第5話 春が終わり動き出す世界に、未来を ①

 高校に入学して、一ヶ月が経とうとしていたが、僕の高校生活は毎日が代わり映えのしないものだった。

 クラスではたまに相川に絡まれて話す程度で、相川以外のクラスメイトとはほとんど話すことはない。何もすることのない休憩時間は一人で本を読みふけっていた。

 お昼も同じで基本は一人で食べるが相川がたまに強引に同席する程度。そんな社会性をつちかうような学校という場で社会性の欠片もない行動をしているのだから、楽しいと思えることは少なく、退屈なのは当然のように思えた。

 その中でも、唯一楽しいと思える時間はあった。


「そういえば、文庫の新刊チェックしました? 岩月君の好きそうな本ありましたよ」

「いや、調べてないんだけど、どんなやつ?」

「えっとですね――」


 そう言いながら、西城さんはスマホを操作して、出版社の新刊情報の中からその本の情報を表示させ、見せてくれる。それを隣の席から覗き込み、あらすじにさっと目を通した。たしかに、僕好みの本だった。


「気になる感じだなあ。発売したら買おうかな」

「そう言うと思ってました。そこで提案なんですけど」

「なに?」

「私はこの本を買おうと思うんですけど――」


 西城さんは楽しそうに別の本の情報を見せてくれる。そのあらすじを読むとこちらも面白そうな内容だ。


「本を読み終わったら、交換したいってことかな?」

「さすが岩月君。話が早いです!」


 西城さんは、ぱあっと明るい笑顔を向けてくれる。今までも本の貸し借りをして、お互いの本の好みの微妙なずれはあるが、趣味が近いので新しい発見やいい刺激になっていた。

 西城さんはそう言うと、ポテトに手を伸ばし、飲み物に口をつける。

 きっとファーストフード店のカウンター席に並んで座り、一つのポテトを分け合いながら話す姿ははたから見れば恋人に見えるかもしれない。


「そういえば、岩月君は委員会と入らなかったんですよね?」

「そうだよ。西城さんは図書委員だっけ?」

「うん。本に囲まれて、空いた時間は読書し放題ですから役得ですよ」

「そう? まあ、僕はできるだけ早く家に帰ってのんびりしたいぐうたらなやつだからね」

「でも、今は寄り道してますよ?」


 首を傾げながら隣から覗き込んでくる。直接西城さんを見ずに窓ガラス越しに反射する姿を見ながら、


「まあ、そういう気分のときもあるよ。それに退屈より楽しい方が僕も好きだからね」


 と、口にする。西城さんは、嬉しそうな表情をしながら、


「私だけじゃなかったんですね。こういう時間を楽しいと思っていたのは」


 と、小声でこぼす。そのまましばらく話して、駅で別々の方に向かう電車に乗るので改札で別れる。そういう平穏で楽しい放課後をときどき楽しんでいた。


 しかし、未来の記憶で見えた付き合うことになる中迫さんとの関係はというと、いまだにほとんど話した記憶もないほど接点がなかった。

 中迫さんは毎日が楽しそうで、いつも誰かと一緒にいて笑っている。移動教室でもお昼に弁当を食べるときも彼女の周りには笑顔が溢れている。

 でも、そんな彼女の笑顔に違和感を覚えていた。自己紹介後に見せたあの笑顔をその後一度も見ていない気がした。

 しかしながら、話しかけるタイミングもないので、進展と呼べるものはゼロだった。かろうじて共通点と呼べそうなものは、僕も中迫さんも部活にも委員会にも所属していないこと、選択科目が一緒だというよくある偶然のみだった。

