アリアはそれでも告げた。



「王子。貴方はそれでいいのね」


「……うん」


「そう、分かったわ。……さようなら」



アリアは王子の答えを聞き、

納得して別れの挨拶を行った。


その挨拶に気付き驚いたマシラ王が、

アリアを止めるように声を出した。



「ど、どういうことだ?」


「決まってるじゃない。王子はここに残る事を選んだのよ」


「!?」


「両親の手を繋いでここに残る。それを選んだのなら、私はここに居ても意味が無いわ。帰るわね」


「ま、待て!」


「何よ、戻る気になったの?」


「……ッ」


「そもそもアンタだって、戻る気が無いから王子を引き離してこの世界に来たんでしょ。だから脅迫くらいしないと連れ戻せないと思ったのよね。でもね、父親と母親の元に残るって言い出したのは、その子なのよ」


「!!」


「ここまで道中、二人で話したわ。説得に応じないなら父親と母親が居る場所に残ると言い出したのは、その子よ。一人で残されるくらいなら、こっちの世界で父親と母親と一緒に居たいってね」



アリアが告げる言葉を聞いたマシラ王とレミディアは、

手を繋ぐ自分達の息子を見て驚きを深めた。


その驚きが晴らされるより早く、

アリアは淡々としながら三人の傍から離れた。



「少なくともこの世界では、身分や制度なんて無いから家族として暮らせるでしょ。あるのは生前の記憶と、自分の心だけなんだから」


「ま、待て。待つんだ!」


「だから何よ。戻る気も無いくせに」


「……た、頼む。アレクだけでも、現世に戻してくれないか」


「断るわ。貴方が戻らなければ、王子は置いて行く」


「……ッ」



マシラ王の説得に応じないアリアは、

そのまま歩き離れて行く。

すると今度はレミディアが声を出した。



「アリア様。お待ちください」


「待たないわ。選べと言ったのは貴方なのよ。貴方の息子は、母親と父親の傍に居る事を選んだ。私は説得に応じない王と、残る事を選んだ王子を置いて帰る事を選んだ。それだけよ」


「……」


「死者は何も選べないですって。笑わせないでよ。奴隷根性が魂まで染み付いて、自らの死を選んだ生きながらの死者の分際で、そんな事を問う事自体がおこがましいわ」



静かに怒鳴りを向けるアリアは、

振り向かずにレミディアに対してそう突きつける。

その言葉に反論できないレミディアは、

目を伏せアリアの説得を諦めたように見えた。


その時、マシラ王とレミディアは気付いた。


自分達と手を繋ぐ息子アレクサンデルが、

大粒の涙を流しながらアリアを見ていた事を。

アリアは背中を向けつつ顔を横に向け、

泣いている王子とその両親に呆れながら話した。



「いい加減に気付きなさいよね。アンタ達が本当に説得すべき相手を」


「……」



アリアはそう告げながら、

付近の縁に腰を落として呆れた視線を向けた。

マシラ王とレミディアはそれを聞き、

改めて手を繋ぐ自分達の息子を見た。


涙を零しながら怒った表情で頬を膨らませ、

嗚咽を漏らしつつ地面を見る息子に、

父親と母親は初めて気付いた。



「アレク……」


「アレクサンデル様……」


「……ゥ……グスッ……」



泣いている王子に両親は手を繋いだまま屈み、

顔を寄せて優しく話し掛け始めた。



「……そうだな。私は、お前の心を無視していたな……」


「……ゥ……ッ」


「申し訳ありません、アレクサンデル様。貴方の気持ちを、理解できずに……」


「……」



互いに息子に謝りながら呟き、

泣いている王子の涙を服の裾で拭き取っていく。

その中でマシラ王とレミディアが、

自分の息子を説得する為に話し掛けた。



「アレクサンデル様。どうか手を離して、お戻りください」


「……や……っ」


「アレク。お前だけでも戻りなさい」


「いや……っ」


「ウルクルス様。貴方が戻らなければ、アレクサンデル様もお戻りになれません。どうか御一緒にお戻りください」


「君の居ないあの場所に戻るなんて……」


「アレクサンデル様がいらっしゃいます。どうか……」



王子の説得と共にレミディアはマシラ王を説得し、

マシラ王は王子とレミディアを相手に説得を開始する。


数分以上続く説得が激しくなり、

やや強めの口調に変化し始めたのを、

外野で見ていたアリアは気付いた。



「レミディア、君はどうしていつもそんな強情なんだ」


「それはウルクルス様です。私はいつも言っていたではありませんか。私のような奴隷と関わっては、象徴たるマシラ王族の威光に関わると」


「そんなこと関係あるものか。私は君が好きで、君だって私を好いてくれたじゃないか」


「確かにそうですが、ウルクルス様は立場を憚らず接し過ぎなのです。もっと周りに御配慮して頂ければ……」


「だから、そんな事は関係無いじゃないか」


「関係あります。貴方様はいつもそうです。国の象徴たる王なのですから、もっと自分の周りや先の事に配慮頂かねば、自分だけでなく周りの者達は苦労を強いられる事になるのですよ」


