1-2

 所長、黒羽麗華が立ち上げた事務所『黒鴉』は、いわゆる『なんでも屋』だ。


 ペット探しから人探し、お届け物やら浮気調査やら要人警護やら、ある種探偵業にも似たようなことを生業としている。

 あんまり大きな声では言えないが、暗殺なんかも仕事に含まれる……らしい。

 らしいというのは、その話を麗華から聞かされたのはほんの二年前で、高校を卒業したその日だった。黒鴉の前身となる組織で父親の下、そのような仕事をしていた麗華は当時十三歳だったそうだ。俺が八歳の頃だから、それに気づかなくて当然だろう。あの頃は生活に慣れるのに精一杯で、他の事に思考を割く余裕すらなかったのだから。


 現在もそんなことを請け負っているのかは定かじゃない。いや、たぶんもうやっていないだろう。一応は俺達も所員なわけで、物騒な依頼が舞い込めば自然、気づくはずだから。

 そもそも、昔から麗華はよく冗談めかして話すことが多いため、その話の信憑性は限りなく低そうではあるが。

 闇に紛れる、そんな意味も込めて事務所名に黒を使っているとは聞いた。


 余談だが、なぜ看板の『黒鴉』が『クロウ』なのかというと。麗華が『烏』の字を『鴉』と間違えて業者に発注したためだ。しかしそれでも『黒鴉』は『クロウ』なのである――。


「それにしても暑いな」


 天気予報じゃ、今日の最高気温は三十三度。猛暑日ではないにせよ、白いコンクリからの照り返しやアスファルトの放射熱なんかで体感温度はそれ以上に感じる。

 はがきにあった歩行者天国は、やはり鬱陶しいことにごった返していた。


「依頼とはいえ、休日のこんな日中でなくてもいいのにとは、俺も思うがな」


 茹だる暑さの中、見ているだけでもクソ暑い黒服に身を包む恭介。いや、それは俺も同じだった。これが黒鴉の制服なのだから、着るほかないのだ。

 腕を捲くり、ネクタイを緩めて胸元をパタつかせ、少しでも涼しくなるように努力するが、果てしなく空しい。風を送ったところで結局は熱を吸収してしまう黒は、この上なく夏には不向きな色だった。

