第30話 キミが隣にいる世界に、未来を ⑦

「ねえ、千咲。聞いてよ?」

「何かしら、順子?」


 前の席に座るりこは不満そうな表情を浮かべながら、僕の隣の席の野瀬さんに話しかけていた。


「最近、あっくんが冷たいんだよ」


 急に僕に飛び火して思わず驚いてしまう。


「そうなの、岩月?」


 野瀬さんも驚いて素の表情で僕に話を振ってくる。


「僕はりこに冷たくしてるつもりはないよ」

「だよね? 私から見ても順子と岩月はいつも通りだし。それで順子は何が不満なの?」


 僕と野瀬さんはりこに視線を向ける。


「あっくんが最近あんまりかまってくれないんだよ」

「でも、順子は学校では岩月にいつもべったりだし、放課後もほぼ毎日一緒に帰ったりしてるわよね?」

「そうだけどさー」

「順子さ、すごい大事にされて愛されてるじゃん。それは周りで見てる私たちですら分かるのに」

「私も分かってるよ? だけどさ、最近、休みの日にあんまり会えてないというかデートできてないというか」

「そうなの? でも、岩月が理由なく順子をないがしろにするなんて思えないんだけど?」

「それも分かってるんだよね」


 こういう話をするのは構わないが、できれば僕の知らないところでしてほしい。りこの言葉に僕の心は削られていく気がした。


「それで岩月は順子と会ってない休みの日は何してるのさ?」

「僕だって、用事くらいあるさ。最近はちょっと忙しかったんだ」

「だって、順子」

「知ってる。私も直接聞いて同じ答え貰ってるから」

「じゃあ、順子がわがまま言いすぎなのかもね。岩月もあんまりほったらかしにするから大事な恋人ねてるじゃないの」

「私、来週、誕生日だよ? ちょっとくらいわがまま言ってもいいじゃん」


 りこは最近二人の時に同じような不満を言っていたが、それは休みの日に会えないことへの不満で、冷たいとまでは言われてなかった。それが今日になって、りこの中で溜まっていた鬱憤が爆発する代わりに中立ややりこ寄りの野瀬さんに訴えることにしたのだろう。

 野瀬さんはため息交じりに僕に視線をやりながら、「そのへんどうなの? 岩月は」と、僕の意見を聞くために促してくる。


「それは悪いと思ってたんだ。だけど、これからは休みの日に会えないということはないと思う」

「だってさ。聞いた? 順子」

「うん。それならよかったよ。私もね、あっくんのしてることの邪魔はしたくないんだ。だけど、どんな用事かも教えてくれないからちょっと不安になってたのかも」

「そこを話してないなら岩月にも問題があるね。何してたのか話せないの?」


 僕はきゅっと口を締め、言葉を飲み込んだ。きっと言えば何もなく終わる話だということは分かっている。だけど、今はまだ言いたくなかったのだ。


「ねえ、まだ帰らないの?」


 ちょうどいいタイミングで柴宮さんが鞄を手に、声を掛けてきた。


「うわっ、なに? 雰囲気暗いよ?」

「なんでもないよ。そうだ、順子。帰りに甘いもの食べに行こう。駅近くのファミレスでマンゴーフェアやってるって見かけたよ?」

「うん。甘いもの食べたいから行く」

「ほら、岩月も行くよ。どうせなら、順子は岩月に奢ってもらいなよ。いいよね、岩月?」

「あ、ああ。わかった。そういうことなら」

「いいな。私も奢られたい」

「祐奈は岩月の彼女じゃないでしょ? それは順子だけの特権よ」


 柴宮さんは「そうだよねえ」と笑い、野瀬さんがほっとしたような表情を浮かべながら、急いで鞄に荷物を納めていく。僕とりこも手早く荷物を鞄に入れて立ち上がり、ファミレスに向かって歩き出した。教室を出る前に相川にも声は掛けたが、「わりい。今日は中学の友達と遊ぶ約束してるんだ」と断られ、僕は男一人で若干の居心地の悪さを感じていた。

