老騎士ログウェル


 定期船に乗ろうとする二人の歩みを遮る自称旅行者の老人は、盗賊組織に狙われたアリアの迂闊さを伝える。

 更に夜襲を仕掛けようとした盗賊達を逆に撃退したエリクの素性に気付く素振りを見せながら、奇妙な微笑みを向け続けていた。


 二人は強い警戒心を抱きながら、老人を見据える。

 すると今まで遮っていた船橋みちを譲るように老人は横へ移動し、こう述べた。


「礼の代わりと言ってはなんじゃが、出航を見送らせてもらおう」


「……」


 微笑みながら伝える老人に、エリクは警戒心を解かずにアリアへ視線を向ける。

 するとアリアは僅かに頷き、エリクと共に船橋を渡り始めた。


 しかし老人の前を通過する最中、再び二人を呼び止めるような言葉が発せられる。


「そうじゃ、思い出したわい」


「……なんだ?」


「実はな、町長からもう一つの依頼も聞いておってな。この帝国くにのローゼン公爵家から直々に通達されておる依頼らしい」


「!!」


「数週間ほど前、とある貴族の令嬢が行方不明になったらしくてのぉ。十五・六歳の金髪碧眼をした娘らしい。その娘を探して確保するのが依頼内容なんじゃが……お前さん達、心当たりは無いかね?」


「……知らないな」


「そうかね。……噂ではその娘は、魔法に類稀なる才を持っておるらしい。魔法師というのは日に数えて数度しか魔法を行えぬが、その娘は日に魔法を幾十数回も使える胆力と才を兼ね備えておるようじゃ。無傷で保護すれば、莫大な報償金を得られるそうじゃよ」


「……そうか」


 老人の話に思わず立ち止まってしまった二人だったが、再び船橋はしを歩き始める。

 しかし老人は言葉を止めず、エリクの隣を歩くアリアの背中を見ながら話し始めた。


「ところで、そちらのお嬢さん。北港町ここで多くの重傷者達を一日で治療したそうじゃな? しかも全て魔法を使って」


「……それがどうした?」


「言ったじゃろ? くだんの娘も、日に数十回と魔法を使える才を持つと。……若い魔法師のお嬢さん。是非、名前を聞いてみたいんじゃがな」


「この子の名前は、アリスだ」


「なるほど、アリスか。……さて、では最後の質問をしようか。傭兵エリク」


「違う、俺は――……」


「――……アルトリア=ユースシス=フォン=ローゼン様を連れて、何処に行く気かね?」


「ッ!!」


 その声が老人から発せられた瞬間、二人は悪寒を走らせる。

 すると次の瞬間、エリクは左手でアリアの右腕を掴み、船橋から一気に定期船の甲板に引いて突き飛ばした。


 アリアはそれで甲板に倒れ込みながらも、すぐに上体を起こして船橋にいるエリクに声を向ける。


「エリクッ!?」


「船に乗れっ!!」


 怒鳴るように叫ぶエリクは、老人が羽織る外套マントの下から現れた銀色の長剣に気付く。

 そして自身に迫る既に長剣に対して、身に付けていた黒鉄の篭手ガントレットで刀身を弾いた。


「ほほぉ」


「クッ!!」


 咄嗟に長剣を弾いたことを感心する老人に対して、エリクは苦々しい表情から声を漏らす。

 しかし黒鉄の篭手ガントレットで固めた右拳を老人に向け放つと、それを易々と避けられながら二人の間に僅かな距離が開けた。


 アリアはそれを見ながら躊躇を見せながらも、すぐに定期船の内部に繋がる扉に走り出す。

 それを足音と気配で察するエリクに対して、微笑みながら剣を向ける老人男性は会話を交えた。


「やはり王国ベルグリンドの【黒獣ビスティア】傭兵団の団長、傭兵エリクじゃったか」


「……お前は、ただの旅行者ではないな」


「そういえば、儂の自己紹介がまだじゃったの。――……儂の名はログウェル。ログウェル=バリス=フォン=ガリウスという、ただの旅好きの老騎士じゃよ」


「その名前、貴族なのか?」


「領地を持たぬ、ただの伯爵騎士じゃよ。流浪の――……なっ!!」


「グッ!?」


 微笑みながら自己紹介したログウェルは、素早い剣戟を放ちながらエリクを襲う。

 それに対応しようとするエリクは船橋を飛び越え、定期船とは逆側の陸地に着地した。


 ログウェルはそれを追う為に船橋から飛び、再びエリクへ剣戟を浴びせる。

 それを回避し篭手ガントレットで弾き受け流すエリクは、その猛攻を耐え続けた。


「王国最強と名高い傭兵に出会えるとは、実に幸運じゃな!」


「ッ!!」


 躊躇いを見せずに突きを放ったログウェルは、すぐに長剣を横に薙ぎ払う。

 それをエリクは紙一重で回避し、避けられない斬撃に対しては黒鉄の篭手ガントレットで捌きながら激しい攻防戦を繰り広げた。


 その周囲に居る者達は表情を唖然とさせながら、激しく動き続ける二人の戦いから遠ざかる。

 しかし余裕の笑みを崩さないログウェルは、避けながら防ぐことしかしないエリクに声を向けた。

 

「どうしたね、お前さんも背中の大剣けんを抜いて戦わぬのか! ……それとも、大剣を抜く暇が無いかね?」


「……ッ!!」


 背負う大剣を抜こうとしないエリクに、ログウェルは怪訝な声を向けながらも攻めを緩めない。

 そうした最中に二人の耳に届くのは、定期船が軋みを挙げながら帆を広げる光景だった。


 それを横目で確認したエリクは、船の甲板から投げ掛けられた編み縄の梯子に気付く。

 そして甲板から身を乗り出すようにへりから上体を見せたアリアが、エリクに大声で呼び掛けた。


「――……エリク! 梯子コレに掴まってっ!!」


「むっ」


「ッ!!」


 アリアの呼び声にログウェルも気を取られた瞬間、エリクは周囲に置かれた小さな箱を左手で掴む。

 そしてログウェルに小箱それを投げつけながらも、瞬く間に切り裂かれた。


 しかし小箱の中に入っていた麻袋が切り裂かれた事で、その場に薄茶色の小麦粉が大きく舞い散る。

 小麦粉それがログウェルの視界を濁すと、その隙にエリクは走りながら跳躍し、陸から離れて出発する定期船に掛けられた梯子はしごに掴まった。


 それに気付き舞い散る小麦粉を振り払いながら走り追ったログウェルに対して、エリクは右手で背負う大剣を掴み抜く。

 そして大剣の矛先をログウェルに向けて牽制すると、そのまま立ち止まったログウェルは納得した様子で声を向けた。


「……なるほど。大剣けんを抜かなかったのは、余裕を持って梯子それに掴まる為か。傭兵エリクよ」


「……っ」


「お前さんとは、いつか本気の手合わせをしたいものじゃて。お前さんもそう思うじゃろ?」


「……恐ろしい男だ」


 徐々に陸から遠ざかる定期船とエリクを見送りながら、ログウェルは微笑みながら見送る。


 しかしエリクは冷や汗を額に流し、防御に使った右手の黒鉄の籠手ガンドレットに視線を落とす。

 新品にも関わらず傷だらけになっている籠手ガントレットを確認すると、小さな溜息を漏らした。


 こうしてエリクとアリアは、辛うじて定期船に乗って難を逃れる。

 しかし老騎士ログウェルとの遭遇は、彼等にとって逃亡劇の開始を鳴らす警鐘ゴングでもあった。

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