第17話 雨間にこぼれる光に、未来を ③

 高校生になって最初の定期試験が終わり、またいつもの日常が戻ってきた。

 しかし、変わったこともある。


「ねえ、今日の放課後はどうする?」


 柴宮さんがいつものように帰り際にやってきて声を掛けてくる。


「そうね。今日は特に用事もないしどこかでお茶したいかも」

「さっすが千咲。私は甘いものが食べたい」

「祐奈、あんたはいつもいつも」


 僕の隣で野瀬さんと柴宮さんがじゃれている。もう見慣れた光景で、話はすぐにこっちに飛び火してくるだろう。


「それで、順子ちゃんと岩月はどうする? あとついでに相川も」

「俺はついでかよ!」


 いつの間にか近くに来ていた相川と柴宮さんが言い合いを始める。それもいつものことで、ずいぶん賑やかな雰囲気に僕は慣れたなとつくづく思う。スマホを取り出し、僕は新着メッセージの有無を確認する。時々、西城さんから一緒に本屋に寄ろうとお誘いがあったりするのだ。

 西城さんとはあれ以来、前みたいに話すようになった。廊下ですれ違ったり、登下校で偶然一緒になるとそのまま話したりするくらいには普通の関係に戻れた。ただ、前みたいにカフェなんかで話し込むということはなくなったが、今はこれくらいでちょうどいいと思っていた。

 西城さんからのメッセージは届いていなかったが、中迫さんからのメッセージが今まさに届いた。確認すると、あそぼうとうずうずした表情を浮かべる猫のスタンプだけが送られてくる。それはきっと今日は二人で帰ろうという中迫さんからのサインでそれにわかったと返事をする。


「僕は今日は予定があるから」

「えー!? そうなの? じゃあ、順子ちゃんは?」

「ごめん、私もなんだ。また今度誘って」


 中迫さんは顔の前で手を合わせて、柴宮さんたちに笑顔を向ける。


「順子ちゃんも? なんか試験前から二人でいなくなること多いよね? あやしい」

「ちょっと祐奈?」

「だって、そうじゃん。時々、二人だけの世界にいっちゃってるときあるしさ」

「それならなおさら、邪魔しちゃダメでしょ?」

「そっか、そうだよね」


 野瀬さんの言葉に柴宮さんがなぜか納得して頷いている。柴宮さんは鞄を肩に掛け直し、「じゃあ、またね」と野瀬さんと相川を引き連れて教室から出ていく。


「思いっきり誤解されてるね」

「ほんとだね、でも、それでいいって言ったのは私だからね」


 そのとき手に持っているスマホにメッセージが届いたことを知らせる通知が届く。


『今度、順子と何してるか教えてね。がんばって』


 野瀬さんからのメッセージに引きつった笑みを浮かべてしまう。野瀬さんには見透かされてるよなという納得と彼女らしい後押しの言葉が少し嬉しかった。


「誰から?」

「野瀬さん。中迫さんと何してるか今度教えてくれだってさ」

「千咲はよく見てるよね。それで、何するの? 岩月君」

「どうしたい?」

「今日は岩月君におまかせで」

「じゃあ、帰りながらどこか寄り道してみる?」

「いいよ。じゃあ、あまり通らない道選んで帰ろうよ」


 中迫さんは隣で楽しそうに笑顔を浮かべる。僕に向けられるその笑顔を見たくて、どうしたら喜んだりしてくれるだろうかと考えてしまう。だけど、気が付けばむき出しの心で何も考えずに接してしまっていた。

 学校を出るとすぐにわき道にそれ、方角だけは帰り道と反対にならないように決める。今日通った道は住宅の多い地域だったせいか、めぼしい発見はなかった。それでも中迫さんは通りすがりの小学生に手を振り返したり、散歩している犬とじゃれてみたりと楽しそうだった。

 そのまま歩いていると、いつも使っている駅の近くまで来てしまう。いつもだったら僕が電車で帰るのでここで解散になる。中迫さんの詳しい家の場所は知らないが、この駅から僕の家の方に一駅行くか行かないところに家があるらしいことは聞いている。


「もう少し歩かない?」

「どうしたの岩月君」

「このまま一駅くらいなら歩いてもいいかなって思っただけだよ。最近、運動不足だし」

「素直にもう少し私と一緒にいたいって言えばよくない?」


 中迫さんが隣からニヤニヤとしながら覗き込んでくる。僕が言い直すことを期待しているのだろう。僕は大きく息を吐いて、気を引き締める。


「それじゃあ、もう少し一緒にいたいから、このまま歩こうよ」

「いいよ」


 中迫さんは嬉しそうに笑う。この顔が見れただけでも、僕は素直になれてよかったと思った。

 僕たちは駅を通り過ぎて歩く。また少しわき道にそれて歩いていると、昭和レトロな喫茶店がひっそりと営業しているのを見つけた。初めて来たはずなのに見覚えがある不思議な感覚する店だった。それはレトロな外観から感じるノスタルジーさではなく、通い慣れたいつもの店という感覚だ。きっといつか見た未来の記憶で何度もここに来たことがあって、初めてという気になれないのだろう。