 ファミレスについて、柴宮さんはいつもみたいにテンション高く甘いものを食べ、りこは表立っては笑っているが、甘いものを食べる手はあまり進んでいないようだった。場の扱いに困った野瀬さんと、空気に耐えかねていた僕は同じタイミングでドリンクバーのおかわりを取りに行くために席を立った。

 ホットのコーヒーを注いでいると、隣でアイスティーをコップに注いでいた野瀬さんが話しかけてきた。


「それで実際のところはどうなの、岩月? あんたが理由なく順子をほったらかしにしたり下手な隠し事をするわけないよね? そういうの順子も見透かしてるからあんなしょぼくれてたんでしょう?」


 野瀬さんの言うことは全てが的を得ていて、僕には反論の余地はない。


「それで何してるわけ? 順子に言えないような事情があるなら黙っててあげるし、言いにくいことなら代わりに言ってあげてもいいよ?」

「ありがとう。でも、大丈夫だから。言いたくない事情はあるけど言いにくいことではないからさ」

「どういうこと?」


 野瀬さんはいだばかりのアイスティーに口をつけながら僕に尋ねる。


「りこにはまだ言わないでくれよ? もちろんりこ以外にも」

「……分かったわ」

「来週、りこの誕生日だろう?」

「そうだね」

「りこに誕生日プレゼントを買うために休みの日にバイトしてたんだ」

「それでサプライズしたかったんだ」

「そういうこと。自分の小遣いで買ってもそれは元をたどれば親の金だから、それでプレゼント買ってもあれかなって思ったんだよ。だから、ネットとかで求人探して日雇いや短期で働いてた」

「そういうことか。それは順子本人には言いにくいわね」

「そうなんだよ。だから、プレゼント渡すときに謝るつもりではいるよ」


 僕はため息をつきながらコーヒーに口をつける。


「そういうことなら大丈夫じゃないかな? 次、同じようなことあっても今度は隠す必要はないもんね」

「そうかな? まあ、今回のことは僕が悪いのは確かなんだよね」

「そうかもだけど、あんまり気にしなくてもいいんじゃない? 順子はちゃんと岩月のこと分かってるし、頭ごなしに否定するようなタイプじゃないよ。だから、今は誕生日にプレゼント渡して喜ぶ姿を想像してればいいのよ」


 野瀬さんはそう言い、「私が保証するから大丈夫よ」と真っ直ぐに僕を見ながら胸を張る。そのことで僕の心は軽くなる。


「本当に野瀬さんにはお世話になりっぱなしだよね。何か少しずつ返さないとな」

「いいよ。順子と幸せになって、たまに勉強教えてくれたり、本貸してくれるくらいでいいよ」

「それ、今とあんまり変わらなくない?」


 野瀬さんは「それもそうね」と答え、一緒になって笑った。それから、席に戻って、柴宮さんとりこの話に混ざっていく。

 りこの機嫌を取るために、野瀬さんに無茶振りされ、柴宮さんが悪乗りした結果、マンゴーパフェを僕がりこに「あーん」して食べさせるハメになったりと、僕の心は擦り切れそうだった。

 しかし、途中からりこも恥ずかしさや照れで変なスイッチが入ったのか、僕に食べさせてほしい部分を指示するようになったり、あまつさえ飲み物も口元に持って来てほしいだとか言い出して、ノリノリで楽しそうにしていて、その顔を見るだけで救われる気分だった。

 りこの機嫌とテンションがだいぶ回復したところで今日は解散になり、駅で野瀬さんと柴宮さんと別れ、りこといつものように並んで歩き出した。

 傘に当たる雨音を聞きながら、僕は何を話そうかと考えを巡らしていると、


「ねえ、あっくん」


 と、りこに話しかけられた。僕はりこの方にすっと視線をずらす。


「どうかした?」

「今日は色々とありがとう。それとごめんね」

「なにを謝ってるのさ」

「私、少し舞い上がってたのかな。あっくんがそばにいるのが当たり前で、一分一秒でも長く一緒にいたくて、少し会えないだけで文句言ってさ。あっくんはいつも私を大事にしてくれて、私のこと考えてくれてるの分かってるのに、冷たいだとかかまってくれないとかわがまま言ってさ……」


