こたつ包囲網

倉海葉音

こたつ包囲網


 奴らが、こたつを占拠している。


 向かい合う対辺を串刺すように、我が愛しの妹が長い髪を広げて横たわっている。それと直行する形で、我が尊敬する兄が手を横に広げ仰向けになっている。


 目障りだ。


 愛しくも尊くもねえ。そこからどけ。


 ただ呆然と目の前の光景を見つめる自分は、ただただ冷えた体を震わせている。

 さっきまで母親に頼まれてスーパーへと買い出しに行っていた。年末のこと、年越し準備や正月準備で足りなくなるものも出てくるのだろう。素晴らしい新年を迎えるためだ、仕方ない、と重い腰を上げて買い物に出かけた。ちなみに頼まれたとき、兄はネットラジオに集中して、妹は彼氏との電話に心を奪われ、一切母親の声を聞いていなかった。


 凍える冬の街を自転車で往復し、おまけに久々に出くわした中学校の同級生どうしが「結婚したんだよーえへへー」と言いながら赤ん坊をあやしていた。俺は今、身も心も凍えているのだ。


 震える声で、呟く。


 だから、こたつを、空けろ。




 しかし、そんな声は熟睡中の二人には届かない。


 あまりに気持ちよさそうに眠っているので、自分の良心が僅かにかき乱される。兄も、妹も、普段は仕事で疲れているのだ。たまの休みくらいじっくり寝かせてあげても――。


 休みなのに労働している俺のほうが偉い。


 危ない、眠気と寒気で正常な判断を失っていた。


 兄も妹も忙しいのか知らないが、俺だって普段は残業パラダイスだ。それなのに帰省してから掃除に買い物に一番振り回されている。昔からそうだ、後の二人の自由と引き換えに、なぜか、俺ばかり働かされている。


 だいたい、だ。なんだこの破廉恥な光景は。こたつの中で体が交差している、つまり一方がもう一方の上に乗っている訳だ。妙齢の男女が。破廉恥だ。


 そんなこじつけ甚だしい正義感を振りかざし、大げさな音を立てながら兄の顔の横に座る。しかしこの愚兄はアホ面を晒したまま目を覚ます気配すらない。よだれまで垂れてやがる。


 そのふやけきった脳みそを冷え切った足先で蹴飛ばしてやるのも一つの手だが、別に好きこのんで大晦日に険悪なムードを作りたくはない。なんとかできないものか、と様子を改めて確認する。


 コルコバードのキリスト像のごとく手を広げる兄。幼少期は3歳分年上の腕力でよくプロレス技をかけてきた腕だ。あの頃ほどの脅威はなくとも、右も左もガードされ、こちら側には足を突っ込む余裕がない。

 かといって妹の方もメデューサよろしく髪の毛が縦横無尽に散乱しており、兄を踏んづけるよりも大惨事になることが容易に想像できた。昔は喧嘩の度によくあの髪を引っ張ったりして泣かせていたが、ともあれ今この状況でわざわざ踏んづけに行くのは不毛というものだ。


 じゃあ二人どちらかの足側か。足を横目にしつつ寝転ぶのは非常にしゃくだし不潔だが、ええい、この際だ、兄貴、失礼する――








 くっっっっっせえええええ!!!








 何だこの臭い。まだ座ってすらいないぞ。大体彼の足はかかとしか見えておらず、大半はこたつ布団の中だ。恐るべき拡散力。いったい何に対して何のフレーバーを足せばこんな香り高くなるのか。

 あえて現場レポートするなら、そう、すり潰したドリアンに銀杏の汁を垂らしてジン○スカンキャラメルを隠し味にシュールストレミングを加えたような。最後が全てを持っていきそうなのはご愛嬌だ。


 無理、と嘆くように言い捨ててすぐに場を立ち去る。こたつの残りは一辺のみ。

 すまん、妹よ、お前の足元をもらう。彼女の足は出てきていない。恐る恐る辺りの臭いをかぐが、大丈夫そうだ。妹の足周りを嗅ぐなど傍からみると変態だが、これは生存のための行為だ。許してくれ。


