第23話 選択した世界に、未来を ⑥

「彼氏彼女ってことでいいんだよね?」


 そう確認するように中迫さんは尋ねてくる。その表情は真面目を装っているが、口の端が緩んでいて嬉しさを隠しきれていない。きっと僕も同じような顔をしているに違いない。


「それって確認すること?」

「確認するよ。それでもし違うとか言われたら私まじで凹むか訴えるよ」

「誰に訴えるんだよ」


 思わずそうツッコミを入れながら笑ってしまう。中迫さんは頬を膨らませているが笑うのを堪えているのも伝わる。


「まあ、僕は彼氏彼女だといいなって思ってるよ」


 僕が真面目にそう答えると、中迫さんはぱあっと表情を明るくする。


「それならさ、これきっかけで名前かあだ名で呼び合わない? いつまでも君付け、さん付けはよそよそしくない?」

「まあ、たしかにね」


 そう同意した瞬間、入学式の日の掲示板の前で初めて中迫さんと出会った時に見た未来の記憶のように断片だけがランダムに再生される。



「あっくん。ねえ、あっくんってば! 聞いてる?」

「ああ、聞いてるってば、りこ」

「それならいいんだけどさ。それでね、明日のことなんだけどさ――」


 そんな風に楽しそうに会話している場面が連続して見える。その中で僕は“あっくん”と呼ばれ、“りこ”と好き人の名前を呼ぶのだ。

 今まで誰にも、親にすらそう呼ばれたこともないのに呼ばれ慣れた感じがとても心地よく耳と胸に響いてくる。



「あっくん」「りこ」


 名前を呼び合う声が重なる。一瞬現実なのかまだ未来の記憶の再生中なのか分からない曖昧さと心地よさの狭間で僕は動きを止める。


「あっくんとりこ――うん、いいね。なんだかすごいしっくりくる」


 嬉しそうに何度も頷いて響きを耳に慣らしている姿を静かに見つめる。僕の視線に気づいて、見つめ返され、そのまま黙って見つめ合う。


「なんで黙ってるの? あっくん」

「なんでもないよ。ただかわいいなって思って見てただけ」

「褒めてもなにもでないよ?」

「それは残念」


 そうやって笑い合い、お互いに飲み物に口をつけてホッと一息をつく。そのタイミングで、すっとマスターがやってきて、僕たちの前にチョコ菓子が載ったお皿を置く。


「ブラウニーですが、よかったらどうぞ」

「ありがとうございます。でも、どうして?」


 僕が反応すると、りこもうんうんと同調してマスターに視線を向ける。


「聞くつもりはなかったのですが聞こえてしまったので、お二人のお祝いにと思いまして」


 マスターの言葉に僕は恥ずかしさから顔が熱くなる。しかし、りこは違ったようで、


「ありがとうございます。あの……一つお願いをしてもいいですか?」


 と、僕が固まってしまった間に柔らかな笑顔で応対している。


「ええ、なんでしょう?」

「写真、撮ってもらえますか?」

「そういうことなら喜んで」


 りこはテーブルの上に置いていたスマホを手に取り、カメラを起動させてマスターに渡す。


「ほら、あっくん。ピースして? あと笑って?」

「わかったよ」

「あと、手も繋いで?」


 僕は返事より先に手を差し出す。りこはゆっくりと手を重ね軽く握る。あとは言われた通りできるだけ笑ってピースをする。そして、マスターの合図とともにスマホのシャッターが切れるカシュッという音が鳴る。

 りこはお礼を言いながらスマホを受け取り、写真をさっそく確認する。マスターは写真を撮り終えると、「ごゆっくりどうぞ」と言い残してカウンターの向こうに戻って行った。


「ねえねえ、この写真どう思う? なんかよくない?」


 そう言いながらスマホの画面を僕に見せてくる。そこには仲良さそうで初々しさ満点のカップルが手を繋いで映っていた。自分の顔はともかく隣で笑う女の子はとてもかわいくて幸せそうだ。そして、ピースをする二人の手首には巻かれているミサンガがはっきりと写っている。そのときのデートのことを思い出すと、もうずっと前のことのように思えた。


