(完結)エピローグ 願いを叶える木の下で 後編
「ねぇ、何してるの?」
にこにこと話しかけてくる少女。
そのあどけなさと距離の近さに、思わず視線を逸らす。
(同い年くらいなのに、僕のことを知らないのかな……?)
裏通りに住む、病院の『まっしろおばけ』だってこと……
「ええと、これは――」
少女の指をさす先には、編みかけの花の冠が。
(…………)
咄嗟に隠そうか、迷う。
この歳になって、男が花冠なんて。女々しいと思われるだろうか?
『胸を張れるぐらいに大好きなことを見つけるといい』
不意に思い出したのは、母さんの言葉だ。
そうして、もうひとつ思い出す。
『思っていることは、秘めちゃダメ。ちゃんとぶつからないと、きっと後悔するよ?』
母さんは、そうやって父さんとぶつかって、惚れて、自分から結婚を言い出して……色々あったらしいけど、今は幸せみたいだから。
僕は少女に、きちんと思っていることを伝えた。
「これは、シロツメクサの冠だよ? 綺麗でしょ?」
「うん……! とっても綺麗! でも、さっきはどうして隠そうとしたの?」
「う……」
(迷っていたのがバレてた? なんか、恥ずかしいな……)
そんな僕の気など知らず、少女はにこにこと話しかけてくる。
「でも、隠さなかったのね? どうして?」
「それ、は……」
一瞬、墓標を見やる。
(父さんの前で、かっこわるいところは見せられない……!)
きっとまた心配されて、甘やかされてしまうから。
僕は、春風に背を押されるように息を吸い込んだ。
「僕は、花が好きだから。こうして冠を編んでると、心が落ち着くんだよ?だから、その気持ちに嘘をつきたくなくて……」
心のままにそう言うと、少女はふわりと笑った。
「花が好きなの? 私もよ? ねぇ、さっきは誰とお話してたの?」
「え――」
「あなたには、おばけが見えるの?」
「おばけじゃないよ。僕の……父さんだ」
「ふふ……あなたって、変わってるのね?」
「変わってなんかいない。だって、間違いなく父さんは『いる』んだから」
背筋を伸ばしてそう言うと、少女はふっと目を細める。
「……そっか。素敵ね? あなたは、きちんと言えるんだ……」
それはまるで、小さな花が咲くような。
でもどこか、寂しそうな笑顔で――
「…………」
(思っていることは、きちんと……)
僕は、そっと少女に話しかける。
「ねぇ……何か悩みごとがあるの? 僕でよければ、話を聞くよ?」
「……!」
驚いたように目を見開く少女。大きな瞳がうるうるとして、まるで宝石みたい。
僕の隣に腰を下ろすと、ぽつぽつと言葉を零す。
「あの、ね……」
聞けば、少女は郊外の領主の娘さんだった。十数年前の革命で貴族の地位は崩壊したといっても、その習わしが完全になくなったわけではない。『良家同士の婚姻』というものは姿や形、呼称を変えて、細々と存在してはいる。
少女に縁談の話が舞い込んだのは、今年で十四になる彼女を思っての、親の計らいだそうだ。でも、彼女は『顔も知らないお金持ちとの結婚なんてごめんだ』という。
「それは、何というか……大変だね……」
「…………」
友達が少なくて気の利かない僕は、そんな気休めしか口にできない。
あぁ、こんなとき。なんて言葉をかければいいんだ……?
僕はただ、彼女がさっき見せてくれた、咲くような笑顔が見たいのに……
(助けて……父さん……!)
