第46話 春が終わり動き出す世界 ①

 高校に入学して、ひと月ほどが経ち、ゴールデンウィークがもうすぐそこにと迫っていた。

 私の高校生活はおおむね順調で、クラスでは千咲と祐奈といる時間が圧倒的に多く、それをもとにして、女子内でもグループ分けがなされた。クラス内では何かと中心になっていて、話したりしていると知らないうちに人が集まってきたりするなんてこともしばしばだった。

 そんな高校生活の中で、ある一点において私の不満は溜まり続けていた。


 岩月君と話したり絡むきっかけがないのだ。


 まず、学校内で私が一人になる機会はあまりない。岩月君は一人でいても本を読んで話しかけるなオーラを出したり、そうでないときは相川君を筆頭に男子と話していたりと、話しかけるタイミングがなかなか見当たらなかった。

 放課後も目を離した隙にいつの間にか帰っているし、たまに見かけた時は隣のクラスの女子と何やら親しげにしている姿で、もやもやとしたものが心の中に積もっていった。

 そんなある日の夜。家でのんびりしていると未来が見えた。



 ガヤガヤと騒がしい学食で私は岩月君と券売機の列に並んでいた。

 岩月君が先にきつねうどんを買っているのを見て、自分も同じものを買うことにした。そして、初めての学食の食券を手にして、こんな感じなんだとまじまじと見つめた。

 それから、二人してトレイを手に順番待ちの列に並ぶ。

 そこで学食に来ることになった理由をお互いに話していた。私は弁当を忘れたからで、岩月君は、


「うちの母さんが炊飯器のスイッチ入れ忘れたみたいでさ」


 と、ため息まじりに口にしていた。それなのに、岩月君はそんなミスをした母親を責めるわけでなく、


「なんか、いつも作ってもらってるから、ドンマイって感じだよな」


 と、笑っていて、その何気ない優しさがいいなと思った。

 その後も飲み物を私の分まで取りに行ってくれたりして、さりげなく気を回してくれたり、くだらない雑談で一緒に笑ったりと、岩月君の人となりが見えた気がした。

 そして、そんな岩月君の隣がどうしてか居心地がよくて、もっと一緒にいたいと思ってしまっていた。

 私は明確に岩月君を一人の異性として意識し始めていた――。



 ふいに現在に戻ってきて、見えた未来とその感情に心が温かくなる。未来の私は岩月君の隣で笑って話すのがとても嬉しいと感じていた。


「なんかいいなあ」


 思わずそう呟いてしまう。

 未来で見えた日がいつなのかは食券に打刻されていた日付で分かっている。それはゴールデンウィーク前最後の登校日だった。


 そして、岩月君と話すことになる当日――。

 目を覚まし、いつものようにスマホに表示される時間を見て驚いた。私は寝坊をしてしまっていたのだ。

 バタバタと準備をして、家を出る時間がギリギリになってしまった。そのまま慌てて、家を飛び出して学校に早足で向かった。

 学校に急ぎながら、忘れ物がないか鞄の中を含めざっと確認する。教科書やなんかは寝る前に準備するので問題はない。コスメグッズの入ったポーチもちゃんと入っている。スマホもハンカチもちゃんと持っていて、問題はなかった。

 ただ、折り畳みミラーを使ったまま置き忘れて来ていたくらいで、一日くらいなら借りたりとかでなんとかなると思えた。なんなら学校近くのコンビニで安物を買ってもいいくらいだ。

 そう思ったところで、ふと思うところがあった。今の状況なら普通に弁当を忘れていても不思議ではなかった。だから、結果的に学食に行くことになったのだろう。


「昨日のうちに弁当いらないって言っててよかったな」


 わざと忘れるということもできたが、それは弁当を毎日作ってくれるお母さんに悪い気がした。未来で見た岩月君みたいに感謝の気持ちを抱かなければいけないのかもしれない。

 コンビニの中を横目で見て、鏡をどうしようかと一瞬考えたが、そのまま学校に向かうことにした。

 学校に着いてみれば、いつもとそんなに変わらない時間で急がなくてもよかったじゃないかと、靴を履き替えながら、大きく一つ息を吐いた。

 教室に入りながら、「おはよー」といつものように口にする。それは扉近くの席の岩月君が返してくれたらいいなと始めたものだが、今日も返事はなく、代わりに私に気付いた数人のクラスメイトや千咲や祐奈から反応が返ってくるくらいだった。

