第13話 黄金色の日々に、未来を ④
ゴールデンウィークも終わり、今日からまた学校が始まる。
学校に行く道すがら、どこか陰鬱な雰囲気が電車の中やすれ違う人から感じる。時間を浪費しても許される休日から、時間に追われる日常に放り出されたのだからその落差で気持ちが沈むのは理解できた。
そんな中で僕はそれ以外の理由で学校に向かう足取りは重かった。
高校の最寄り駅の改札を抜ける。駅舎を出て、すぐ葉桜が目に入り、歩きながら深いため息をついた。僕は西城さんとあの日からメッセージのやり取りの一つもしていない。お互いに気まずさが残っているだろうし、正直まだ顔を合わせるのもためらわれた。
「クラスが違うのが救いだよなあ」
そう誰にも言うわけでなく呟いた。高校に着いて昇降口で靴を履き替え自分の教室へ。途中通り過ぎがてら廊下から西城さんのクラスを覗くも姿は見えなかった。そのことにどこかほっとする自分に嫌悪感を抱く。
自分の教室に入ると相川が珍しく早く来ていて、さらには勉強をしていた。横を通り過ぎ、相川のすぐ後ろの自分の席に座り、鞄から教科書などを机にしまっていく。最後に小説を取り出し、ホームルームまで時間を潰そうかなとページを開こうとしたその時だった。
「なあ、篤志。課題見せてくれよ?」
相川が突然振り向いて顔の前で両手を合わせてくる。
「えっ? やだよ」
「なんでだよ? まじでピンチなんだって」
「そう言われてもさ、連休中に終わらせないのが悪い」
「だけどさー」
相川はある程度は自分でやったが分からない問題があっただのと食い下がる。これ以上断るのも面倒なので、仕方なく教えることにする。相川は僕の机の上にプリントを広げながら数学の問題が上手く解けないとぼやく。悩んでいる個所を見ると、分かりやすく応用問題でつまずいていたので、解法のヒントだけ出して、手が止まるタイミングで追加のヒントや教科書を開いて解く手がかりを与え続ける。
「あっ、解けた。じゃあ、これも同じようにすればいいんだよな?」
「そうそう。今度は全部一人でやれよ」
相川が問題に集中しているのを確認して、小説に手を伸ばそうとしたら、今度は、
「あっ、岩月君。おはよー!」
と、中迫さんが教室に入ってきて、扉近くの僕の席に近づいてくる。
「なに? 岩月君、課題終わってないの?」
「僕は終わってる。終わってないのはこいつ」
相川は中迫さんにおはようと顔を上げ挨拶をすると、すぐに数学の問題に戻っていく。
「そうなんだ。私もやるにはやったんだけど、ちょっと自信ないところあるんだよね。よかったら私も教えてよ」
「別にいいけど、どれ?」
「なあ、篤志。俺の時と態度違いすぎない?」
「そうなの? 岩月君?」
二人の視線がすっと集まる。それを受け止めつつ、「文句あるなら、課題は自分でやりなよ」と答えると、二人は僕への追及と課題を天秤にかけ、課題の方が重要と判断したのか、すぐに「すいませんでしたー」とわざとらしく謝ってくる。相川はまた数式との格闘に戻っていく。
中迫さんは僕の隣の席の椅子を拝借して、課題のプリントを取り出す。中迫さんが聞いてきたのは英語の課題で、和訳に自信がない箇所がいくつかあるのだという。自分のプリントを取り出して、見せながら説明を始める。文法とかでこんがらがっていたので、区切りやしるしをつけながら見た目で分かるように説明すると、
「ああ、なるほど。長い文章で混乱してただけだったよ」
中迫さんは数度頷いて、単語の意味を押さえながらさらさらと和訳していく。その後も、僕には確認のために尋ねる程度でもくもくと詰まっていた問題を消化していく。相川も数学がひと段落着いたのか、英語の課題の方に合流してくるので、同じ説明を繰り返すことになった。
「なあ、篤志。この問題、お前の答えなんか違ってないか?」
相川が僕のプリントを見ながら答え合わせをしていたのか、指さして尋ねてくる。それは長文内の一部を訳す問題だった。
「それは岩月君のでも間違ってないわよ」
急に上から声が聞こえて、驚いて顔を上げると、いつの間にか教室にやってきていた藤崎先生が覗き込みながら声を掛けてきた。にこりと笑う藤崎先生に、僕たち三人は慌てて挨拶をする。そのタイミングで教室を見回すと、知らないうちに僕たちは注目を集めていたようで、視線が集まっていた。
「それで先生、間違ってないってどういうこと?」
「ああ、岩月君は直訳じゃなくて、ちょったどけ意訳してるのよ。やりすぎたら不正解になることもあるけど、これくらいなら問題ないわ」
「篤志って、実は英語できるやつだったのか」
「そこまでできねえよ。ただ普通に訳すより面白いかなって」
そう言う僕に藤崎先生は、
「そう謙遜してるけど、岩月君は授業でも正解率高いから頼りにしてるのよね」
と、冗談っぽく言うので、「そういう基準で当てるのやめてくださいよ。僕は藤崎先生に当てられるのが怖くて必要以上に予習してるんですからね」と同じく冗談めかすと、「それだけがんばってもらえると教師冥利につきるわ。これからもがんばってね」と柔らかい笑顔を向けられる。その笑顔が逆に怖かった。