思わず念じると、その瞬間――
一陣の風が野原を駆け抜けた。
「「……っ!」」
旋風にのって、一面に舞いあがる白い花びら。
わぁっと頬を緩ませる少女に、僕は完成した花の冠をかぶせた。
「ふふ……綺麗だね?」
「え――」
「まるで、お姫様みたい」
その可憐さに思わず顔を綻ばせていると、唐突に、僕の頭に『願い』が降ってきた。
――この顔を、もっとずっと……隣で眺めていたいな……
(だったら、今、言うべき言葉は……)
「…………」
「そんな、お姫様だなんて……そんなことないよ……」
僕は、照れを隠すように髪をいじる少女に向き直る。
父さんがくれた勇気を抱いて、自分の気持ちに正直に、口を開いた。
「ねぇ……また会えるかな? また、来週……この丘で……」
その言葉に、少女は再び目を見開いて、ゆっくりと頷く。
「……うん。また、明日……来たらダメかな?」
「……!」
ふわりと立ち上がった少女を見送って、僕は墓標に供える花冠を編み直す。
この、春の陽気のようにふわふわとした心を、落ち着けようとして――
「ねぇ……父さん? 聞いてくれる? 僕……」
シロツメクサの冠は、もう墓標に乗り切らない。
「好きな人が、できたかも……」
◇
次の日。僕は学校から帰るとすぐに丘の上に向かった。
今日供えるのは、やっぱり、シロツメクサの花冠。
昨日は慌てて約束したから、待ち合わせの時間を決めていなかった。
(きっと、待っている間にたくさん時間があるから……)
そう思ったのだが。
丘の上に着くと、少女がすでに待っていた。
昨日僕がプレゼントした花冠を片手に、同じものが作れないかとうんうん唸りながら草を編んでいる。その様子に、僕の頬は緩んだ。
驚かせないように、少女にそっと声をかける。
「上手にできないの?」
「あ――」
「そこはね――」
隣に腰掛けて、一緒に花の冠を作る。
その間、僕たちはたくさんのことを話した。昨日の緊張がまるで嘘のようにどこかへ吹き去って、お昼に食べたスコーンのことや、なかなか捗らない宿題のこと、家の手伝いのことに、最近咲いた花の話をした。彼女も、ベランダに来る珍しい色の鳥の話や、感動したおとぎ話のことなどを話してくれた。
天気のいい日はお手製のサンドイッチを持ってきてくれて、僕らはそれをふたりで頬張った。
たくさん笑って、たくさん驚いて。同じように楽しい時間を共有したんだ。
僕には、生まれてはじめて、心の底から一緒にいたいと思う友達ができた。
月日は過ぎ去り、僕たちが出会ってから一年が経とうとした頃。
彼女は神妙な面持ちでやってきた。
いつものような、喜び勇んだ駆け足でなく、とぼとぼと、来るのが心底辛そうな、そんな顔つきで。
「どうしたの?具合でも悪いの?無理して来なくてもよかったのに……」
「……ううん。そうじゃないの」
伏し目がちなその顔が、僕に告げていた。
――会うのは、今日が最後なのだと。
僕はおそるおそる問いかける。
「ひょっとして……決まったの?」
「…………」
やっぱり。
遂に彼女の縁談が決まってしまったのだ。
「いつ……? その彼とは、いつ会うんだい?」
「……三か月。三か月後に、私は隣の領主様のご子息の元へ、お嫁に行くの」
「そんな……! 三か月って、急に……!」
その言葉に、彼女は涙をこぼした。
「ごめんなさい……! ほんとうは、もう少し前から決まっていたの! でも、私は言い出せなくて……! もし話したら、もう会ってもらえないんじゃないかって……!」
「……!」
僕の心臓が、どくどくと嫌な音を立てる。
(どうしよう……遂に、この日が……)
恐れていた日は、何の前触れもなく僕の元にやってきた。
今まで、どうすることも出来なくて、ただ手をこまねいていた僕。
調べれば調べるほど、貴族としての文化は『領主』という名でこの時代に息を潜めていた。彼らは自らを『高貴なる血筋』とし、脈々とそれらをかけあわせ続けることで、いずれ『栄光ある時代』を取り戻そうと、好機を伺っているのだ。
その慣例を打ち破り、彼女の両親の目論見を阻止するには、多額の資金と安定した地位が必要だった。今の僕では到底手に入らない、そんなものが――
(でも、だからって……!)
彼女を、諦めろというのか?
こんなに好きで、大好きで大好きで仕方がないのに?
