第21話 選択した世界に、未来を ④

 怪我をした翌日は、人の目を気にしていつもより早い時間に登校した。それでも、電車に乗っている人が目立って少なくなるわけではなく、気にしないつもりでも人に見られているのではないかと不安にさいなまれた。

 学校に着いて職員室に担任の藤崎先生に説明しに行ったときも他の先生から注目を浴びているのを感じた。事情を説明すると安堵の意味を含めて藤崎先生に少し笑われた。


「岩月君は年齢以上にしっかりとした生徒だと思っていましたが、なんだかやっと年相応な部分が見れた気がします」


 藤崎先生はそんなことをぼそりと口にする。


「先生は僕を何だと思ってるんですか? 過大評価もいいところですよ」

「そうね。今の岩月君は普通の高校一年生で十五歳の男の子にしか見えないわ」

「今までは僕はそうは見られてなかったんですね」

「ちょっとね。それでもよくて大学生くらいの大人っぽさだけど」

「微妙な高評価をしてくれていたようで嬉しいです」


 藤崎先生は楽しそうに声に出さないように笑う。その顔は童顔も相まって三十間近というより、二十歳に近いような幼い笑顔で、年相応に見えないのはそっちだよなと心の中で不平を漏らす。

 職員室を出て教室に向かう廊下では僕は視線を集めてしまっていて、こそこそと小声で何か言われているのを感じた。教室に入ると、すでに中迫さんや相川は登校していて、僕の席付近にいつものようにたむろしているのが見えた。


「おはよう、篤志! ヒーローの凱旋がいせんだな」


 相川が僕に気付くと教室に響くような声でそう言う。


「ヒーローというより、ぱっと見はノックアウトされたボクサーみたいだな」


 相川はそう言うと腹を抱えて笑いだす。それに合わせるように教室にさざ波のようにクスクスという笑いが広がる。注視されてこそこそされるよりは笑われた方が楽なので、気持ちは軽くなる。


「ひどい例えだな。僕はガチガチのインドア系なんだ。そういう体育会系な感じに言うのはやめてくれよな」

「そういや、入学式の日にそんなこと言ってたよな。でもさ、篤志がもっと運動出来て反射神経よければ、かわすなりできたんじゃねーのか?」

「それは……」


 思わず言い淀んでしまう。言われてることは確かにそうだ。怪我をしない未来もあったかもしれない。

 僕がそんなことを考えていると、中迫さんがクスクス笑い始める。


「岩月君が相川君に言いくるめられてるの初めて見たかも」

「まじで? じゃあ、俺の初勝利か?」

「そんなことで喜ぶなよ」

「いいじゃねえか」


 相川はにかっと笑いながらも、「で、怪我は痛むのか?」と一応は心配してくれる。それを同じような心配をしているであろう中迫さんに向かって、「大丈夫だよ」と答えると、中迫さんはうんと頷きながら小さく微笑んだ。


「でもさ、今回のことでは運動苦手でインドアな反射神経の悪い岩月君は、私にとってはヒーローなんだよ」

「ひどい言い草だね。というか、ヒーローって、中迫さんが言い出したんだ」

「うん」


 そう楽しそうな表情で頷かれる。


「あれはさ、ただの事故で僕に看板がぶつかっただけ。ヒーローらしいことはしてないよ。誰かを守ってできた名誉の負傷じゃない」

「それでも私は助けられたんだと思ってるよ」

「そう思うなら勝手に思ってくれていいよ」


 僕はため息をつきながら鞄の中身を机に入れ始める。そこに柴宮さんと野瀬さん登校してきた。


「あれー? 岩月、その怪我どうしたの?」


 柴宮さんが駆け寄ってきて心配と興味本位でぐいっと踏み込んでくる。


「ヒーローの勲章だよね」

「だから、ヒーローじゃ――」

「え? なになに? どういうこと?」

「また一から話すの大変だし、相川頼むわ」

「ちょっとそこで俺に振るなよ」

「いいからさっさと説明しなさいよ、相川」

「うわー。千咲、言い方こわーい」


 僕の周りがいつもの騒がしくて温かくて楽しい空間になる。その中で中迫さんと不意に目が合い、同じタイミングで表情を崩した。その一瞬だけは時間が止まっているかのように思えた。


