2-6
城崎には、まだ上の階で大人しくしていてもらった方がいいだろう。
彼女を追っていたSPが、神崎岳人の運転手をしていたんだ。それを鑑みれば、この依頼の目標は自ずと導き出される。
「――二人とも、聞いていたわね」
事務所へ入るなり、唐突に麗華が口火を切った。
「ああ……って、盗聴器のこと、姉さんも知ってるのか」
「そりゃあそうでしょ。あたしが指示したんだし」
口笛でも吹くような軽さで言って、「そんなことより」と麗華は話題を変える。そうして所長のデスクから差し出されたのは、写真だった。
ソファまでの途中でそれを受け取り、俺は腰を落ち着けると同時に写真を確認。
「案の定、か」
予想した通り、写真には広い庭らしき場所でドリンクを手にする、城崎のバストアップが写されていた。それにしても、実に暗くつまらなそうな表情をしている。パーティーならもう少しくらい楽しそうな顔をしていてもいいのに。
この写真からは、赤面して慌てるさっきの姿は想像できないな。
「しかしどうする。当の目標は上にいる」
新聞片手に、応接ソファに寝転びながら恭介が口にした。
「お前早速寝るなよ、緊張感のねえやつだな。でもまあ、探す手間は省けてるけどさ」
「あの子がなぜ家出なんてしたのか、まずはそれが問題だわ。何か理由があるんでしょうし」
珍しいこともあるもんだな。麗華ならすぐにでも引き渡しそうなものなのに。
「失礼ね。あたしだって鬼じゃないんだから。例えそれが匿うことへの交換条件だったとしても、バイトで雇ってくれって子を問答無用で叩き出したりしないわよ」
小声で呟いたことを耳聡くキャッチする。地獄耳とはこのことか。
それにしても鬼じゃないとはどの口が言う。そう突っ込みたくなる気持ちをぐっと押し止め、話を進める。
「にしてもだ。どうして神崎岳人はウチを頼ってきたんだろうな。普通、失踪ってのは警察に届け出るものなんじゃないのか? それに、姉さんには写真を渡したのに、ニュースでは一切写真が出ていなかったことも引っかかる」
「確かにね。それはあたしも聞こうとは思ってたんだけど。なんかそんなこと聞く間もなく出てっちゃったから」
「あんな格好で逃げ出すくらいだ。端から訳アリだとは思ってたけどさ」
まさか面倒ごとに首を突っ込んだのか? まあ、今そんなことを気にしても仕方ないが。
「そうね。ドレスで街中疾走は、どう考えても普通じゃないわ。ま、この案件については美夜が帰ってきたら改めて話しましょう」
一先ずこの話は終わり。そう拍手を一つ打ち、「あ、そうそう」と切り出して麗華は机の引き出しを開ける。さらにファイルから書類を一枚取り出した。そしてふと思い出したように、
「そういえば浮気調査の依頼、期限近いんだったわ。どっちか行ってくれない? 写真を撮ってくるだけの簡単なお仕事よ」
「期限近いって、忘れてたのかよ」
「そんなわけないでしょう。一週間前の依頼なんだもの」
そんな前に受けた依頼をいまさら持ち出すとか、それはどう考えても忘れてたとしか……。
俺はチラリと横目で恭介を見る。相変わらず上から下から、新聞をただ流し読んでいた。
これは望み薄だなあ。でも一応聞いておくか。
「恭介――」
「昨日走り過ぎたからな」
「……まだ何も言ってないだろ」
「想像はつく。だから先に断っておいた」
一瞥もくれず、そうにべもなく告げる。梯子を掛けようとした矢先に蹴り返された気分だ。
「……お前、ぜんぜん行く気ないな」
「行かないとは言っていないが?」
「じゃあ行くのかよ」
「……昨日は走り過ぎたな」
あーはいはい。とどのつまりは、行かないってことね。こんな端役ばっかだな、俺。
まあ愚痴っていてもしょうがない。時間も無駄だしさっさと浮気現場押さえて帰ってくるか。
俺は書類に添付されていた男の勤務地、顔写真をスマホで撮る。
「んじゃあ行ってくるよ」
「ええ、気をつけて行ってらっしゃい」
俺は子供か。
麗華から一日分の費用を受け取り、そうしてつまらない尾行任務に赴くのだった。
どうやら今日、美夜はバイトらしい。
少し帰りが遅くなるとメールが入ったのは、午後四時過ぎだった。バイトの子が急用で、急遽臨時で美夜がシフトに入ることになったそうだ。
それからの俺は尾行に次ぐ尾行。午後五時。仕事終わりに会社から出てきた件の男の後をつけると、依頼主とは別の女が現れた。楽しげに会話するところをまず写真に収める。