 ジリジリと陽に焼かれる肌。手首に光る腕時計で時刻を確認。


「そろそろ二時だけど……」


 辺りを見渡す。道いっぱいを往来する人、人、人。喫茶店にブティック、家電量販店にアミューズメント。さまざまな目的で来ている人いきれ。

 こんな人間に溢れている場所で、どうやって依頼主を見つけろというのか。相手の特徴すらも分からないのに。相手もまた然りだろう。

 数百メートルも続く人混みで、人ひとりを見つけろというのが、度台無理な話だ。

 流れてはまた留まる喧騒の中、ため息を一つ。

 その時、にわかに人波の向こうが騒然とし始めた。やがて徐々に割れ出し、


「どいてください!」


 という切羽詰ったような女性の声。

 まるでモーゼみたいに人混みを割って走ってくるのは、どうやら追われているかららしい。

 どこの令嬢だと突っ込みたくなるような、全力で走るには不向きと言えるプリーツたっぷりの白いパーティードレスなんかを着ている。

 後ろから追ってくるのは、黒服に黒いグラサンをかけた、一見するとSPのような輩のような大柄の男が三人。

 係わり合いにならない方がいい。そう判断し、人々に合わせて脇に避けようとした時――

 不運にも、その女性と目が合ってしまう。


「助けてください!」


 と、はた迷惑なことに、女性は俺達に救いを求めてきた。

 ――おいおい、いくらなんでもあんなガタイの奴ら三人って、分が悪すぎるだろ。なんか内ポケットに手入れてるし。

 早々に諦め、知らん顔を決め込もうと決意したところで、恭介が肩を叩いてきた。


「零司、もしかしたらアレかもしれんぞ」

「アレって、依頼主のことか?」

「ああ」

「いや、いくらなんでも偶然過ぎるだろ。確かにはがきの字も、わざわざ水彩画で花とか描くような処からも、育ちの良さは感じなくもないけどさ――」

「御託はいい。助けを求めてる女一人救えなくて、何が『黒鴉』だ」


 言い訳を咎めるみたいに、少し強めに言われた。

 …………って、それをいま言うかよ。

 いつか自分が言った言葉だ。まさかこんな非日常への扉口で跳ね返ってくるとは。


「分かったよ、助けりゃいいんだろ」


 考える暇なく渋々了承させられた。

 それを言われると弱い。責任を問われている気になってくる。けど、確かにそうだ。恭介の言うとおりなのだ。ここで救わなければ、なんでも屋が聞いて呆れる。


「俺が殿をつとめる。零司はあの女を連れて逃げろ」

「待てよ、あいつら銃持ってるかもしれないのに、そんなことさせられるか」

「こんな大衆の面前ではさすがに撃たないだろう。安心しろ。お前と違って俺は逃げ足が速いんだ。適当に攪乱して、人混みに紛れて姿をくらます」


 幸い、ここには隠れ蓑がたくさんあるからな。そう言って恭介は微笑した。

 俺の足が遅いと言われているようで少し気分が悪くなったが、今はそんな時と場合ではない。


「分かった、気をつけて帰って来いよ」


 やっぱり言われっぱなしは悔しかったのでそう皮肉ると。


「子供扱いするな」


 さほど気にも留めていない。そんな風に軽くあしらいながら、恭介は立ちはだかるようにして前へ歩み出る。

 俺は向かってきた女性の手を取り、恭介に背を向けて駆け出した。

 後方で怒声が聞こえる。「お嬢!」なんて言葉が耳をついた。どうやら本当にお嬢様らしい。

 恭介を信じペース配分を考えながら、なるべくジグザグになるようホコ天を走り抜ける。

 追っ手があれだけとは限らないため、俺は普段から使っている入り組んだ裏路地へと入った。

 いくつか角を折れ、ずいぶん前に空き地となった場所にて小休止。吹き溜まりなため少し臭うが、この際贅沢は言ってられない。お嬢様には少し我慢してもらおう。


「――とりあえずここまで来れば大丈夫だろ」


 気を利かせたつもりだったが、ずいぶんと女性の息が上がっていた。

 そりゃあこんな身なりじゃあまともに走れはしないだろう。

 彼女は膝に手を付き、なにやら足元を気にしていた。よく見ると、高そうな白いパンプスに包まれた足の甲が、靴のトップラインに沿って赤くなっている。靴擦れしたのだろう、少し皮もめくれ血が薄っすらと滲んでいた。


「大丈夫か?」


 そう声をかけると、しばらく肩で息をしていた女性は一度大きく深呼吸。

 気息を整え、ハッとするように顔を上げた。


「あ、はい……。あの、どうもありがとうございました」


 そう言って小さく礼をする彼女。鎖骨にかかる黒髪がやわらかく踊る。

 咄嗟のことだったので顔もよく見ないままにここまで来たが。容姿は端麗、実に見目麗しい顔立ちをしていた。いいところのお嬢様と云うのも頷ける。


「別に礼はいいよ。それより、どうして追われてたんだ? さっき耳にしたんだけど、君はお嬢様なんだろ? そして彼らは、見たところSPかなにか」


 問いかけに、女性は上品に小さく顎を引く。


「仰るとおり彼らは私のSPです。あっ、申し遅れました。私、か――城崎由紀と言います」

「城崎由紀? ってまさか、君があのはがきを書いた依頼主か?」

「ということは、あなたがなんでも屋の……?」


 静かに頷くと、城崎由紀と名乗った女性は目を丸くして驚いた。


「こんな偶然ってあるんですね。いえ、狙っていたところもあるんですけど」

「狙って?」


 それが本当だとしたら、強かな女性だな。いや、俺のよく知る女はみんなそうだけど。


「ある意味賭けでした。もしあなた方が来てくれなかったら、なんでも屋があなた方でなかったら、私はきっと連れ戻されていただろうし」

「それで、どうして逃げてたんだ?」

「それは…………」


 城崎は言葉を詰まらせた。なにやら訳ありのようだ。まあ、なんとなく想像はついてたけど。


「じゃあ質問を変える。君の依頼はなんだ?」

「……逃げていた理由を、追求しないんですね」

「誰にだって言いたくないことの一つや二つはあるだろ」


 確かに依頼主との信頼関係は任務を遂行する上では重要だ。だがプライベートは深く詮索しない。黒鴉の暗黙の了解的なところでもある。

 仲間ではあるけれど、恭介なんかは特に謎めいていたりする。名前と誕生日くらいしか俺は知らない。

 美夜はよくしゃべるからほぼ筒抜け、というか、学校のない休日は事務所にいるかバイトしてるかだ。実に分かりやすい……。


「理解のある方で安心しました、助かります。それで私の依頼なんですけど、しばらくの間匿ってください」

「匿う?」

「詳しい話は道すがら話すことにして、そろそろ行きませんか?」

「行くってどこへ?」

「あなた方の事務所へ」


 そうして稀有な出会い方をした俺たちは、黒鴉の事務所を目指し、コソコソと路地裏を逃避行した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る