喪失の代価


エリクが目を覚ました時、

地面に体を預けるように倒れていた。



「……おれ、は……」



身体中の節々に重い痛みを感じつつも、

エリクは思い出すように視線を周囲に送る。


空はまだ青く、日も高い。


腕を動かそうとしても、痛みで上手く動かせない。

辛うじて動くのは、首と顔のみ。

エリクは朦朧とした意識の中で、

首を横へ動かし、そこにあるものを見た。


そこには、アリアがいた。



「……アリ、ア……」



自分と同じように地面へ倒れ、

金色の髪が乱れても整えられた顔が見えた。

目を伏せているが、間違いなくアリアだった。


まるで、アリアは眠っているようだった。



「……アリア……?」



エリクは漏らすように声を出し、アリアに話し掛けた。

しかし、返答は無い。

よく見れば、アリアの鼻と口から赤い血が流れていた。

エリクはそれに気付き、

朦朧とした意識を徐々に覚醒させた。



「アリア……」



痛みに耐えながら、エリクは体を起こした。

腕と背筋に力を込めて上半身を起こし、

エリクはアリアの体全体を見渡した。


そこでエリクが見たのは、

胸から赤い血を流すアリアだった。


丁度、胸の心臓の部分の肉が抉られ、

少なくも血溜まりを地面に発生していた。

その上にアリアは横たわり、目を閉じて倒れていた。



「……アリ、ア……?」



それを見た瞬間、エリクは朦朧とした意識が蒼白し、

目の前の光景を受け入れられなかった。

その光景を否定するように、

自身の痛みすら否定して腕を動かし、アリアに手を伸ばす。


アリアの金色の髪を触り、顔に手を伸ばす。

頬に触れても、アリアに反応は無かった。


エリクは無意識に、アリアの息を確認した。

アリアの鼻と口の上に軽く手を向け、

息をしているのかを確認した。


アリアは、息をしていなかった。



「……アリア、起きろ……」



エリクは初めて、アリアに起きろと言った。

今までの旅でアリアに起きるよう一度も声を掛けなかったエリクが、

初めて声を出し、アリアの肩を揺らして起きるよう言った。


しかし、アリアは起きなかった。



「……」



エリクは反応が無いアリアを見ながら、

痛みを無視して起き上がり、地面に倒れるアリアを見た。

その時には、エリクの意識は朦朧とはしておらず、

はっきりとした意識の中で、エリクは察した。


アリアが、死んだということを。



「……アリ、ア……」



死んだアリアを見ながら、

エリクは今までに無い喪失感と虚無感に襲われていた。


そしてエリクの中に思い出されるのは、

一年にも満たない、アリアとの旅の記憶。


初めて森の中で出会い、

道中や街で笑って話す金髪碧眼の少女。

喜怒哀楽の様々な表情を見せて、

分け隔ての無い言葉で話し掛ける姿。

文字を教え、数字の計算を教え、

物事の知識を自分に教え導く姿。


自分より遥かに小さく華奢な体で、

誰よりも強い意志と力ある瞳を宿した少女。

エリクにとって、アリアとはそういう少女だった。

そして、アリアが何かを満たしてくれていたのを、

エリクは今、自覚した。


エリクは自分の瞳から、

何かが溢れて出てくることを自覚した。

それが自分の頬を伝い傷のある顎に届くと、

そのまま地面へ落ちていった。


エリクは今までの人生の中で、初めて涙を流した。


一度として泣いた事の無いエリクが、

涙を流してアリアの死を悲しんでいた。

しかし、エリクにはそれが何なのかを理解出来なかった。

身体中の痛みより重く圧し掛かる喪失感と虚無感が、

涙として表れ、エリクに暗い感情を生み起こした。


その中で、エリクの背後から声が聞こえた。



「死んだか」


「……」


「貴様を庇い、障壁を幾重にも張ったようだが。障壁を突破した俺の角が突き刺さり、心臓に達したようだな」


「……」



声のする方へ、エリクは振り返って視線を向けた。


そこには、人の姿を模した牛の獣がいた。

その牛の頭から飛び出す二本の角があり、

その一つに赤い血液が付着していた。


エリクは喪失感と虚無感の中、

薄暗く発生した感情に、火が灯った。


それを知らずに、牛の姿をした者は話を続けた。



「お前も、その女と共に送ってやる」



牛の顔をした巨体が体を動かし、

エリクの背後まで歩み寄った。

そしてすぐ傍まで来ると、

エリクに両の手を合わせて握り拳を向けて振り上げた。



「死ね、侵入者」



そして牛の顔をした巨体が、拳を振り下ろす。

凄まじい威力を秘めた拳が、

エリクの頭上に振り下ろされた。


そして、凄まじい轟音がその場に響いた。

エリクとアリアが居た場所の地面がひび割れ、

まるで地震と地割れでも起きたように王宮を揺らす。


牛鬼族へ変化したゴズヴァールの拳が、

エリクにトドメを刺したのだと、

拳を振り落とした本人も、

それを見ていた少年闘士マギルスも思っていた。


しかし、それは違っていた。



「――……なに?」


「……」



エリクは左手を頭上に掲げ、

振り下ろされた拳の鉄槌を受け止めていた。


ゴズヴァールはそれを怪訝に思うより早く、

野生の勘とも言うべき感覚が、危険を察した。


ゴズヴァールの巨体が一瞬でエリクから遠ざかり、

驚きの視線と共にエリクを見た。



「……これは、魔力……!?」



この時、エリクは身体中から魔力を発していた。


本来は空気中に溶け込み、

魔法で発現しないと視認できない魔力が、

視認できるほど状態でエリクから放たれていた。


その魔力の色は、赤と黒が交じり合う色。


まるで螺旋を描くように紡ぎ纏う魔力が、

エリクの周囲を纏っていた。



「やはり貴様も、魔人か」


「……お前が……」


「しかも、このドス黒い魔力は……」


「……お前が、アリアを殺したのか」


「やはり貴様は危険だ。この場で殺す」


「お前がアアアアアアアアァァァァアアアアアア!!」


「!!」



ドス黒い魔力を放つエリクが立ち上がり、

ゴズヴァールに対して咆哮し、凄まじい速さで駆け出した。

そして右手を振り上げ、ゴズヴァールを撃つ。


ゴズヴァールはそれを回避し、

左拳を握ってエリクに撃ち当てた。


飛ばされながら壁へ激突したエリクは、

狂気にも似た怒りの表情を向けて飛び出し、

再びゴズヴァールを襲った。


今のエリクは人間とは程遠い。


眼球が赤色に変貌し、

更に筋力が体内の魔力で増強されたのか、

明らかに人間離れした脚力と耐久を示す。

腕と足が一回り太くなり、

体が膨張したように膨れ上がった。



「そうか、魔の血が覚醒させたか」


「ガアアアアアアアッッ!!」


「暗きに墜ちた魔が。俺が殺してくれるわッ!!」



変貌し激情に任せるエリクをそう言い、

ゴズヴァールは牛鬼の姿で立ち阻んだ。


アリアの死によって、

エリクが魔人としての覚醒を始めたのだった。




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