 自分の席に向かいがてら横目で岩月君を見ると、机に突っ伏していて体調悪いのかなと心配になった。自分の席に着くと、すぐにいつものように千咲と祐奈が話しかけてきた。


「おはよー、順子ちゃん」

「おはよう、順子」


 千咲が挨拶してそうそう、まじまじと顔を見つめてきた。


「あんた今日寝坊したでしょ?」

「なんでわかるの?」

「いつもより目元のメイクや髪のセットが雑だから」

「よく見てるねー、千咲は。私は気付かなかったよ」

「本当にね。それで、今日鏡忘れちゃったから、使う時は借りていい?」


 髪の毛を手櫛てぐしで整えながら、口にする。二人は「いいよ」と頷いていた。


「じゃあ、少し髪やってあげるよ。祐奈、ヘアブラシ貸して?」

「はいはーい」


 祐奈は自分の鞄の中から、コンパクトサイズのヘアブラシを取り出して千咲に渡す。千咲は受け取ると慣れた手つきで髪を整えてくれ、ホームルームが始まるころにはいつもより具合がいいほどの仕上がりになっていた。


「ありがとう、千咲。祐奈もね」

「気にしないで」


 千咲と祐奈は笑顔を浮かべながら自分の席に戻って行った。二人には感謝しきりだし、仲良くなることができて本当によかったと心から思っていた。岩月君がいなければ、女同士なのに愛の告白を冗談混じりにしていたかもしれない。

 それからいつものように過ごしながら岩月君をいつもより目で追っていた。今日はよく相川君と話しているな、なんてぼんやりと思いつつ、本当に学食で一緒になるのか不安になってくる。

 そして、昼休み――。

 授業が終わると、にわかに騒がしくなってくる。


「お昼食べよー」


 祐奈がいつものように弁当片手にやってくる。そして、千咲もすぐに合流してくる。いつものように「椅子借りるねー」と、声を掛けて自分の席を確保していた。

 そのとき、教室の端から、


「篤志、弁当食おうぜ!」


 という大声が聞こえてくる。相川君だ。それを岩月君がいつものように少し嫌な顔を浮かべながら対応していて、相川君はフラれたのか別の男子の集まりに弁当片手に乗り込んでいった。


「順子、弁当は?」

「今日は忘れちゃって。だから、学食」


 財布を手に席から立ち上がると、千咲と祐奈は朝のことを思い出したのか納得という表情に変わる。


「じゃあ、ご飯食べるのに机とか借りていい?」

「もちろん」

「じゃあ、行ってらっしゃい」


 二人に見送られながら教室を出ると、少し前に歩く岩月君の姿が見えた。いつの間にか彼も教室を出ていたようだ。未来を知っているので目的地が学食なのは知っている。


「ねえ、岩月君!」


 小走りで追いついたところで、後ろからそう声を掛けた。岩月君は立ち止まって振り向くと少しだけ驚いたような表情を浮かべていた。それも仕方のないことかもしれない。今まで話すことなんてなかったのに、急に話しかけられたのだから。それから、目的地をお互いに言わぬまま並んで歩き始めるとすぐに、


「なに?」


 と、愛想の欠片もない返事が返ってきた。私はこの人と本当に仲良くできるのだろうかと不安になる。


「岩月君、今日学食なんだよね?」

「そうだけど?」

「ああ、やっぱり。相川君、声大きいからちょっと聞こえちゃって」

「そっか」

「私も今日学食なんだ。一緒に食べようよ」


 そう提案しながら岩月君の顔を隣から見つめる。自分が小柄なせいもあり、軽く見上げながら返事を待った。


「別に断る理由ないし、中迫さんがそうしたいならいいよ」

「なんで素直に、うん、いいよ、って言えないかなあ?」


 そう言いながらわざとらしく頬を膨らませて見せると、岩月君の表情が緩んだ。

 それから軽口を叩いてくる岩月君に付き合いながら時々ちょっとだけやり返したりして――。

 岩月君は私を特別持ち上げたりしないし、かといって突き放すわけでもない。誰に対してもきっとそうなのだろう。絶妙な距離感で相手がギリギリ嫌がらないような言葉を投げて、人との距離を一定に保とうとしているように思えた。

 だから、岩月君の発する言葉はひねくれてるけど、返ってくる反応は意外に素直で、実に分かりやすいタイプだ。もっと気難しい人なのかなとクラスでの姿からは想像していたが、これならもっとずっと仲良くなれそうだ。


「岩月君ってさ、もっと話しにくい人だと思ってた」

「そうかい?」

「うん。でも、なんか話してて気を遣われたり合わされてるって感じがないからすごい楽かも」


 そう口にしながら、私は楽しくて自然に口元が緩んでいくのが分かる。

 岩月君と実際に話してみると、自分でも驚くほど自然体で接していて、もう長いこと一緒にいる相手に思えてしまう。

 その証拠に、身長差があるのに歩く速度はぴったり一緒で――。


 岩月君と一緒にいる未来に早くたどり着きたいと、私の心は明確に求め始めていた――。

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