それからチャイムが鳴り、ホームルームが始まる。課題を集めるのは放課後にとちょっとした猶予が宣告され、教室には安堵のため息がこぼれたので、まだ終わってない人が相当数いたのだろう。
昼休みになり、弁当を食べ終わると課題の続きを教えてくれと相川に頼まれる。それを飲み物という報酬という条件で引き受けた。しばらく教えていると、朝と同じく中迫さんがすっと隣に来て、
「私もいいかな?」
と、言うので、どうぞと座るように促す。
「それでよかったら、千咲と祐奈も一緒でいいかな?」
その言葉に意表を突かれ、野瀬千咲と柴宮祐奈に目をやると、野瀬さんは課題に目を落としていて、柴宮さんはこっちに小さく手を振ってアピールしていた。
「別にいいよ」
「それじゃあ、私の席の方でやろうか、いい?」
「相川はそれでいいか?」
「何言ってんだよ? いいに決まってんだろ? 女子と一緒になんて最高じゃん」
「相川さあ……」
僕は少し呆れる。中迫さんたちはさっきまで机をくっつけて弁当を食べていて、その流れで課題をやっていたようで、机一杯にプリントが広げられている。そこに近くの席の人に机を借りた相川が席を合体させ、自分のスペースを確保する。僕も椅子を借りようかなと、思っていたら、
「岩月君はその椅子使いなよ」
と、中迫さんは自分の椅子をすっと引いて座るように促す。
「ありがと。でも、中迫さんはどうするわけ?」
僕が椅子に横向きに浅く座り机に肘をつくと、中迫さんは当たり前のように同じ椅子の空いている三分の一程度に自分のお尻を滑り込ませ、体を密着させる。僕は驚いて立ち上がる。
「ちょっとどういうつもりだよ?」
「私と岩月君の仲じゃん。これくらいいいでしょ?」
「どういう仲だよ?」
「いいの、いいの。気にしない、座りなよ」
中迫さんは体を捻り、にへらと笑顔を浮かべながら、手招きしてくる。その手招きする手首にはミサンガが見える。僕にきっと拒否権はないし、中迫さんの笑顔には逆らえない。しぶしぶといった感じで、さっきと同じように椅子をシェアする。その様子を手を止めてみていた三人の視線が突き刺さる。
相川は「イチャついてんじゃねーよ」と、恨めしい視線と言葉が飛んできて、柴宮さんは何も言わず目を輝かせていたので、きっと勘違いしているのだろう。
野瀬さんだけは冷静に僕と中迫さんを見据え、
「やっぱあんたたち、付き合ってるでしょ」
と、口にする。僕はため息をついて、課題をするように仕向けるも、中迫さんは野瀬さんの言葉をスルーして僕に体を預け体重をかけてくる。
「あの、中迫さん? 課題は?」
「やるよ? その前に少しリラックスしてるだけ」
中迫さんは軽く伸びをする。腕を上に伸ばしたことで手首が露出し、ミサンガがよく見える。
野瀬さんは僕と中迫さんのちょうど向かいに座っているので、視線が痛い。勘繰られているよりも勘づかれている気がしてならない。
柴宮さんと相川は余裕がないのか、課題に向かっていてあまり気に留めている様子はなかった。
背中に中迫さんの体温を感じながら、僕は野瀬さんや柴宮さんの課題の手助けもする。僕と中迫さんが椅子をシェアしているというおかしな状況も、残りの課題を終わらせないといけないという切迫した中では些細なことに過ぎず、またそこに変に触れて手助けする僕の機嫌を損ねる可能性を考えたら、触らぬなんとかに祟りなしと判断されたのかもしれない。
中迫さんと野瀬さんの二人は元から課題はほぼ終わっていたので、一足早く課題を終わらせると、二人して柴宮さんに協力し始める。そのことで僕は相川に教えることに力を注ぎつつ、柴宮さんの様子を横目で見つめるくらいに手間が減る。
「ねえ、岩月。順子とどこまで進展してるの?」
「野瀬さん!? もう付き合ってるのは確定?」
野瀬さんの目は真っ直ぐに僕に向けられていて、そのやり取りを聞いて、もう一人の当事者は否定もせず背中越しに笑っているのを感じる。
僕が困っていると野瀬さんは表情を崩した。
「ほんと、あんたら仲良すぎ。それで何もないって言うのは詐欺だわ」
「詐欺って、ひどくない?」
僕の悲痛な叫びを聞き、野瀬さんはくすくすと笑みをこぼす。
「岩月さあ、そうやって分かりやすく感情だしてる方がいいよ。その方が話しやすいし、とっつきやすい」
「私もそう思うんだけど、岩月君は素直じゃないからねえ」
こういうときだけ中迫さんが口を挟む。僕が困り果てて大きなため息をつくと、野瀬さんと中迫さんが顔を見合わせて声を上げて笑いだす。相川も柴宮さんも顔を逸らして小さくぷるぷる震えているので声に出さず笑っているのだろう。
そして、僕たちの笑い声に合わせるかのように教室中の視線が集まってくるのが分かる。
僕はいつの間にかクラスの中心の、明るく楽しい陽の当たる場所にいた――。
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