第16話 雨間にこぼれる光に、未来を ②

 窓の外は雨が上がり、灰色の雲に覆われていた空は藍色と茜色のコントラストに変わっていく。

 僕の隣に座る中迫さんも空を見つめて眩しさに目を細めている。その視線がふいに僕の方に向く。


「やっと岩月君が来てくれた」

「約束してたっけ?」

「してないけど、岩月君ならきっと来てくれると思ってた」


 ひそひそと小声で話していると自然と顔が近くなる。間近で見る顔は楽しそうにニヤけている。きっと僕も同じような顔をしているのだろう。


「その言い方だと、僕が中迫さんのストーカーみたいじゃないか」

「違うの?」

「違うね。どちらかと言えば、最初に追いかけてきたのは中迫さんの方じゃない?」

「そうだっけ?」


 中迫さんは悪びれることなくにへらと笑う。


「それで最近、ちょっと元気なかったけど何かあった?」

「私は元気だよ?」

「じゃあ、なにか引っかかることがあるんじゃない? 最近の中迫さんの笑顔はちょっと違って見えた」


 中迫さんは驚いたような表情に変わり、それからゆっくりと表情が緩み、薄い笑顔になる。たぶんこれが中迫さんのニュートラルな表情だ。


「岩月君には隠し事ができないなあ。本当に私のストーカーなんじゃない?」

「だから、それは違うと何度言ったら……」

「冗談だよ。でも、なんでそんなに私のこと分かるの?」

「なんとなくだよ。それで何に引っかかってるの?」

「岩月君だよ?」

「僕?」


 驚いて思わず少し大きな声が出る。そんな僕を中迫さんは隣から覗き込むように見てくる。どこか楽しそうな表情に変わっている。いつもの笑顔だ。


「それで僕が何かした? というか、今は普段通りみたいだけど?」

「本当に岩月君はお見通し過ぎてびっくりだよ。ねえ、岩月君は今日、なんで図書室に来たの?」

「僕は――」


 思わず黙り込んでしまう。ここで会う未来が見えたからなんて言えるわけがない。僕はそれに代わる理由を探す。そもそも未来の記憶の中の僕はどうして図書館に来たのだろうか。

 考えなくても答えは明白だった。それをそのまま言えばいい。

 中迫さんは僕の言葉の続きを待っているのか、頬杖をついてじっとこちらを見つめてくる。その顔を支える右手にはミサンガが見える。


「僕は中迫さんに会いたかったんだと思う」


 中迫さんは目を何度もぱちくりしている。


「日誌を渡しに職員室に行って、姿がなかったし、勉強するって言ってたからここかなって思っただけだよ」

「そっか。それで会ってどうしたかったの?」

「話したかったのか、顔を見たかっただけなのかは分からないけど、とにかく会いたかったのかな」


 そう素直に答えると中迫さんは声を押し殺して笑い転げる。その楽しそうで嬉しそうな顔を見ていると、不思議と僕は嬉しくなってくる。


「それにしても笑いすぎだろ」

「ごめん、ごめん。素直すぎる岩月君が面白かったのと、答えが予想外過ぎて」

「悪かったな」


 わざとらしくため息をついて、恥ずかしさを誤魔化すために視線を逸らす。


「それで希望通り私に会えて、岩月君は嬉しい?」


 そう言う顔はいたずら心が混じっているのが透けて見えた。「まあね」とできるだけそっけなく返事をすると、「さっきまでの素直な岩月君はどこ行ったの?」と追い打ちをかけてくる。僕はそれをなんとかやり過ごす。


「それで? 中迫さんはどうなの?」

「何が?」

「僕のことが気にかかってたんでしょ? どうして?」


 中迫さんは「ああ……」と小さく声を漏らす。だけど、もうその表情は曇ることはなかった。


「私は岩月君と話したかったんだよ」

「いつも話してくるじゃん」

「そうだけど、岩月君と二人だけで顔を見合わせてゆっくり話すなんて、もうしばらくできてないよ?」


 そう言われてみればそうだった。教室でも放課後でも中迫さんと話すときは周りにいつも誰かいた。休みの日に二人だけでどこか行くこともなかったので、ゴールデンウィークのあの日以来、二人だけでゆっくりと会話ということはできていなかった。


「それにさ、最近、岩月君、千咲とすごい仲いいみたいだし」

「なんでそこで野瀬さんがでてくるんだよ」

「私はもっと岩月君と話したいんだよ。それなのに千咲とはこそこそ何か話したりしてるしさ」

「最近、小説貸したりして、その話とかしてるだけじゃん」

「じゃあ、私も岩月君に本借りたい」

「わかった。好み教えてくれたら、それに合うような本探して持ってくるよ。持ってたらだけど」


 中迫さんは表情を明るくして、好みの系統を教えてくれる。好きなのは恋愛系やハートフルな話でできればハッピーエンドがいい。ホラーとか、人が死んだり不幸になる話は苦手。それでできればスポーツが絡むようなものがあれば最高と、わがままのおまけつきで。

