黒獣の恐怖


 王宮にエリクが侵入した十数分後。

 エリクの侵入した理由が兵士と闘士達に共有され、牢獄が備わる建物の前に数十人の兵士と共に、黄色の服を身に付けた闘士達が駆けつけた。

 しかし、その場に広がる惨状に全員が絶句していた。


「……これは……なんだ……?」


 一人の闘士が僅かに漏らす声が、その場の全員の思いと一致していた。

 建物の外や屋内に居た闘士と兵士達が、全て重傷を負わされた状態で倒されていたのだ。

 中には鎖を武器として扱う闘士も居たが、逆に鎖で雁字搦めに巻かれ、重傷の状態で建物の柱に拘束されていた。


 その光景を見た闘士の一人が、思考も体も硬直していた各自に命じた。


「……兵士は重傷者を応急処置し、医務室に運べ。闘士部隊は、侵入者を追う」


「……ハッ」


 兵士達が負傷者を応急処置を施し始め、闘士達は建物内部の牢獄がある地下へと、十数人で走りながら向かった。

 牢獄の扉の前まで行き着いた闘士達が見たのは、入り口や他の場所と似た光景。

 牢獄の番兵を含んだ兵士達と、騒ぎを聞き駆けつけた闘士達が、重傷者となってその場に倒れ伏している姿だった。


 その光景の中で僅かに意識を戻して動き、壁に背中を預けて息を乱して座る闘士の一人に、駆けつけた者達は問い質した。


「おい、何があった?」


「……ば、けもの……が……」


「まさか、やられたのか。たった一人の侵入者に?」


「……人間……では、ない……」


「侵入者は何処だ。もうここにはいないのか?」


「……奴は……」


 壁に背を預けた重傷の闘士が、意識を朦朧とさせながら腕を動かし、牢獄の入り口となる扉を指し示した。


「侵入者は、まだ中か?」


「あ、あ……」


「……全員、武器を構えろ」


 闘士達がそれぞれ武器を構え、倒れた者達から視線を外して動き出す。

 全員が牢獄の扉の前に辿り着き、扉を開こうとした瞬間に扉が勝手に開かれ、内側から何かが突如として飛び出した。


「!?」


「こ、これは……」


 飛び出して来た何かは、闘士の服を来た男だった。

 案の定、その姿は直視できぬほどボロボロであり、顔中が血だらけで、両手の指が幾つか折られ、完全に気を失った状態で床に突っ伏していた。


 その場の全員がそれに驚きながらも、幾人かが牢獄の扉を凝視した。

 そして牢獄の扉の中から黒い影が現れ、闘士達が待ち構えた表に出て来た。


「コイツが……」


 闘士達が呟きながら見たのは、黒髪と褐色の肌に傷が有る、黒い服に血を付着させた大男。

 侵入者であるエリクが背中に大剣を背負った状態で、牢獄の扉からしっかりした足取りで出て来た。


「……また、黄色い服か」


「!」


 鋭く怒りが含まれる視線と言葉をエリクが放った瞬間、四名の闘士達がそれに反応し、一斉に接近して武器での攻撃を放った。


「!?」


 エリクはそれ等の攻撃を全て回避した上で、一人の背中を地面へ叩き付けるように殴打し、一人の腹部を蹴り上げられ高い天井に叩きつけられた。

 そして残った二人の内、一人は腕を掴まれた瞬間に腕を折り、掴まれた腕を振り回されてもう一人に叩きつけられた。


「グ、ァ……」


「……ッ」


 床や天上、そして壁に叩きつけられた闘士達は、その部分が崩れて破壊される程の衝撃を受け、四名の闘士達が一瞬で戦闘不能に陥った。

 それを見た残った闘士達が、呆気と共に訪れる驚きに身を震わせた。


「……こ、これはダメだ……」


「エアハルトか、ゴズヴァール闘士長でないと……」


 先頭に居た二名の闘士がそう呟き、最後尾の闘士に目配せをして指示を送った。

 その闘士は無言の命令を受けて頷き、急いでその場から離れて建物の入り口へ走り出した。

 残った数名の闘士は、改めて武器をエリクに向けて、対峙した。


「時間を稼ぐ。エアハルトかゴズヴァール殿が到着するまで……」


「ああ」


「クッソ。こんな化物が、闘士長以外にも居るのかよ……」


「迂闊に近づくなよ」


 闘士達がそれぞれに小言で話し合い、武器を構えてエリクと対峙した。

 そんな闘士達をエリクは見据えながら、低い声で尋ねた。


