第22話 選択した世界に、未来を ⑤

「雨やんでるし、今のうちに帰ろうか?」


 放課後の図書室で隣で課題に苦戦をしている中迫さんに声を掛ける。中迫さんは顔を上げ、僕を見た後、窓の外に目を向ける。そして、僕の方に視線を戻し、口元に手を当てながら顔を近づける。


「そうだね。そろそろ帰ろう」


 耳元で呟かれ、息が耳にかかり背中にゾクゾクッと電気が走る。そんな僕のリアクションに中迫さんは笑顔を浮かべていて、手早くテーブルの上を片付け始める。僕も読みかけの小説にしおりを挿んで鞄の中に入れる。

 そのまま並んで図書室の外に向かう。カウンターには西城さんがいて、僕は小さく手をあげて合図を送ると、西城さんも同じように合図を返してくれる。


「じゃあね、涼葉すずはちゃん」

「うん、またね。順子ちゃん」


 二人は言葉で挨拶をかわす。僕はそのことに驚きを隠せない。二人が面識があるだなんて知らなかった。

 図書室を出て昇降口に向かいながら、


「西城さんと知り合いだったんだ」


 と、隣で髪の毛を気にしながら歩く中迫さんに尋ねる。


「ああ、うん。そうだよ。体育とかで一緒になるから前から知ってたけど、話すようになったのは最近かな」

「最近?」

「なになに? 岩月君、気になるの?」


 気になるけれど、中迫さんの言葉の意味することとは違う意味でだ。迂闊うかつに返事ができなくて答えあぐねていると、


「涼葉ちゃんと岩月君、前から仲良かったでしょ? この前も廊下で話してたし、前に放課後に一緒にいるところ見たしさ。だから、私も仲良くなれるかもなーって思ったら、意外に話が合ってさ。この前なんか夜中に二時間くらいも話しちゃったよ」


 と、楽しそうに教えてくれた。なんとなく素直に「そうなんだ、よかったね」とは言いだしづらい。西城さんもわざわざ言わなかったくらいだし、普通に友達になったのかなと思うことにした。

 西城さんは本当に気遣いもできるいい人だ。中迫さんが見たのであろう数日前に西城さんと廊下で話したときも僕の怪我のことを心配してくれて声を掛けてくれたものだった。


「それで、岩月君は涼葉ちゃんみたいな子がタイプなわけ? 本が好きなところとかも一緒だし気が合いそうだもんね」

「それで僕になんて答えさせたいんだよ?」

「岩月君の好きなタイプの女の子ってどんな感じなのかなって」

「それは――」


 以前の僕なら、知的で物静かで物憂げな文学少女のような子だと答えたかもしれない。まるで西城さんのような。

 でも、好きなタイプと好きになった女の子はタイプが違う。


「それは、なに? ねえねえ、岩月君」

「別にいいだろ、そんなこと」

「そっか……」


 中迫さんは少ししょんぼりとした表情を浮かべる。今日に限ってなんでこんな話題で食い下がってくるのか分からない。

 そんな表情が気にかかり、注意力がおろそかになったのか、廊下の端の受験案内の冊子などが置かれた長机に太ももが激突して、痛みが走る。自分の痛みより机の上のものが床に落ちなくてホッとしていると、隣から笑い声が聞こえてくる。


「大丈夫? 怪我とかしてない?」

「大丈夫。ちょっと角で打っただけだから」


 太ももをさすっていると、「また怪我したら大変だし気をつけなよ」と中迫さんは頬を緩ませる。先ほどまでの曇った表情はいつのまにかどこかにいっていた。

 そのまま昇降口で靴を履き替え、話しながら歩き始める。中迫さんと二人の時は高校の最寄り駅からは電車に乗らず、そのまま中迫さんと歩いて、寄り道したりして、一つ向こうの駅から電車に乗るようにしていた。

 今日も同じように最寄り駅は通り過ぎる。


「ねえ、今日はあの喫茶店に寄ろうよ」

「そうだね。それにしても、あの店すっかりお気に入りだね」

「それは岩月君もでしょ?」

「まあね。コーヒーおいしいし、雰囲気いいし」

「そうそう。ついつい長居しちゃうんだよね」


 そんな話をしながら、笑い合うと色んな事が抜け落ちてしまう感覚になる。隣にいる女の子に夢中で、普段より視野が狭くなっているだろう。それだけ、意識が隣を歩く女の子に向かっている。

