第7話 春が終わり動き出す世界に、未来を ③

「ふう、美味しかった。ごちそうさま」


 中迫さんはきつねうどんを食べ終わり、満足そうな表情を浮かべる。僕はというと先に食べ終わり、水をちびりちびり飲みながら、食べ終わるのを待っていた。


「じゃあ、食器返しに行こうか?」

「そうだね。てか、岩月君は先に返しに行けばよかったのに」

「僕がそんな空気を読まない人間に見えたわけ?」

「実際そういう人だよね?」


 そう返されては困る。先ほどの意趣返しかもしれないが、実際に空気は読むがそこにあまり縛られないような選択をしているのであながち間違ってはいない。


「冗談だよ。そこまで本気で受け止められても困るよ」


 中迫さんはけらけらと笑いながら立ち上がる。僕も立ち上がり、食器の返却口に一緒に向かう。中迫さんは一言「ごちそうさまでしたー」と明るい声を掛けて食器を返す。僕もそれにつられて、同じように食器を返しながら言葉を掛けた。

 そのまま学食の隅に配置されている、自動販売機に食後の一本を求めて向かった。

 先に中迫さんが自動販売機にお金を入れる。それを見ながら、不思議な感覚に襲われる。僕と中迫さんがこうやって飲み物を買うのは初めてのはずなのに、いつものようにミルクティーを買うんだろうなと思いながら、後ろから眺めていた。

 そして、中迫さんは迷うことなくミルクティーのボタンを押しているのを見て、やっぱりなと思っていた。

 それはきっと最初に中迫さんに会った時に見た未来の記憶で知っていて、僕と中迫さんは何度もこうやってこの自動販売機に来ているのかもしれない。


「岩月君は買わないの?」

「買うって」


 考え事をしていて少しぼんやりとしていた。財布から小銭を取り出し、いつものようにブラックコーヒーにしようと決めながらお金を入れる。


「ほんとブラックコーヒー好きだよね」

「えっ?」


 中迫さんの言葉に驚きつつもブラックコーヒーのボタンを押す。コーヒーを取り出し、中迫さんのほうに向き直る。


「僕がブラックコーヒー好きなの言ったことあったっけ?」

「あれ違った?」


 中迫さんは少し慌てて確認するように尋ね返してくる。


「いや、違わないけどさ。なんで知ってるのかなって」

「よくブラックコーヒー買って飲んでるの見た記憶あるし、そうかなと思ったんだけどな」


 たしかに、僕は学校でも休憩時間にたまにブラックコーヒーを買って飲んだりはしているが、それを見られていたなんて気づかなかった。

 近くの空いている椅子に座り、どこかモヤモヤとする気持ちのままコーヒーを喉に流し込んだ。中迫さんは買ったミルクティーにひとくちだけ口をつけ、ペットボトルのキャップを開けたままテーブルの上に置いた。

 そして、スマホを取り出して、


「ねえ、岩月君。よかったら連絡先交換しようよ」


 と、提案してくる。


「いいけどさ、僕は反応悪いし、会話弾まないと思うよ?」

「またそうやってひねくれる。でも、そんなことないと思うよ。だって、こうやって話している感じでは問題なく話せてるじゃん」

「そうは言っても僕はほとんど聞いてばっかりだけどね」

「それでもいいよ。私は岩月君には不思議と話しやすいからさ。きっと聞き上手なんだよ」

「そんなこと初めて言われたよ」

「みんな岩月君のこと分かってないだけだよ」


 中迫さんはにひひと笑ってみせる。僕はふっと息を漏らして、スマホを取り出し、連絡先を交換した。


『岩月君、よろしくー』


 そのメッセージと共にかわいらしいスタンプが送られてくる。目の前にいるのだから直接言えばいいのにと思ったが、中迫さんはスマホと僕を交互に見ながら楽しそうに笑っている。

 僕はそっけなく、よろしくと噴き出しのあるシンプルなスタンプだけを送り返した。


「岩月君ってさ、嫌がってるように見えてなんだかんだノリがいいよね」

「そうか?」

「うん。今もこうやってなんだかんだ返事返してくれるし」

「たまたまだよ」


 なんだか恥ずかしくて、視線を逸らしながらコーヒーに口をつける。


「なんかさ岩月君って、普段は分厚い壁に閉じこもって、自分を見せないようにしてる感じがするんだよなあ」

「そういう中迫さんは、見えにくい薄いベールで本心を見せないようにしてるように見えるけど?」


 中迫さんは驚いたような表情を浮かべる。


「どういうこと?」

「僕の勘違いかもしれないけど、いつも本気で笑ってない感じがする」

「よく見てるね。だからかな、岩月君とよく目が合うような気がしてたんだよね?」


 僕はぐっと喉が詰まる感じがした。いつも視界の端で追っていたのは認めるけども。


「中迫さんはそれだけ僕の方を見てたってこと?」

「そうだよ。学食来る前に話したと思うけど、岩月君と話したりしたいなって思ってたからね」


 中迫さんはニコニコとずっと表情が崩れたままだ。


「それで、本気で笑ってないってのは認めるんだ」

「あちゃー、話逸らせなかったか」


 わざとらしく顔をしかめて見せる。


「私はいつも楽しくて笑ってるよ。それに私、ゲラだし、どんなことでも笑ってると思うよ。愛想笑いもたまにするけどね。だけど、心の底から本気で笑うってのはなかなかできないもんだよ」