 僕は思わず立ち止まる。りこも僕に合わせるように立ち止まった。傘に隠れてりこの表情がうかがい知ることができないけど、俯いているのは分かる。

 僕はりこにそんなこと言ってほしくなかった。僕のわがままのためにりこを傷つけたり、遠慮させたりするのは違う気がした。心が潰れていく感じがする。


「違うよ、りこ……」

「なにが?」

「それくらいのわがまま言ってもいいんだよ。それに僕もできるだけ長くりこと一緒にいたいと思ってるんだ。今回は僕が悪いんだよ。僕が自分を優先させたから」

「だけどさ、付き合ってても自分の時間って大事じゃん? 私にそれを奪う権利はないよ」

「僕はあげることができる全てをりこにあげるよ」


 りこは黙り込んでしまう。雨の音だけが僕とりこを包む。


「ねえ、本当にいいの? 私、すごいわがままだよ? あっくんに迷惑かけるかもしれないよ?」

「わがままでもいいよ。それに人に全く迷惑かけない生き方は窮屈だろ? 僕の前ではありのままのりこでいてくれたらいいんだ」

「うん」

「それにりこが言ったんだろ? 僕を一人にしないとか、僕が嫌だって言っても絡み続けるとかさ」

「そうだったね」


 りこは傘を少し傾け、僕にはっきりと顔を見せてくる。その顔は少しだけ曇っていたけど、少しずつ明るく光が射していく。


「それであっくんはこんな私に絡まれて嫌だったりしない?」

「嫌だったら、そもそも好きになんてなってないよ。僕にはりこみたいな、少々強引でわがままで、思ったことを言葉や態度に出してくれる子が合ってるんだよ」

「なんかひどい言い方だよね。あっくんは逆に分かりにくいし、すぐにふらっとどこかに行ってしまいそうで、ほっといたら一人で寂しく過ごしそうだよね」

「りこもたいがいひどいだろ」


 僕とりこは顔を見合わせて、声を上げて笑う。僕とりこはすれ違うことで喧嘩をしていたのかもしれない。一見すると分かりにくいけれど、それでも相手の心を削って傷つけて――。


「ねえ、そっちの傘に入っていい?」

「いいよ」


 りこは自分の傘を閉じて僕の傘に入ってくる。そして、そのまま正面から僕を抱きしめる。


「それであっくんは私といないとき何してたの?」

「話せるときが来たらちゃんと話すよ。だけど、これだけは信じてほしい。僕はりこのことをずっと考えていたよ」

「そっか。それなら許してあげるよ」

「ありがとう」


 りこは顔を上げてニコッと笑うと、傘を持つ僕の手を引いてくる。とっさのことで姿勢が低くなった僕はりこと傘の中で隠れてキスをした。

 すぐに唇は離れ、りこはいたずらっぽい笑顔を浮かべている。


「じゃあ、帰ろっか、あっくん」

「あ、ああ」

「なに、ぼーっとしてるのさ」

「いや、驚いたのといつものりこでホッとしてさ」

「こういう私が好きなんでしょ?」


 りこは無遠慮に僕の腕に組みついて体重をかけてくる。思わずバランスを崩しそうになるも踏みとどまる。気が付いたらりこのペースになってる。僕はそれが嫌ではなくむしろ心地よくて――。


「うん、好きだよ」


 しっかりとりこの重みと体温を感じながら、りこと向き合って支えていきたいと再度心に誓う。

 暖かい気持ちになった僕たちは雨の中、傘の下で笑顔の華を咲かせながら一緒に歩き出した――。


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