「入ってみようよ」


 中迫さんの提案に頷いて店の中に入る。店内は優しいだいだいの照明の灯に染まり、インテリアは外観同様レトロで落ち着いていて、古い映画のワンシーンに出てきても不思議でないほどだった。カウンターの向こう側から初老の男性マスターが「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」と柔らかい笑顔を向けてくる。テーブル席に向かい合うように座ると、水の入ったグラスとお手拭きが運ばれてくる。

 水に口をつけながら店内を見渡す。壁に掛けられた古い時計にカウンターの奥に並ぶアンティークのカップ、テーブルは年季が入っているが丁寧に使われているのか柔らかな触り心地だった。時間の流れがゆったりとしているような錯覚に陥りそうな店内だった。

 正面に座る中迫さんも店内を見回して、何度も小さな声や息を漏らしているようだった。メニューを開くと値段は意外とリーズナブルでコーヒーと紅茶の両方を楽しめる店のようだった。あとはサンドイッチなどの軽食のみで食べ物はついでという感じなのだろう。

 僕はブレンドコーヒーを中迫さんは茶葉指定なしのミルクティーを注文する。


「なんだかホッとする店だね」


 中迫さんはゆったりと背中を伸ばし、気を緩めだす。それは僕も同じで、カウンターで姿勢よく静かにコーヒーや紅茶を入れるマスターをぼんやり眺める。手の動きを遠目に見るだけで飽きないなと思ってしまう。

 しばらくすると、コーヒーと紅茶が運ばれてきた。僕はいつものようにコーヒーの匂いを嗅ぎ、そのほのかに甘い香りだけで満足感に浸る。それから軽くひとくち口に含み、すっきりとした酸味とわずかに残る苦みが心地よくて、今まで飲んだどんなコーヒーよりおいしく感じた。それと同時に何度も飲んだことのあるような不思議な感覚も付きまとう。

 中迫さんは迷うことなくシュガーポットに手を伸ばし、角砂糖を二つ入れる。スプーンでゆっくりとかき混ぜてから口にして、頬に手を当てながら口元と目元を緩める。


「すっごいおいしい」

「てか、砂糖入れ過ぎて甘くないの?」

「私は甘いのが好きだからこれでいいの。それより、岩月君こそブラックで苦くないの?」

「あんまり苦いとかないかな。ここのコーヒーすっごいおいしいし」

「ほんとに? よかったらひとくち飲ませて? 私のもひとくちあげるからさ」


 そう言って、僕の返事を待たずにソーサーごと飲み物を交換される。そして、ひとくち口をつけて顔を歪める。


「岩月君の嘘つき。私には苦いよ」

「それは中迫さんが甘党過ぎるからだよ」

「そんなことないって。でも、今まで飲んだコーヒーの中では一番かも。砂糖入れたらだけど」


 僕も紅茶に口をつけて甘さに顔を歪める。でも、甘いことをのぞけばおいしいのは確かで。


「僕は砂糖なしの紅茶が飲んでみたいよ」

「岩月君は甘いもののよさが分からない人だよね」


 中迫さんは口をとがらせる。ソーサーを交換して、元に戻し、コーヒーを再度飲むとやっぱりおいいしなと再認識できて思わず頷いてしまう。それは中迫さんも同じみたいでふいに目が合うと声を殺して笑い合う。


「ねえ、岩月君。時々、この店に来ようね」

「もちろん。今日は寄り道してよかった」

「本当だね。こんな素敵なお店発見できたし」


 そうしてゆったりと会話をしながら、時間の流れに身を任せる。

 長居をしたつもりはないのに、店を出ると外は暗くなっていて、街灯には灯がともっていた。

 それからまた二人並んで歩いて、いつもより一つ向こうの駅の改札で別れた。中迫さんに見送られながらホームに向かった。

 ふとポケットでスマホが振動するのを感じ、取り出す。


『今日は楽しかった。岩月君と一緒だと時間が経つの早いのはなんでだろうね』


 僕はそのメッセージを読んで、さっきまで隣にいた笑顔を思い浮かべる。名前を呼ばれる声が蘇り、すぐに電車の音に消された。

 電車に乗り込み、スマホにゴールデンウィークに百貨店で撮った中迫さんの写真を表示させる。


「本当にホーム画面にしようかな」


 誰にも聞こえないようにひとり言をこぼす。しかし、誰かにこの中迫さんの顔を見せるのは嫌だった。独占したいと思っているのだと自覚して、少し笑えた。

 いつもは通り過ぎるだけだった駅は僕にとって少しだけ特別なものになった気がした――。

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