第47話 春が終わり動き出す世界 ②

 楽しい食事の時間はあっという間で、岩月君と一緒に食器を返した後、


「よかったら飲み物買いに行こうよ」


 と、学食の隅の自動販売機を指さした。少しでも二人でいられる時間を確保したいという気持ちもあったが岩月君はすんなりオッケーしてくれた。

 先に自動販売機でミルクティーを買い、岩月君が買うのに邪魔にならないように少しだけ脇に寄った。だけど、岩月君は少しぼんやりしていた。


「岩月君は買わないの?」


 私の声にハッとしたような反応を見せ、「買うって」と言いながら、小銭を慌てて取り出して自動販売機に入れていた。それを隣から見つめながら、初めて一緒に飲み物を買うのに、いつもみたいにブラックコーヒーを買うんだろうなあ、と思った。


「ほんとブラックコーヒー好きだよね」


 思っていたことが口から言葉になって漏れだしていた。岩月君は私の言葉に驚きつつもしっかりとブラックコーヒーのボタンを押していた。


「僕がブラックコーヒー好きなの言ったことあったっけ?」


 そう聞かれるのでしまったと思いつつ、とっさにそれらしい誤魔化しの言葉を並べることにした。


「よくブラックコーヒー買って飲んでるの見た記憶あるし、そうかなと思ったんだけどな」


 そんな私の感覚では嘘ではない言葉を言う。まだどこかで引っかかりを覚えているような表情に話題を変えようと、スマホを取り出しながら、


「ねえ、岩月君。よかったら連絡先交換しようよ」


 と提案してみる。岩月君は渋々なのか照れ隠しなのか分からない反応をしたが、なんだかんだ連絡先を交換してくれる。

 岩月君と近づけたような感じがして、嬉しくて、さっそくメッセージとスタンプを送って様子を見ていると、観念したようにスタンプで返事が返ってきた。

 その律儀なところやノリのよさをもっと見せれば、岩月君はクラスでも人気者になれるだろうが、それを望んでいないのなら仕方ないように思えた。

 連絡先を交換して、たわむれたことで私と岩月君の距離感は縮まったように思えた。未来で見た感覚では、付き合っているくらい近すぎる距離感なので、その縮まった一歩がどれほどの大きさか見誤っていた。


「なんかさ岩月君って、普段は分厚い壁に閉じこもって、自分を見せないようにしてる感じがするんだよなあ」


 だから、こんな言わなくてもいいようなことが口から滑って出てきてしまった。


「そういう中迫さんは、見えにくい薄いベールで本心を見せないようにしてるように見えるけど?」


 しかしながら、岩月君も同じトーンで返してくるので驚いてしまう。それが妙に的を得ていて、さらには私の見せる笑顔の僅かな差まで気付かれていた。

 岩月君も踏み込みの深さを同じように見誤っているんだろうなというのが伺えたが、私も同じことをしたのでそのままお互いに深入りし過ぎたままでもいいかなと思った。


 だけれど、突然真顔で、


「僕に向ける笑顔が違うのはなんで?」


 と、聞かれた時は思わず笑ってしまった。それに真っ正直に「好きな人に向ける笑顔だからだよ」と言えるわけもないし、そんなに顔に出てたのかと思うと、自分自身の恋する乙女具合に笑いを止めることができなかった。こんなにもただただ笑ったのはいつぶりだろうか。


「なんでだろうね?」


 私は誤魔化しと、自分で考えて早く気付いて欲しいという意味合いを込めてそう答えた。


 それから岩月君と一緒に教室に戻ると、私と岩月君という組み合わせが珍しかったのか、クラスに入った瞬間ざわっと波が広がるのを感じた。

 きっと私たちがどういう関係か気になったり、聞き耳を立てようとしているのだろうことは察しがついた。

 そういう変な緊張感がピシッと張り巡らされた空間で、


「順子ちゃんと岩月ってそんなに仲良かった?」


 という祐奈の声が聞こえてきた。興味本位で悪意のない祐奈のトーンに空気感が変わったのが分かった。私の席でまったりしている千咲と祐奈の方に歩き寄って、ミルクティーを自分の机に置きながら、


「仲良くなったんだよ。ねえ、岩月君」


 と、さっそく岩月君を巻き込んでみる。私の答えにクラスはどよめくが、岩月君と私の間に流れる空気は穏やかにいでいた。私としては、早くこちら側に来てほしくてうずうずとして、さっきまでの軽いノリの続きがしたい思っていた。だから、自然と私の口角は上がっていて――。

 岩月君はフッとわずかに表情を緩め、


「まだそう言い張れるほど、仲良くないでしょ?」


 と、歩みだしながら軽口で反撃してくる。だけど、仲良くないという言葉は私は受け入れたくないので、頬を膨らませながら反撃し返す。


「さっきまであんなに楽しそうで素直だった岩月君はどこに行ったの?」

「それはきっと見間違いじゃない?」

「いいもん。これから嫌だって言っても、絡み続けるんだから」

「お好きにどうぞ」

「じゃあ、お好きにさせてもらいますよーだ」


 そのまま顔を見合わせ一息つくと、お互いに建前という仮面がげ落ちて、素でバカな言い合いをしていることに気付いて、同時に噴き出して笑ってしまう。

 そんな私と岩月君にクラス中が呆気にとられているようだった。きっと入学して一ヶ月、同じ教室内で見てきた人物とは、まるで別人な二人が言い合いをしているので理解が追い付かないのだろう。

 そんななかで私の椅子に座り、冷静に事の顛末てんまつを見守っていた千咲だけが、


「それで順子と岩月は前から知ってる仲だったわけ? なんか息が合いすぎてるように見えるんだけど」


 と、すっと言葉を挟んで、状況の説明を求めてくる。観察眼の鋭い千咲には私たちが仲良く見えたみたいでそのことが嬉しくて、思わず「そう見える?」と聞き返した。千咲は即答で「そうとしか見えない」と口にしながら、岩月君にも説明しなさいよと言わんばかりの視線を送る。


「残念なことだけど、僕と中迫さんは高校に入ってからの知り合いだよ」

「残念って、ひどくない?」

「事実でしょ」


 それは事実だけれど、説明する声のトーンが上ずっているので、言葉の信用度がイマイチ欠けていて、


「残念だろうがなかろうがどっちでもいいけど、それで結局二人はなんなの? 付き合ってるわけ?」


 と、千咲にため息交じり明確な関係を述べよと突き付けられる。岩月君は首を横に振っていて関係を否定する。それは現状では間違っていないし、今はまだ繋がった糸は細いもしれないが、確かに心通ずるところがあったはずだ。お互いに踏み込んでも嫌ではなくて、むしろ、肯定的に思える関係をなんて説明すればいいのだろうかと考える。

 未来で付き合うことは分かっていても、今はクラスメイトなのか友達なのか、はたまたそれ以上なのかはなんとも説明しづらい。

 だから、千咲の視線が私に向けられた時に、今の気持ちをそのまま口にした。


「今は付き合ってないよ。けど、未来はどうなってるかわからないじゃん」


 それは聞きようによっては告白に等しいもので、驚きの声がクラスに響き渡った――。


 だけど、私からすれば、知れば誰もが認めることになるであろう岩月君にマーキングをするようなものだった――。

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