第24話 キミが隣にいる世界に、未来を ①
高校の入学式の日に見た未来の記憶の通り、中迫順子と付き合うことになった翌日。
昨日から降り続く雨は止むことはなく、今朝のニュースで梅雨入りが発表された。
雨の日の電車通学は何度経験しても憂鬱だ。濡れた靴下と誰かの傘でじわりと湿り気を帯びていくズボン。
ホームの濡れた地面は滑りそうで気を抜けないし、ため息さえも雨雲に吸い込まれ雨になって落ちてくるような気がしてしまう。
ピッ――。
改札を抜け、一息ついて顔を上げると、ドクンっと強く鼓動が波打つのを感じた。それはいると思っていない人を思いがけず見つけだからで、驚きのあまり足を止めた。
りこがいたのだ。
僕に気付くとぱあっと表情を輝かせ、僕の元に軽やかな足取りでやってくる。
「おはよう、あっくん」
「うん。おはよう。どうしてここに? 約束してないよね?」
僕の言葉にりこはむっと唇を尖らせる。
「私にここで会うのがそんなに嫌だった?」
「違う、違う。嫌なわけないって。ただ驚いただけ」
「ならいいんだけどさ。なんか今日はあっくんと学校に一緒に行きたいなあって思って駅に寄ったら、ちょうど改札から出てくるんだもん。私もびっくりだよ」
「なんだかすごいタイミングだね」
「本当にね」
りこは楽しそうに笑う。そして、くるりと体を回転させ、「じゃあ、一緒に学校に行こう」と僕の手を引いて歩き出した。一緒に傘をさして並んで学校に向かう。
「今日は相合傘じゃなくてよかったの?」
「うーん。そうしたいけど、そうするとテンションと言うか気持ちが朝から上がりすぎて、一日持たなくなっちゃうよ。まだ私の心はキミと付き合うということに慣れてなくて、今もバクバクなんだからね」
「りこもそんな感じに緊張したりするんだ」
「当たり前だよ。私をなんだと思ってるの?」
りこは傘の下から覗き込むように僕の顔を見つめてくる。その少しだけ赤くなっている顔が愛おしくて、おかしくて、かわいくて、なんだか笑ってしまう。
「ねえ、笑うなんてひどくない?」
「ごめんって。でも、僕もまだ慣れてないのかもしれない。こうやって一緒に学校に行くのは初めてだし、駅で姿を見た瞬間、嬉しさと驚きで心臓バクバクだったしね」
「そっか。なら、一緒だね」
「でも、一緒にいるとすごい気持ちが落ち着くのはなんでだろうね」
「さあ? きっと安心してるとか? もしそうなら私に心開いてくれてるみたいで嬉しいかも」
「もし心閉ざしても、りこはこじ開けて土足で入り込んでくるでしょ?」
「ひどい言いようだね。だけど、そうだね。私はもうキミを一人になんかしてあげないんだから」
そう言って笑うりこはそこだけ陽が照らしているのではないかというくらい輝いていた。ただ話しながら一緒に歩くだけであっという間に学校に着いてしまう。なんだかもっと歩いていたいような気になる。
そのまま昇降口で並んで靴を履き替え、教室に向かった。教室の扉を開けて中に入ると、パンッ、パパンッとクラッカーが鳴らされる。驚いて音の方を見ると扉の陰に相川と柴宮さんが隠れていた。
「なんだよ? ちょっとびっくりするだろ?」
「何言ってたんだよ、篤志。せっかく親友に彼女ができたからお祝いしてやったのに」
「もっと普通にしてくれよ。てか、親友だったの?」
「えっ? 彼女ができたからって冷たすぎない?」
相川が普通に凹んでしまったので、親友じゃないと言ったことは取り消すことにした。それを見て、柴宮さんがゲラゲラ笑っている。
自分の席に座り、鞄から教科書などを取り出し机に入れながら一息ついていると、隣の席の野瀬さんからも視線を感じる。ちらりと目をやると、まじまじとこっちを見つつも頬が緩んでいるのが見て取れた。ドッと疲れを感じてしまいため息を一つつくと、後ろから羽交い絞めにされる。
「にしても、篤志に先を越されるとはな。しかも、さっそく夫婦仲良く登校だし」
「夫婦って、何言ってたんだ。まだ付き合ったばかっだし、結婚できる年齢でもないだろ?」
