第29話 キミが隣にいる世界に、未来を ⑥
「今日はいろいろとお世話になりました。ありがとうございます」
りこの家の玄関先で靴を履き替え、見送りに来たりこの両親に深々と頭を下げる。
「いいのよ。また気軽にいらっしゃいな」
りこのお母さんの言葉にりこのお父さんもうんうんと頷いている。
「じゃあ、私、そこまで送ってくるから」
りこも隣で靴に足を入れて僕の腕を引っ張って玄関を後にした。
「もう外も暗いし、途中まででいいよ?」
「駅までは送らせてよ。私が一緒に歩きたいだけなんだからいいでしょ?」
エレベーターの中で隣に立つりこは頬を緩ませているので断りづらいものがあった。渋々ながら頷いて見せると、りこは嬉しそうな表情に変わり、手を自然に繋いでくる。
「こうやって手を繋いで出歩くのって初めてかな?」
「そうかも。相合傘とか腕組んだりはあったけど」
「なんかちょっと新鮮だね」
「そうだね。これからはこうして歩くのもいいかもね」
「うん」
りこは心底嬉しそうに頷いて見せる。その顔が愛おしくて心が跳ね上がりそうになる。
そのままエレベーターから下りて、マンションのエントランスから外に出た。辺りはすっかり暗くなっていた。
繋いだ手から感じる温かさと大切な人の存在を感じながら暗い夜道を歩き始める。
りこは時折、大きく手を振るので、それに合わせて僕の手も大きく振り回される。それに驚く僕のリアクションを見て、りこは声を上げて笑っていた。僕はどんなことでもりこが笑ってくれるなら許せる気がした。
「それにしてもさ、りこはいつも楽しそうだよね?」
僕はしみじみといった感じで言葉を紡ぐ。それと同時にいろんな場面でのりこの楽しそうな笑顔を思い出していた。
「そうだよ。毎日楽しいよ。人生は楽しまないと損じゃない? つまらないって思ってたら世界はつまらないままなんだよ」
「すごい前向き」
「そうかもね。だけど、こうやって好きな人といるとどんなときでも楽しいに決まってるじゃん。なんかさ、自然に顔がにやけて笑っちゃってるんだよね」
りこはそう言いながら僕に笑顔を見せる。僕を見上げたタイミングで空が目に入ったのか、「ねえ、あっくん。今日は空がきれいだよ。星も月も綺麗だよ」と、楽しそうに口にする。そんな横顔を見つめ、足を止め僕も空を見上げる。
そして、好きな人と一緒に見る空はそれだけで特別に思えて、自分の表情が緩むのを実感する。僕は綺麗な夜空を見ながら、りこの言葉に「そうだね」と相槌を打った。僕の言葉にりこが繋いだ手を少しだけ強く握ってくる。僕もその手を離したくなくて、同じように痛くないように強く握り返した。
視線を下に戻すとりこも同じタイミングだったようで、思わず目が合いそのまま顔を見つめ合って噴き出してしまう。それからりこは僕の手を引いて、近くの小道に入り、建物と電柱の陰の街灯の灯も届かない場所で場所に連れて行き、身を隠すように僕に抱きついてくる。突然のことで戸惑いながらも僕もりこを抱きしめる。柔らかな感触と見た目以上に直に感じる小柄な体型、そして、触れた場所が熱いくらいに温かく、お互いの鼓動を直接感じているのではないかというほどにドクドクと波打つ音を感じる。暗い場所で視覚が不自由なだけ他の感覚が研ぎ澄まされているのが分かった。
「あっくん――」
りこの僕の名前を呼ぶ声に交じる甘い吐息が混じる。それだけで何がしたいのか何を求められているのかがわかった。そして、暗闇の中で顔を見合わせ、ゆっくりと顔を近づけ、りこと初めてのキスをかわす。
柔らかで気持ちよくて幸せを共有していて、その一瞬のようで永遠のような時間は僕とりこを深く結びつけるようだった。
ゆっくりと唇を離すと熱く湿っぽい吐息がお互いの口から漏れる。ふいにりこが嬉しそうに笑う気配がした。
「キスしちゃったね、あっくん」
「そうだな。誘ったのはりこだろ?」
「でも、してくれたのはあっくんじゃん」
そんな風に僕とりこはキスのきっかけはどちらかということで言い合いをして、また見えないお互いの顔を見つめ笑い合う。
そして、今度はどちらからともなく、お互いを求めてキスをした。ゆっくりと気持ちさえも溶け合うほどに甘くて熱いキスだった。