 机に頬杖をついてぼんやりとしていると、急に中迫さんの周りでひときわ大きな笑い声があがる。


順子よりこちゃん、それほんとに?」


 中迫さんとよく一緒にいる柴宮しばみや祐奈ゆなが通る声で聞き返す声がクラスに響く。


「ほんとほんと」

「普通の女子高生は親とリモコン争いで喧嘩なんかしないよ。そもそもテレビ見ることなんてほとんどないしさ」

「そうかな?」


 中迫さんは首を傾げている。そんな姿に周囲にくすくすと笑いの波が広がっていく。


「まあ、ドラマ見たいとかなら分かるけどさ、順子ちゃんの見たいのが野球中継とか。普通は見たくないって怒る方だよね?」

「ええー? そうなの? うちの場合はスポーツ観るの私以外興味ないから、いっつも取り合いの喧嘩になるのよね」


 そう中迫さんが不機嫌そうに頬を膨らませると、周りは笑いながら、「順子ちゃん変わってるよ」と言いながら笑う。そして、すぐに別の話題に移っていく。

 今度は中迫さんが話に合わせて笑い声をあげている。そんなふうに表情豊かで感情を素直に出す裏表のなさが人を惹きつける要因になっているのだろう。

 僕はそんな毎日を楽しそうに過ごしている中迫さんを遠目に見つめるのみだった。今のところ関わり合いになることはないだろうと思いつつも、どうしてか目が離せなくて、視界の端にはいつも中迫さんがいた。

 それが今の僕と中迫順子の関係だった。


 ゴールデンウィークの始まる前日。

 朝、眠りから覚めて目を開けると自分の部屋の天井が目に入ってくるより先に、未来の記憶が再生される。



 ざわざわという何重にも重なる話し声に食器同士の触れる音が時折響く学食で、


「私、学食って初めてなんだよね。岩月君は?」

「僕も初めてかな。普段は弁当だし」

「私もいつもは弁当なんだけどね」


 そんなことを話しながら、おぼんを手に順番待ちの列に並ぶ。彼女はずっと楽しそうに話しながら笑っていて、こっちまで釣られて楽しくなってくる。そして、自分たちの番になり、彼女は学食のおばちゃんに声を掛け短い言葉を交わす。それから席に座ったはいいものの、飲み物を取り忘れたことに気付き、僕が取りに行った。戻ってきたら彼女は食べずに待ってくれていて、あの笑顔でお礼を言われる。

 そのことで僕は彼女をぐっと近しい存在と感じて、一緒に食べながら軽口を込めたくだらない雑談で盛り上がり、心の底から笑い合い、そのときの彼女の笑顔に心を奪われていくのだ――。



 現在に戻ってきて、大きく息を吐いた。そのままゆっくりと体を起こし、寝ぐせのひどい頭を掻きながら首を傾げる。普段から僕も中迫さんも弁当を持って行くので、どういう状況になれば、一緒に学食でご飯を食べに行くことになるのか分からない。あの様子だと、ばったり学食で会ったという風でもない。

 顔を洗って、台所に向かう。自分のカップにコーヒーメーカーのポットからコーヒーを注ぎ、食パンをトースターに入れてスイッチを入れる。そのままコーヒーをすすり、眠気をゆっくりと取り、体を起こしていく。トースターからいい香りが立ち上がってくるとパンを取り出し、バターを塗って口に入れる。そんないつもの朝の光景。

 しかし、机の上にはいつもあるものがなかった。


「母さん、弁当は?」

「炊飯器のスイッチ入れ忘れちゃってね。だから、そこにお金置いてるでしょ? それで今日は学食かなんかで食べてちょうだい」

「ああ、わかった」


 母さんは申し訳なさそうに口にするが、毎日作ってもらっているのでこういう日があっても文句はなかった。朝食を終えると、弁当の代わりに置かれている五百円玉を手に自分の部屋に戻り、学校に行くための支度を始めた。最後に財布に入れる前に五百円玉を見つめながら、


「本当にこんなきっかけで仲良くなるのかよ」


 と、ひとり言を溢した。それと同時に少しだけ怖くなる。未来の記憶のせいで、今の自分の気持ちまで変化させられ、それが既定路線であるかのように、誰かに決められたレールの上を着々と進んでいるような何とも言えない気持ちになる。

 僕に未来を見る力なんてなくて、付き合うことになるなんて知らなければ、意識することもなかったかもしれない。だけど、仮に何も知らなくても同じ未来に辿り着くのだろう。

 未来に逆らって例えば、通学途中にコンビニ行ったらどうなるのだろうと考えるも、きっとそれに合わせて未来が修正されるだけなのだろう。

 高校の入学式の日に、西城さんが怪我をする未来は避けられても、僕が尻もちをついて腰を痛めるという結果だけは変わらなかった。きっとそういうことなのだ。

 分からない未来に不安を感じるくらいなら、分かっている未来を享受した方がいい。それが悪い未来ではないのならなおさらだ。

 五百円玉を財布に入れ、制服のポケットに入れる。


 今日、僕は中迫なかさこ順子よりこに恋をすることになる――。

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