 妹の足の横に腰を下ろし、体に触れないよう、俺はそっとこたつに入っていく。これで、ようやく暖を、






 とれない。






 いや、なんとか足先だけこたつ布団には忍び込めたのだ。じわああっと染み渡ってくる熱気に「おおう」と声が漏れ出てもうこれでいいかと思ったがそんな訳がない。その先が入らない、何かが当たっている、いったいなんなんだ。

 そっと、布団をめくり上げて中を伺おうとする。少しめくっただけで熱風で頭がくらっときたが、このままだと逆に聖域に入り込んでいく寒気に他のメンツから総スカンをくらうので、パッと様子を伺ってパッと戻すぞ。パッ、パッだぞ。よし、パッ!








 横たわる親父が、オレンジ色の光に煌々と照らされていた。








 姿を見ないと思ったら……なんでこんなとこに……。


 どうやら妹は足を伸ばしていなかったらしい。こちら側の布団の膨らみは彼女の足が作ったものではなく、父の体の輪郭そのものだったのだ。こんな所に全身潜り込んで臭いは大丈夫なのだろうか、低温やけどにならないだろうか、等といらぬ気を回してしまう。


 臭い。ふと、気づいたことがあった。


 さっきのおぞましい臭いの発生源。あれはもしかして父の足だったのかもしれない。そうだ、あのユニ○ロの3足999円靴下は父のものだ。すまぬ兄よ、風評被害だった。父よ、いずれ自らの臭いで卒倒するが良い。


 それよりも弱った。このままでは俺の足先以外の全てが凍傷になってしまうではないか。


 もし臭いを我慢できても、あのスメルゾーンは恐らく父の脚と兄の脚で占領されている。妹の脚もあの辺りにあるかもしれない。

 ここまでこたつを一周してみたが、こうなるとまだ一番温まり率が高そうなのが兄の顔の横だ。腕を動かして隙間を作り、そこに体をねじ込もう。


 早速立ち上がり、兄の右腕を目の前にして腰を下ろす。右腕をゆっくり持ち上げてみるが起きそうな様子はない。ひとまずその下に突っ込んでやろうと脚を伸ばす。妹の体は逆サイド。父の体はもう少し右の方。ああやれやれ、ようやく暖が取れる。


 ……また何かにぶつかる。しかも今度はやけに柔らかい。誰かの尻でも蹴ってしまったか、と慌てて脚を引っこ抜くが、3人の誰も身じろぎすらしていない。


 不審に思って、再び布団をめくりあげることにする。パッ!










 N E K O










 Q. 冬にこたつで丸くなるどうぶつってなーんだ?


 恐らく日本国民99%以上が正解するであろう、彼がこたつの中にいた。ちなみにヒントは食肉目ネコ科ネコ属の動物だ。にゃーん。


 彼はまるで自然の摂理だとでも言わんかのごとくこたつの中に陣取っている。普段は遊ばれ振り回されそれでも惜しみない寵愛を与えてやっているのに、この恩返しは無いだろう。ふにーじゃねえそこをどいて、くれ……。


 全て防がれた。北には兄の頭と腕と猫、東には妹の髪、西には父の体、南には悪臭警報。四面楚歌。ABCD包囲網。この6畳くらいはある和室において、異常なほどの密度、重量バランス。さながら原子核、或いは恒星。その周りをふらふらぐるぐると漂う、俺。