(そんなの……)
「無理だよ……」
「え――」
「せめて、もう少しの時間があれば……僕がもっと、大人だったなら――」
ぽつりと、そう零す。
僕は、ぼくが抑えきれなくて、つい、彼女に手を伸ばした。
袖を掴んで、縋るように口を開く。
「いかないで……僕は、キミのことが好きなんだ……」
「……!」
「ずっと、隣にいて欲しい。僕に、もう少しの力があれば……!」
「……!!」
その瞬間。まだ少し冷たい澄んだ風が、僕らの間を吹き抜けた。
その風に背を押されるように少女が口を開く。
「……わかった。待っていて……! 私も、あなたみたいに、きちんと言える人になるから!」
「え?」
「あと一年。結婚するのを伸ばしてもらう。『私には好きな人がいる』って、正直に話して……絶対、絶対、お父様を説得してみせる!」
「それは……」
「ねぇ……一年以内に、迎えに来てくれる?」
それは、僕以上に縋るような笑みだった。
僕は、決意を胸に抱いた。
「約束するよ。必ず、立派な医者になって、キミを迎えに行く……!」
◇
それから、僕は必死に勉強をして、最短で病院を継ぐことを目指した。
当時、街でも腕がいいと評判だった母さんの病院は、ひいき目に見ても儲かっていたし、『救世の天使』と呼ばれる母さんをたずねて、遠くの街からも患者さんが訪れるほどだった。
しかし、それもこれもすべては母さんと父さんの築き上げてきた技術と信頼、その他多くのもののおかげだ。いくら息子だからといって、おいそれと年若い僕が継いだところで病院の評判を落としかねない。
だから、僕は努力した。半年後の資格試験で医師免許を取得して、一年以内に誰もが認める、父さんのような医者になるために。
大好きな彼女に会うのも我慢して、母さんに無理を承知で頭を下げて、手術に同席させてもらったり。父さんの部屋に残されていた、膨大な一族独自の蔵書――人体の解剖図や有効な治療箇所、どこを傷つけ、切り開くと、人はどうなるのか。何の植物が人体に有効で、何が毒薬となるのかを隅から隅まで読破して、頭の中に叩きこんだ。
そして、技術を磨いて、経験を積んでいくうちに、僕には、『どこをどうすれば治るのか』が自然とわかるようになっていた。
もちろん、母さんと比べると知識も経験もまだまだだ。でも、僕が『どうにかして治したい』『どこに病気の原因があるんだ?』と夜中まで頭を抱えるとき。まるで神様から啓示を受けるみたいに、解決法が頭に降ってくることがあった。それも割と、頻繁に。
僕にはわかってる。これは神様なんかじゃなくて、きっと――
そうして僕からの助言で治療の方針を変えたり、それが功を奏しているうちに、僕自身が街でも腕利きの医者として認められるようになっていった。
「やっと、やっとだ……!」
僕は遂に医師となり、母さんから太鼓判を貰って病院を継いだ。
『やりたいことが、見つかったのね?』
母さんの問いに、僕は満面の笑みで答える。
『約束を、したから……』
大好きな彼女の『願い』を……絶対に、叶えるって――
◇
日を改めて、僕は彼女のご両親の元を訪れた。
隣のご領主一家との婚姻を白紙にし、彼女をお嫁さんに貰うためだ。
『私のためにここまでしてくれるのは……ここまで私を愛してくれるのは、彼だけなの』
そう紹介されて、僕は笑みを返す。
『たとえ僕だけだったとしても。僕だけは。必ずお嬢さんの傍にいて、彼女を守ると約束します。何があっても、僕だけは――彼女の幸せを願い続ける』
その言葉に、ご両親は首を縦に振ってくださった。
そんな勇気を出せたのは、僕にしかわからない、父さんのおかげかもしれない。
「ずっと、見守ってくれてありがとう……」
僕は、結婚の報告の為に丘の上までやってきた。
「知ってるよ? いつも僕の背を押して、助けてくれたでしょ?」
もう何度目かわからない春に吹く風は、どこまでも優しく僕を包む。
僕は、やはり何度目かわからないため息をそっと吐いた。
「もう……本当に僕に甘いなぁ。父さんは……」