 中迫さんがいる風景を一瞬でも見逃すまいと僕の目はつい姿を追ってしまう。

 喫茶店の近くまでやって来た時、パラパラと雨がまた降りだし、僕たちは傘をさす手間を惜しみ店まで駆けていく。ほとんど濡れることなく店に辿り着いて、扉を開けると、コーヒーの香りが鼻をくすぐる。今日は他に客がいないみたいだった。

 いつものマスターの「いらっしゃいませ」という声と柔らかな表情を横目にテーブル席に。中迫さんは扉のノブに制服を引っ掛けたようで、一瞬声にならない声を上げていたが、落ち着いて引っかかった部分を外して、僕の前の席に何事もなかったかのように腰かける。


「中迫さんはいつものでいいの?」

「うん」


 メニューも見ずに僕たちは注文を決める。そこに水とおしぼりをマスターが持ってきてくれる。


「すいません。注文いいですか?」

「はい。“いつもの”でよろしかったですか?」


 僕と中迫さんは少し驚いて固まる。


「えっ、いつもので通じるんですか?」


 僕の質問にマスターは優しそうな笑顔を浮かべる。


「ええ。大丈夫ですよ。ブレンドとミルクティーですよね」

「よく覚えてますね」

「いえいえ。お二人のように若い常連さんは珍しいので。それにいつもこの席に座って仲良くおいしそうに飲んでいる姿はとても印象深いんですよ」

「そんなに仲良さそうに見えます?」


 中迫さんの質問に「ええ、とても」と答え、「それでは少しだけお待ちください」と言い残し、カウンターの向こう側に戻っていく。


「私たち仲良しの常連だって」


 中迫さんはにやにやと嬉しそうに笑いながら僕を見つめてくる。その顔を僕は真っ直ぐに今は見つめることができない。未来の記憶に後押しされることになったが、僕は目の前の中迫さんに告白しようと考えている。その気恥ずかしさから今は中迫さんの目を見ることができないのだ。

 顔をゆっくりあげると、中迫さんも同じように顔を俯かせていたようで、ふいに目が合うと僕たちにしては珍しく気まずさと緊張が場を支配する。

 そこに注文したコーヒーとミルクティーが運ばれてくる。


「ごゆっくりどうぞ」


 マスターの言葉に僕と中迫さんは思わず同時に「ありがとうございます」とお礼の言葉を発し、マスターは柔らかく微笑んでくれた。そういうタイミングはあったのに、会話の方はなんとなく間が悪く噛み合わずに黙り込んでしまう。

 中迫さんはいつものようにシュガーポットに手を伸ばし角砂糖を二つ入れゆっくりとかき混ぜる。僕の前に置かれたコーヒーもいい香りを立てながら湯気があがる。

 コーヒーのいい香りや喫茶店全体を優しく染める橙の照明、カウンターで静かに洗い物をするマスターの気品ある立ち姿、甘いミルクティーを飲んで頬に手を当て幸せそうに余韻を楽しむ中迫さんの笑顔。その一つ一つが僕の緊張を溶かしていく。

 さっきまでの緊張で乾ききった口の中をコーヒーで潤す。カップを置いて、気付かれないように深呼吸をして、テーブルの下でぐっと拳を握りしめ覚悟を決める。


「ねえ、中迫さん」

「なに? 岩月君」


 中迫さんと視線がすっと合う。今度は逸らさない。真っ直ぐに顔を見つめ、絞り出すように言葉を口にする。


「僕は中迫さんのことが好きだよ。きっと初めて会った時からずっと気になってた」


 僕は言い切った。ちゃんと言葉にして気持ちを伝えることができた。

 中迫さんは驚いたような表情を浮かべ、すぐに嬉しそうな表情に変わる。


「まさか先に言われるとはね」

「なんのこと?」

「ううん、なんでもない。私も岩月君のこと好きだよ」

「本当に?」


 中迫さんはうんと頷き、さらに言葉を続ける。


「きっと私はキミに出会うために生まれてきたんじゃないかって思うほどに大好きだよ」

「それは大げさすぎじゃないかな?」

「ううん。きっと初めて会った時からこうなる運命だったんだよ」


 僕は嬉しさと照れくささが混じり合い、胸の奥がむずがゆく全身が驚くほど暑かった。それなのにいまだ握りっぱなしの手だけは冷たくて、手の中にはまだ緊張が残っているのかもしれない。

 僕の人生で初めての告白は未来の記憶で見た通り成功した――。

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