「おい」


「!」


「この牢獄に、女が捕えられていたはずだ。何処へ移動させた?」


「……」


「そこの男は、移動させた場所までは知らないと言っていた。……移動させた先を知っているのは、誰だ?」


「……ッ」


「……そうか。なら、自分で探すしかないか」


 諦めたように溜息を吐いたエリクは、その場から歩き出して闘士達の方角へ移動する。

 そして背中の大剣を右手で引き抜き、剣先を床に当てて引きずりながら近付いた。

 顔に影を落として不気味に近付くエリクに、闘士達は恐怖に似た悪寒を味わいつつも、立ち向かった。


 そして数分後。

 牢獄のあった建物から血に塗れたエリクは出て来た。

 表情は厳しいまま鋭い視線を周囲に向け、建物を包囲していた兵士達が震えつつも、武器を構えて待ち構えている姿を目撃した。


「……」


 エリクは無言のまま影を落とした顔で歩き始めた。

 その方向で待ち構えていた兵士が、近付きつつあるエリクの様子を見て怯えを増加させ、先頭に居た兵士達が道を譲るように動き始めた。

 近付くエリクに比例するように兵士達が道を開け、敷いていたはずの包囲が崩れてしまった。


 しかし、退く兵を誰も咎めようとしない。

 それはエリクと対峙している者にしか分からない、全身に流れる悪寒と恐怖が彼等の脳裏を支配していたからだ。


「……こ、怖い……」


「震えが……止まらない……」


「あれが、人間……なのか……?」


 兵士達が僅かに漏らす声は、エリクに向ける恐怖から来るものだった。

 目の前の一人の人間がこれほど恐ろしいと、そうした感覚を兵士達は共有していた。


 道を譲られたエリクは兵士達に目もくれずに、大剣を引きずりながら歩き続けた。

 アリアが移された場所を知らないだろう兵士に、問い掛ける時間さえエリクは惜しんでいた。


 そしてエリクが包囲が解かれた人垣の道を進むと、目の前に立ち塞がる男がいた。


「……昨日の男か」


 目の前に現れた男を見て、エリクが呟く。

 エリクの前に立ち塞がったのは、灰色の髪と褐色の肌を見せる黄色い服の男。

 昨日の夜にエリク達の前に現れた、闘士の男だった。


「エ、エアハルト様……!」


 エリクから齎された恐慌状態の中で、兵士達が現れた闘士の名前を呼んだ。

 そこには希望にも似た期待の視線と呟きが溢れた。


 希望を向けられるエアハルトは、エリクを見ながら怪訝な表情を見せた。


「……お前は、本当に昨日の男か?」


「?」


「昨日とはまるで、匂いが違う。人を食い殺す獣と、似た匂いがする」


「……お前も、似たようなものだろう」


「!」


「昨日。お前を見た時から、魔獣と似た気配を感じていた。……お前は、人間ではないな」


「……」


 向かい合うエリクとエアハルトは、互いに相手を魔獣に似た者だと認識した。

 そして互いに無言のまま構えた。

 エリクは大剣を横這いに構え、エアハルトは素手のまま拳と足を突き出して構える。

 戦いを始めようとするエアハルトを見ながら、兵士達は期待にも似た希望を見て呟いた。


「エ、エアハルトだ……」


「エアハルト殿が、戦うぞ……」


「闘士の中でも、第二の実力者が……」


 二人が張り詰めさせる空気の中、囲んでいた兵士達は無意識に周囲から身を引いた。

 兵士達の動きで闘技場を囲う観客が集う空間を生み出され、二人の周囲に距離を開けながら覆うように囲む。

 その人垣の闘技場に立つ二人の内、戦う構えを解かずにエリクが最後の問いとして口を開いた。


「聞く。捕えた女が何処にいるか、知っているか?」


「ああ」


「教えろ」


「断る」


「……そうか。なら、もういい。退け」


「断る。侵入者、お前を捕らえる」


 二人は互いに敵である事を認め、エリクとエアハルトは同時に飛び出して動き出した。

 マシラ共和国の序列二位の実力者である闘士エアハルトと、元王国傭兵百人隊長エリクの戦いが、幕を開けた。

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