第27話 キミが隣にいる世界に、未来を ④

 梅雨真っただ中だというのにこの週末は天気に晴れマークがついていて、週明けからはまた曇りと雨マークに支配されていた。

 その日は、朝から陽が照っていて、少しだけ蒸し暑さを感じるような梅雨の中休みとなった。

 待ち合わせ場所のりこの家の最寄り駅に着いて改札を抜けると、りこが見える場所で待っていた。その姿が目に入った瞬間に心も顔も緩んでいく気がした。


「待たせた?」

「ううん。そんなに待ってないよ。それにしても、何持ってきたの?」

「ロールケーキ」

「そんな気を遣わなくてもよかったのに」


 りこは言葉ではそう言いながら袋の中身を覗き込むが、包装で中が見えなくて残念そうな表情を浮かべている。それを微笑ましく眺めながら、りこの家に向かって歩き出す。


「フルーツのロールケーキだよ」

「そうなの? ウチは家族みんな甘いもの好きだから喜ぶと思うよ。でも、あっくんは大丈夫なの?」

「まあ、多く食べなければ大丈夫かな。あとブラックコーヒーで甘さを誤魔化すとかできるし」

「無理しなくていいよ」

「そう? もしかして、僕の分までりこが食べてくれるの?」

「私、そこまで食い意地張ってない!」


 りこは頬を膨らませるがすぐに一緒になって笑い始めた。

 りこの家に着くとまっすぐにリビングに通された。テレビの前のソファーにはりこのお父さんが座っていて、りこのお母さんも並んで座っていたが僕の姿を見ると、すっと立ち上がり、僕とりこの前までやってきた。


「いらっしゃい、岩月君」

「はい。お邪魔します。それでこれ、ロールケーキです」

「あらあら、ありがとう。気を遣わなくてよかったのに」

「いえ、以前のお礼も兼ねてますので」

「本当に岩月君はできた子だわ。そう思わないお父さんも」


 りこのお母さんが話題を振るので、ソファーに座ったまま体を捻ってこちらに顔を向けてくる。僕が何かを言う前にりこが横から僕を紹介し始めた。


「お父さん、こちら岩月篤志君。私の付き合ってる相手だよ」

「岩月です。よろしくお願いします」


 りこのお父さんは僕の顔をまじまじと見つめた後、立ち上がり、僕の前に立つ。何をされるのか、何を言われるのかとドギマギする。


「キミがねえ。話は順子からもお母さんからも聞いてるよ。まあ、とりあえずそっちに座って話さないか?」


 そう言って、ダイニングテーブルの方を指さされる。りこのお父さんに促されるまま椅子に座り、きょとんとしていると、りこのお父さんは正面に座りながら、


「お母さん、岩月君の持ってきたロールケーキをさっそく出したらどうかな?」


 と、カウンターキッチンの向こう側のりこのお母さんに声を掛けるも、「これから一緒にお昼を食べる予定でしょ?」とやんわり否定され、ケーキの代わりにりこが冷たいお茶が入ったコップを三つトレイに載せて持ってきた。りこはそれぞれの前にお茶を置き、僕の隣の椅子に腰かける。


「それでキミはうちの娘のどんなところを気に入ったのかな?」


 そうシリアスな顔と口調で尋ねられるのでリアクションが取れず固まってしまう。最初に聞かれる質問だと思っていなかったのだ。


「お父さん、いきなりそれ? やめてよね!」

「いやいや、気になるだろう? なんだか聞いてた以上に真面目そうで大人っぽい子だからね。それで、どうなんだい? 岩月君」


 りこは諦めたような表情でため息交じりにお茶を飲んでいる。そこにりこのお母さんもお茶の入ったコップを手に椅子に座り、りこの両親二人にプレッシャーをかけられる。


「気に入ったところですか……笑った顔、ですかね。順子さんの笑顔のためならなんでもしたくなるんですよね。あとは一緒にいて楽しくて、たぶんそばにいてくれるだけで僕は幸せなんだと思います」


 僕がゆっくりと言葉にする。すぐにリアクションがなくて心配になり、三人の顔を見回す。りこは恥ずかしさからか顔を赤くして俯いていて、りこの両親はにやにやとした表情で僕たちを見つめているようだった。


「岩月君、この前来た時より、表情が柔らかくなったわね。順子の影響かしら。それにしても惚気のろけてくれるわねえ」

「ほんとだよ。少しはこっちに気を遣ってもいいものなのにな。こんなにも素直に答えてくるとは思わなかった」


 二人は楽しそうに口々に話すので、恥ずかしさで肩身を狭くする。


「でも、こういう子だからこそ、順子は選んだということなのかな」

「そうね、お父さん。でも、岩月君はこう見えてひねくれてると言うか手ごわいタイプだと思うわ。前に送って行った時もなかなかにやってくれたからね」


 りこのお母さんは僕に笑いかけてくる。その笑顔が少しだけ怖い。


「あの、おばさん」

「何かしら?」

「うちの母親がこの前のお礼も兼ねて話がしたいと言っていたのですが」

「そうなの? じゃあ、お昼食べた後にでも連絡しようかしら」


 僕はスマホを取り出し、自宅の電話番号と母親のスマホの番号をメモに書いて渡す。その流れで、僕の連絡先も教えることになり、スマホにりこのお母さんが登録されることになった。

