北港町
無事に検問所を通過したアリアとエリクは陸から海を眺めながら、
港町には五百名以上の住民達が暮らし、漁業と貿易品などを商う市や商店が栄える光景が見えた。
すると黒髪に偽装したままのアリアは、港町の入場しての感想を述べる。
「――……結構、大きな港ね」
「……」
「あら、どうしたの?」
「……あの、湖に浮いているのはなんだ?」
「湖じゃなくて、あれは海。そして浮いているのは、船よ」
「あれが船か、大きいな。……海と湖は、何が違うんだ?」
「……エリクには、色々と言葉以外にも教えないといけないわね……」
「?」
「とりあえず、宿を探しましょう。それからマウル医師という人の所を訪ねて、話を聞いてから仕事ね」
「分かった」
前を歩くアリアに追従するエリクは、宿屋を探しながら市場と商店や見て回る。
港町だけあって魚介類の食料店が多く、干した魚や焼いた魚貝の身が焼ける匂いが町中に漂っていた。
それにアリアは興味を示し、串に刺された魚の塩焼きを二つ購入する。
すると一本はエリクに渡し、焼き魚を頬張りながら話し掛けた。
「……美味しいわね。塩味だけなのにこんなに美味しくなるなんて。そう思わない? 貴方も」
「そうなのか?」
「えっ。……
「よく分からない。何を食べても、噛んで飲み込めば、腹に溜まるだけだ」
「そっか、味覚も鈍化しちゃってるのね。……貴族の料理とか、食べたことある?」
「いや。見たことはあるが、食べたことは無いな。豪華そうな食事だというのは、なんとなく分かるが」
「そうでもないわよ。貴族の料理、特にパーティなんかに出される料理はね。口にする為に料理人や給仕の確認は勿論、毒味とか検査をするから、出された時には凄く冷めてて不味いの。それが分かってるから口にも付けず、パーティが終わったらそのまま捨てちゃう場合もあるのよ」
「捨てるのか、勿体無いな」
「でしょ? まぁ、毒味とかは仕方ないにしても、だったら料理なんて出さなきゃいいのに。例え冷めても美味しい料理を出しても、貴族達は絶対に口にしないの。嫌になっちゃうわ」
「……そうか」
「私、貴族がやるパーティは嫌い。でもこういう町でやるお祭りは好きで、そういう時は家から抜け出して、こっそり領地のお祭りに参加してたのよ」
「だから、買い物にも慣れているんだな」
「ええ。いつか家から離れて、旅に出たいと思ってたわ。でも馬鹿皇子の婚約者だからって、我慢してたけど……。旅をして、自由の身になって。もう誰にも縛られずに暮らしてやるわ!」
「……そうだな。その手伝いを、俺はしないとな」
「何を言ってるのよ。貴方も自由になるの、エリク」
「俺も?」
「誰にも縛られずに飲んで食べて戦って、依頼をこなしてお金を稼ぐ。それが傭兵の本当の生き方なんだから」
「……そうか」
アリアが笑いながら教える言葉に、エリクは不思議な様子で首を傾げる。
今までのエリクが居た王国では、貴族や貴族を介した者達から命令を受けて依頼をこなすのが傭兵の仕事だった。
そこに自由と呼べるものはなく、命令され実行するだけの世界。
それが世界の全てだと、エリクは今まで思っていたのだ。
価値観を持つエリクが
それを感じながらも自覚できないまま、彼は食べ終わった串を屋台に返してアリアと共に再び歩き始めた。
そして市場の商人達に宿がある場所を聞いたアリアは、そこに向かい始める。
すると
それを見上げるエリクは、訝し気に問い掛ける。
「……こんな大きな宿に、泊まるのか?」
「そうよ。言ったでしょ? この魔法学園卒業の証。魔法使いとしての認識票を持ってれば、こういう施設に泊まれる資格は十分あるの。宿泊費も、私が持ち出した金貨がまだまだあるわよ!」
