第五章 神崎渚砂の真実

5-1

 美夜が外泊してから三日。

 一日一通メールはやってきたが、こちらが電話や返信をしてもまるで返事はこない。

 何かがおかしいと思った俺は、麗華にそれと告げずに一人、美夜のバイト先へ赴いた。

 当たってほしくはない予感ほど当たるもので。案の定、由梨の家に美夜は泊まっていなかった。それどころか、バイトも欠勤しているそうだ。一応その連絡は来ているらしいが。

 当然のように美夜がどうかしたのか問うてくる由梨に、俺は続けて質問を投げ返す。三日前、美夜に変わったことはなかったかと。

 すると、「変わったことではないですけど。たしか美夜ちゃん、あの日はビラ配りに外出てましたよ」と由梨は言った。


 ビラ配り……。俺の手伝いに意気込んでいた美夜。点と点を線で結ぶと、新たな点へと線がまた伸び、ある可能性を示唆した。

 もし偶然、出先で帯刀を見かけたら? 以前尾行したことからも、何かを探っているのは明白だと美夜でも気づくだろう。その理由までは詳しく教えていなかったが、尾けていれば何か分かるかもしれないと、首を突っ込んだとしてもおかしくはない。


「ったく、猫じゃないんだから好奇心に任せて追うなよな」


 メールが来る、ということは無事ではあるわけだ。だからといって安心は出来ないが。

 もし美夜を連れて行ったのが帯刀だったとしたら、こちらが神崎を匿っていることはもうバレてる可能性が高い。いくら口外するなと言っても相手は関係者で、俺みたいに銃を向けられたとすれば美夜が口走ってもおかしくないからな。

 帯刀が知ったと仮定して、あの男からこの三日、なにも連絡が来ないことは引っかかるが。

 何か考えがあってのことか。もしかすると交換条件としての人質なのかもしれない。けど帯刀がそんな回りくどいことをするだろうか? 試作体という言葉を聞いただけで処分しようとするような奴だ。悪い意味で合理主義なんだろう。

 神崎がこちらの保護下にあると分かれば、美夜は用済みと判断しても何らおかしくはない。ただの人質交換と決めつけるのは尚早だ。

 それに、神崎に関わっていそうなブリードのことまでは、美夜は知らない。そこまで知っていることが知られていたら分からないが、すぐに殺されるということは考えにくい。

 焦燥は感じている、なんとかしたいとも思ってる。でも情報はなにもない。ここではうまく考えがまとまりそうになかった。

 一旦事務所に戻ることにし、喧嘩して美夜は家出中だと由梨に嘘を告げ、俺は店を後にした。



 照りつける夏の日差しから逃げるように雑居ビル群を抜け、俺はその中の一棟へ足早に駆け込んだ。シャツの胸元をパタつかせ、多少なりと片付いたエントランスを横目に、エレベーターで二階へ。

 開いたドアの先、事務所の扉を押し開けて中へ入ると、


「――零司!」


 途端に血相を変えた麗華が詰め寄ってきた。

 驚きのあまり仰け反ると、その手に一枚の封筒があることに気づく。

 すぐさまそれが、美夜に関してのものであることを察した。

 不安そうな眼差しを向けてくる麗華から封筒を受け取り、中に収められていた手紙を開く。

 内容は、想像した通りだった。


『月島美夜は預かった。無事に帰して欲しければ、渚砂お嬢様は丁重に扱え。なにかあればこちらからメールを入れる。PS 神崎岳人には報せるな』

「零司、美夜が……」


 声を震わせ、俺の腕に縋りつきながら気ぜわしそうに見つめてくる麗華。まるで子供を心配する母親のようでもあり、幼子そのものにも見えた。


「大丈夫。少なくとも帯刀には、美夜を無事にこちらへ帰すつもりがあるってことだ。神崎に危害を加えるつもりは毛頭ないから、ここはもうクリアしてる」


 落ち着かせようと思い淡々と告げると、信じられない物を見たと言わんばかりに目をパチクリとさせた。


「……ずいぶんと落ち着いてるわね」

「そうでもないよ」

「そうかしら、余裕があるように見えるけど。あんたは美夜が心配じゃないの?」

「心配してないわけ、ないだろ」


 俺はあいつの保護者だ。でも、心配だけしていたってなにも始まらない、変わらない。無事であることが確認できただけで、いまは良しとするしかない。

 それに、完全に帯刀を信用しているわけじゃないけど。以前尾行した際、喫茶店で話していた内容『――お嬢様は猫好きだからな』

 今さら思い返してみると、この言葉から帯刀は、神崎を大切に思っていることが推測できる。

 どうでもいい奴のそんな情報、覚える気なんてないだろうし、たとえ覚えていたとしても自慢気に他人に話したりはしないだろう。


 神崎岳人が娘を探せと言ってきたあの日。

 神崎渚砂の情報を特にはこちらへ提示しなかった。大事な娘を探させるのだから、好きな物の一つや二つ、特徴として何かしら挙げるのが普通だろうに。忙しいからと言って、手がかりになるものを伝えていかないのはやはり気になった。

 もしかしたらそれは、『教えなかった』のではなく、知らないから『教えられなかった』のかもしれない。そう捉えると、少なくとも帯刀は父親よりも神崎渚砂に関心があると言える。

 その帯刀が交換条件として連れ去った美夜に、危害を加えるとは思えない。

 心でも覗き込むかのように見返してくる麗華に、俺は努めて平静を装った。


「もちろん余裕があるわけじゃないよ。けど、落ち着いて見えるならそれは、」


 わずかに区切ると、「それは?」と麗華が復唱した。


「美夜が無事で、帯刀がなにか事を起こそうとするXデーまでは、まだ日にちがあるってことが分かったからだ」

「そういえば、向こうから連絡が来る旨が書かれてたわね。それにしても、父親には報せるなってどういうことかしら……」

「知られると不味いことがあるのかもしれない。その真意を探る時間は少ないだろうけど、猶予はまだあるってことだろ。なにをしようとしてるのかは分からないけどさ」


 それまでに何としても、神崎から聞かなきゃならないことがある。口を割らせるのは相当骨が折れそうだけど、真実がなんなのかを知るためには割らせるしかない。その切っ掛けになる事象を掴む。短い時間で俺が出来ることは限られている、けどやるしかない。

 神崎の、虚飾ではない本当の笑顔を取り戻してやるためにも……。

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