「そんなもんかな?」

「そんなもんだよ」


 そうなると僕に向けた中迫さんのいつもと違って見えた笑顔はなんだったんだろうと気になる。そして、中迫さん相手だとどうやら僕は口が滑りやすいみたいで、


「じゃあ、僕に向ける笑顔が違うのはなんで?」


 気が付いたときにはそう口に出していた。僕と中迫さんは目を見合わせてお互いに固まる。僕はなんてことを言ったんだろうという後悔と恥ずかしさからだが、中迫さんは変なことを言い出した僕を不審がっているのかもしれない。

 しかし、そんな心配は杞憂に終わり、はははっと中迫さんはお腹を押さえながら笑いだした。周りにいる人から何事かと視線が集まり、僕はどうしていいか分からない。

 中迫さんは笑いの波が収まったタイミングで、


「なんでだろうね?」


 と、笑いすぎてこぼれた涙を指でぬぐいながら、繕うことないむき出しの笑顔を向けてくる。

 そして、どちらからともなく立ち上がり、「そろそろ教室に戻ろうか」と声を掛け、並んで歩き始める。

 並んで歩くのは初めてのはずなのに、僕の体は中迫さんと一緒に歩くペースというのを知っているのか、意識せずとも同じ歩幅で歩いていく。それはきっと中迫さんも同じで。

 教室までの道のりはあっという間で、教室に戻った僕と中迫さんの不思議な組み合わせは、クラスメイト全員を驚かせたようだった。


「順子ちゃんと岩月ってそんなに仲良かった?」


 いつも中迫さんと一緒にいる女子の一人の柴宮さんが声をあげる。中迫さんは自分の席に戻り、さっき買ったミルクティーを机の上に置きながら、


「仲良くなったんだよ。ねえ、岩月君」


 と、僕の名前を大きめの声で呼ぶ。ざわっとクラスがどよめくのが分かる。もう僕は中迫さん、ひいてはクラスにあまり関わらないというのはきっと無理なのだろう。

 その証拠に中迫さんは無邪気な笑顔を僕に向けてくる。その楽しそうな顔の下にはいたずら心が隠されているのが透けて見え、現実では僕に向けてこっちにおいでと手招きしているのが見える。

 きっとこれから先、僕は中迫さんの笑顔には逆らえない。

 いままでの少し退屈だけど平穏だった日々に心の中で別れを告げる。


「まだそう言い張れるほど、仲良くないでしょ?」


 中迫さんの席に近づきながら棘のある言葉を返すと、中迫さんはむすっと頬を膨らませる。


「さっきまであんなに楽しそうで素直だった岩月君はどこに行ったの?」

「それはきっと見間違いじゃない?」

「いいもん。これから嫌だって言っても、絡み続けるんだから」

「お好きにどうぞ」

「じゃあ、お好きにさせてもらいますよーだ」


 そのまま顔を見合わせると、演技がかっているように見えてお互いに素で話しているのが分かり、思わず同時に噴き出してしまい、そのまま笑ってしまう。

 この一連のきっかけを作った柴宮さんは状況が掴めず、ぽかんといている。それは他のクラスメイトも同じかもしれない。

 しかし、そこに中迫さんと仲のいいクラスの中心にいる女子の野瀬のせ千咲ちさきが口を挟んでくる。


「それで順子と岩月は前から知ってる仲だったわけ? なんか息が合いすぎてるように見えるんだけど」


 中迫さんはその言葉に「そう見える?」と嬉しそうに聞き返し、野瀬さんはスマホを手にしたまま、「そうとしか見えない」と真っ直ぐに返す。野瀬さんは僕にも視線を向けてくる。


「残念なことだけど、僕と中迫さんは高校に入ってからの知り合いだよ」

「残念って、ひどくない?」

「事実でしょ」


 そうやってむくれる中迫さんを見ていると不思議と楽しくなってくる。野瀬さんは大きなため息を一つついて、


「残念だろうがなかろうがどっちでもいいけど、それで結局二人はなんなの? 付き合ってるわけ?」


 と、話の収集をつけようとする。未来ではそういう関係になっているが今はまだ違うので、僕はゆっくりと首を振り否定の態度を見せる。

 野瀬さんは中迫さんに次はあなたが答える番ですよと言わんばかりの視線を送る。クラス中が静まり返り、その答えを聞こうと聞き耳を立てているのを感じる。


「今は付き合ってないよ。けど、未来はどうなってるかわからないじゃん」


 その言葉にクラスには驚きの喚声かんせいが上がった。

 その声の一つは当事者であるはずの僕だった――。

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