「持ち出したとは、盗んだのか?」
「人聞きの悪いこと言わないでよ。コレは私が、私の商売で稼いだ金貨。正当な私の財産よ」
「そうなのか。若いのに商売で稼ぐとは、凄いな」
「ふふんっ」
「じゃあ旅の資金は、しばらく困らないのか」
「そうよ。無駄使いさえしなければ、これだけで十年間は暮らしていけるわよ」
「十年か、凄いな」
「……もしかしてエリク、金銭の価値とかも分からない?」
「ああ、よく分からない。金貨一枚で、干し肉がいくつ買えるんだ?」
「そうね。軽く二百個くらいは買えるわね」
「凄いな」
「……エリク。貴方、今までよく傭兵をしてこれたわね?」
「物を買うのは、傭兵の仲間に全て頼んでいた。余った金は、すべて貧民街の者達に渡していた」
「!」
「俺は、金の価値も使い道もよく分からなかったから。だから君に、物を買ったり宿屋に通す金のことを任せてしまうが、いいだろうか?」
「……分かったわ。その代わり、私が金銭や市場の事をエリクにも教えるわ。いい?」
「それが護衛に必要なら、覚えよう」
互いにそうした話をした後、二人は宿屋へ入る。
それから部屋の鍵を貰ってから階段を登ると、エリクは不思議そうに問い掛ける。
「鍵は、一つなのか?」
「そうよ、私とエリクで二人部屋を借りたわ。私達、一応ここでは親子ってことにしてるから」
「いいのか?」
「良いも何も、護衛の貴方が別の部屋に居たら万が一の時に対応が遅れちゃうでしょ」
「それは、そうか」
「さっ。さっさと部屋に荷物を置いて、お風呂入りましょう。しばらく濡れ布で体を拭くだけだったもの、さっと浸かって温まってからマウル医師って人の所へ行きましょう」
「……お風呂とは、なんだ?」
「えっ。……温かい水で満たされた浴槽に入って、体を洗う場所よ。まさか、知らないの?」
「体を洗うのか。水で体の汚れを流すことは、何度かしたことはある」
「……エリク。貴方は部屋に行ったら、まずはお風呂よ」
「え?」
「野宿生活で鼻が鈍ってたわ……。私が洗ってあげるから、絶対にお風呂に行くの! あと、髭とボサボサ頭も切って整えるわよ!」
「い、いや。俺は別に……」
「これは雇用主としての命令!」
「わ、分かった……」
凄まじい剣幕を見せるアリアに、エリクは渋々ながらも応じる。
そして部屋に入ったアリアは風呂場を確認し、エリクの装備と服を剥がして風呂へ入れた。
肌着となって魔法で御湯を作り出したアリアは、エリクに適温の湯を頭から浴びせる。
そして風呂場に備えられた石鹸と布を活用し、溜まりに溜まったエリクの汚れを落とし始めた。
更に自前のハサミを使ってエリクの頭髪を短く揃え、細いナイフを使ってエリクの顔髭を剃り落とす。
そして数十分間、エリクには湯舟に入り続ける事を命じた。
「――……これで良し!」
「……そんなに違うのか?」
「さっきまでは汚れや埃、垢まみれだったもの。服も洗えば、それなりに見栄えの良い傭兵に見えるわ。そこら辺は、明日か明後日ね」
「そ、そうか。身嗜みを整えるというのは、大変だな」
「身嗜みは大事よ。特にこの後に向かう場所は、医者が居て病人がいる場所なんだから。清潔さは必須よ」
「そうか、分かった」
「じゃあ、私も御風呂に入るから。しばらく待っててね」
「ああ」
一仕事を終えたアリアは充足感ある顔を浮かべ、今度は自分の為に風呂場に向かう。
それを待つ事になったエリクは風呂場から響く鼻歌を聞きながら、二時間以上も待たされることになったのだった。
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