2-5

 午後二時。依頼主との約束の時間になった。

 ちょうど外からアイドリング音が聞こえたと思ったら、唐突に自分の携帯が鳴り響く。

「ん? 恭介からだ」通話ボタンを押して、聞こえよがしにため息を一つ。


「はぁ。お前起きてんなら下りてこいよ。依頼主が来たぞ」

『零司、早く上がってこい』

「うん? いや、呼んでんのは俺なんだけど」

『外見てみろ』


 端的に返す恭介の指示通り、窓際へ行きブラインドを僅かに押し下げて外を窺う。

 そこには黒い車の後部座席のドアを開ける、いつぞや見たガタイのいい黒服の一人がいた。後部から降りてきたのはテレビでも見た神崎岳人だ。

 そしてもう一人、助手席から降りる黒服が。運転手に比べるとかなり細身で、頼りになるSPという感じではない。しかし岳人と会話を交わしているところを見ると、どうやらかなりの側近だと想像できる。執事か何かだろうか。


「恭介、あいつが神崎岳人の運転手してるってことは――」

『恐らくお前の想像通りだ』


 それだけ告げると恭介は電話を切った。

 このままここにいたら、ややこしいことになるな。なにせ向こうからしたら俺たちは誘拐犯。


「姉さん――」

「行きなさい」

「えっ?」

「今のやり取りでなんとなく解るわよ。話だけならあたしだけで十分だから。それと、城崎さんを下ろさないようにね」


 察しが良過ぎて助かる。説明するための無駄な時間が省けた。


「悪い、ここは頼んだ!」


 俺は急いで事務所を出て、一日ぶりに四階の自室へ向かう。エレベーターのドアが開くと、部屋の扉の前で恭介が壁にもたれかかっていた。なにやらその手に、小さなアタッシュケースみたいな鞄をぶら提げて。


「なんで当たり前みたいに俺の部屋の前にいるんだ?」

「あの女を見張るついでにな」


 なるほど。


「それで、その鞄はなんだよ」

「事務所に仕掛けてある盗聴器の受信機だ」

「……おい、お前そんなもん仕掛けてたのか」

「なにを危惧してるのかは知らんが、普段は使ってないから安心しろ。そんなことより入れ」


 入れって、俺の部屋なんだけどな……。

 とは言うものの。今は女子が使っているわけで。

 俺は少々遠慮がちにスペアの鍵を差込み捻る。カチャリと音がし、鍵が開いた。

 玄関で靴を脱ぎ、廊下の奥、閉じられた扉の前で一つ深呼吸。


「城崎、悪い。入るぞ?」


 なんて一言断らなきゃ入れないってのが、少々惨めな感じではあるが。


「えっ、あのちょっと待っ――」


 中からドタバタ音が聞こえたが、俺は構わず扉を開ける。


「――――あっ」

「――――ッ」


 ドアの開け放たれたリビングには衣服を脱ぎ去り、実に開放的な下着姿のあられもないお嬢様の姿が。

 つま先から上へと視線を這わす。傷一つない肢体を包む下着は高級そうな白いレースで、イメージ通り清潔感がある。けれど上半身にブラはない。左腕で胸を隠し、着替えるつもりだったのだろうか、右手で黒鴉の制服とブラを一緒くたに掴んでいた。

 硬直する城崎は、見る間に顔を真っ赤にし涙目に。


「あ、いや、悪い、そんな格好してるなんて思わなくて、さ」

「ででで、出て行ってください!」

「いや、これから仕事――ぶもっ」


 ソファベッドから枕を投げつけられクリーンヒット。なんか女子のいい匂いがした……。ってそんな時と場合でなく。枕をどけると、城崎は次に置き時計を準備していた。


「わっ、待て! 分かった、いま出るから!」


 俺は恭介の背中を押し、慌てて自室を飛び出した。というより追い出された。


「あの程度で取り乱すとは。子供だな、零司」

「か、勘違いすんな。俺は自分の置き時計を守っただけだ!」

「実に言い訳がましい。苦しいぞ」


 ああいえばこういう。ほんと面倒くさい奴だ。


「そんなことより、盗聴は。ちんたらしてたら話終わっちまうぞ。ここでやるか?」

「そうだな、そろそろ奴らが事務所に入る頃合いだろう」


 恭介は静かに鞄を下ろし、そして開けた。中には受信機が二つ互い違いに入っていた。その内の一つを俺に手渡してくる。


「お前はこれを使え。コースター型の盗聴器だ。あの所長でも茶くらいは出すだろう」

「ん、分かった」


 コードから伸びるイヤホンを片耳に突っ込み、受信機の電源を入れる。ピーザザザと嫌なノイズが入るが、やがて音はクリアになっていった。


『――ようこそ黒鴉へ。お待ちしておりましたわ、神崎様』


 麗華の声が聞こえる。接客用の貌だ。なかなか音質はいい方だな。

 挨拶もそこそこに、岳人と付き人を来客用のソファへと案内し、いくつかやり取りがあった後、そしてゴトリという異音。どうやらコースターにドリンクが置かれたようだ。


『さっそくで悪いんだが、人を探して欲しい』

『それは娘さんですか?』

『話が早いな』

『ニュースを見てましたから』

『――帯刀』


 岳人が促すと、付き人は『はい』と短く返事をし、そして微かな衣擦れ音がする。


『写真ですか――――っ』


 一瞬。本当に刹那的にだったが、静かな事務所に麗華の息を飲んだ間が際立った。


『心当たりでもあるのか?』

『いえ、そういうわけではなく。お美しい方ですね』

『よく言われる。自慢の娘だ』


 しかし至って平静を繕い、麗華は岳人の機嫌をとる。

 それに気を良くしたのか、岳人はよく響く低い声で笑った。


『それで依頼料だが、これでどうだ?』


 ペリペリと、何か切り取り線で破るような音がする。


『こんなに頂けませんわ』

『構わん、取っておけ。その代わり必ず見つけろ……死んでもな。いくぞ帯刀』


 厳しい口調でそれだけ言い残すと、岳人は付き人と共に事務所を後にしたようだ。

 イヤホン越しに、残された麗華の安堵のような息を吐く音が聞こえた。


「あいつら、ずいぶんと早いお帰りだな。カップ麺かよ」

「有名財閥のトップなんだ。忙しない日々なんだろう」


 会話の聞こえなくなった盗聴器。入れている意味もないので、耳からイヤホンを引っこ抜く。受信機の電源を切ったところで、ちょうど背後で部屋の扉が開いた。


「あの、着替え終わりましたのでどうぞ……、どうぞってこともないんですが……」


 振り返ると、気まずそうに視線を外す城崎がもじもじしながら立っていた。


「ああ、もう終わったからいいよ。それより悪かったな、覗いて」

「いえ、私もあんなはしたない格好で、その、お目汚し失礼しました」

「お目汚しって……」


 むしろ眼福だったんだけどな。綺麗な肌で意外と胸もあったりなんかしてさ。


「あの、なにか言いましたか?」

「いや、なんでもないよ。そんなことより、今日はゆっくり休んでてくれ」

「あ、はい。お気遣いありがとうございます」


 頭を垂れる城崎の向こうでエンジン音が離れていく。彼女を部屋に残し、俺は扉を閉める。そして来客のいなくなった事務所へと戻った。

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