 寒い、寒い。ああ、もうダメだ。もういっそ机の上にでも座った方が良いのではないだろうか、とぼんやりした頭で考える。真ん中あたりなら熱が溜まっているだろうから。


 いや、それこそが答えではないか、と思う。


 この下賤の者たちと同じ立場にいるのがそもそもの間違いなのだ。我こそはこたつの上に鎮座する者。こたつの下に跋扈する数多の愚民たちは全て我にひれ伏す。

 これだ、この快感こそが反逆の形としてふさわしい。こたつは万物を中に取り込んで放さない。一方こたつの上に座すことはこたつを征服すること。簡単な三段論法だ。




 つまり、こたつの上に立つ者こそが、神だ。




「あんた何してんの」


 高らかにガッツポーズを掲げていると、どん、という衝撃音を鳴らして、母親の手からこたつ机の真ん中に何かが配備された。ああ、俺の居場所が、と嘆いたのも束の間、腹の虫に思考が遮られる。もくもくと立ち上がる白煙。煮え立つ野菜。


 ジャパニーズ・良き文化・おでんだ。


 その素敵な匂いに鼻孔をくすぐられたのか、こたつの国の住人たちは次々と目覚めていく。妹は目をこすり、兄はあくびをし、机の下にいた父は一旦足を引っ込め「くさっ」と言って机に頭をぶつけた。


 父の与えた衝撃により波打っているおでん。ちくわ、卵、だしの染みた大根。あまりの魔性っぷりに俺は膝から崩れ落ちた。

 よだれが出そうになるのを抑えていると、猫が勢い良く胸元に飛びかかってくる。ふわふわの体が温かくてふにゃあと顔が和らぐ。湯たんぽみたいだ。


 家族が、徐々に夢うつつから抜け出し始める。


「お、おでんか」


「今日寒いしね」


「ふあああ、でも結構暑いんだけど」


 誰を犠牲にしたと思っている。


「げ、兄貴、顔やばいよ。どうしたの」


「ほんと、強張ってるよ」


 猫型湯たんぽのおかげで体は急速に復活を遂げ始めていたが、顔は依然として冷え切ったままであった。父親が出ていったことで空きの出た西側に席を確保する。

 下半身に熱が通る。鍋からの蒸気が表情筋を緩めていく。そう言えばかの宮澤賢治も言っていた。「西ニ寒ソウナ人アレバ 行ッテ炬燵ト鍋ヲ与エル」だ。少し違う気もするが気にしてはいけない。


 父は南側、母は妹の隣に。5人揃った食卓を眺めて、これが本当に正しい姿だ、と確信した。

 こたつの上に鎮座すべきもの。この世の神としてあるべきもの。それは、鍋だ。我々はこたつの宇宙の中を漂い、唯一神・冬の鍋を崇めて生きていくべきなのだ。


 そして寒さが人を不幸にするというのは本当だ。こうして、温かいこたつは団欒とともに囲むべきなのだ。

 笑顔と、温もりと、家族の絆と、




「卵もーらい」




 妹の声で我に返ると、鍋の中から今まさに卵が妹の器に移されんとしている。


「え、最後の卵……?」


「今日は足りなかったから4個しか入ってないの」


 ごめんね、と言いながら卵を頬張る母。既に卵を食べ終えて酒の話をしている父と兄。


「いやいや、そんな目で見ないでよ。私が悪いみたいじゃん」


 どれほど情けない顔をしているのだろう。あるいは、どれほど憎悪に満ちた表情を浮かべているのだろう。

 だしの染みた卵、至高の一品、妹の口に運ばれる、アツアツの、たまご、たまご。










 あああああああああああああ!!!!!!!!!!










 今、俺の心の中のこたつ机がひっくり返された。無様にひっくり返った精神的こたつの上に俺は立つ。空想こたつの脚に右足を乗せて、俺は高らかに宣言する。




 戦争だ。これは全面戦争だ。




 何が団欒だ。何が良き文化だ。何が鍋イコール神だ。伝統なんかくそくらえ。私は、こんな負の歴史に終止符を打つのだ。


 ひっくり返ったこたつなど、もはや何の役にも立たぬ。今、このこたつは奴らの不毛な占拠から解き放たれ、我が傀儡となったのだ。




 こたつ帝国の上に立ち、今こそ、私が全宇宙の神と化したのだ……!

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こたつ包囲網 倉海葉音 @hano888_yaw444

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