4-5

 夜、十時半。

 いつもなら当の昔に連絡が入るはずの美夜から、なんの音沙汰もない。

 うんともすんとも反応せず机に横たわる携帯を眺め、俺は嫌な予感がしていた。


「美夜のことが心配なのね」


 聞こえた声に振り返る。

 灰皿の吸殻を処理し戻ってきた麗華が、机に着きながらそう口にした。


「いや、別に心配してるってわけじゃ……。ただ遅いなって思ってさ」

「しょっちゅう携帯眺めてるのに、説得力がないわね。それに、それを心配してるって言うんじゃない」


 くすりと笑われ、それもそうだと首筋を掻く。


「心配しすぎよ。あの子ももう、小さな子供じゃないんだから」


 美夜にだって都合はある。連絡を忘れることだってもちろん考えられる。それは分かってる。

 けど、いままでこんなに連絡が遅くなることはなかった。一度もなかったんだ。仕事中でもメールしてくるような奴だ。おかしいと、心配しないわけがない。


「俺の気にしすぎかな」

「まあ零司は美夜の保護者でもあるか。心配する気持ちも分かるけど、待っててあげましょう」


 杞憂ならそれでいいんだけど。取り越し苦労で終わることを願うばかりだ。

 俺は黙したまま頷いた。


「それにしても、こんな時間まで事務所に居残ってるなんて珍しいな。姉さんこそ、美夜のこと心配してるんじゃないのか?」

「あたしは……あたしはいいのよ。所長として、所員の心配をするのも仕事なんだから」


 とか何とか言っても、俺にはちゃんと分かってる。


「姉さんは優しいからな」

「おだててもなにも出ないわよ?」

「本当のことを言っただけだよ。姉さんは、いつだって心配してくれてた」


 あの夜以降は特に。

 真っ直ぐに麗華を見返すと、小さなため息をつきながら気恥ずかしそうに頭を押さえた。


「……恥ずかしいことを思い出させないでくれる? 迂闊だったわ、あんたの前で泣いちゃったのはね。あたしのせいで何かに巻き込まれたらって思ったら、あの時は怖くなっちゃって。でもあの日、泥だらけで美夜を連れ帰ってきたのにはビックリしたけど」


 確かに。涙に濡れた顔で目を丸くしてたのは、今でもはっきり覚えてる。なんて口走ったら、麗華は怒るだろうか。

 でもそんな麗華だから、俺だけじゃなく美夜のことだってちゃんと見ていてくれるし、なにかあれば心配もしてくれる。俺たちを家族として大切にしてくれるんだ。


「……ありがとう。姉さんに出会えて、よかった」

「なにいきなり?」


 涙はないけど、いつかの光景と重なる驚いた顔。

 いや――と俺は首を左右にわずかに振る。


「面と向かって言うのって、やっぱ照れくさいな」

「言われたこっちはもっと照れるわよ――」でも、と麗華は前置くと、「あたしも、あんたたちと出会えてよかったわ。退屈しなくて済むしね」


 そう一言付け足して、照れくさそうにはにかんだのだ。



 それから俺の携帯が着信を告げたのは、十一時を十分過ぎた頃だった。

 急ぎスマホを手に取ると、待ち人からのメールが履歴として表示されている。メールを開く。

『レイちゃん、メール遅くなってごめん。由梨ちゃん家に泊まるから、心配しないでね』

 美夜にしては珍しく、なんにも装飾されていないメールだ。やはり違和感を覚える。


「美夜から?」

「ああ、バイト先の友達の家に泊まるってさ」

「なにかあったわけじゃなくて、一安心ね」

「……そうだな」


 魚の小骨みたいに胸に引っかかるものを感じながらも、『あんまりはしゃぐなよ』一度も使ったことがないペンギンの絵文字で締めくくり、美夜に返信しておいた。

 珍しいと突っ込まれるかと思って期待した返事は、結局送られてくることはなかった。

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