「そ、そんな事を言うなら。君だって初めての夜、私の耳元であんなに――……」


「こ、子供の前ですよ!」



やや会話の方向が怪しい向きに感じながらも、

アリアは鼻で溜息を吐き出しながら口論の様子を見続けた。



「ウルクルス様は、そういう無神経で粗雑な所があるから――……」


「レミディアだって、そういう強情で頑固な所があるから――……」


「……クス、クス……ッ」


「……ア、アレク?」


「アレクサンデル様……?」



次第に喧嘩腰になっていく中で、

手を繋ぐ王子が秘かに笑いを含む声を出す事に、

マシラ王とレミディアは気付いた。


そして笑いを見せる幼い王子が、

涙を残した瞳を向けながら話し始めた。



「お父さん、お母さん。楽しそう」


「た、楽しいって……」


「お父さん、お母さん。いつも寂しそうだったから」


「!」


「お父さんとお母さん。楽しそうなの、初めて」


「……」



息子にそう言われたマシラ王とレミディアは、

呆気と驚きを含んだ顔を互いに見合わせた。


そこで少し口元を笑わせながら、

互いに零すように話し始めた。



「……そういえば。こうやって喧嘩するのは、初めてかもしれない」


「……そうですね」


「君が私の事をそう思っていたなんて、初めて知ったよ」


「私も、ウルクルス様から強情で頑固な女だと思われていたのを、初めて知りました」


「お、お互い様だろう」


「そうですね」


「……思えば私達は、互いに愛してはいたけれど、互いに本音をぶつけた事は、一度も無かったのだな」


「そうですね……」


「……レミディア。君は私の事を、恨んでいたかい?」


「……どうして、そう思うのですか?」


「私は、君を愛したことを間違ったなんて思わない。けど、私の愛が君の重荷になっていたんじゃないか。君が死んだ時、そう後悔する時があった」


「……」


「身分に拘らないと私は言った。けど、身分の違いが君の重しになっていたのではなく、私の愛が君自身の重しになっていたのだとしたら。……それで、私が君を愛した事を疎ましく思い、恨んでいなかったか。それをずっと、心の何処かで考えていた」


「……」


「レミディア。君は私の事を、恨んでいなかったかい?」



そう聞いたマシラ王の怯えるような声に、

レミディアは静かに首を横に振った。



「私は、ウルクルス様の事を恨んだ事はありません。……でも、重荷にはなっていたと思います」


「……」


「犯罪奴隷である私が王である貴方様に愛される事に、そんな私が貴方様を愛してしまった事に、ずっと重さを感じていました」


「迷惑、だったのだろうか」


「……そうですね」


「……そうか」


「……ですが。貴方様に愛され、貴方様を愛した事で、幸せな事も幾つかあったのも、本当です」


「!」


「私に向けられる愛の重さを疎ましく思いながらも、その愛が無くなる事への恐怖が、私の中にありました。……私は犯罪奴隷です。例えそのような関係になったとしても、後でいいように捨てられるだけだと。そう覚悟しておりました」


「そんなこと……」


「そう。ウルクルス様は私を捨てようとはしなかった。それが、私には幸せでした」


「……レミディア……」


「もう一つ。……ウルクルス様の子を産む事を許された。それが一番、私が安堵し、幸せを感じた時でした」


「……」


「始めに妊娠した事を察した時、とても怖かった。ウルクルス様に拒絶され、堕胎させられるのではと。周囲の者達に許されないのではと。それが怖かった」


「……ッ」


「私は、アレクサンデル様の母親である事を許されなくても構わないのです。ただ、ウルクルス様の子が健やかに過ごしてくれるのなら。それが私にとっての、幸せな事でした」


「……レミディア……」



レミディアの本音を聞くマシラ王は、

苦々しくも悔しさに近い感情を秘めながら、

唇を噛み締めて聞いていた。


そして緩やかに微笑みを浮かべたレミディアが、

王子の髪を優しく撫でながら、話し掛けた。



「アレクサンデル様」


「お母さん……」


「私は産む事を許された時、貴方の母親である事を捨てました。そうする事で、私は私自身の幸せを手に入れたのです」


「……」


「そんな私を、母と呼んではなりません。貴方の母親は、貴方を産み終えたその時に、既に死んでいたのですから」



そう微笑み諭すレミディアの顔を見て、

再び王子の瞳に涙が浮かんだ。

手を繋ぐ力を強めた王子は、涙を零しながら訴えた。



「やだ。お母さんじゃなきゃ、やだ……」


「アレクサンデル様……」


「お母さんは、お母さんがいい……」


「……私も本当は、貴方の母親で在りたかった。ごめんなさい。ごめんなさいね……」


「お母さん……。お母さん……」



涙を流す王子を優しく抱きながら、

レミディアは諭すように呟き謝った。

生気の無いはずの瞳から涙を流し、

王子を抱き締める力を僅かに強める。


母と子が互いに涙を流しながら抱き合う姿に、

父親であるマシラ王も涙を浮かべ、

二人を抱えるように腕を回して抱いた。



「……すまない。私が、私がもっと、頑張っていれば……ッ」


「お母さん……お父さん……」


「ごめんなさい……。ごめんなさい……」



親子三人が互いに抱き合い、

涙を流しながら謝り続けた。


生者である時に親子として接する事が無かった三人が、

この時に初めて家族になれたと、アリアには見えた。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る