僕が大好きな父さんに掛けた言葉は、まるで内緒話のように、風に攫われて消え去っていったのだった。
◇
満足そうな笑みを浮かべる彼を見て、隣の少女に問いかける。
『……これで、よかったかな?』
翠の瞳の少女は唇を尖らせて、僕を小突いた。
『ちょっと、やりすぎじゃないですか?』
『何が?』
『過保護ですよ?』
『いいじゃない? 大好きなんだから』
自信満々にそう返すと、少女は再び僕を小突く。
『でもでも! 治療法をこっそり教えてあげたりするのは反則ですよ!』
『アリアだって、あの子達が初めて手を繋ごうとしたとき、きゃあきゃあ盛り上がっていたよね? さも手を繋ぎたくなるような、季節外れの冷たい風を吹かせてさ?』
『だってぇ! ああいうときは、男の子から繋いで欲しいものなんですよ!? 私は、ちょっと、ちょ~っと、その手助けを――』
『本当にちょっとだけかな? それに、しょっちゅう背中を押しまくってたじゃないか。あの子が告白するときは、特に』
『それはもう……! もどかしくて居ても立っても居られませんよ、あんなの!』
『そうかな?』
『そうですっ! 私だって、告白するのにどれだけ勇気を出したことか……!』
『それはすごいね? 僕は結局、できなかったからなぁ……』
『…………もういいですっ』
そう言って、アリアはふいっと顔を逸らす。
『なんにせよ、あの子は僕よりも勇気のある子になったようで、よかった』
『それは……そうですね? それに、先生よりも乙女心がわかっているみたいですよ?』
ぷいっ。
『……ひょっとして怒っているの? どうして?』
『別に。この期に及んで、なんでもありません! なんでもありませんよ!』
けど、楽しそうなその顔が『これでよかった』といっているのが、よくわかる。
(本当に、アリアは顔に出やすいなぁ……)
僕は顔をほころばせ、そっと問いかけた。
『あの子の願い……これで叶ったかな?』
返ってくるのは、満面の笑み。
『はい……! 彼女の願いも、叶えられたと思います!』
『それはよかった』
僕も。なんだか自分のことのように嬉しかったよ。
あのとき、僕がエリーに言えなかった言葉。
――『僕だけじゃ、ダメ?』
その一言を、あの子はちゃんと言えたんだ。
勇気を出して、大切なひとに。
――『僕だけは、必ず』
あの言葉が、耳に残って離れない。
「ふふ……随分と、頼もしくなったね……」
(さぁ、僕の役目も、これで――)
永らく座っていた墓標から腰をあげようとすると、不意にアリアが手を引いた。
「ねぇ、先生? 知ってますか? あの木……」
「木?」
指をさす方向には、もみの木の苗木が植わっている。
「あの子が植えたんですよ? なんて名前かご存じですか?」
「いや、知らないな。数日前に彼女とふたりで楽しそうに植えている姿は見たけれど……」
「じゃあ、教えてあげますね! 私、ふたりが話しているのを聞いちゃったんですよ!」
「また盗み聞きかい? 感心しないな?」
「過保護な先生に言われたくありません!」
アリアはいたずらっぽく笑うと、僕の手を引いて木の下に案内した。
「……『
小さく建てられた手作りの看板には、そう書いてある。
「これは?」
「おまじないです! この木の下で約束を交わすと、願いが叶うんですって! 素敵ですね!」
「でも、植えたのはあの子達だよね? そんな大それた力、この木には――」
言いかけて、僕は気がついた。
「まさか……」
確かめるように視線を向けると、アリアはにっこりと微笑む。
そうして、僕の大好きな、咲くような笑みをたたえた。
「ねぇ、先生? 次は、誰の願いを叶えましょうか!」
僕も、ゆっくりと頷く。
「そうだね……どんな願いを叶えようか?」
決して『最期』なんかじゃない。
希望にあふれた『願い』を――
これからも、一緒に……
Fin
断頭台の守り人 南川 佐久 @saku-higashinimori
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