 僕は持っている本を思い返しながら、条件に当てはまる本があったかなと頭の中で検索をかける。数冊好みに合致しそうな本が思い当たる。


「それで本はいつ貸せばいい?」

「いつでもいいよ。それでちょっとお願いと言うか提案なんだけど?」

「なに?」


 中迫さんは一度深呼吸して、僕の耳元にそっと顔を寄せ小声で、


「時々こうやって二人だけで話せる時間作らない?」


 と、甘い提案をしてくる。顔を離した中迫さんの顔が赤く見えるのは夕焼けの茜色のせいだろうか。


「じゃあ、放課後。こうやって図書室で待ち合わせでもする?」

「うん」

「それで小声で話しながら時間を潰して一緒に帰るとか?」

「いいね、それ」

「中迫さんは他にしたいことある?」

「うーん……じゃあ、帰り道で寄り道とか? わき道に入って遠回りとかしたい」

「中迫さんとなら楽しそうだ」

「そうでしょ? 私も岩月君となら何をしても飽きなさそうだし」


 そう言って顔を見合わせて小さく声に出さずに笑い合う。僕はこんなにも自然に笑える人間だっただろうか。

 本当に中迫さんに会って全てが一変した。

 中迫さんの前でだけはどうしてか自然体の自分が引っ張りだされてしまう。それが少しだけ心地いい。きっと変に繕ったりしても、僕が中迫さんのわずかな変化や違和感に気付けたように、中迫さんにだけは気付かれてしまうのだろう。


「それじゃあ、これからしばらくは放課後に二人で試験勉強でもしようか?」

「うわっ……岩月君、真面目」

「真面目でけっこう。試験勉強も二人になれる口実になるなら利用するさ」

「でも、千咲とかに知られたら一緒にやりたいって言いだすかもよ? 岩月君、何気に頭いいし、教えるの上手いからね」

「そのときは何か別の理由でっちあげればいいよ」


 僕がそう真面目に答えると、中迫さんからは「うわあ……」と少し引いたようなリアクションが返ってくる。


「岩月君は本当に真顔で嘘ついてそうで怖い」

「でも、僕が言えば、本当のことに聞こえるだろ?」

「たしかに説得力はあるよね」

「まあ、僕より中迫さんの方が抜け出すのは大変だろうし、そのときなんて言うかは自分で考えなよ?」

「それは大丈夫だよ」

「自信満々だね。それでどうするわけ?」


 中迫さんは口の端をきゅっとあげる。


「私は正攻法でいくよ。素直に予定があるって言えばいいし、それが何かを聞かれたら、そのときは隠さずに、今日は岩月君と予定あるからって言えば、きっと見逃してくれるでしょ?」

「それはそれで誤解を生むんじゃない?」

「勝手に誤解させとけばいいじゃん」


 中迫さんの視線は真っ直ぐに僕を射抜く。本当に駆け引きとか無しで真っ直ぐで、明け透けで。だから、一緒にいて居心地がいいのかもしれない。

 それに比べて、僕は卑怯で卑屈で――。

 未来の記憶で付き合うことになるのは分かっているが、こんな僕のどこを中迫さんは好きになるというのだろうか。

 今は一歩ずつ中迫さんとの距離を詰めて、同じ未来を目指して歩き出せばいい。もしよくない未来があったとしても、僕ならきっとその未来を避けて違う未来に道を分岐させることもできるだろう。


 だけど、隣で夕焼けに照らされて、魅力的で誰をもとりこにしそうな笑顔を浮かべている、そんな今しか見れない光景を脳裏に焼き付けよう。


 だけど、素直になりきれない僕は、


「じゃあ、とりあえず今は勉強しようか?」


 と、わざと雰囲気を壊すようなことを言う。照れ隠しなのはきっと中迫さんにはばれている。中迫さんは少しだけ口をとがらせて、


「せっかくいい感じになってたのに。じゃあ、分からないところは教えてよね?」


 そう不満げなのに楽しそうな声で僕に言葉を投げつけ、僕はそれに頷いてみせる。

 こうして、僕と中迫さんの久しぶりの二人だけの時間はゆっくりと過ぎていく。

 隣にいるのが当たり前とさえ思えるのに、とても特別な存在だとも感じている。今はその幸福に心をひたしながら、目の前の数式を解くことに意識を向かわせた――。

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