「いい写真だと思う。幸せって感じが滲みだしすぎてる気もするけど」

「それくらいでいいじゃん。実際、そうなんだし」


 そうやっていつも笑うから僕も釣られて笑顔になる。これからも僕は隣でずっと笑っていくのだろうとなんとなくそう思ってしまう。ずっと未来までこんな幸福が続けばいいと心の底から思った。

 りこはそのままスマホをいじっている。しばらくすると、テーブルの隅に置いていたスマホが振動しながらホーム画面を表示する。通知を見ると新着メッセージが届いたことを知らせている。

 何も考えずにメッセージを確認すると、学校でのいつもの五人、つまりは僕とりこ、野瀬さんと柴宮さんと相川で作ったグループにりこがさっき撮った写真を無言で貼り付けたのだ。


「ちょっと、りこ?」


 僕の言葉にりこはスマホを置いて楽しそうな表情を僕に向ける。そして、ブラウニーをひとかけ口に入れ、ミルクティーに手を伸ばし、スマホの画面に視線を落とし成り行きを見守っている。

 グループチャットでは写真が貼られてすぐに全員が反応をした。


『えっ? どういうこと? 順子ちゃんと岩月って、こういう関係だったの? まじで? いつから?』

『二人ともおめでとう』

『ちょっと篤志。どういうことか説明してくれよ。そういうことでいいのか?』

『よくわからないけど。二人ともよかったね』


 柴宮さんと相川が混乱してそうな中、すぐに事情を察した野瀬さんだけが祝福してくれている。野瀬さんの言葉に空気を読んだ柴宮さんが何があったか理解して、相川だけが混乱しつつなんとなくで事態を把握するという面白い状況ができあがっていた。


「やっぱりこういう反応になるか。野瀬さんだけは本当になんと言ったらいいか」

「千咲はさすがだよね。で、説明を求められてる感じだけどどうする?」


 りこはいたずらっぽい笑顔を浮かべる。その表情で僕に何をさせたいのかだいたい予想がついた。自分のスマホを手に取る。


『付き合うことになりました』


 そう僕がメッセージを投げると、正面に座るりこが嬉しそうな表情に変わる。満足してもらえたようだ。


『そっか。おめでとう。順子ちゃん、岩月。明日いろいろ聞かせてよ?』

『篤志、よかったな。かわいい彼女ができて』


 そうやって流れていくチャットを横目に、ご機嫌な表情を浮かべるりこと笑い合う。

 それからいつもみたいにのんびりを過ごし、コーヒーとミルクティーを飲み干すと会計をして、マスターに再度ブラウニーのお礼を言うと、「また二人でいらしてください」と言われ、思わず二人同時に「はい」と答える声が重なって笑えた。

 喫茶店の扉を開けると空は暗く雨が降り続いていた。すぐ隣からりこが同じように空を見上げる。


「けっこう降ってるし、止む気配はなさそうだね」

「そうだね。じゃあ、帰ろうか、りこ」

「うん」


 隣でりこは頷くが傘を開こうとする素振りも見せない。


「傘ささないの?」


 そう尋ねながら傘をバッと開くと、


「一本でよくない? 一緒の傘で途中まで帰ろうよ」


 そう隣で僕の顔を見上げながら、りこは提案してくる。喫茶店の屋外照明の柔らかな灯に照らされた表情はどこか照れているようだが、期待しているのも透けて見える。

 彼氏だからというわけではないがその期待に応えなければならない。というよりは、不思議とりこのお願いだとか提案は断りたいと思うようなものはなく、きっとこの先もこうして手を引かれていくのだろうなと感じる。

 僕は傘をさし、


「じゃあ、帰ろう。だから、早く傘に入りなよ」


 と、りこの顔を見ながら口にする。りこは「うん」と嬉しそうに頷き、さっと腕を回しながら傘の中に入ってくる。


「相合傘だね、あっくん」

「そうだね」

「嬉しくないの?」

「嬉しいけど、少し緊張する」

「あっくんも緊張することあるんだ」


 りこはそんなことを言いながら隣で笑いだす。組んだ腕と密着する半身から、体温と感情を感じながら、暗い雨の降る、夜の始まりを一緒に歩いていく――。

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