「そんな真面目な返しは今はいいんだよ。それに年齢だけで言うなら中迫さんは分からないだろ? ねえ、中迫さん」
柴宮さんと話しながら鞄から机に荷物を移していたりこは、「えっ、なにが?」と体をずらして聞き直してくる。
「もう誕生日来てるのかだって?」
僕が聞き直すと、りこは「まだだよ」と首を横に振る。
「それでいつなの? 誕生日?」
「おいおい、篤志。彼女の誕生日くらい知っとけよ」
「仕方ないだろ? まだ出会って二ヶ月くらいしか経ってないんだぞ」
「じゃあ、この機会に聞いとけよ」
「そうだ、そうだー。で、順子ちゃんの誕生日をどう祝うのかプレゼント含めしっかり見届けてやるー」
「僕は見せ物じゃない!」
僕の言葉はどこにも届かないようで、目の前のりこは楽しそうに声を出して笑っている。僕の周りにはいつの間にか笑顔が溢れている。今いじられている僕だけが笑い出すきっかけを失っていた。
僕は大きく息を吐いて顔をしかめる。りこが楽しそうにしていなかったら逃げだしていただろう。
笑いの波が収まる頃合いにそっとりこは僕の手に手を重ねてくる。顔を上げると、視線が合い、りこはにっこりと微笑むと、
「私の誕生日は七月十五日だから」
と、柔らかな声音で教えてくれる。
「誕生日期待してもいいの?」
「ほどほどに」
「わかった。期待し過ぎないように期待してる。それであっくんは?」
「十一月二十日だからまだまだ先だよ」
「そっか。私も何か用意しないと」
「無理はしなくていいから」
「無理するよ。好きな人のためだもん」
僕は照れてしまい、小声で「ありがとう、りこ」と返すのが精一杯で、りこは嬉しそうに頷いていた。
そんな僕たちの会話はもちろん周りにも聞かれていて、そうなることを僕は失念していた。
「“あっくん”に“りこ”だって、千咲」
「仲が良すぎて、見てるこっちが恥ずかしくなりそうだわ」
「ねー。でも、なんかうらやましいな。私もあんな彼氏欲しい」
「ほんとね。見せつけられるとそう思うわね」
こそこそ話す声は丸聞こえで、僕は恥ずかしさから固まってしまう。
「誰にも譲らないから。それと私を“りこ”って呼んでいいのは岩月君だけだし、岩月君のことを“あっくん”って呼んでいいのは私だけなんだからねっ!」
「分かってる。だれも、順子のものは取らないし、手を出さないから安心して」
「そうそう。二人を応援したり、からかうことはあっても邪魔だとかはするつもりないし」
りこがこんな子供じみた独占欲を露骨に見せるとは思わなくて、僕は小さく笑いだす。
「なんで、このタイミングであっくんが笑うの? ひどくない」
「ごめん。本当にかわいい彼女だなって」
りこが頬を膨らますのを見ながら笑うのを止められない。相川は後ろから腕を首に回して軽く力を入れてくる。
「なんかお前、愛され過ぎなんだよ。うらやましすぎるわ!」
相川は文句を言いつつ、締める力を強くするのでタップをする。そんな光景を見ながら柴宮さんと野瀬さんも声を上げて笑い始める。
そんな風に盛り上がっていると、予鈴のチャイムが学校に鳴り響く。それを合図に相川から解放され、教室に入ってきた藤崎先生を見て、慌ただしく自分の席にクラスメイトが戻りだす。
「じゃあ、二人への詳しい事情聴取は放課後にゆっくりしよう」
柴宮さんの言葉に僕とりこ以外の三人は頷き合う。それだけで根掘り葉掘り聞かれるのだろうというのは安易に想像でき、少しだけ気が重くなる。
「みんなも受け入れてくれたみたいでよかったね」
そう言いながら、りこが頬を緩ませるので、それだけで朝のこの疲れるような時間も無駄ではなかったと思えた。
左手首に巻いたミサンガにそっと触れ、さっきまで僕の手に触れていたりこの温度を思い出す。
僕のミサンガに込められた願いは分からないが、僕がりこのミサンガに込めた願いは今のところ叶い続けているようだ。
りこの笑顔のためなら、僕は何でもできる気さえしていた――。
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