 それから三日後には抜糸をして、一週間が経つころにはどこに傷があったのかもわからないほどに綺麗に治った。

 そして、制服は夏服になり、季節は梅雨に移り変わろうとしているのか週間天気予報に雨のマークが増えだした。


 さらに数日が経った放課後、中迫さんに連れられ図書室に来ていた。定位置になりつつある本棚の間を抜けた先にあるテーブルに並んで座る。


「ねえ、岩月君。この前借りた本、すっごいよかったよ。自分でも買おうかなと思ったよ」

「気に入ったのなら買うのもいいんじゃないかな。好きな時に読めるし」

「そうだよね。それよりも私の無茶な希望にピンポイントで答える野球を題材にしたハートフルな小説があるとはね」


 中迫さんに貸した本は、成功を収めた男性が家族を事故で失い、地域のリトルリーグの監督をすることになる。そこで出会ったひと際小柄で野球も上手くない少年の前向きな姿勢に感化され、また彼の人には知られたくないという秘密を知り、少しずつ一緒に成長し、生きることの意味を再認識するという話だった。小説の体をした人生の教本ともいえるような不思議な本だった。


「でも、やっぱり人が死ぬ話は苦手だなあ」

「そっか。今度はそういうところにも気をつけないといけないのか」

「でも、そう都合よくはいかないだろうし、面白い本はどんどん教えてよ。できればまたスポーツが混じるのがいいな」

「わかった。でも、野球ものでパッといいものを思い出せないから次は別のスポーツで勘弁してよ」

「仕方ないなあ」

「借りる側の態度じゃないだろ、それ」


 大きな声で話せないので顔と体を近づけてこそこそと小さな声で会話する。中迫さんのわずかな息遣いや匂いまで感じる。あまつさえ鼓動の音まで聞こえてしまうのではと言うほど静かで近い場所にいた。


「それにしても怪我、綺麗に治ったね。もうどこにあったか分からないよ」


 中迫さんはすっと手を伸ばして傷があった右の眉の上あたりに優しく触れる。僕はされるがままで嫌な気もしない。むしろ、中迫さんの指先から感じる温もりが嬉しくもあった。

 そのときだった。不意に未来の記憶が再生され始めた。



 いつもの喫茶店のいつものテーブル席に中迫さんと向かい合って座っていた。テーブルの上にはまだ湯気をあげているコーヒーとミルクティー。

 僕たちの間では珍しく緊張と重たい空気が支配する。そして、乾ききった口の中をコーヒーで潤して、気持ちを決める。


「僕は――好き、だよ。中迫さんのこと。たぶん初めて会ったときからずっと」


 僕がそう答えると、正面に座る中迫さんは今まで見た中でも一番嬉しそうに微笑み、僕のことをとても柔らかな視線で見つめてきた。



 現在に戻ってくると、中迫さんの指の触れる温かさを感じる。さっき見た未来の記憶のせいですぐ目の前にある中迫さんの顔がなんだか見ることができない。

 僕はついに中迫さんに告白するのだ。そんな未来を見てしまった。このタイミングでということは、僕は中迫さんが気にしている怪我が治り切るのを見計らっていたのかもしれない。

 そう思うと途端に顔が熱くなってきて、心臓が強く鼓動を打ち始める。


「大丈夫? もしかしてまだ痛かった?」


 中迫さんの心配する声が聞こえる。僕は「大丈夫だよ」と返事をするもどこか上の空で、落ち着かない。

 そのまま並んで僕は読書を、中迫さんは今日出た課題をし始める。僕は全くと言って読書に集中できない。こんなことになったのは入学式以来だった。それにこんなにもそわそわして落ち着かないのは中迫さんと話しだすきっかけになった学食での未来が見えた時以来だろうか。

 いずれにしても僕が動揺するのは中迫さんがらみであることは紛れもない事実で、そう思うと僕はどれだけ昔から中迫さんのことを意識して気になっていたんだと自分に笑えてきた。

 僕はずっと中迫さんのことが好きだったのだ。

 そして、僕の告白が断られることがないというのも未来の記憶が証明してくれている。こんなにも気が楽な愛の告白があるだろうか。

 それでも緊張はするし、真剣に真摯に自分の気持ちを伝えようと思っている。

 図書室の窓から外を見ると朝から降っていた雨はあがり、遠くに虹が掛かっているのが見えた。そして、すぐ近くには時折トントンとペン先を軽く突きながら悩む好きな人の横顔が見える。

 そのどちらもが綺麗で儚げで僕には輝いて見えた――。

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