 それから、りこの両親に質問攻めにされ、見かねたりこが部屋に行こうと助け船を出してくれ、飲み物を手にリビングを後にした。

 りこの部屋に入ると、アロマの香りに満ちていた。そのことでりこの部屋に来たなという実感がわいてくる。

 ベッドにもたれかかるように並んで座り、なんだかどっと疲れがでて、そのまま頭をベッドに預ける。


「なんだかお疲れだね、あっくん」

「仕方ないだろ? さすがに緊張したし、変に気を張るし、遣うし、二人がかりで色々聞かれるしでかなり疲れた」

「そっか。でも、その甲斐あって、私のお母さん、お父さんからは公認貰えたんじゃないかな?」

「本当に?」

「うん。お父さんなんて、朝から落ち着かずそわそわしてたけど、話しだしてからは普段通りになってたし」

「それならいいんだけど」


 大きく息を吐きだして、溜まっていた緊張を一気に吐き出す。そのとき、左肩に柔らかな重みを感じる。りこが僕に頭を預けてきたのだった。


「今日はりこは甘えたい気分なの?」

「そうかも。私がそばにいるだけであっくんは幸せなんでしょ?」

「そうだよ。こうやって触れ合ってるともっと幸せだ」


 りこはうんと頷く。きっと僕の鼓動が少し早くなってるのには気付かれているだろう。


「ねえ、私はあっくんが思ってるよりもずっと好きだからね」

「急にどうしたの?」

「ただ言葉で伝えたかっただけ」

「そっか、ありがとう。僕も好きだよ。それで、りこ?」


 りこは「なに?」と聞き返しながら、もそもそと頭を動かすので髪が首筋を撫でくすぐったくなる。


「今度はうちにおいでよ」

「うん、行きたい。あっくんの部屋って、どんな感じ?」

「普通の部屋だよ。でも、りこの部屋みたいに小物があったり、アロマでいい匂いしたりとかはないけどさ」

「そうなの? 勝手な想像だけど本が多くて小綺麗な部屋っぽい」

「小綺麗って言い方ひどくない? まあ、でも、きっとりこの想像通りだと思うよ」


 りこは楽しそうに笑い始める。笑うのに合わせてりこの体の揺れが僕に伝わり、温かさを感じながら一緒に笑う。


「なんだかこうやって二人でのんびりとするのいいね」

「そうだね。付き合いだしてからは初めてになるのかな?」

「そうかもね。まあ、リラックスしたくても、すぐ近くにりこの親がいると思うと気が抜けないのがちょっと辛いかも」

「ははは。でも、さすがにノックせずに入ってくるってことはないでしょ」


 そのタイミングで扉がコンコンッとノックされ、僕とりこは同時にビクッと体を強張らせ、急いで少し離れて姿勢を正した。りこは一つ息を吐いて、ノックに対して返事をすると、扉が開けられ、りこのお母さんが入ってくる。


「お邪魔だったかしら?」

「ちょっとお母さん? なんでそう、いちいち変な言い方するのよ」

「ごめんなさいね。からかいがいがあるし、かわいいからついつい」


 どこの親も子供にはお節介というかいらないことをしたがるんだなと変に納得してしまう。りこは不機嫌そうな感情を表情ににじませながら、「それで何の用?」と口にする。どうやら、昼ご飯はデリバリーにするということで注文の確認しに来たようだった。テレビのCMで見かけたことがある宅配寿司チェーン店のもので、普段こういうのを利用し慣れてない僕は任せることしかできなかった。

 それからしばらくして、デリバリーが届くと、家族の食卓に僕も混じって一緒に昼ご飯を食べた。

 その場では質問攻めはなく、寿司ネタで好き嫌いはあるかから始まり、僕の好みの話になり、りこの好みとの比較という話にシフトしていった。それから、今食べているものがおいしいだとかどこの家でもするような会話に移り、その自然さがとても居心地よく感じた。

 こうしてりこの両親と少し接するだけでも、柔らかな雰囲気の中にいたずら心が隠されていたりしていて、りこの性格や表情の豊かさは遺伝とこういう環境だからこそのものだと思った。

 今だけはこの温かな彼女の家族の一員に加われたような気がして、自然と表情が緩んでいくのを感じた。


 りこと出会ってからは僕の周りの世界は温かさと笑顔に溢れていた――。

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