さらに場面は転換し、高級レストランへ。店の出入り口から出てきたところをさらにパシャリっと。
そうして今度は風俗街。盛りのついた雄と雌が色ボケする街へ入り、ラブホテルへご入場する瞬間を激写。一時間後。ホテルから出てきたところをさらに写真に収め、任務は完了。
時刻はすでに午後八時を回っている。
実に退屈でつまらない依頼だった。まあ、彼氏が浮気しているなんて考えたくないことは、理解できないわけじゃないけれど。確たる証拠を求めてまで真実を知りたいと思う執念は、正直理解しがたいな。そんな男さっさと見限って、次に行けばいいのに。
事務所としては金になるから、文句は言えないんだけれども。
デジカメを鞄にしまい、俺はさくさく切り上げて足早に事務所へ戻った。
「あっ、お帰りーレイちゃーん!」
事務所の扉を開けると、早速猫っぽいヤツが犬みたいに尻尾を振って駆け寄ってきて、大手を広げ抱きつこうとしてきた。
俺はスッと脇に避け、ひらりと華麗にスルーを決める。
「――ふぎゃっ」
勢いをつけ過ぎたのか、美夜は閉じたばかりの扉に顔面から突っ込む。高校の制服姿のためか、ひどく滑稽に映る。にしても、短いスカートだな。
「いったーい。ひどいよレイちゃん!」
「暑いんだからしょうがないだろ」
「エアコン入ってるからいいじゃん」
そういう問題じゃないんだけどな。肩を竦めつつ、俺は所長のデスクへと向かう。
「お帰り、零司。仕事はどうだった?」
「まあぼちぼちかな」
さっき撮ってきたばかりの写真データの入ったSDカードを、麗華に手渡す。それをカードリーダーに差し込むと、麗華はPCで写真を確認した。
「ブレてはない……か。成長したわね。姉としては嬉しい限りだわ」
「一体いつの話をしてんだよ」
カメラの入った鞄をソファに投げ、俺は腰を落ち着ける。と同時に背中から腕を回してくるヤツがいた。
「暑苦しいぞ」
「つれないにゃあ、レ・イ・ちゃん」
吐息が耳をくすぐったかと思ったら、「はぁむ」といきなり耳たぶを甘噛みされた。
「うおぉおおおおう!」ぞわりと一瞬で総毛立ち、一気に鳥肌が全身を這う。「――って何すんだ馬鹿!」
両腕の拘束を解き、耳を押さえて振り返る。すると、何故か目を丸くして驚いている美夜と目が合った。何度か目を瞬き、そして表情は次第にチェシャみたく喜色に彩られていく。
「にゃはーん」
「な、なんだよ……」
「レイちゃんの弱点いっこ見つけたにゃあ~。今度から不意打ちで耳噛んであげるからね」
「やめろ、いらんわ」
それにしてもなんだか機嫌が良さそうに見える。話をそらす為にも、俺は投げやりに訊ねた。
「そんなことよりどうした、なんかいいことでもあったのか?」
「よくぞ聞いてくれました!」
美夜は胸を張ってふんぞり返る。
「あのね、うちの喫茶店ね、猫カフェも併設することになったんだぁ~」
「それでご機嫌なのか」
「本物の猫ちゃんと一緒に仕事が出来るって、幸せだにゃあ」
「だからって擦り寄ってくんな」
美夜の顔を押しのけて、俺はさりげなく離れる。
喫茶店なんて探せばいくらでもあるこの都市部で、生き残るにはそれなりに工夫を凝らさなければならないんだろう。
「今度レイちゃんも遊びに来るといいよ。わたしがたぁっぷりご奉仕してあげるにゃん」
「気が向いたらな」
「冷たいにゃぁ~」
とは言うものの、正直遊びに行くにはハードルが高すぎるんだよな。恭介でも誘うか? いや、あいつがそんなことに付き合うヤツじゃないことくらい十二分に分かってる。となると、結局のところ行かないってことになるのだが……。
「けどいきなりだな。前からそんな話があったのか?」
「出来たらいいねってみんなで話してたことはあったんだけど。パトロンが見つからないから無理だねってことになってたんだぁ。でも今日行ったら、神崎グループの人が来ててね――」
「神崎?」
「うん。店長と話してて、親会社が傘下になったから、事業拡大のためだかで出資してくれることになったらしくて」
「ちなみに聞くけど、その来てた奴ってのは岳人って男か?」
「ううん、帯刀さんって人」
俺はさりげなくデスクへ目配せする。麗華は黙したままで顎を引いた。
「美夜、仕事だ」
「――へ?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます