第28話 キミが隣にいる世界に、未来を ⑤

 夕方前に僕の持って行ったロールケーキをりこの家族と一緒に食べた。なんだか和やかで温かくて、時折からかわれたり詮索されたりして、甘くて温かい時間だった。

 ロールケーキを食べ終えるころに、僕は一つ悩みを抱えていた。

 帰るタイミングがないのだ。

 りこからもりこの両親からもうまい具合に引き留められ、「じゃあ、そろそろ」という言葉を切り出すタイミングを失っていた。


「そうそう、岩月君。晩ご飯も食べていくわよね?」


 りこのお母さんはさも当たり前のことを確認するくらいの気軽さで声を掛けてくる。りこもりこのお父さんも「そうしなよ」とその言葉を後押しする。


「でも、さすがにそれは、長居し過ぎと言うか、お世話になりすぎている言いますか……それに、きっと僕の親も作って待ってるだろうし」

「ああ、それは大丈夫よ。さっき岩月君のお母さんと電話で話しているときに流れで提案したら、こっちが迷惑でなければどうぞってお許しはもらってるわ」


 自分の母親のありがたいお節介に涙が出そうになる。きっと今頃、母さんは息子のサポートができてよくやった自分の行為を自画自賛してそうだ。そして、帰ってきてから根掘り葉掘り聞かれるのだろう。もしくは、その手間も省いて、りこのお母さんとのやり取りで今日のことは筒抜けになっているのかもしれない。

 一度大きく息を吐いて、「じゃあ、迷惑でないのならご馳走になります」と、渋々ながら口にする。これ以上拒む姿勢を見せるのはよくないと思った。


「迷惑だなんて、そんなことないわ。ねえ、お父さん?」

「ああ、もちろんだよ。いっぱい食べていきなさい」


 りこの両親は僕のことを柔らかい笑顔で迎い入れてくれた。もちろんそれはりこも同じで。その顔を見て、僕はこの家族を信頼して、線引きに気をつけながらだけれど、迷惑をかけたり、お世話になってもいいんだと思えた。他人に対してそこまで気を許したことはないので、内心ではすごいどきまぎはしているが、りこと付き合っていく限りはこういう空気感というのにも慣れていかないといけないのだろう。


「それじゃあ、夕飯まで少し散歩しようか?」

「えっと……うん。わかった」

「なに? 順子。岩月君連れ出してどこに行こうって言うの?」

「どこでもいいでしょ、お母さん」


 りこは唇を尖らせているが、それを見てりこのお母さんは楽しそうな表情を浮かべている。


「ねっ、お父さん。岩月君の前だと、順子、いつもよりかわいいでしょう?」

「そうだな。でも、娘をとられた気がしてなんだか落ち着かないな」

「あらあら。でも、本当にとられるとしたら、まだ数年後だろうし、そのころには岩月君は家族みたいな感じになってるんじゃない?」

「そうかもなあ。息子ができると考えると悪くはないのかもな」


 りこの両親の会話に僕とりこは顔を赤くする。りこはぐっと僕の腕を引っ張りリビングから出ていこうとすると、りこのお母さんに、「ご飯の時間には帰ってきなさいよ。あと、帰りにコンビニで何か好きな飲み物買ってきなさい」と、声を掛けられ、りこは不機嫌そうに返事をしていた。それから最低限の荷物だけを手に一旦家を出た。

 外は陽がやや傾きだしてはいたがまだ太陽は高く明るかった。


「それでどこに行くの?」


 僕の質問にりこは答えないまま、りこと手を繋いで、先導されるように歩いていく。土地勘がない場所でもりこと一緒なら不思議と不安はなかった。それよりもこういう場所でりこは育ったんだとゆっくりと辺りを見回しながら歩いていく。しばらく歩くと小さな公園に辿り着いた。


「ここで少し休もうよ」


 りこの言葉に頷いて、空いていたベンチに腰掛ける。幼い子供と一緒にゴムボールで遊んでいる父親、ブランコを勢いよく楽しそうに漕いでいる小学生くらいの子供、犬を連れて通り抜ける自分たちより少し年上の女性。ゆっくりとしたペースで公園脇の道を歩く老夫婦。ゆったりとしたどこにでもあるような穏やかな世界が広がっている。


「なんかこういうのいいなあ」


 僕がそう呟くと、りこは隣でそうだねと相槌を打つ。


「どうして、ここに連れてきたの?」

「そろそろあっくんはうちにいるのがしんどくなる頃合いかなあって思って、息抜きになればなって」

「ほんと、りこは怖いくらい僕のこと見透かしてるね」

「そう? でも、私があっくんの立場だったら同じだと思ったからね」


 りこは柔らかな笑顔を向けてくる。僕は足を伸ばし、一つ大きな深呼吸をする。頭がクリアになっていく気がした。前にりこのお母さんに言われたことを思い出す。確か、空気を細かく読んで気をつかうのが本来のりこだと。


「もしかして、りこに気を遣わせたかな?」

「そんなことないよ。あのまま家にいたら、変に絡まれるのが目に見えてたしね」


 りこはわざとらしく息を吐きだす。もしかしたら緊張したり疲れたりしていたのはりこも同じなのかもしれない。恋人を家に呼んで、親との板挟みになりつつ、相手が最大限リラックスできるようにと考えたら、自分なら心労がすごそうだと思った。


「お疲れだね、りこ」

「そうだよ。私もけっこう疲れたのよ」


 りこの大げさな言いように思わず噴き出してしまう。りこも隣で肩を揺らしていた。そのとき、ふいにりこの笑い声が消え、見えている風景がわずかにブレて変化した。気が付かないうちに未来の記憶が再生され始めたのだ。



 ひと笑いしたことで、緊張や疲れが少しだけ和らいだ気がした。それは隣に座るりこも同じで、表情が柔らかくなっていた。

 そんなときふいに一匹の猫が近くのベンチの下にいるのに気づき、りこの「こっちにおいでー」という声に誘われるようにゆっくり近づいてきた。テンションがあがるりこをよそに、猫はすっとりこの手をすり抜け、トンっと跳ね上がり、僕の膝の上に乗ってきた。そして、体を丸めあくびをする。

 りこは猫に嫉妬をして、リアクションに困った僕はただ笑うしかできなかった。



 未来の記憶の再生が終わると、りこの楽しそうな笑い声が聞こえ、さっきまで感じていた膝の上のぬくもりと困惑がなくなっていた。それなのに、僕はさっきまでの流れで一緒になってりこと笑っていた。

 笑ったことで気持ちが楽になったが、これから起こることにどう反応したらいいのか空をぼんやり見上げて考えることにした。


「いやあ、あっくんは本当にお疲れみたいだねえ」

「そうだね。だけど、だいぶ楽になったよ」


 りこの方に顔を向けると、僕のことを真っ直ぐに見つめながら柔らかな笑顔を浮かべていた、その笑顔を見ると心が温かくなる。そのとき、近くの植え込みからガサガサッという音が聞こえた。僕は姿が見えなくて音の正体に心当たりがあった。

 りこは音の方に顔を向けると、近くのベンチの下にいる猫を見つけた。


「あっくん、猫がいるよ。猫だよ? こっちおいでー」


 りこは優しい声で猫に手を差し伸べながら声を掛ける。はた目から見れば微笑ましい光景であることには違いない。猫はゆっくりとした足取りで僕たちに近づいてくる。それを見て、りこは「いい子だねえ。ほら、こっちにおいでー。怖くないから」と呼び続けていた。猫はそのままゆっくりと近づいてきて、りこの抱きあげようと伸ばした手をすっとすり抜けて、僕の膝の上に飛び乗ってきた。そして、大きなあくびをして体を丸めた。


「あっくん、ずるい!」

「ずるいって言われてもさ、文句があるなら猫に言ってくれよ」


 りこは頬を膨らませつつも、猫を撫でようと手を伸ばす。しかし、尻尾で手を払われてしまう。


「この子ひどいよ。私のこと嫌いなのかな?」

「まさか、たまたまでしょ」

「じゃあ、あっくんがこの子撫でてみてよ」


 言われるがまま、ゆっくり優しく、背中や顔周りを撫でると、膝の上の猫は喉を鳴らしながら目を細めた。時折、撫でる手に頭をこすりつけてきたりと、その触り心地の良さと気持ちよさそうにしている猫に、その魔性さに魅入られたかのように撫でる手を止めれなかった。


「この子、あっくんのこと好きなのかな?」

「そうかもね」

「うぅ……あっくんは私のなのに」

「僕はモノかよ。それに猫に嫉妬してどうするんだよ?」

「でも、だってさ、私はあっくんに膝枕すらしてもらったことないんだよ? そんな風に頭撫でてもらったこともないのに」


 僕はなんて答えていいか分からなかった。しかし、ここで笑ってごまかしたら何も変わらない。何か言わないといけない気がした。


「そういえば、僕はりこに膝枕してもらったことあったな」

「そういえば、そうだね。そうなると、余計に私だけ不公平じゃない?」


 りこはむすっとした顔を浮かべる。でも、本気で不満を感じているわけでも、嫉妬しているわけではないことは分かる。


「じゃあ、家に戻ったら膝枕してあげようか? 頭を撫でるのもセットで」

「いいの? あっくん」

「いいに決まってるじゃん。まあ、僕の初膝枕はこの子に先を越されてるけどね」

「でも、人間だと私が一番だもん。今のうちにあっくんの一番や、初めてを私がいっぱいもらうんだから」

「その言い方、なんだか怖いな。僕は何をさせられるの?」

「色んな事だよ」


 りこは機嫌をよくしたのか楽しそうな笑顔を浮かべる。僕は一度息を大きく吐いてから一緒になって笑いだす。

 きっと先ほど見えた未来の記憶の見えなかったその先で同じような会話をしているんじゃないかと思えた。未来をどうこう考えなくてもよかったのかもしれない。

 未来が見えることで少しずつ言動が変わっても、僕とりこ自身は基本は何も変わらない。

 きっとどの世界でもりこが隣にいて笑っているなら、僕も幸せで笑っているに違いないと根拠はなくても自信をもってそう思えていた――。

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