第26話 キミが隣にいる世界に、未来を ③

「そっか。順子ちゃんだったんだ」


 放課後の図書室で西城さんに、りことのことを話すと納得という表情を浮かべられた。


「あんまり驚かないんだね」

「そりゃあ、仲良さそうにしてるの見かけてたからね。教室や廊下とか、図書室とか。放課後に一緒に歩いてるのも何度か見かけたし」

「そっか」

「うん。それで順子ちゃんと一緒にいるときの岩月君を見てたら、気になってるって言っていた相手はきっと順子ちゃんなんだろうなって思ってた」


 西城さんは遠くを見つめながらも、小さくクスクスと笑う。


「そんなに僕は分かりやすかった?」

「いや、分かりにくいと思うよ。普通にしてる分には順子ちゃんに振り回されてるようにしか見えないもの。だけど、私はさ、“岩月君はあんな顔で話したり笑ったりするんだ”、“岩月君はあんなに柔らかい表情を向けるんだ”って思いながら見てた」

「やっぱり顔に出てたったことじゃん」

「分かる人には分かる程度だよ。だけど、私といるときの苦しそうな表情より全然いいと思うよ」

「今もそんな表情してる?」


 西城さんは顔を覗き込んでくる。まじまじと見つめられ、僕は思わずすっと目をそらしてしまう。そのことでまた西城さんが声を殺して小さく笑っていた。


「やっぱりまだ少し苦しそうかな。それだけ岩月君が優しいってことなのかもね」

「ただのヘタレなだけだよ」

「それでもいいけど、順子ちゃんとはいっぱい笑いなよ。そんな表情を見せなくていいように精一杯彼女と向き合いなよ」

「はい」

「意外に素直だね。それより、時間はいいの? 順子ちゃん待たせてるんじゃないの?」


 西城さんは無理やり作ったような笑顔を浮かべ、僕の背中をぐっと押してくる。西城さんに手を振り、「ありがとう。じゃあ、また」と声を掛けて図書室を後にした。教室に戻ってくると、りこが僕の席に座って待っていた。


「話は終わった?」

「おかげさまで。じゃあ、帰ろっか」

「うん」


 りこは嬉しそうに頷き、いつものように一緒に昇降口に向かった。それから靴を履き替えて並んで話しながら帰る。りこと一緒に帰るのは僕の日常になりつつあった。

 毎朝使う駅が目に入り、ふいにさっきの西城さんとの会話を思い出し、上を見上げる。知らなければ桜と分からないほど綺麗な緑がまだ明るい空にえて見えた。


「あっくん。ねえ、あっくんってば! 聞いてる?」


 少しだけぼんやりしていた頭の中にりこの声がすっと響いてくる。明日は週末で学校がないのでその話をしていたはずで。


「ああ、聞いてるってば、りこ」

「それならいいんだけどさ。それでね、明日のことなんだけどさ、久しぶりにウチに来る? お母さんが岩月君を連れてきてってうるさいし、お父さんまで紹介しろって言ってくるんだよ」

「なんか気が重くなりそうな感じだね」

「そう? あっくんは私の彼氏なんだから堂々としてればいいんだよ」


 りこは楽しそうに、にひひっと笑う。そんな顔を見せられたら、りこの親に会って質問攻めや値踏みされるかもしれないというあまり行きたくないと思う事情も言い訳も関係なくなってしまう。

 一つ大きく息を吐いて、隣を楽しそうに歩く横顔を見つめる。


「なに?」

「明日、楽しみだなって」

「それならよかった」

「でも、変に絡まれたり、答えづらいことを聞かれたりしたら助けてよ?」

「どうしよっかなー?」


 りこは楽しそうに笑っている。そのことに口の端が緩むのを感じる。


「またりこの前でりこの好きなところ聞かれて答えたり、どこまで進展したのかとか尋問されたりしてもいいの?」

「それはちょっとやだなー」

「またあの時みたいに顔を真っ赤にするかもだしね。その時の顔を見る?」

「それはやめて! もういいじゃん。分かった、分かったってば。助け船はだすから」


 りこはむうっと不機嫌そうに頬を膨らませる。耳が赤くなっているので、ただ照れているだけというのが分かるので少しだけおかしくて笑ってしまう。


「あっくんは時々いじわるだよね?」

「りこがかわいいから、からかいたくなるんだよ」

「なんでこういうときに素直に笑うかなあ……まあ、いいけどさ」


 りこの不満そうな声を聞き流して、また別の話題に移っていく。そうしているとあっという間にひと駅歩いてしまった。


「じゃあ、明日はここまで迎えに来るから」

「分かった。じゃあ、また明日」

「うん。またね」


 改札を抜け、ちらりと振り返るとりこはいつものように見送ってくれていて、名残惜しさを感じながらホームに向かう。また明日会える、どうせすぐメッセージでやり取りをする、声が聞きたくなったら電話をかける――そんなことは分かっているけど、やはり少しだけ寂しさを感じてしまう。

 いつから一人になることに寂しさを感じるようになったのだろうか。

 こんな風にだんだんと普通の高校生になる僕はりこの特別であり続けることができるのかと不安になる。

 だけど、逆の立場ならそんなこと関係ないと僕は答えそうで、一瞬でも嫌いになられるかもと考えられたことに不快感を感じるかもしれない。それはきっとりこも同じなのだろうと思えた。


 家に帰るといつものように弁当箱を台所に持って行くと、ちょうど母さんが晩ご飯の支度をしていた。


「あら、今日は早いのね」

「うん、たまにはね。あと、明日出掛けるから」

「どこに? 本屋に行くなら探してきてほしい本があるんだけど」

「本屋じゃないって。彼女の家」

「えっ!? 彼女?」


 母さんは調理中の手を止め、バッと僕に向き直ってくる。


「あんた彼女なんていたの? ああ、それで少し前から明るくなったのね」

「前に怪我したとき、服貸してくれたり、家の近くまで送ってくれたのが彼女のお母さんだよ」

「あらあら。そういうことならちゃんとお礼もしないとね。明日、相手の家に行ったら電話でいいから話させてもらえないかしら?」

「分かったよ、向こうにも話してみる」

「あと、お金渡すから、お礼も兼ねてケーキかなんか買っていきなさい」

「分かった。ありがと」

「それと――」

「まだ何かあるの?」


 母さんはニヤニヤとした表情を浮かべている。息子の初めての浮ついた話を聞いて、変なスイッチが入っているのかもしれない。


「お母さんにも彼女さんを紹介してちょうだい。どんな子? かわいい?」


 なおも続く、どんな子だろう、こんな子だといいなを聞き流しながら、深いため息が出る。


「同じクラスの明るくてかわいい子だよ。そのうち、ウチにも連れてくるから」

「そう? その時はいっぱいもてなさいとね」


 どうやら好意的に受け入れられているようでホッとはする。明日りこの家で同じような展開になれば気は楽だなと思った。

 そして、もういいだろうと話を切り上げて部屋に向かおうとすると、母さんに呼び止められる。


「あんた、責任取れないようなことはしてないだろうね?」

「何言ってんだよ。もういいだろ!」


 顔が熱くなるのを感じながら、自分の部屋に入る。いきなり何を言い出すんだと焦ってしまうも、こうも焦る理由がそういうことをしたいと本心では思っているからだということに気付き、頭を抱えたくなる。

 だけど、僕とりこの関係はまだ始まったばかりで、これからが長いのだから、自分たちのペースでゆっくりやっていけばいいのだと思っている。

 少しの不安とそれ以上の期待を胸に抱えて、その日は眠りにつくことにした――。

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