唇を離すと、代わりにりこはピッタリと僕に抱きつきくっついてくる。
「キスってやばいね……病みつきになりそう」
「いいんじゃない? 病みつきになっても」
「本当に? ああ、でも、学校とかじゃできないよね?」
「それはさすがにね」
思わず小さく笑う声が漏れた。それはりこも同じで。
「なんかさ、一日中くっついて一緒にいて、気が向いたらいつでもキスしたりとかできたらいいのにな」
「すごい幸せそうだけど、ダメになりそうだね」
「あっくんは真面目だね。でも、たまには外を一緒に歩きたいな、今日の昼過ぎの散歩みたいに」
「それでまた猫にヤキモチでも妬く?」
「あっくんは本当にいじわるだよね。でも、私の場所は私の力で取り返すもん」
「猫に全力過ぎない?」
「いいの。あっくんの全ては私の物なんだから」
「たまにすごいわがまま言うね」
「そう? 私はあっくんになら全部あげられるよ」
その言葉に僕は嬉しさと照れからドクンと大きく鼓動が波打つ。りこは今まさにその音を胸に耳を当てて聞こえる場所にいるのだから気付けないはずがない。僕の言葉を待たずにりこが抱きしめる力が強くなる。
「ほんとりこはいつも真っ直ぐだよね」
「あっくんはひねくれてるけどね」
りこが少しだけ体を離して見上げているのを感じる。見えなくてもどんな顔をしているか分かる。きっといたずらっぽい笑顔を浮かべているのだろう。
「気が付いたらいつもりこのペースなんだよな」
「嫌だった?」
「嫌だったら、りこのこと好きになってないよ」
「よかった」
「それよりさ、ここで長居してるとりこの親が心配するんじゃない?」
「それもそうだね」
りこは僕の手を握って、歩き始める。街灯に照らされたりこは少し前をスキップしそうなほど軽い足取りでその表情に、姿に僕の目は釘付けになる。
あっという間に駅までやって来て、改札の前で離れるのが名残惜しくなる。
「ねえ、あっくん。明日も会えない? 特に何かしたいわけじゃないけどさ……」
りこは繋いだ手に視線を落としながらそう呟く。僕はいいよと即答したいが、残念ながら予定があった。
「ごめん、りこ。僕は明日用事があるんだ」
「そっか」
「じゃあ、また週明けに学校でだね」
「そうなるね」
ゆっくりと手を離し、「じゃあ、また」と僕は言い残し、改札の向こう側へ。ホームに向かいながらりこを見るといつものように手を振ってくれていたが表情はどこか暗かった。
きっと僕も同じような表情をしているのかもしれない。
長く一緒にいると今度は離れるのが辛くなるのだ。今日は一日ずっと隣にりこがいて、笑ったり膨れたり、いろんな表情をすぐ近くで見てきた。手にはまだりこの手の感触や熱が残っている。落とした視線には僕の手首に巻かれたミサンガがあって、僕がりこのミサンガに込めた願いを思い出す。
スマホを取り出し、声を張り上げたら聞こえる場所にいる相手に電話をかけた。
りこはスマホに目を落とし、僕の方を見ながら着信に応答する。
「僕はりこが笑った顔が好きなんだ。だから、笑ってくれないかな?」
『そんなこと言うためにわざわざ電話かけたの?』
りこはくすくすと笑い始める。僕も一緒になって笑う。
「そうだよ。僕はいつもこうやってりこと笑っていたいんだ」
『ありがとう。私もだよ』
「うん」
『ねえ、あっくん』
「なに?」
『こっち向いて?』
スマホを耳に当てたままりこの方に顔を向けると、いつもの僕の好きな笑顔のりこがそこにいた。そして、スマホからは『あっくんが恋人でよかった。好きだよ』と言葉が届く。その言葉にどうしようもなく照れてしまう。
「僕もりこみたいな世界一かわいい子が恋人でよかったよ」
『世界一は言いすぎじゃない?』
「いいんだよ、好きなんだから」
『そっか。じゃあ、またね』
笑顔で手を振るりこに手を振り返し、通話を切りホームに向かった。
僕はりこの笑顔にいつも救われているけれど、りこはどうなのだろうか。
とにかく僕は僕にできることをしようと思った。あと一ヶ月をきったりこの誕生日に向けて、僕はもう動き始めていた――。
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